2021年2月28日日曜日

2256「天使たち」2021.2.28

 今回は「いっぷくからありがとう」の2021年02月24日の記事を紹介します。


地上に降りた天使たち

今日は病気で生まれた子供たちのお話です。以前書いたこともありましたが、加筆して掲載します。「もう読んだよ」って方は、遠慮なくスルーされてくださいませ。

 

早くに亡くなる子供たちは、とても大切な事を、両親や周りの人々に伝えるという役目を担って生まれてくることが多いようです。

その生きざまは、まるで「地上に降りた天使」のようです。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

そんな言葉を残し、9歳でガンで亡くなった山崎直也くんのお話です。

<転載開始> 転載元 


 1992年3月18日、神奈川県に生まれた山崎直也君。お父さんっ子で元気でわんぱく。

どこにでもいるようなごく普通の男の子でした。あの病魔に襲われるまでは…

5歳の直也君を襲った病魔、それはユーイング肉腫と呼ばれる悪性のがんでした。手術で腫瘍は切除されましたが、抗がん剤の副作用に苦しむ日々が続きました。

ユーイング肉腫は10万人に1人と呼ばれる難病。骨のがんのため転移しやすく、再発を防ぐために強い放射線と抗がん剤での治療が必要だったのです。一時は学校に通えるまでに回復しました。しかし、その後も直也君は再発と手術を繰り返します。

 そんな彼をそばでいつも支えていたのは、母親の敏子さんでした。

痛みに耐えながらも一生懸命病と戦う我が子を見て、「代われるなら変わってあげたい」と言っていた敏子さん。

しかし…でも直也はそのたびに力を込めて、『ダメだよ』とかぶりをふり、『ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。お母さんじゃ無理だよ』きっぱりとそういうのです。

自分が一番苦しいはずの直也君は弱音を吐くどころか、必死でお母さんを気遣って励まそうとしていたのです。

しかし、そんな直也君の頑張りとは裏腹に、病状はさらに悪化。そして2001年6月、がんはついに骨髄に転移してしまいます。それは全身にがんが転移したこと、そしてもうなす術が無いことを意味していました。

 痛みは日を追うごとに激しくなり、それでも生きることを信じて、直也くんは手術を求めます。しかし、もはや医師達にできることはモルヒネを投与して痛みを和らげることだけでした。やがて器官が炎症を起こし気道を圧迫、呼吸困難の発作が直也くんを襲います。

全身を震わせ、身をよじらせて苦しむ息子の姿。母の敏子さんはパニックに陥り、泣きながら主治医を探しました。もうダメかもしれない…

 幸い直也君は持ち直すことができましたが、発作が少し収まった時、医師からの宣告が、

「もってあと半日…」病室に戻って気丈に振る舞おうとする母。

その時、直也君は9歳の少年とは思えない力強い言葉を発したのです。あの日、息苦しさが少し収まってから、直也はこうもいいました。


『おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。

だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。

おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。

「先生早く!」って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。

ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。

頑張れば、最後は必ず幸せになれるんだ。

苦しいことがあったけど、最後は必ず大丈夫』

命の瀬戸際で、痛みに耐えながらも、直也くんはお母さんを安心させようとしていたのです。

 2001年7月2日、直也君は静かに息を引き取りました。医師の「あと半日」という宣告から、2週間が経っていました。


直也くんが入院中、看護士に言った言葉があります。

「あのね ナオは今死ねないんだよ。お母さんの心の準備が出来ていないから、今はまだ死ねないんだよ」

旅立つには、家族にもう少し時間が必要だということを悟っていたのでしょうか。


 5歳で発病し、その後5度の再発、4度の手術を経て、9歳という短い生涯を閉じた直也君。亡くなった直後は涙を流さなかったという敏子さん。

それは、死の直前に直也くんがこんな言葉を残していたから。

「もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。」

「身は滅びても命は永遠だよ」


そして2007年、ある一冊の本が出版されました。

『がんばれば、幸せになれるよ』と題されたこの本は、小児がんと闘った少年が遺した言葉の数々を、母である敏子さんが綴ったもの。

 病床にあっても家族への思いやりを忘れず、辛い治療に耐えながらも生きることを決して諦めなかった9歳の少年。子どもとは思えないほど優しく力強い言葉に、多くの人が心を打たれました。

 母敏子さんの手記は新聞やテレビでも話題になり、全国の人々が直也くんの言葉に勇気と励ましをもらい、「生きるということの大切さ」を教わりました。

 生きることに対する執念、家族への愛情にあふれる直也くんの言葉の数々は、どれも深く心に響きます。

<転載終了>


 本当に、天使のような子供ですね。でも見た目は子供でも、その心は神さまに近い、気高く高貴な魂なのでしょう。

 私たち人間は生まれる前に、人生の全てのストーリーを決めて生まれてくるわけですから、この山崎直也くんも、肉体の状態は辛く苦しいものであっても、それに耐え、生まれて来た目的を達成して光の国に帰ったのだと思います。

 それでは、私たちが生まれる前に、全ての人生に起こる出来事を神さまと共に決めてから生まれて来たということを知って頂くために、中間世記憶(生まれる前の天国での記憶)を持つもう一人の子供のお話をご紹介します。

 理生くんは、2001年8月18日東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。

慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。

<転載開始> 転載元 


「おなかの中にいるとき、心臓がドキドキしちゃったのは、そのほうがおもしろいと思ったから。おなかから出るときは、神さまが『早く出ないと、大きくなれないよ』っていった。

引っ張り出されるだけだから、怖くなかった。痛くなかった。でも、息が苦しくなるのは、決めていなかった。喘息になるのは、決めてきた。だって、治すのが、おもしろいからね。

ママ、ごめんね。」


「赤ちゃんが病気のときは、『苦もあれば、後から楽もある』ということを、神さまが、伝えてくれている。だから、心配しなくていい。大丈夫。赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。というか、生きているものには、必ず、楽がある。」


「赤ちゃんは、どのお母さんにするか、どんな体にするか、どんな性格になるか、自分で決めて、生まれてくるのが、ふつうだよ。

ぼくが病気で生まれたのは、病気で生まれる子や、お母さんたちを、励ますため。だから、ママは、ぼくの言葉を、みんなに教えていい。」


「ぼくは、病気だったから、幸せなんだ。ぼくは、病気だったから、心の言葉が話せるんだ。

だから、いつか、心の幸せを配るサンタさんになるんだ。」


「ぼくは、自分が大好きだ。自分の体が、大好きだ。自分の体、ありがとう。」


「生まれる前ね、神さまと約束した。ママといっぱい話すって。」

<転載終了>

 


 私たちは、目的を明確に持ってこの世に生まれてきました。その目的を達成するために、時には重い病気や障害を持って生まれてくることもあります。

早くに亡くなることもあります。

また、時限スイッチのように、ある時期になるとカチっとスイッチが入り、病気などが発症することがあるようです。

それらは辛く厳しい道ですが、全ては自分の魂の成長のため、人の役に立とうと言う崇高な目的のためです。

 そのためには痛いとか、苦しいとか、みじめだとか、哀しいとか、およそ私たち生きている人間が持つ感情は、二の次に置かれるようです。

ですが、そうまでしても、私たち人間の人生には、生き抜いていくに値する、大きな価値があるのかもしれません。

 それが私たちが生まれる前に神さまと交わした、「神様との約束」かもしれませんね。


2021年2月27日土曜日

2255「ミトコンドリア」2021.2.27

 今回は2021年2月25日のIn Deepさんの記事を紹介します。


多くの消毒剤に用いられる第四級アンモニウム塩は、人間の生存に必須の「ミトコンドリア」を殺す

※一流企業と言われているところの製品は免疫力を落とし医者が儲かるように仕向けるようになってますね。医者は根本の治療ではなく対処療法でこれを企業が作る医療関係と企業は持ちつ持たれつの関係になっているから治るものも長引かせるだけ。

<ここは大魔邇さんがこの記事を引用している冒頭のコメントの一部です。>


眼の指定難病の原因が第四級アンモニウム塩の可能性を知り

パンデミックによる「感染抑制のための生活」が世界中で始まってから、そろそろ1年になろうとしています。

この中での過剰な衛生による生活のリスクについては、パンデミック以前から記事にすることもあったのですが、パンデミック以降、決定的になっていまして、そして「それが善行」というような形になってしまい、さらには、それがニューノーマルとして定着してしまおうとしている状態となっています。

私自身は、日本でもマスクや消毒必須などが日常となっていったこの1年、それらについては徹底的に(自分だけの話ですが)抗っています。

このようなことを書くと「変な人」と思われるかもしれないですけれど、その戦争の最初は「手を洗うことを含めて、一切の消毒をしない」という生活から始まりました。3月頃からはじめていますので、もうそろそろ1年になるんですね。

植物いじりとかで土が手についた時などは水で流すこともありますけれど、とにかく洗わない、とにかく消毒をしないことを徹底しています。

「人生で経験したことがないほどバクテリアまみれになってやる」と1年ほど前に誓い、その通りに生きています。それ以来、お風呂もやめました。塩素抜きした水かお湯をかぶるだけです。まあ、一種の実験的生活ではあるのですが、普通だとこんなことは考えないですから、今回のパンデミックは本当にいろいろと行う動機付けとなってくれています。

