2018年2月28日水曜日

1229「毘沙門・妙見2」2018,2,28

 2月10日7時半に仙台駅に皆さん集合です。あわ歌の「陸奥・妙見・毘沙門の旅1」の巡りです。11名で2台の車に分乗して出発です。


 今回の端緒は2017年10月6日のあわ歌会で私が以下のお言葉を頂いたことです。

「北の海は多くを沈めて参られた。
 皆々それぞれある中で、妙見、毘沙門、離れておるが、その地に故ある事ごとなり。
 しっかり結びて、鎮めて参れば、ひとつとなりゆくなり。」

 これを受けて12月の陸奥伊達な旅に連動してこの度の企画、開催になりました。いろいろ調べて行くと陸奥の各地を巡る計画になり1度に全て巡るのは無理で、3回に分けて各地を訪れる予定に成りました。今回はその1回目で、仙台から宮城県北を左周します。

 お言葉の「妙見と毘沙門が離れていることは、この地に故ある事ごと」とありますが、まず妙見と毘沙門に付いて調べてみました。以下に紹介します。


「妙見菩薩は、仏教における信仰対象である天部の一つ。妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。
 妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。
 中国の神。北の星宿の神格化。玄天上帝ともいう。宋代には避諱のため、真武と改名されている。清代には北極佑聖真君に封じられている。上帝翁、上帝公などとも呼ばれる
「菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したもので、本来の仏教は星辰に煩わされず信仰しないことを旨とすることから、形式上の名称は菩薩でありながら大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。
 道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある
 また、中世においては千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、千葉氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社では今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている。これは、明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為に採られた措置である。
 同様の経緯による神社化は、岩手県奥州市にある日高神社や九戸氏の氏神とされている岩手県九戸郡にある九戸神社、大阪府の星田妙見宮、秩父市の秩父神社、千葉県君津市の人見神社、埼玉県飯能市の喜多川神社、茨城県竜ケ崎市の星宮神社および我野神社(あがのじんじゃ)の例など多数ある。
 なお、千葉神社(かつての「千葉妙見宮」)は源頼朝から崇拝を受けたほか、日蓮も重んじた。また、日蓮宗の中山門流の檀越であった千葉氏が妙見菩薩を一族の守護神に位置付けていたこともあり、この縁により妙見菩薩が日蓮宗寺院に祀られることが多い」

「一方、北極星は、北半球においては、古くから旅の道標として進むべき方向を示す星とされてきましたので、「進むべき道を示す者」、「優れた目を持つ者」、「天空の中心に位置する者」として、道教では「北極大帝」として神格化されていました。
 つまり、中国の仏教徒は、自分達に都合の良い勝手な解釈で、道教において「天帝」と位置付けられている「北極星」の事を、「妙見菩薩」と言う名前に置き換えて信仰させたのです。
 ちなみに、「妙見」とは、「その眼睛(がんせい)最も清澄なるが故に、随って能く物を視ることが出来、善悪を記録し給ふ。」と言う意味なのだそうです。
 さらに、「妙見信仰」は、日本に伝わってからは、「修験道」、「陰陽道」、そして「密教」などの要素も組込まれたため、その容姿風貌や御眷属が一定とはならなかったようです。

 最後に、「妙見信仰」ですが、現在では、明治政府の「神仏分離令」の影響で、主祭神を「妙見菩薩」ではなく、「天之御中主神(あめの-みなかぬしの-かみ)」としている神社が多く見受けられます。
 明治政府は、「王政復古」を旗印に掲げていましたので「神仏習合」を廃止し、1868年に「神仏分離令」を発布しました。
この法律により、これまでは、神社で仏像を祀ったり、逆に寺社で神様を拝んだりしていた行為が禁じられてしまったので、「妙見菩薩」を「天之御中主神」と言い換えて祀るようになってしまったのです。
 さらに、「神仏分離令」の影響で、これまで寺社を快く思っていなかった神官や一般民衆が寺社を襲って「廃仏毀釈」を行ったのは、文化財の保護の面からは、非常に勿体無い事だと思いますが・・・寺社の日頃の態度が悪かった事が原因だと思います。
 恐らく、今でも「廃仏毀釈」となれば、観光地や世界遺産で有名な寺社以外は、きっと襲われるのだと思います。
 ちなみに「天之御中主神」とは、「古事記」によると、天地開闢(かいびゃく)の際に、最初に出現した神とされていますし、「日本書紀」でも、2~3番目に現れた神とされています。
 特に何を行った神様ではなく、現れた後、直ぐに消えてしまった神様らしいですが、神道においては、天の中央に居る主宰神として、宇宙の根源、宇宙の源(みなもと)とされている神様らしいです。
 まあ、「妙見菩薩」が「天之御中主神」となったのは、天の中央に位置する神として、「北極星信仰」と考え方が一致した事が影響しているのだと思われます。」