2018年3月6日火曜日

1235「毘沙門・妙見8」2018,3,6

 翌朝目覚めると昨夜からの雪で景色は様変わりです。まるで諸々の罪、穢れを浄化するかのごとくの純白の真白き世界です。そんな日の出前の雪の露天風呂もなかなか風情があり良いものです。朝食を美味しく頂き、いざ出発です。



 最初の目的地は涌谷町の涌谷妙見宮です。真白き陸奥の世界を車は安全運転で進みます。予定より時間が要しましたが無事に到着出来ました。
 涌谷妙見宮の紹介です。
「御祭神:天照皇大神・天之御中主神 
 妙見宮はもと総州千葉にあったものである。文治5年(1189)源頼朝に従って奥州藤原氏討伐に軍功のあった武石氏(千葉常胤三男)が妙見七社のうち第三社を亘理に移して代々守護神とした。千葉氏はその後亘理氏を称し、伊達氏に属して軍功があったので、伊達十四世植宗の子元宗(涌谷氏祖)をもらい嗣子とした。天正19年(1591)領地を亘理から涌谷に移す時に妙見宮も涌谷に移った。
 妙見信仰は本来北極星を神格化したものといわれ、中世に日蓮宗に導入され、国土を守護し災厄を除くというので、広く戦国武士の信仰を集めた。また、道教の影響による民間の北斗七星信仰も入りこんでいる。この信仰の対象北辰菩薩を名づけて妙見といい祭神とするに至ったものである。また亘理氏の先祖千葉氏の守護神が妙見社であった。」

「妙見宮は、今日の神明社で涌谷亘理氏(三代定宗から伊達氏を名乗る)の氏神様でした。天正十九年(一五九一)村替になった亘理元宗・重宗によって、亘理から移されました。当初は城内に祀られ、四代伊達安芸宗重の時、寛文三年(一六六三)妙見宮を造営したと伝わっています。
 現在の規模を見ると、南を正面に北へ長床・拝殿・本殿が縦一列に建っています。
 このうち、拝殿が旧妙見宮の本殿で五代宗元の時、元禄十一年(一六九八)の落成で、大きさは三間に二間、正面に一間の向拝が付き、屋根は入母屋造り、室内を内陣と外陣に分け、現本殿に奉安の神像を祀る厨子を内陣に安置しました。建物の要所に施した涌谷伊達氏の家紋根笹霰の彩画や月九曜紋の飾金具が元禄期の華麗さと堅実な造作に一門としての風格を漂わせています。小倉強氏は妻飾りの懸魚を写真で紹介して、「中央は三花懸魚で、六葉飾の代りに華麗な四弁花の彫刻をつけ、面には雲形の浮彫が施されているのは珍しく県内には例がない」(『宮城県の古建築』)と述べています。
 享和三年(一八〇三)、十一代村常の時、現本殿を建てて、元禄の本殿を拝殿に直しました。」



 小雪舞う中、新雪の参道を進み、階段を登り門を過ぎると、正面に社殿が現われ、雪の中に端整な姿、凛とした雰囲気で鎮座しています。真白き雪に足跡は無く、私たちの到来を待っていた様です。








 お堂に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です

「うお~ この時に北よりの全てを出だして、
 この地の諸々、あらゆるを元なるへと送る力と為され、
 是よりの響きに乗せ行かん。」9時48分



 社紋は千葉氏のものと同じ三日月九曜です。冷えた体を癒しに近くの黄金山神社隣のある天平ロマン館で暫し休息です。
そして次の同じ涌谷町の箟岳箟峯寺に向かいました。箟岳の山に向かう道はしっかり積雪です。そして箟峯寺も涌谷妙見宮と同様に私たちの到来を待つように真白き世界で光に輝いていました。以下が箟峯寺の紹介です。

「箟峯寺(こんぽうじ)は宮城県遠田郡涌谷町にある天台宗の寺院である。山号は無夷山(むいさん)。本尊は十一面観世音菩薩。別称は箟岳観音(ののだけかんのん)。箟岳山の山頂にあり、奥州三十三観音の第九番札所に数えられている。
 大同2年(807年)に坂上田村麻呂の創建と伝えられ、当初霧岳山正福寺と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、無夷山箟峯寺と改称した。
 奥州三十三霊場第九番札所として有名な箟峯寺の所在地は、古来殺生禁断、女人禁制の聖地で、大門から一歩ふみこめば、罪人も捕らえられなかったと言われ、ただ一つの村外地でした。
 本尊の十一面観音像(秘仏)で、三十三年に一度ご開帳されます。前回は平成20年(2008年)にご開帳されたので、次回は平成53年(2041年)です。
 また、1月には県重要無形文化財・白山祭が行われ、その行事の一つ御弓神事(おゆみしんじ)は稚児が矢を射てその年の天候を占います。
 4月上旬から中旬にかけては『かたくり』の花が境内において見頃を迎えます。
 7月は石仏広場において炎の祭典・採燈大護摩供が執り行われ、箟峯寺一山総出仕のもとに「除災・招福・諸願成就」を祈願します。
 11月から12月にかけて山全体の紅葉が始まり、紅葉の名所としても有名です。
 観音堂手前の仁王門に安置されている仁王像は、その表情から別名「微笑み仁王」とも言われ広く愛さています。」









 本堂であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「戻りて、戻りて、戻られませ。
 元なる元へと、皆々様のその大きなる元の中心を、
 この時戻して新たへと参らん。
 この白き大きなる地と共に、真白き真へ共々参らん。」10時58分