2018年3月19日月曜日

1248「浄音9」2018,3,19

 幼い頃を思い出し、祈っていたことを思い出しました。それはキリスト教の祈りでした。何故キリスト教に入ったのか?何故そうなったのか?キリスト教と日赤で生まれた事は関係ないか?しかし祈るとよく眠れるのです。そしてご利益信仰に変わっていきました。
 神様がここにいるとして管を巻き始めました。父より勝ってやる。金持ちになってやる。どうにかして認められたい。拝金主義しかないと思いました。しかし悲しかった。父が言うように神様はいないのか。親のいう事を守ったが、ヤクザに成らなくても色んなことが氾濫していました。ぎりぎり、どこまで出来るのかでした。そしていよいよ19歳から祈り始めました。

 首が動き始めました。歩いているとふっと首が動くのです。どうしたのか?自律神経が侵され病んだと思いました。このことをばれない様にしようとしました。そうた考え方が人にばれない様にしました。
 歩いていると何処へ行くのか分からない。身体は歩いている、そしてぱっと足が止まる。そこに鳥居がある。頭を下げた。何故か。身体が勝手に動く夢遊病者になったのです。
 妹が受験勉強で独り言が多くなり、夜に徘徊していました。私はそれと同じではないかと思いました。しかし分からない、ほっておこう。考え過ぎが悪化させるので考えないことにしよう。ほっておこう。20歳代がスタートしていました。

 コンプレックスの塊りで、3高の逆の3低です。兎に角、あれもこれもやりたいことをやろう。芝居やろう。何か1発当てたら挽回出来る。芝居、ダンスをしました。
 ジャッキーチェンにあこがれていましたので、三軒茶屋に少林拳を見つけました。そこに通うようになり、台湾のリュー先生の最後の弟子になりました。
 好きこそものの上手なりで物凄い勢いで体得して行きました。極真空手、ホッパー少林拳、その台湾の先生は仮面ライダーの変身を指導していた方です。女癖、金癖が悪い先生でした。 
 老衰で入院したのですが、ベッドでうなぎが食べたいと言ったのですが、「駄目です、病院食があるでしょう。」と言ったら何も食べなくなりました。先生に「音楽をやっているのか、良いな。格闘技は人を癒さない。」と言われました。それから直ぐに亡くなり、それが遺言になりました。

 芝居は止めました。台詞を覚えるのにストレス覚えたのです。脚本を思いながら詩を書くこと思いつきました。経験してみてダンスは向いていなかったので止めました。やがてシンガーソングライターと料理人だけが残りました。それに残った時間をどっぷりとやって行くことにしました。
 自分が何に向いているか分からないので色々とやったら良い。それが無駄になることはないです。そのことが今、漫画になっています。

 20歳代、勝手に身体が動き、勝手に歩くようになりました。心と身体が分離した精神疾患と考えましたが病院へは行かずに治そうと思いました。その時に、父が言った言葉を思い出しました。「野菜と果物を食べないと病気になる。」との言葉です。しかし東京では肉、魚だけ食べていました。だんだん変えて行き、やがてベジタリアン化して行きました。

 ある時、気づいたら勝手に電車に乗っていました。渋谷へ行き、後は何処へ行くのか。やがて本屋に入って宗教コーナーに立っていました。目的意識がある様に歩いていくのです。ある所で止まり、手が棚の本に出て行きます。分厚い本を手に取って開いて、顔が笑っているのです。そして読んでいる。7800円の本でした。しかし買わないで店を出ました。
 何かに取り付かれたと思いました。疑惑、悪霊に取り付かれたのか?イタコを探そう。しかし青森には帰れない。ほっておこう。黙っておこう。内向的になり、20歳の考え方が病んでいて超ネガティブになって行きました。