私は(悪い意味で)意固地ですからね。自分で決めたことを覆すには一生の時間では足りない。

10歳くらいの時、床屋で坊ちゃん刈りにされたことに絶望して、「もう床屋には行かない」と決めて以来、この四十数年、一度も床屋に行っていません。ずっと自分で切っています。

高校の時には、数学かなんかで 10点かなんかの点数だった際に教師に何か言われたので、「もう数学の試験では何もしない」と決めて、高校2年だったか、それ以来、数学はずっと 0点でした。配られたテストを見もしないで座っている。

その後、高校というのは試験で全部 0点でも、学期末に答えを教えてくれる追試があるので落第がないことを知って以来、ほとんどの科目で 0点を貫きました。ただ、小さな妖精が勝手に答案用紙に何か書こうとするのが…(何かの発病も相次ぐのかよ)。

いずれにしましても、心底いやだと思うことに対しては、どうやっても従えないのかもしれません。現在のパンデミック対策に対しても、そのほとんどに同じ気持ちを持っています。

今やその意固地だけがブログを書き続けられている根本なのかもしれません。

 

個人的な話はともかく、今日、ふとしたことで、2017年のある医学論文を見かけまして、それを読んでいるうちに「今の過剰殺菌生活って、細胞自体を殺してんじゃないの?」と思うに至りました。

論文は、眼科系の医学ジャーナルの iOVS というものにあったのですが、タイトルは以下のように難しいものです。

点眼剤防腐剤の塩化ベンザルコニウムはミトコンドリア機能障害を強力に誘発し、レーベル遺伝性視神経症(LHON)変異細胞に優先的に影響を及ぼす

The Eye Drop Preservative Benzalkonium Chloride Potently Induces Mitochondrial Dysfunction and Preferentially Affects LHON Mutant Cells

この「レーベル遺伝性視神経症」というのは、日本では指定難病で、説明では、

> 10~20歳代で両眼性の視力低下で発症し,早期に高度視神経萎縮にいたる予後不良な遺伝性 の視神経疾患とあるもので、治療法もないようですが、この論文は、

「その眼の難病を引き起こしているのは、目薬の添加物の可能性」

であることに言及しているものでした。

論文のタイトルにある「塩化ベンザルコニウム」というのは、今や日本でも世界でも、業務用、家庭用、医療施設で大々的に使われている消毒剤の成分であることが多い「第四級アンモニウム塩」の混合物で、つまり第四級アンモニウム塩と同等というようにお考えになって構わないと思います。

この「第四級アンモニウム塩」は、パンデミック以前に、以下の記事で、 慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の原因が、この第四級アンモニウム塩を含む殺菌・除菌製品である可能性についての研究記事をご紹介しています。

「タバコではない」 : 慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の発症要因は「漂白剤と消毒剤」であることが判明。第四級アンモニウム塩を含む除菌製品が私たちの社会を破壊する

投稿日:2019年12月15日

この記事を書いたのは、パンデミック以前の 2019年12月でしたが、この比較的すぐ後から「社会が第四級アンモニウム塩にまみれる」状態となっていきます。

先ほどの論文から概要を抜粋しますと、以下のように書かれてあります。


2017年4月の医学誌より

塩化ベンザルコニウム(BAK)は、最も一般的に使用されている点眼防腐剤だ。塩化ベンザルコニウムは、いわゆるドライアイや線維柱帯変性などの毒性作用に関連しているが、塩化ベンザルコニウムによる眼毒性の根本的な生化学的メカニズムは不明であった。本研究では、塩化ベンザルコニウムの悪影響のメカニズムの基礎を提案する。(略)

結論: 塩化ベンザルコニウムは、ヒト角膜上皮細胞および、薬理学的に適切な濃度でも、レーベル遺伝性視神経症変異を有する細胞のミトコンドリアを阻害し、これが塩化ベンザルコニウムの眼毒性の基礎であることを示唆している。

レーベル遺伝性視神経症の患者、その保因者、そしておそらく原発性開放隅角緑内障患者(眼圧が正常な場合の原因不明の緑内障。緑内障の60-70%を占める)を含むミトコンドリア欠損症の患者では、塩化ベンザルコニウムを含有する点眼薬の処方は避けるべきだと考えられる。 (iovs.arvojournals.org)


「へえ、目薬にも第四級アンモニウム塩が入ってんのか」と初めて知りました。殺菌的な意味合いなのだと思いますが、この中で注目すべきなのは、塩化ベンザルコニウムを含有する点眼薬が、> 細胞のミトコンドリアを阻害という部分です。

どうやら、第四級アンモニウム塩系というのは、この論文では、視神経細胞のミトコンドリアだと思われますが、それを阻害する。

いずれにしましても、「第四級アンモニウム塩系の消毒剤は、ミトコンドリアを直撃している」可能性があるということになりそうなのです。

まさか「目の細胞にだけ影響があるわけではあるまい」と、調べてみましたら、2017年の以下の論文に突き当たりました。

消毒剤の塩化セチルピリジニウムに曝露された細胞株におけるミトコンドリア機能とエストロゲンシグナル伝達の評価

Evaluation of Mitochondrial Function and Estrogen Signaling in Cell Lines Exposed to the Antiseptic Cetylpyridinium Chloride

ここには「塩化セチルピリジニウム」とありますが、Wikipedia では、この塩化セチルピリジニウムというものも、

> 第四級アンモニウム化合物とあり、第四級アンモニウムの系統の物質であることがわかります。この説明によりますと、塩化セチルピリジニウムは、細菌に対しての強い殺菌作用があるために、

> その特性から液体歯磨剤や、口内の殺菌を目的としてトローチとして、あるいは喉の殺菌を目的としたうがい薬など医薬品に利用されている。

ということですので、わりと日常的に暴露している物質だと思われます。

この論文からも抜粋します。


2017年8月の医学論文より

塩化セチルピリジニウムや塩化ベンザルコニウムなどの第四級アンモニウム塩は、練り歯磨き、うがい薬、トローチ剤、のど飴、点鼻薬などの消毒剤や殺生物剤としてよく使用される。

最近の判決では、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、特定の製品での塩化セチルピリジニウム(の使用)を禁止し、ヘルスケア、食品、製薬およびクリーニング業界等での使用について、塩化ベンザルコニウムの有効性と安全性プロファイル、一般的には第四級アンモニウム塩に関するより多くのデータを要求した。 (略)

結論: 実験室での、塩化セチルピリジニウムによるミトコンドリア阻害は、ヒトへの暴露に関連する可能性のある濃度でも発生した。

塩化セチルピリジニウム、塩化ベンザルコニウム、ロテノン、およびトリクロサンの抗エストロゲン活性は、それらのミトコンドリア阻害活性に関連している可能性がある。

調査結果は、第四級アンモニウム塩のミトコンドリア阻害および抗エストロゲン作用に関する追加研究の必要性を裏付けている。 (ehp.niehs.nih.gov)


つまり、どうやら、今や日本でも世界でも、どこでも多用されている第四級アンモニウム塩は、「ミトコンドリアに悪い影響を与えている」という可能性があるようです。

この「ミトコンドリア」というものは、細胞の中の器官で、細胞の図としては以下のようなものがわかりやすいかと思います。

細胞の中のミトコンドリア


日本科学未来館

このミトコンドリアというものは、非常に重要で大事なものですが、それについて書くのは私には難しいですので、2016年の WIRED の記事の冒頭をご紹介しておきます。


体内のミトコンドリアを増やして元気になるための3つの方法

あらゆる病気は、細胞内のエネルギー工場・ミトコンドリアの量が足りていないことが原因だと、ミトコンドリア研究の第一人者・太田成男は言う。逆に言えば、ミトコンドリアを増やせばずっと健康でいられるということだ。

人間が、動いたり、考えたり、はたまた恋をしたりすることができるのは、ひとえにエネルギーがあるからだ。そのエネルギーをつくっているのが、「ミトコンドリア」と呼ばれる細胞内小器官である。

「人間を含めた高等生物は、もともとは遺伝子をつくる生物とエネルギーをつくる生物の2つが合体して生まれています。そのエネルギーをつくる生物が、現在のミトコンドリアです。ミトコンドリアがなければ、間違いなくわたしたち人間は存在していないでしょう」

そう話すのは、日本医科大学教授の太田成男。30年以上にわたってミトコンドリアと健康の関係を追い続けてきた、ミトコンドリア研究の第一人者だ。 (wired.jp)


ミトコンドリアは「エネルギーを作る」ために働いてくれているもののようで、この太田教授が言われるように、「ミトコンドリアがなければ、わたしたち人間は存在していないでしょう」という、そのミトコンドリアが、「第四級アンモニウム塩にやられちゃう」ということがわかり始めているということでしょうか。

そして、このような「第四級アンモニウム塩に包囲されている」社会の状況がすぐには変わらないこともご想像いただけると思います。業務でも、家庭でさえも、過剰な殺菌は「ニューノーマル」となりつつあります。


