車の免許を持っていませんでした。行き先は山だし、安全運転で行けば大丈夫と思い、父の新車を持ちだしました。酸ヶ湯を越えて行くと雪が降り出し、積雪です。峠で転落事故を起こしてしまいました。
犯罪者になった、ヤバイと思いました。雪がふぶいています。身体は大丈夫の様で、車の外に出て、道路まで這い上がりました。車だから大丈夫と薄着で来ていました。酸ヶ湯方向へ歩いていたら後ろから車が来ました。運転手さんに、「死ぬ気で来たのか。」と怒鳴られ、「あの事故の車はお前だな?」言われ、「先ず乗れ。」と車に乗せられました。おじさんはこの先の山小屋の最後の人で、たまたま忘れ物をとりに戻っての帰りでした。今日から冬季閉鎖になる時でした。おじさんに「馬鹿っ子」と怒鳴られました。
彼の仲間が手分けしてクレーン車を用意してくれ、落ちた車を上げてくれました。午前中の事故だったのですが、家には夜の8時ごろ帰り着きました。3人のおっちゃん達が一緒に来てくれました。そしておふくろに掛け合ってくれました。おふくろは何も言いませんでした。その後、父が帰ってきましたが、俺の車はどうしたんだと怒鳴り散らしました。私は荷物を纏めて青森から夜行で東京へ向かっていました。
事故はラッキーだなと思いました。しかし十和田湖を見たくて行ったのに見れなくて、親に怒鳴られ東京へ出て行き、申し訳なくてもう帰れなくなってしまいました。私は馬鹿息子で、父の1ヶ月の新車を潰すことになりました。
3年間家に帰らず連絡も取りませんでした。3年で結果を出してからと思っていました。自分には何も無い。働かないとならない。しかし仕事がない。フランス料理は格式が高くて駄目。居酒屋から、イタリアンは人気が無くそこに入りました。
3年の間に憂さ晴らししたいし、彼女も欲しい。夜の世界、六本木に入っていきました。子供の頃から酒を飲んでいました。年齢を偽って、犯罪者にならないギリギリのことをしました。悩む事は、当時はバブル全盛期の東京で異常な世界でした。20歳の男が高級車を乗り、サイドビジネス、ねずみ講、海外旅行、ブランド品、とてつもない人達の中で働いていました。
学なし、金なし、田舎者でコンプレックスの塊りでした。当時は女性にもてるのは3高が必須で、高所得、高身長、高学歴でした。とても無理です。彼女も欲しいので見た目で勝負と、原宿のアパレルで働きました。社員特権でデザイナーブランドを半額で買いあさりました。見た目ばれない、必要最小限しゃべらない。そして女の子に受けるためにマハラジャで働いていました。
糞がきで年齢偽っていました。価値観の違いで拝金主義を目の当りにすることになります。お金で幸せ、不幸せが刷り込まれています。私はコンプレックスの殻が3重くらいありました。そして幸せの価値観を見出せないのです。病んだ生活をしていて、昼夜逆転して行きます。もう訳が分からなくなり、まったく幸せを見出せないのです。価値観が分からずに徘徊している中では不安しかありません。
そんな時に思い描いたのは幼少期の思い出でした。可愛がられ、笑っていた頃、良かったな、あの頃に戻りたい。当時は音楽がはけ口になっていました。一番は女にもてたい。しかし音楽やっても、もっと上手く格好良い人がいて駄目だ。そのうち音楽ははけ口で、すさんで行きました。陰気くさい曲になっていきました。愚痴を詩に書いてステージに、ライブハウスで歌っていました。
そこでネガティブな、アングラに嵌まって行くのです。渋谷のアングラの聖地に嵌まっていきました。シンガーソングライターの始まりです。酔っ払い、歌っていく。19歳でもう直ぐ20歳になる頃です。もう直ぐ大人なるがどうするのか、です。