やがてその時の事を思い出すのは20年後です。やがて何処から何処までを自分が選択したのか。あるいは始めから用意されていたのかが分かってきます。
小学校の体験の中でインパクトの強いことがあります。
小学校1年に入学しクリスマスの時に家に初めてサンタクロースが来たのです。サンタクロースに何が欲しいか、父がお願いしろと言いました。自分で欲しいものをお願いしました。すると翌朝、お願いしたスキーがあったのです。嬉しくて大喜びしました。
しかし父から「来年はもうサンタクロースは来ないぞ。」と言われたのです。そしてサンタクロースはいないことを知れ!サンタクロースは各家庭の親が演じるものだ。」と言われたのです。一度だけサンタクロースを経験させようと父がやってくれたのです。何で夢を壊すように虐めるのかと父を恨んだことがあります。
他の友達に聞いたら全員、サンタが来ていました。何が本当か分からなくなりました。真実を知りたいという欲求が強いので、叔父さん、叔母さんに聞いてもちゃんと答えてくれないのです。誰かが私が可哀相と思ってプレゼントをくれたこともありました。
父親の言葉で唯物論者になっていきました。私は問題児でした。学校でも事件を起こしました。暴力で下級生を殴ったのです。学校で母親共々頭を下げさせられました。その時、母親もそこの小学校の教員をしていたのです。しかし父には怒られませんでした。何故かと最近、父親から教えられましたが、成る程と思いました。
中学校は構内暴力全盛期で荒れ果てた中学でした。小学校で問題を起こした私に父親は「ヤクザと犯罪者になるな。他は何をやっても許す。」と言われました。「もし親の助けが必要な時には遠慮なく言え。可能な限り助けをする。」この事にはインパクトありました。そしてその、ヤクザと犯罪者の間の微妙な所で悩んだのです。
中学では入学早々にヤバイ連中にスカウトされてその傘下に入れられてしまいました。下僕になったのが最悪です。もう一つ大きな変化がありました。幽霊が怖かったのですが、それより怖いものが先輩で、お陰で最悪が続いたのです。それは人生で強烈なインパクトがありました。「信じられるのは学問だ。」「自分の力が無いと世の中生きていけない。」と父に言われました。そしてこの状況で頑張って生きようと思いました。
2年生になったのですが何も変わりません。何故か僕らの世代は平和主義で、上の世代は悪すぎました。それに私はへとへとに成っていました。
やがて中学3年になったら、幽霊やUFOより先輩達が問題だったのが、やっと俺達の時代が来ると思っていました。我々は平和主義でしたが、他の各地でも皆そうだった様です。そして3年に成って、何と、父が津軽に引っ越すことになったのです。南部と津軽は犬猿の仲でした。あ~これで俺はもう終わった、と思いました。
引越し先は車力村で、十三湖のある所です。今は津軽市になっていて、もう昔の名前が無いのです。そこは最悪の中学校だったのです。そこは構内暴力で新聞に出るくらい凄いところです。そこに転校生として行くことは最悪だ、と思いました。そこへ転校したら何をされるか分かっていました。
私は学校では、たけちゃんまんと呼ばれていましたが、「たけちゃんまんが転校することになった。」と担任が言うと、皆に驚かれました。そして「生きて帰って来いよ。」と言われました。皆は笑顔でしたが、私だけ最悪です。しかしこれにも意味があったのです。