倒れている時に死んだおじいちゃんが出てきて怒っているのです。私がおじいちゃんに謝っています。何か高校の時に死にたいと思ったことがあったのです。その場面、その時の気持をおじいちゃんは分かっているのです。その思いが蘇ってきます。首、肩を鷲掴みされるようにされていました。私は許してくれと泣いていました。気づいたら親戚中の人に囲まれていました。
倒れた私に祈祷師が何かやっていました。病院へ行かずに祈祷師にさせていたのです。そして又意識がすーと消えて行くと、おじいちゃんが笑顔で穏やかでした。そして又気づいたのです。それは身内との霊体験でした。お払い祈祷は効果はありませんでした。おじいちゃんが許してくれたのは私が謝ったからです。それから祈祷師を信じなくなりました。お金を持って行くだけで効果はありません。それは18歳の時でした。
その後、上京しました。青森から夜行列車でした。友達が見送りに来てくれて、何故か泣けて来ました。その人達との最後のお別れでした。
憧れの東京で楽しい人生が始まると思って上野に着きました。人が多くて気持が悪く、どうして行くのか分からなく大変でした。色々と行き先を聞いてようやく辿り着きました。
調理師になりたいので大阪の辻あべの学校へ行きたかったのですが授業料が高過ぎ、距離も遠すぎると反対されました。そして栄養士になれと言われ、安い学校がありました。この時は学校を見学し、住まいを探す旅でした。
品川駅の近くのビルの不動産屋でアパート探しに入りました。どきどきでした。私は黒のスーツで髪はオールバックで、舐められたら大金を盗まれると思って身構えていました。しかしそこはヤクザが経営している不動産屋だったのです。皆こわもての人だったのですが、1人だけ優しそうな顔の人が居ました。その人に部屋を探しているのか、何処からきたのか、身辺調査をされた。資料を貰い資料代として6000円を支払いました。連絡先と言われ父の名刺を置いて早々に帰りました。明日来るように言われたのですが怖かったです。
東京では吉野家の牛丼を食べたかったので探して食べました。結局、明日は不動産屋へは行きませんでした。そうしたら父に不動産屋から電話が入っていました。父からこちらに電話があり、直ぐに今居る宿から出ろと言われました。父には業者から頻繁に脅しの電話が1週間入りました。その後、父が飛行機で東京に来て、私は飛行機で同行されて青森へ帰りました。青森では外へ出られない軟禁生活をさせられました。何もかも悲観的でした。
その後、母親と一緒に専門学校に入る為に出かけました。専門学校は難しく何も分かりませんでした。高校ではまったく勉強せずに、追追追試で最後は答えを書いてある答案用紙を渡されていました。私はPクラスでパークラスと呼ばれていました。そこは自習クラスで授業しないので何も基本が入っていませんでした。
専門学校はなにもかもが専門的で毎日試験があり、2ヶ月毎日0点でした。これはヤバイ、卒業できない。もったいないので辞めよう。ここを出て料理人になろうと思いました。
学校を辞めたことは親に言わずにいました。やがて父親から連絡が来ました。取りあえず青森に帰って来いと言われ、謝りに帰りました。しかし父には怒られませんでした。父には、「お金は捨てたものだから良い。これから何をするのか。」、と聞かれ、料理人をすると答えました。こっちに居るのは格好悪いので、結果を出してから帰りたい。と言いました。