これからも長く続く過剰殺菌社会の中で

第四級アンモニウム塩の「一般性」に関してお知りになりたいのでしたら、楽天でもアマゾンでも何でも、ショッピングサイトなどで、「第四級アンモニウム」等と入れて検索すれば、ズラッと商品が並ぶことでおわかりいただけるかと思います。

ご家庭ではともかく、たとえば外出した先で、スーパーでもイベント会場でも何でもいいですが、消毒剤が置いてある。今でも多くの人びとが、それで手をシュッとやる。その際に、「この成分は何ですか?」と考えることがあるだろうかということです。

業務用、医療現場用として、第四級アンモニウム系の製品は広く普及しています。飲食店でお働きになる方なら、特にチェーンなどでは、毎日の掃除ではほぼ確実に暴露していると思われます。あるいは、医療関係、保健福祉関係、介護関係などでも、かなり多くの局面で暴露しているはずです。

以前、三重大学の今井 奈妙教授と、帝京平成大学の稲津 教久教授の論文を以下の記事でご紹介させていただいたことがありました。

世界中で拡大する大規模な消毒剤の空中散布や、日常的な手の過剰殺菌により、いよいよ人類の健康状況は終末の局面に至ると予測される 投稿日:2020年4月19日

この記事を書いたのは昨年 4月ですから、パンデミックが始まったばかりですが、この後、「この状態がますます本格化していく」ことになります。

その論文から少し抜粋させていただきます。


論文「看護における生活環境汚染の理解とその重要性」より

人体が摂取する様々な物質の割合の 79% は呼吸によるものである。

経口摂取の場合には、嘔吐や、肝臓による解毒作用を期待できるが、吸入曝露の場合は、肺から直接に血中に流入するため、経口摂取で認められる初回通過効果(肝臓での解毒)が回避されてリスクが増大する危険性につながる。(略)

病院では、布製品等の除菌を目的として噴霧式の消臭・除菌剤が使用されていたり、除菌クロスを用いて家具やパソコン類を拭いていたりする。これらの製品には、第 4 級アンモニウム塩が使用され、除菌クロスで室内を清掃すれば、第4級アンモニウム塩が揮発して室内に充満する。(略)


一般的な医療施設では、第4級アンモニウム塩を病室で用いるため、入院患者は、常に第4級アンモニウム塩に曝露し続けることになっている。

つまり、多くの人びとが「知らず知らずのうちに、第四級アンモニウム塩を呼吸から吸入して暴露してしまっている」ということになります。

過去の研究での第四級アンモニウム塩の健康被害としては、マウスへの経口投与において以下のようなことが認められています。

・死亡率増加傾向

・萎縮性肝機能障害

・免疫系への影響

・先天性異常を引き起こす

そして、今回ご紹介しましたように、人間の生存のために最も重要であるもののひとつであるミトコンドリアも攻撃を受けている可能性があることを知りました。

今の社会は、どこに行っても、どこで何をしようと、この「第四級アンモニウム塩の攻撃と暴露」からは逃れにくくなっています。

スーパーなどでは、今でも多くの人たちが手に消毒剤をすり込む光景を見ますが、「今、手につけているものが何であるのか」は多くの方々はあまり考えない。

あるいは飲食店では、お客さんが退出するたびに殺菌消毒するという光景が見られますけれど、先ほどの論文から抜粋しますと、第四級アンモニウム塩を使用したあらゆる除菌製品で 室内を清掃した際に、

> 第4級アンモニウム塩が揮発して室内に充満する。

ことになるわけです。今の社会はどこもこのような状態となっている可能性が高いです。

今のパンデミック対策の中で「三密を避ける」というようなオカルトが語られることがありますが、しかし確かに、消毒剤のあまりにも強い毒性を考えると、「第四級アンモニウム塩が充満した空間を避けるために密空間を避ける」というのは考え方としてアリかもしれません。あるいは過剰に消毒しているような店には近づかないとか。

コロナウイルスはそれほど私たちを殺さないかもしれないですが、第四級アンモニウム塩は、時間の経過と共に私たちの細胞を殺すものとなっていくかもしれません。他にも今後の私たちを殺す可能性のあるものはいろいろとありそうです。


2021年2月26日金曜日

2254「大好きだから」2021.2.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月23日の記事を紹介します。


ママが大好きだから

今日は、母と子の絆について書きます。子供たちはみんな、お母さんを助けたいという目的を持って生まれてくるのだそうです。 

<転載開始> 転載元

 

中川直美さん(40)といわれるシンママのお話です。約1年前に離婚し、息子の琉生君(現在5歳)と2人暮らしです。以前から、琉生(るい)君は不思議なことを言うことがありました。

 「ある日、髪の毛にカーラーを巻いていたら、琉ちゃんに『それ、結婚式の時まいてたよね? お空から見てたんだよ』と言われました。

私は普段は髪の毛を巻いたりしなくて、カーラーをつけたのは結婚式の時以来だったので、とても驚きました」

 

中川直美さんと琉生君

そう聞くと、どこか特別な雰囲気の男の子にも聞こえますが、普段は本当に普通の子どもだと直美さんは言います。

「性格は穏やかで優しいですね。保育園ではお友達もたくさんいて、家ではちょっとわがままを言う、そんな感じです」

そんな琉生(るい)君が、今年の初頭にまた不思議な話を始めました。

それは、ちょうど直美さんの2人の祖母が、立て続けに亡くなった直後。直美さんが「さみしいなあ」と呟くと、琉生君は諭すように言いました。

「寂しくなんかないんだよ。お空に戻るだけなんだよ。お空では、赤ちゃんが(この世界に)降りてくる準備をしてるんだよ。だから2人がお空に帰ったら、交代で、2人の赤ちゃんが降りてくるんだ」

 直美さんは、思わず「そうなの? 琉ちゃんもお空にいたの?」と聞き返しました。

「うん、お空にはね、雲がふたつあって、男の子と女の子が分かれて待っていて、神様が一緒に連れておりてくれるんだよ。

僕も生まれる時は、神様に連れてきてもらったんだよ。僕はね、お空に長くいたんだ。

それで、“マイナス1歳”のときにママを決めたんだよ。みんな“マイナス1歳”のときにママを決めるんだ」

「どうしてママを選んだの?」

「ママが大好きだから」


直美さんは、妊娠中に切迫早産と診断され、絶対安静の時期がありました。元々の予定では、出産直前に実家に帰って里帰り出産する予定でしたが、これにより3ヵ月も前に、実家に戻ることになってしまいました。しかし、当初はそんなに長く里帰りすることに対しためらいがありました。

 彼女は物心ついたときから、「実家に対して苦手意識があった」といいます。

「私は長女として生まれたので、いつも『あなたは(長女なのだから)我慢しなさい』と言われていました。妹の方が母に似ていて、自分よりも、かわいがられていると感じていました。そのせいか、私はいつも孤独感を抱えて生きてきたのです。自己肯定感が低くて、自分を否定する気持ちが強かったし、生きる意味も感じてこなかった」

大人になっても直美さんは、自分には価値がないと感じるそうです。“無価値観”に悩まされてきた。しかし、切迫早産という急を要する状況では、赤ちゃんの命がかかっているので、選択の余地はなかったのです。結局は3ヵ月間も実家に身を寄せ、近くの病院で出産しました。

 最初は気が進まなかった長期の里帰りでしたが、予想外の副産物がありました。その3ヵ月の間に、母親と気持ちが通じ合えたのだといいます。

「出産の時も、元旦那さんは出産に立ち会えなかったので、代わりに母がずっと手を握ってくれて、琉ちゃんを産みました」

その時、「琉ちゃんは、お母さんとの関係をよくしてくれるために来てくれたのかな、ありがたいな」と感じたそうです。

 それでも、7年という結婚生活の間、直美さんの無価値観が消えることはありませんでした。しかし、息子との二人暮らしになった今、徐々にその無価値観が和らいできたと感じています。

 職場にも友人にも恵まれ、実家の家族にも支えられ、人生を前向きに捉えられるようになりました。なによりも大きいのは、琉生君の言葉だそうです。

「琉ちゃんは、『ママが大好きだから、ママを選んだ』、と言ってくれました。

ありのままの自分でも、大好きって言ってくれる人が側にいる。おかげで、私は変わることができた。だから琉ちゃんは、私を助けるために、生まれてきてくれたのかなあと今は思います」

<転載終了>


ママが大好きだからママを選んだ・・・生まれてくる子供たちは、本当にお母さんのことが大好きで、お母さんを助けたいお母さんを笑顔にしたいそう思って、お母さんを選んで生まれてくるのだそうです。

確かに、育てている最中は大変かもしれません。夜泣きはするし、言うことを聞きません。

ですが、そのかわいらしい笑顔、その純粋無垢な笑顔一つで、疲れも、何もかも吹っ飛んでしまいますね。 

そして成長していくにつれ、母を助け、心の支え、生きる希望になってくれることでしょう。人間は、自分のためだと、なかなか頑張ることができません。ですが、愛する誰かのためであれば、その人の笑顔、幸せのためであれば、どんなに辛いこと、苦しいことも乗り越えて行くことができます。

