首が勝手に動いて、買ってきた本を見ているのです。怖い!本を取って、勝手に手が動いて頁を開く。そして顔が笑っているのです。その後、本を置くと眠れるのです。それがちょいちょい続くのです。私は何かに取り付かれている。しかし誰にも言えない。供養しないといけない。しかし当時はオーム事件の時で、変に疑われるので、ほうっておこうとしました。首が動くのを無視していると目が閉じないのです。
飲食の仕事の間にいろんなバイト、仕事をしていました。その中でバイク便の仕事をしていました。私の運転するバイクが大手門へ向かって東から走っていると急に左折してきた車に撥ねられました。しかし私は完璧な受身を取って転がっていました。そして立ち上がり、手を横に広げてすっと手を下ろしていました。身体は大丈夫でした。しかしバイクは崩壊していました。
車はハイヤー大和でハイヤー会社の弁護士が2人が来ました。ベテランの1人に良い様に言いくるめられました。結果、事故はお互い前方不注意で責任は5分5分とされてしまいました。完全に相手のタクシーが原因で責任があるのに。結局、弁償金、保険金は無しになりました。相手の車が急に進路変更して突っ込んで来たのに、人生最悪と思いました。
当時、高級マンションに住んでいました。あの時来た2人の弁護士の内の若い弁護士が訪ねて来ました。彼は今回の事故のことで何かお役に立ちたい、知恵をお貸しします、と言います。ブランドスーツを着ていて事故に遭ってスーツが傷ついたと申請すると、その保証には保険を下ろすと。それで30万円の保険金を貰いました。
東京は私にとって何なんだ。事故で受身を取って、その光景は奇跡でした。変なものが取り付いているとしたら死んでいるはずです。これは一体何なのか。やったことが無いことをしている。考えても分からない、ほっておこう。考えないことが治療だと思ってほっておきました。
首が動いて本を読まされる。寝る前に読む習慣が付いてきていました。その本は岡本天明の「ひふみ神示」でした。もうどうでも良いと思いました。
その内、神社で中まで入って参拝する様になっていました。それでも考えずにいたのですが、それからテレビで見た神社へ行く様になり、東日本全県の神社の参拝をしていました。参拝しても何をする訳でなく終わるのは面白くないので、世界平和を祈願することにしました。大きい神社を素通りして、小さい神社へ参拝することもあり、何故だろうと思いました。しかし分からない。
音楽事務所ではアコーステックでは使ってくれず駄目でした。全然良いことがありません。東京に来て悪いことばかりが起きています。東京が私を駄目にしたと思いました。
3年経って両親が東京へ出てきました。銀座で会いました。
その後かつてアパートの隣に住んでいた役者志望の人から電話がありました。彼は関西に住んでいて、彼が私に会いたいという人が居るというのです。神社の巫女さんだといいます。明後日に彼の和歌山へ行っていました。