「われ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。
今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんとす」
妙見菩薩の出身は中国。北極星(北辰)の天帝(天皇大帝)思想と菩薩信仰が混じってあたらしく生まれた。毘沙門天や弁財天とおなじ「天部」に属する。
日本では、密教と陰陽道でおもに崇敬され、神社とお寺が合体した妙見宮に祭られてきた。北斗七星と重ねられ、北を守護し、四神獣の玄武(亀)にのった姿で描かれる。
大和神話では星神はほとんど語られない。だが星信仰がなかったというより、秘儀秘法、いまでいう企業秘密的に封印されたのではないかと思う。大嘗祭の悠紀(ゆき)殿には、かつて九星(こほし)がまつられたという。トホカミエヒタメの八星の中心に位置したのが、後世の艮の金神こと国常立尊であり、妙見菩薩と同一視された天御中主神だった。ホツマツタヱでは、国常立尊は最後の天御中主神ってことになっている。
平将門の叔父、平良文を祖とする千葉氏の嫡流は月星を家紋とした。元祖は将門が妙見からさずかったとされる千九曜紋。末流は諸星をもって家紋とした。今年は九星術の九紫火星の年で、西暦でも2000と9年。この「9」の年、丑・寅(東北)とつづく年に、去年の牛久大仏、将門の胴塚(茨城県坂東市)から、宮城県石巻市雄勝町の千葉大王をはじめとした東北妙見の反応、茨城の天津甕星神、高知の星神社と連鎖した流れは、僕には偶然とは思えない。
妙見信仰を最初に流行らせたのは修験道の役小角だという。当時の北辰祭は、796年に風紀の乱れを理由に禁止された。つづいて806年に唐から帰国した空海が、真言密教の仏に妙見大菩薩を迎えいれる。密教と修験道のむすびつきにより、妙見信仰は日本独自の色を重ねつつひろまっていく。
空海は高知県の室戸岬での修行中に、「あけの明星」が口にとびこむ体験をしている。四国の星信仰は、讃岐からひろがった真言系じゃないかと思う。
おなじ星体験をしたのが日蓮で、天から明星のような大星がおりてきて梅の木にかかったという。彼は北辰妙見菩薩の示現をうけ、法華経護持の誓いを得ている。
この「星」と「梅」のとりあわせは、千葉神社の摂社・千葉天神(1182年創祀)を思い出させる(写真)。千葉妙見宮(千葉神社)と日蓮は、ゆかりが深い。
・・・ああっ、忘れてた!福岡市の東公園には、立正安国論の日蓮上人の銅像(明治37年)が海をにらんで立っている。福岡と千葉のつながりは、日蓮もあったんだ。
妙見菩薩(尊星王)を本尊とする尊星王法は、国家安泰を祈る大法だった。
☆尊星王像 三井寺 <17世紀の模写> |
まずは頭上に鹿の頭・・・志賀神。せんとくんかいっ。
龍の上にたち・・・オホーツクの渦巻き。大蛇。へびつかい座かいっ。
四臂(ひ)に三叉戟(海神トライデントかよ)と錫杖と「日月」の珠。
背後に八つの日月輪。日輪の中には三足の烏(ヤタガラス)、月輪には兎(出雲)と蛙(黄泉がえる)。鹿・豹・白狐・虎・象がえがかれる。
なんというか・・・事象の要素てんこもり!
妙見信仰は武士団にひろまり、貴族から武家社会への転換の精神的原動力となる。いわば奈良・平安から鎌倉への大変化は、「星」がもたらしたもの。そしてそのとき、時代の最先端でスサノヲ=日本武尊の役どころを演じた武将が、あの源義経だった。事象にスサノヲ尊が見えはじめたとたんに、妙見、星神の反応。あらわれ方はちがっても、歴史というストーリーはくりかえす。魂の輪廻転生のように。
「神々が動いている」http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/blog-entry-119.html
次に毘沙門天です。
「毘沙門天(びしゃもんてん)は、北方を守護する護法神で、財宝の神、武神。多聞天。四天王の一神。インド神話の神のクベーラ、ヴァイシュラヴァナが起源とされる。十二天、十六善神、七福神の一神。
独尊として信仰するときは毘沙門天、四天王の一神として信仰するときは、多聞天と呼ぶのが通例である。中国や日本では軍神として信仰を集め、日本では聖徳太子、坂上田村麻呂、上杉謙信、楠木正成らが崇敬したことが歴史上知られている。また代表的な福神でもある。
夜叉、羅刹、寅、ムカデ、鼠などを眷属とする。護法神として、天台宗、融通念仏宗、浄土真宗、日蓮宗などの各宗で信仰される。勝手明神、えびす神、榎本神社などを垂迹とした。」
「現代でも人々の心のよりどころとして、平安や幸福を招くものとして信仰されているのが七福神です。七福神には弁財天や大黒天などがありますが、その中の一つに毘沙門天があります。
毘沙門天は仏教を信仰する人々を守る四天王の一人とされています。そもそもその由来はインドにあり、当地では四方を守る神として、東の持国天、西の広目天、南の増長天があり、毘沙門天は北を守る神とされていました。
つまり、これら東西南北を守る神が四天王であり、毘沙門天はその一つに位置付けられていたのです。
毘沙門天は怒りに満ちあふれた表情をしています。左手には宝塔、右手には金剛神を握り締めて、邪鬼を踏み付けているのが一般的な姿です。
つまり、これが戦いに挑む際に勝利をもたらしてくれる神だということとなり、古くから戦国武将の信仰を集めることになったのです。
毘沙門天は京都にある鞍馬寺を始め、信貴山千手院や山科毘沙門堂、本山寺などで祭られています。」