そして、母と子で乗り越えて来た歴史は強い強い親子の絆となり、魂に刻みこまれることでしょう。大切な宝となることでしょう。 

子供たちは、ありのままのお母さんの姿を見て、大好きになって、空の上から、お母さんを助けるために生まれて来てくれました。

そしていつか母の笑顔、幸せな姿を感じとればきっと安心して、今度は人のためではなく、

自分のために生きて行けることでしょう。自分の魂磨きに専念できることでしょう。親離れ、子離れの時です。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。




2021年2月25日木曜日

2253「宇宙・鏡の法則」2021.2.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月22日の記事「バランスを取ろうとする宇宙」と2021年02月20日の記事「一人さん風「鏡の法則」」の2つを紹介します。


バランスを取ろうとする宇宙

今、アメリカを中心に、世界中で今まで目に見えなかった支配体制が変わろうとしているようです。もちろん、それは私たちにとって良い変化です。

ただ、その丁度変わり目の節目の今は色々なことが同時多発的に起こり、何が真実であるのか、何処に向かおうとしているのか、全体像をつかむことができません。

幸運なことは、その渦中においては、無我夢中で大変な波を乗り越えようとしていることでさえ、気づかないために、がむしゃらに生きている間に、何時のまにか、大波を超えてしまい、大難(たいなん)が去ったことに気づくことでしょう。

この大きな波が静まった時、満を持して準備してきた多くの魂たちが、次の役割を担うために世に出ていくのでしょう。

約500年間も続いた有色人種国家、国民に対する奴隷的な扱い、植民地時代を再び繰り返すわけにはいきません。私たち人類の精神は少しづつ向上を続けやっと今、2010年を境に精神性復活の時代が到来しているからです。

 

では、今日のテーマは「バランスを取ろうとする宇宙」ということで、宇宙の摂理について書いてみます。私たちの精神が再び退化することがありませんように。

全ての人々、それぞれの個性が、認められ、生存を許され大切に優しく扱われますように。。。


人種差別

 かつて、インディアンを皆殺しにして、土地や資源を奪ったように、奴隷として、様々な苦役をさせるために、足を鎖で繋ぎ、アフリカから現地の人を運んで来たように、劣等人種だからと、アジア(ベトナム)で戦争を起こし、利益を得ようとしたり、

人種差別、人が人を差別し、蔑んで良いのだろうか?

人が動物達、生命のあるものを虐待しても良いのだろうか?

私達は知っています。私達が過去 五色の人に、次々と生まれて来たことを。

宮崎県の旧蘇陽町にある幣立神宮所蔵の五色人面。五色人の代表が、日本(霊の元つ国)にあつまり、神に祈りを捧げていたとされています。

黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)

赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト

青人  北欧、スラブ

白人  ヨーロッパ全般

黒(紫)人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

 最も愛する父や母、息子や娘も同じように、色々な人種を経験してきたことを。

石や、岩、植物や動物、そして風や波などに生まれ、生命のダイナミズムを経験したことがあったことを。

たまたま、今、白人で生まれ、自分達だけが優生民族であると勘違いし、残酷な方法で、他の民族の生命や自由を奪ってしまう事は、なんと大きな罪でしょうか?


 宇宙には法則があります。バランスをとることその為、自分が与えたもは、必ず自分で受け取ることになります。良いことも、悪いことも。。

 肌の色で人々を苦しめた人は肌の色で苦しめられることでしょう。それは、誰が行うのでもなく、神様が行うのでもなく、宇宙の法則通り、自分自身でバランスを取るためにそうします。

人は、その様な愚かなことを、何度も何度も繰り返して、そのたびに、少しずつ賢くなっていくのでしょうか?

 宇宙の摂理、それは何処を見ても確認できます。全ては調和し助け合い、自分の役割を果たしています。そこには、人の立場を羨んだり、バカにしたり、自分だけが。。 という気持ちは微塵もありません。

 人間も、本来その様な高貴な心を持つ、生命体では無かったでしょうか?

 私達が出来ること・・それは、動植物を含め、家族や、本当に身近な所で、笑顔や優しさを、広めていくことから始まるのかもしれませんね。

 今日も身近な周りの方々に、優しさと笑顔で接したいものですね。



一人さん風「鏡の法則」

今日は斎藤一人さん風の「鏡の法則」のご紹介です。一人さんのお話は、本質的な宇宙の真理を、誰でもが分かる平易な言葉づかいで教えてくれるところが素晴らしい所です。どうぞ、この優しい説明から宇宙の真理を掴みお幸せになってください。

<引用開始> 引用元 


自分が今世で決めてきた問題からは、絶対に逃れることができません。だからそういう問題から一時的に逃れられたとしても、また別の、本質的に同じ問題が現れたりするんです。

 たとえば、勤めていた会社で人間関係がイヤだからといって辞めると、また別の会社で同じような人間関係の問題が起こったりします。このように人間関係でイヤなことが続くんだとしたら、それは自分の中にそうさせるものがあるんです。 

「上司が私のいじわるをするんです」って言う人も、そのいじわるをされた自分が上司になったときに、同じようなことをやりかねない性格だから、そういうことが起こるんです。

これを「鏡の法則」といいます。

 「自分が好意的に接すれば、相手も好意的に接してくれる」とか、「相手に対して苦手意識や敵対心を持っていると、相手もその人に対して同じような感情を持つ」というのは表面的な話で、「鏡の法則」はもっと内面に深いところまで映しだすことがあるんです。 

たとえば、「威張っている人を見るとすごく腹が立つ」人というのは、自分の心の中に、人の上に立ったときに威張ってしまうという性格があるんです。

 または、自分が威張りたいのを抑えてるから余計に、相手が威張ると腹が立っちゃうんです。


人はみな、“傷”を持って生まれてきます。そして多くの場合、同じ傷を持っている親の元に生まれます。なぜかというと、それは自分の傷に気づくためなんです。

自分が暴力をふるっちゃうような人は、暴力をふるう親の元に生まれます。それで、「これは自分にそういうところがあるからだ」と思えばその傷も治るんだけど、「暴力をふるう親が悪い」って言っていると、それは治りません。

 そしてそういう人は、自分が親になったときに同じことをやるんです。自分の顔にシミがついてるからって、鏡を拭いてもシミは取れません。鏡を替えても取れないんです。 

だから、部長がイヤだからといって会社を辞めても、また次の会社で似たような人が現れるからね。でも鏡を見て、自分の顔の“よごれ”に気づいて取れば綺麗になるように、自分の中にある傷に気づいて治せば、起こる現象も変わってきます。

部長の対応が変わるとか、相手が転勤していなくなるとか、自分が昇進して異動するというようなことが起こるんです。 

それと同じで、自分に起こっている出来事は、自分の傷が投影されたものなんです。だから起こった出来事を他人のせいばかりしていると、いつまでたってもうまくいかないんだよね。

<引用終了>

 

このことを逆の立場から言い換えれば、今の自分を取り巻く環境が、

・自分の心の状態

・心の傷(角のあるところ、弱点)

・心の癖 

を示してくれるということです。

もし、今の状況を改善したいのであれば、自分の心の中の何が、その現象を引き起こしているのか考えてみる必要があります。

・誰か許せない人はいないか?

・憎しみを持っていないか?

・嫉妬心はないか?

・人の幸せを心から喜べるか?

・たとえ自分と異なる価値観でも、相手の個性を認め受け入れているか?

・人より目立とう、上に立とうと、自分と人を比べてばかりいないか?

・意地悪な心はないか? 

私たちは生まれた時は、神様からいただいた無垢の魂のまま光り輝いています。ですが、成長とともに、世の中にもまれるたびに自我の心も芽生え、その美しい心を 包み込み、光を失っていきます。

これを包身(つみ)--身を包んで、神さまのお姿を包んで隠してしまうものということ

そして神様からいただいた清浄な氣を失っていきます。 --氣枯れ(けがれ)

ですが、宇宙の真理が示してくれるごとく、周りの現象が、その心の今の現実を確実に表してくれています。

・日々、周りの方々に、ありがとうと、感謝の気持ちでいれば、

・日々、笑顔で暮らしていれば、

・日々、優しさ、思いやり、おかげ様の気持ちで暮らしていれば、

きっとお幸せになることができるでしょう。



2021年2月24日水曜日

2252「神仕組み」2021.2.24

今回は「いっぷくからありがとう」さの2021年02月21日の記事を紹介します。


神仕組みに気づく

特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、外応をキャッチされるのをお勧めします。また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。それは、そのことを特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、そんな下世話な意味ではありません。

そのあたりのことを小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

偶然を書きためる

神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。

・偶然のようで 偶然に起こった現象。

・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。

これら偶然を書きためます。

正観さんは、40年で1000件。1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。

・色々な偶然を面白がる。

・その際、他人の評価は気にしない。 

自分が面白いと感じたもの。それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。

・例えば落ち込んだりした時

・自己嫌悪に陥ったりとか

・嫌味を言われたときなど

ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。

そうすると、それらは、決して偶然ではなく全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・神々の意図を感じることができるからです。

 そうすると「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです。

多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか愛されているかということに気づきます。

講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。

「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」

このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。

その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、講演会の最中にけたたましくなったのです。

不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。


この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。

正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。

正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。

お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。

仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。走っていて偶然にある車のすぐ後についた。その車の ナンバープレート 1259。運転していた人が喜んで教えてくれた。

その瞬間 時計を見ると12時59分。わ~~~おと声をあげた。

 ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。 

自分だけで、

・随分神さまに愛されているね。

・人生は面白いね。

と、そう感じるだけで結構です。

その結果、神様は、

・面白がる人には どんどん面白がる現象を

・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を

・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 

さらに大事なことは、感謝したがる人には次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。


 その時、質問がありました。

「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」

すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。

「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。

実は神さまからもの凄く愛されている人だけが肉体をもらってこの世に人間として生まれている。肉体を持って生まれたい魂が800億。その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。その7%くらいの魂が地球に生まれてる。

 その魂、つまり私たちは神さまにお願いして お願いして 頼んで 頼んで生まれさせてもらってきた。神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。

 

 その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい。

 不機嫌でいると体が壊れやすい。地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。

 喜んで楽しんでいる人は寿命も長く、健康でいやすくなります。


すべての人間は、神さまに好かれている。

  しかし、このことを知ってるか知らないでいるかで、人生変わってしまう。

「神様に好かれている」これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。日本人では1万人。死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。

聞く聞かないで、人生観が変わります。

<引用終了>

 

彌彦神社 一の鳥居 鳥居が浮いているのがわかりますか?

神様は、様々なところにいらっしゃり様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか。偶然とかたずけて、無視するか?

 放っておけばよいものを神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、馬鹿にし、否定し、せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を神さまから引きはがしてしまうのか?人それぞれです。

 ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ感謝して喜ぶ人は、きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。

偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと眉間にしわを寄せている生きる人は

もしかしたら、神々の手を自らはねのけてしまっているかもレません。



  



2021年2月23日火曜日

2251「ダブルの損」2021.2.23

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月19日の記事を紹介します。


ダブルの損

自分の心が、少しづつピュアになってくるとそれに伴い、自分の周りの景色も少しづつ変わってきます。

・付き合う友人、職場の人、出会う人がみんな優しい

・いろいろなタイミングがベストな関係でマッチしてくる

・必要な時に、必要な人に出会う 

心とはそれほどに重要です。

もともと私たちは生まれて来たときはピュアな心(魂)でした。まさに神様から頂いた神聖な火花のままです。ですが、成長するにつれ、様々な経験を経て色んな我欲にまみれ、心を曇らしてしまうことが多くあります。

それも、心を輝かせるための 研ぎ石の役割を果たしてくれるのですが、気づいたときには心の穢れを祓い、元の清浄な心に戻さなくてはなりません。

泥の中に置いて、綺麗な花を咲かせるのは至難の業ですが、神様は、私たちにぴったりの環境の中に、私たちを置いてくださっています。その中で、自分なりの花を咲かせる・・

私たちは天国から地上に降りてくる時にみんな、そう神様と約束して生まれて来ました。

今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な元ノートルダム清心女子大学の学長、渡辺和子さんのお話をご紹介します。 

是非、心にとめて実践なさってみてください。きっとお幸せになれますから。

 <引用開始> 引用元


 許すということは、損をすることなのかもしれないと思う。だから、難しいのだ。

もう40年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。


もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったら

不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほどあなたからのそれを必要としている人はいないのだから


貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。

ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。

“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさや口惜(くや)しさだけであり、

折あらば仕返しをと考える自分だけである。

ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よか

った」という満足感が残るから不思議だ。

ダブルの損を実行するのは、決して易しいことではない。まず、相手の立場になる心のゆとり。「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生まれない。それは一つの“許し”である。

次に、自分を大切にする決心。相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。

売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではないだろうか。

 かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。

 夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。

「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」

許すということは易しいことではない。しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。

 かけがいのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。時間の使い方は生命の使い方なのだから。相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。

しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。

求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる。

許すこと、損することを惜しんではならない。

 <引用終了>

 

相手の方を許さない限り私達も誰かから許されることはありません。だから、心が重く苦しくなるのです。

私たちはよく〇〇してあげたのに・・ の「のに」という言葉を使います。

善意でしてあげたことなのに、感謝されないとか、気づいてくれないとか。

何だか、感謝の見返りを求める、押し売りみたいですね。

自分がかけた

・優しい言葉

・思いやり 

それらに対して、感謝の反応がないと私たちは、途端に、「仏」が「鬼」の心に変わってしまいます。

ですが、渡辺さんが仰るように大切なことは、相手の反応ではなく、そのような行動をすることのできた、自分の心かもしれません。また憎しみの心を何時までも抱えている人は、なかなか幸せになることができないようです。

・ぞんざいな時間を使うと、ぞんざいな人生が残り

・丁寧な時間を使うと、丁寧な人生が残り

・愛のこもった時間を使うと、愛に溢れた人生が残り

・憎しみのこもった時間を使うと、憎しみが人生が残ります。

自分の普段の心がけ一つで、自分の人生をいかようにも変えてゆくことができます。

相手に、何かしてもらえなかった(1つ目の損)そんな時こそ、自分の方から、して差し上げる(2つ目の損)この2つの損を積み重ねることで、計り知れない徳が積まれ、きっと

自分の人生だけでなく、子供たちやご家族、そして先祖の方々まで、光に照らされることでしょう。 

このダブルの損、試してみませんか?きっとお幸せになれますよ。

 




 

2021年2月22日月曜日

2250「心の夜明け」2021.2.22

 今回は木の花ファミリーの「いさどんジジイブログ」の2021年2月9日の記事を紹介します。


人の心の夜明けです ~124年ぶりの立春正月の日に、マツリの精神と共に

木の花ファミリーでは毎年立春前に「富士浅間木の花祭り」を開催します。祭りを通し、一年間の穢れを祓い清め、生まれ清まった新たな心で農事暦の始まりである立春正月を祝います。この立春正月祭の場で、ジイジは以下のように語りました。

________________________________________

立春正月、明けましておめでとうございます。

今日は、富士浅間木の花祭りの締め括りとなる立春正月祭であり、農の新たな一年の始まりの日でもあります。例年、立春正月は2月4日ですが、今年は2月3日で、それは124年ぶりだそうです。人間は美しく生きると、124歳まで生きるという話を聞いたことがあります。現代の日本の平均寿命が約80歳ということは、まだ修行が足りないということでしょうね。

神の一息は、吸って60年、吐いて60年、合わせて120年と言います。この124年という期間とほぼ同じサイクルです。宇宙的には、太陽系の中で太陽の次に大きな質量を持つ木星が太陽を1周する周期が、12年です。その次に大きな土星の周期は30年で、木星と土星は、太陽と一直線に並ぶ「結び」の会合を60年ごとに持ちます。それが2回で120年です。120年と124年の4年の誤差は、宇宙の遊びと言えるでしょう。さらに、冥王星の周期は248年で、ちょうど124年の2倍です。これは、天体の「トキ」の話です。

今回の立春が124年ぶりというのは、一体どういうことなのでしょう。天体が時を刻むことは、地球が1年365日をかけて太陽を回ることに示されます。しかし、ぴったり365日ではありません。1日も24時間と言いますが、ぴったり24時間ではありません。そこには常に誤差があり、その誤差を調整するために、今回は124年ぶりの立春となったのです。つまり、そこには遊びがあるのです。

これにはどんな意味があるのだろうと考えた時に、その遊んでいたものをもう一度元の位置に戻し、襟を正していきなさい、という意味でもあるのだと思いました。

124年前というと、明治30年です。先ほど祭主が祝詞を奏上しましたが、その中の「大天主太神(おおもとすめおおみかみ)」とは、艮の金神のことです。神の一息が120年であるとしたら、大本の出口なおさんに神様がかかり「この世の中をたて直す」と宣言をされてからちょうど一息を経て、いよいよ始まるぞ、という時に来たのだろうと思います。そこで、富士浅間木の花祭りは今年で九回目を迎え、転がり出て(コ)、いよいよこれから十、次の「統合(ト)」へ向けての生活が始まります。

花祭りの起源は、700年前とも800年前とも云われます。ちょうどその頃、日本では封建時代が始まりました。戦乱の時代の始まりです。人の土地を奪い、支配することが成功者であると称えられたのです。そして江戸時代を経て、明治になり開国をすると富国強兵を打ち出し、また他者の土地へ侵略することを始め、その結果大きな戦争をすることになりました。世界中がそのような時代でした。その大戦が終わり、75年が経ちました。

年が明け、2021年の始まりにあたり世の中を見渡してみれば、新型コロナウィルスが蔓延し、人々は不自由な生活を送っています。そこにはたくさんのメッセージが隠れていることを思うと、やはり「襟を正していけ」ということだと思うのです。身の回りに起こる小さな物事をよく観て、自らのことだけではなく、世の中全体の在り方を振り返り、正して行け、という区切りのメッセージが、今年の立春正月には示されているのだろうと思いました。

「マツリ」の精神とは、ある特定の日を特別な一日として神様と接するのではありません。神とは、「カ」即ち宇宙最極小微粒子が、「ミ」即ち満つっている状態、つまり、すべての現象宇宙に顕れている物理性と、その背後にある仕組みのことを指して呼ぶのです。ご利益を求め「いいことが起きますように」と怠け心で願いをかけるものではなく、日々の生き方を正し、道理の通った生き方をすることにより、災難のない豊かで調和的な世界を創ることになるのですから、ご利益は私たち自身の生き方にかかっているということです。なぜなら、私たち自身も「カ」が満つって現象化した、宇宙の法則の顕れそのものだからです。

この祭りを一年に一度行うのは、そのことを襟を正して考え直し、祭りが終わってからも一年を通してその精神を生きなさい、ということです。そして一年が経ったら、その結果を祭りに顕し、そこから自らの姿勢を振り返り、また新たな心で次の新しい一年へ向かいなさい、ということです。ということは、マツリとは特定の一日を示すことではなく、一年中マツリなさい、と示されているのです。

そもそもマツリとは、政(マツリゴト)と言い、世の中を運営することです。そこでは、私人ではなく公人として一年を生き、自らが生きたことが世の中に良い形で反映されることを目的としているのです。それが本当の人の在り方です。

今の世の中は「自分さえ良ければいい」どころか、皆でこぞって地球の仕組みを乱し、環境破壊による温暖化のような問題を引き起こし、さらに人間の間では争いが絶えません。現代の日本には戦争がないと言われますが、莫大なお金が軍事費に費やされています。そして日本の産業は、世界の他の国々で行われている戦争の軍備に貢献しています。まだまだ争いの種を創り続けている人間の営みを考えると、124年の区切りをもって襟を正せと示されていることは、本当のことだと思うのです。一年365日をマツリの精神で生きるということは、それが普通になれば、何も特定の日に襟を正す必要はなくなるでしょう。そういった心が人々の中に芽生えれば、世の中は必ず豊かで平和な世界になります。

私たちは、この世界に生まれました。生まれる時は、天から降りてくると言います。作物は土から芽吹いてきますね。その土から芽吹いてくるものは、太陽の光が注ぎ、その循環の仕組みの中で育ち、私たちに土のエネルギーが与えられるようになっています。土のエネルギーとは、地球神である金神様のエネルギーですから、私たちは金神様のエネルギーをいただき、生きることを与えられているのです。そしてそれにふさわしい生き方をした時に、私たちは誇りをもって次へと旅立つことになり、天へ昇っていくのです。

天に昇ると、次にまた役割ができた時に降りてきます。ところが、この世の仕組みに囚われ、上を見ずに「何かいいものは落ちてないか」と下ばかりを見ている者は、魂になっても天に昇ることができません。そのような魂がたくさんいます。人間だけではなく、人間の営みの犠牲となった他の生き物の魂まで天に昇れなくなっているのです。そのような心の乱れ、魂の汚れが、この世の中の混乱を創っています。

だからこそ、そのことに気付き、世の中を美しくする。自分が生きた結果、世の中が美しくなる。お陰様で自分は世界を美しくすることに少しは役に立てた、と自らに合格をあげられるようになった時に、誇りをもって天に昇っていけるのです。体という質量をこの世界の自然循環の中にお返しし、囚われのない心であれば、魂は軽いですから自ずと天へ昇っていくのです。

しかし、昇れない魂もいます。それは、人間が自我を与えられ、心を美しくしてこの世界の循環に貢献する役割をいただいてきたのに、そういったことを忘れ、怠っているからです。今また、新たな124年の節目が来ました。そして、金神様は乱れた世の中を正すと言って出てこられました。僕もこれまで、一体いつになったら本当の世直しが始まるのだろう、もう命が続かない、と思っていましたが、いよいよそういう時が来たのです。

先日、富士浅間木の花祭りの祭事を行い、その締めくくりとなる神返しの神事を行った際、僕は祭主にある注文をしました。祭事の前には、神寄せの神事を行いました。しかし祭事を行うのに、神様に「降りてきてください」と言うのはおかしい。なぜなら、神様はそもそも、いつでも万物に遍満しておられるのです。それを、今日だけ降りてきてくださいと言うのはおかしいでしょう。この世界のすべてが神の物理性の顕れであるのに、降りてきてくださいと言うことは、日頃神様と共にある意識がないということです。さらに、祭事の後に「ありがとうございました。どうぞお帰りください」と神返しをするようでは、一日だけ一緒にいて、残りの364日は神様と共に生きていないということになります。

ですから僕は祭主に、神返しをすることはやめましょうと提案しました。これまでは、どこでも同じことをやっていました。それは、神というこの世界の物理性の中に遍満し、常に私たちと共にある存在から、人々の心が離れていたからです。この124年の区切りをもって、私たちはそのことを意識し、毎日を生きていきます。

そうすると、宗教はなくなるでしょう。都合の良い時だけご利益を願うことはなくなり、毎日の物理性の中で、そこに循環している尊い仕組みのもとに自らが生かされていることを感じ、その意識で、この世界を運営していく側になるのです。それは「大学に合格しますように」とか「宝くじに当たりますように」といった自分の都合で願いをかけることとは違います。

現代の人々は、神社で2回手を叩きます。本当は4回叩くものですが、それを半分だけやるということは、本当の半分、つまり、ご利益だけが欲しいということになります。なぜ本当は4回叩くのでしょうか。2本の手で4回叩くと、合わせて八つになります。それは八方が安定する、即ち本来すべきことをきちんと行い、道理に適った利益をいただいて、幸せに生きていくということです。四(し)を合わせるのですから、しあわせです。

こういったことが、僕の中に浮かんできます。その時に、これは夜明けだ、と思いました。何の夜明けかというと、天体の区切りの夜明けでもありますが、人の心の夜明けです。

夜明けには何をしますか?そう、目を覚ましますね。目を覚ますと言っても、この肉の目は毎日覚めています。そこで覚めるのは、心の目です。これからの時代は、人の心の目が覚めるのです。

その時が来たのだと思うと、たくさん話がしたくなります。しかし地上には地上の都合がありますから、そういうわけにはいきません。今日という節目をもって私たちは先へ進みますが、これからは心の目を覚まし、その目覚めた状態で毎日を送るようにしたいものだと思います。

今、気持ちはとても晴れやかです。その割には(涙をぬぐいながら)雨が降っていますけどね。この不可思議な人生をいただき、これは一体何なのだろうと思いながら生きてきましたが、いよいよ扉が開いたことを今年は特に感じます。扉が開き、目覚めた人たちは、その大事を生き切ることです。

今日は、去年植えた桑の木の剪定をしました。苗木をとるために、「とり木」と言って枝の一部を土の中に埋めて上から抑え、そこから根を出させるようにしていたのですが、今日掘り起こしてみたら、まったく根が出ていませんでした(笑)。そこで思ったのは、予定が外れたということではなく、自分の思いが必ず叶うとは限らないからこそ、叶わなかった時には次のことを考える。そうすると、頭を使い、智恵が湧く。桑の木に根が出ていなければ、枝を切って挿し木にすれば苗は取れるのですから、何も問題はないのです。(実はその次の日に別の種類の桑の木のとり木を掘り起こしてみたら、根がたくさん出ていて、これについては予定通りでした。笑)

何かが起きた時に、予定が狂ったと捉えるとがっかりして嫌になりますが、そうではなく、そこから違ったことを考えるきっかけと捉えると、どんなことでも新しい取り組みを始めるチャンスとして生かすことができます。生きるとはそういうことです。そうやって私たちは育てられているのです。

天体の動きと共に、世の中は確実に時代を刻んでいます。すべての現象はトキ軸を柱として巡っていきます。ただ欲のままに生き、ストレスを溜めてそれを解消するために暴飲暴食をし経済を大きくするなど、余計なことをたくさん行って体の中に矛盾を溜め込み、病気になるような生き方が、世の中には蔓延しています。今の世の中は豊かになったはずなのに矛盾だらけで、問題だけがどんどん膨らんでいくのです。

そういった無駄を行わず、本当に必要なことを相応しく行い、皆がシンプルな豊かさで生きれば、地球の資源を無駄遣いすることもなくなるでしょう。そうすると、いろいろなことが好循環になります。今は好循環ではないのです。それが好循環に転じた時、いよいよ宇宙の星々が何億年も何百億年も運営されてきたのと同じように、地球にも無限の世界が生まれることでしょう。

今日は、私たちがそのことに目覚める区切りの日です。124年ぶりのメッセージを受け取り、心はとても晴れやかです。しかし一人で晴れやかになっていても仕方ありません。皆で和やかにそういった日々を送り、世の中へ広げていきましょう。世の中がどんどん難しくなっていくようなことでは、本当に求められるマツリの精神で生きることとは違うのです。だからこそ気付いた者たちは、それをやり切る。その動きは小さいですが、その響きはこれから、世界中どころか宇宙中へと響き渡ることでしょう。

僕は今、宇宙の響きをいただいてこの話をしています。それは、天地一体の世界を築くということです。我々は太陽の光をいただいて命があるのですから、まず始めに天があります。その光を受けて地上に食べ物ができ、それをいただいて、その循環の中で地球に命が表現されるのです。その物理性を本当の豊かさとして顕す、その自覚をもっていきたいと思っています。

今から、お神酒で乾杯をします。ここのお神酒はアルコール度数がありません。それは、お酒で酔っ払っていくのではなく、飲む点滴と言われるほど滋養のあるお神酒をいただき、本当に健康で豊かに、そして正気で、時代を生きていこうということです。正気でなければ、本当は創れないのです。

「カ」が満つって(ミ)現象化することを神と言います。人間も、他のどんなものも、「カ」が満つって存在しています。我々がめでたいと思う心も、乾杯をしてお神酒を飲むことも、すべては「カ」が満つった現象がそれを味わっているということであり、味わうことで神様と直会(なおらい)をしているのです。

立春正月を迎え、これから新たな農の一年が始まります。124年ぶりの地球規模の新しい門出を祝い、魂からの目覚めとして日々を生きていくことを、皆さん、どうぞよろしくお願いします。おめでとうございます。乾杯!


2021年2月21日日曜日

2249「許しと幸せ」2021.2.21


 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月15日の記事「許し」と2021年02月16日の「当たり前の中の幸せ」の2つを紹介します。


許し

もしかしたら、子供や家族、会社の同僚、友人の誰かを「許せない」と思ったりしていませんか?

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、自分の価値観だけで判断し、相手の言動を許せず、憎んだり不平を言ったり、イライラしていませんか? 

でも、でもその人も、彼女なりに・・・一生懸命に、生きているのではないですか?

私達の見えないところにご家族もいて歯を食いしばって、一生懸命に生きている人ではないですか?

今日のテーマは「許し」です。許すこと

人は 

・許されること、

・そして信頼されること 

そのことで、どんなに心が救われることでしょう。許してくれた人から受け取った大きな愛を、また周りの人々にどんどん広めていくことができるでしょう。 

私たちの内に、全員の胸に居らっしゃる神さまは決して罰しません。根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

 それはまるで、放蕩息子の帰りを全力で喜び迎えた父、神の気持ちと同じです。私たちは、共に許し、許されそして、愛し愛されて生きていく仲間同士です。

私たちは、常に振動しています。私たちだけではありません。存在するもの全てに振動があります。波動を発しています。これを固有振動数と言います。 

バシャールなどの知的生命体の情報では私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回、波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回。肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、1秒間に33万3000回位なのだそうです。

意識状態によって、これは常に変化しています。変化していくことで、波長の法則の通り、

繋がってくる世界も無限に変化します。

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・ですので、心の波長が見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、お酒や、生卵を要求していると感じる方がいるかもしれません。 その同じ龍を高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。

同じものを見ているようで、心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々です。

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。ですから、神々が全ての次元に存在するように人間も、無限の波長領域に存在できます。

また、神々が全ての空間に存在するように人間も全ての空間に、遍満して存在しています。 私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって接触できる神々の波長も決まってきます。

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、地獄的な低い振動数で同じ神さまを見ても、自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。

あなたの神さまは

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか? 

人の数だけ、波長の言違いがあります。人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。 

自分が正しくあなたのは、誤り・・そんなことを断言する資格は、、、誰にもないのかもしれません。私たちの内に居らっしゃる神さまは許しの神さまです。

イエスは「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。私も、そんな許しの、愛の神さまといつも、繋がっていたいと思います。 

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、同じ波長の神様であることでしょう。

神界から来た 言向命(ことむけのみこと) 相曽誠治さん(佐藤愛子さんの私の遺言より)


当たり前の中の幸せ

今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


 今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。その人は、在学中、健康そのものの人でした。それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

 この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

 当たり前が輝いてみえる。そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

 今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

 幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。

 ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

 では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。なぜでしょう。

 星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。

 そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ


 たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

 なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

 そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。

<引用終了>

 

今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物

を、如何にも魅力的なものと錯覚させお金さえあれば手にすることができる。

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられそれが本当の幸せと錯覚し、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

そんな心になってしまっているのかもしれません。お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほどそれは、どんどん遠ざかって行きます。そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、いつかは、純粋だった心を閉ざしてしまうことでしょう。

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?

どこか遠くにあったのでしょうか?

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?

もしかしたら、私たちの幸せは元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。

大切な物は、見えない・・それが、本当のことかもしれませんね。



 

2021年2月20日土曜日

2248「新生活様式」2021.2.20

 今回は「Jのあっちもこっちも」さんの2021年02月18日の記事を紹介します。


本間真二郎先生 『新しい生活様式の定着は人間の終わりを意味します』

 https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12657513002.html

新しい生活様式の定着は人間の終わりを意味します

https://m.facebook.com/shinjiro.homma

 2019年の末に新型コロナウイルス(以下新型コロナ)が登場してから、インフルエンザの発生は見られなくなっており、今シーズンは例年の1/1000程にまで激減しています。

 この理由として、手洗いやマスクの徹底などの「新しい生活様式」によるものという意見が多く見られます。他にも様々なものが考えられます。例えば、渡航制限により海外からのインフルエンザの持ち込みが少ない、新型コロナによる感染干渉、患者の受診控え、病院で検査をしていない(厚労省から病院に通達が出ています)・・・などです。

 しかし、2020年はインフルエンザだけではなく、あらゆる感染症が激減していることをご存知でしょうか?

 日本の国立感染症研究所は様々な「感染症の発生動向調査」の結果を毎週、感染症週報として発表しています。 

 一年の最後の週(第52、53週)には、一年間の週ごとの発生数をここ10年間で比較したグラフが見られます。

 図1〜図6をご覧ください。太い赤線が2020年になります。

図1


図2

図3

図4

図5

図6

 2020年は、突発性発疹と細菌性髄膜炎を除くあらゆる感染症が例年よりものすごく少なくなっています。

 重要なのは、この結果を一般の人だけでなく、多くの医師や専門家までが歓迎していることです。つまり、これは「人同士の距離を保つ、マスクや手洗いを徹底している素晴らしい成果」であるとか「私たちは今までなんという不潔な生活をして来たのか」というものです。

 誰もが、なるべく感染症にはかからない方がいいし、もちろん人にもうつさない方がいいと考えると思います。しかし、私は、感染症を含めた物事の結果は、短期と長期とではまったく違うと考えており、むしろそのことを専門家の誰も指摘しないことをとても危惧しています。

 

理由を以下に説明します。

 私たちの暮らしている生活環境(空気、水、土や家の中も)は、おびただしい種類と数の微生物(菌やウイルス)で覆い尽くされています。ほとんどの微生物は私たちと共存することも、感染症を起こしたりもしませんが、あらゆる生物や地球環境の維持に必要なものです。

 私たちは、これらの中で自分と共存する腸内細菌などの微生物(ウイルスなども含みますがここでは常在菌とします)を遺伝による相性や免疫力により選んで取り込んでいます。


 生まれる前の胎児は無菌です。常在菌の獲得は、まずはお産の時に母の膣内、腸内、皮膚の細菌を受け継ぎます。その後は、家族や身の回りの菌を取り入れていきます。

 次に免疫力ですが、赤ちゃんでも自分自身の基本的な免疫力はもっています。しかし、自然免疫はすぐに働けますが、強力な獲得免疫は記憶がなく、すぐには動けない状態です。 

 そこで、抵抗力(抗体)を母から胎児期に受け継いでおり、これを母子免疫と言います。これは1歳程で無くなり、その後は自分の免疫力を発達させていきます。

 母が持つ常在菌は、生きて来た環境と生活の結果であり、母乳中の抗体も、いままで接触したあらゆる微生物に対する記憶の集大成のようなものです。これらは赤ちゃんが母と同じ環境(微生物などの)で生きるのに最適な常在菌と免疫のセットになるのです。

 これらをベースにして、赤ちゃんは何でも口に物を入れるなど、身の回りにある菌を避けたりしないで、むしろ積極的に取り入れていきます。そして、自分と共生できる菌を取り込んだものが常在菌になります。3歳頃までに確立される常在菌(とくに腸内細菌)が生涯の健康を決めているとも言われています。

 

一方、どうしても共生できない病原菌などは免疫力で排除することになります。この時に、免疫力が過不足なく働けば、身体は健全な状態に保たれます。

 免疫は「働く」ことと「調節できる」ことの両方が大切です。免疫が働かなければ、感染症を防げませんが、逆に強く働きすぎると、自分自身も攻撃し病気を引き起こします。この免疫が適切に調節できないことが、アレルギーや自己免疫疾患、生活習慣病、癌、鬱、発達障害など急増している現代病の最も根本的な原因なのです。


 大切なのは、免疫系は生まれてからずっと自分の近くにどのような微生物がいるのかを取り込みながら確認していることです。免疫系が適切に働くためには、これらの菌と常にやりとりをして、共生するのか、排除するのか、どの程度働くかなどの調節を練習する必要があるのです。

 つまり、免疫の調節には、幼少期のできるだけ早い時期から積極的に微生物と触れ合うこと、腸内細菌などの常在菌を整えることが最も大切なことになります。ワクチンで免疫をつければ良い、と考える人もいらっしゃるかもしれませんが、自ら免疫の調節機能を自然に獲得していくことと、人工的に(ワクチンなどで)免疫をつけることとは全く次元の違うことなのです(ここでは詳しく説明しません)。


 何かの病原体に感染した時に、感染するのか?発症するのか?軽症か重症か?死亡するのか?合併症や後遺症が出るのか?・・・なども、病原体ではなく、むしろそれぞれの人が持つ免疫力により決まります。

 しかし、新型コロナ登場後の新しい生活様式により、あらゆる感染症が減少しており、これは、病気を引き起こす微生物だけではなく、私たちが日常生活により当たり前に触れたり、人とうつし合ったりしている微生物との接触が激減していることを示しているのです。

 かつての産業革命(1760年代くらい)までの社会では、微生物による感染症は人類の最大の脅威でした。ですから、あらゆる方法で微生物を排除しようとする動きは、人類の歴史の必然であったとも言えます。

 さらに現代では、生活における除菌や抗菌の徹底だけでなく、どのような軽い感染症でも防ぐことが良いとされています。VPD(Vaccine-Preventable disease:ワクチンで防げる病気)という言葉があります。これは、ワクチンで予防できるものは、どんな感染症でも可能な限り予防しようという西洋医学の一般的な考えです。


 これらの根底には「感染症にかかることは悪いことである」という考えがあります。もちろん重症な感染症は様々な手段で対策をとることが必要になりますが、軽いものも含めてすべての感染症を防いだり、必要以上にあらゆる菌を排除したり、他人との接触を避けることは本当に良いことでしょうか?

 そしてその影響は、免疫系の発達過程にある子ども達が最も大きいことに加え、孫や未来の子孫達にまで及びます。

 今後長期化・定着していきつつある「新しい生活様式」。感染対策やワクチンを始め、これらの是非に関して、今後人々の考え方は二極化していくでしょう。


 大切なのは、どちらが正しいかどうかではなく、一人一人が「自分はどうしたいか、どう生きたいか」を考えることです。そして、その考えを、人に強要したり、排除したりするのではなく、それぞれの考えを尊重しあえる新たな社会の仕組みづくりが早急に必要になるでしょう。




2021年2月19日金曜日

2247「ワシントンメッセージ」2021.2.19

 今回は2021年02月17日の「Jのあっちもこっちも」さんの「緊急拡散 重要なワシントン・メッセージ」の記事を紹介します。


【第103弾】 2/3以来の重要なワシントンメッセージです 2021/2/16 20:45

今日のテーマ 2/3以来の重要なワシントン・メッセージです。

 たった今、重要メッセージが届きましたので、さっそく皆様にご紹介させて頂きます。

 

 石川様、冬も終わりに近づき、春が近くに感じる時期になりました。地上は草木が冬の間に蓄えた活力で芽を出す時期となり、動物たちは元気に活動できる時期がやってくると同時に、われわれ人間も本来の自分自身に立ち返れる時がやってきました。

 2月3日以来となりますが、今回も短い内容ですが、今地上で起きている大切なお話をさせていただきます。

 

①まず先日福島で起きた地震の件ですが、あれは人工的なものでした。海岸線近くの浅い10kmほどの震源としての大地震はもう起きませんが、少し皆さまは驚いたと思います。

 閃光が走った場合は人工由来ですが、今回も3回走りましたので、ディープステート(以下「DS」)が我々の作戦に対して、起こしてしまったことです。予告されていましたし、大きくはならないと思いましたが、想像より少し大きかったのでお伝えします。

 日本におけるDSの後始末は、2月4日までにほぼほぼ終わりました。今回はこれに対する抵抗でした。

 

閃光は走るの様子

地震発生時、福島市の様子【福島・宮城南部で震度6強】地震発生時の福島市の映像です。13日午後11時7分ごろ、福島県の中通りと浜通り、宮城県南部で最大震度6強を観測する非常に強い地震がありました。気象庁によりますと、震源地は福島県沖で、震源の深さは55キロ。地震の規模はマグニチュード7.3と推定されています。震度6強を観測したのは、福島県の相馬市、国見町、新地町、...


   https://www.youtube.com/watch?v=uCK9tTv5JGw


②次にワクチンの件です。我々関係者は、今出来ているCOVID-19用のワクチンは使いません。このワクチンにはナノ・テクノロジーが混入されていて、摂取することにより、DSのマインド・コントロール下に入り、自分自身の自我や意識を欠落させます。

 世界中の政府関係者は、メディアを使い情報操作しながら、記憶をコントロールし、「今起きていることが本当かどうか」の判断を自由自在にコントロールできるようにします。

勿論、ワクチンを打つ打たないは個人の自由な判断になります。すべては個々人の自由意思ですが、このウィルスは本当にメディアや政府関係者が伝えるほど危険なものなのでしょうか? インフルエンザの昨年の統計や死者の数と比べてみてください。

 さらに、このウィルスは、我々西洋人をターゲットに作られていて、あなた方東洋人と白人の死亡率の違いは明らかです。メディアや政府は、人類が自由意思を持ち、それを取り戻そうとすることに、目覚めることを恐れています

 

②’このウィルスは、アメリカの大統領選挙を自分たちの思い通りにするための戦略で作られました。現在、ある種族がこのウィルスを無害化するために、彼らの科学で操作し始めてくれています。

 このウィルスは、身体に入った時にそれぞれの因子がバラバラになって活動し、身体の中で悪さをしますが、それらの繋がっている手が取れずに、無害化する方法を彼らの科学力で操作するようにしてくれました。

 それらは少し時間がかかりますが、徐々に地球上が無害化されたウィルスが増えていっている段階です。そろそろ医学的に、次のようなそのような無害化ウィルスを摘出したニュースが入ってくると思います。

 ワクチンを使うか使わないかは、何度もお伝えしますが、個人の自由ですので、それぞれの考え方で決めてください。

 

③次に、マザーアースに関してお伝えします。地球そのものである母なる大地の意識は、昨年復活しました。長い間意識がクローズさせられていましたが、我々の動きと連動して、意識が復活しました。彼女の身体である地上を浄化させる動きが始まっています

 それはどのようなことが起きているかと言いますと、地軸を反転させる動きに入っています。それにより自らを浄化させる作用を生み出すために、2023年までに、地上の人類のために、ゆったりとした動きをしてくれますが、その後どのような動きになるかわかりません。彼女がどう動くか、大いなる意思は全て任せています。これも地上の次元上昇にとって必要なことです。

 

④次に、前回多くの有益な特許が開放されるとお伝えしました。

それは、GESARA/NESARAの一環として順次開放されます。再度お伝えしますが、地上の人類がそれらの有益なものを善としてのみ使用できる精神性を身につけなければ、それぞれが解放されないものもあります

 まず、放射能や重金属などで汚染された地上を綺麗にすることは最も必要なことなので、すぐにそれらの技術は開放されていきます。現在の医療制度や医師たちとの兼ね合いもあり、10年以上解放されない特許もあります。 

 ただし、人類全体が5次元にアセンションが早まればそれらは早く解放されるでしょう。すべては自分たちの意識や自分自身の精神性を早く高められるかにかかっています。その為、GESARAを行います。お金の支配から早く解放され、自分自身の本来の存在を理解するために、善の富の分配が行われます。

 

④’生活するために働くのではなく、地上に生まれた本来の意味を再発見するためにお金から解放されるのです。ただ、お金が好きな人はもっと働けば稼げばよいのです。生活する必要な富は本来人類はみな平等に生まれたときから持っています。人間として、生まれた本来の意味を思い出してください。みんなどこから来たのでしょうか?なぜ地球に今、生まれたのでしょうか?この転換期を目の当たりにしたくて体験したくて、地上のこの時代を選んで生まれました。みんなこの時代に地球上に自分の足で立ち、自分の意思で動くためにここにやってきたのです。 

 誰かに依存して待つだけの為や、不平不満をただいうために生きているのではなく、自分自身もその転換期に喜んで参加するために来たのです。思い出してください。自分自身はかけがえのない唯一無二な存在であり、光そのものであることを。

 この地上が愛と光と平和に包まれる時期が目の前に訪れました。デクラスがもう少しで発表されます。昨年の11月から地球上の精神性はデクラスを行っても良いというサインが出ています。 

 なるべく多くの人類が一緒に新しい時代に行きたいと思い、あらゆることが行われました。中国もいよいよ共産国としての国家を放棄することが約束されました。少し時間がかかりましたが、一緒に次の時代に移る仲間が増えてきたことをここにお伝えします。

 

④”大きなうねりは大手のマスメディアには残念ながらまだ何も出ません。デクラスにより多くの機密解除が行われます。ケネディー以降からトランプ大統領までの変遷、今までの金融システムで一部のファミリーだけが巨額な富を得てきたこと、今回の大統領選挙で行われた不正とそれらはどのような海外の国が関わったのか、すべて明らかになります。

 そして、量子コンピューターによるすべての金融システムが稼働します。この金融システムに使われている技術は、地球上のみのテクノロジーではありません。彼らとの関りも近いうちに発表されます。皆様はあまり驚かないかもしれませんが、多くの方々は本来の歴史を知った時、驚きと恐怖に身動きが取れなくなるでしょう。

 何か月もの間に、今までになかったことが次々と起こります。その時に大きな存在としてこれを聞いてくれている皆さまがいます。この大いなる神の意志で行われていることは誰にも止められませんし、止まりません。安心してください。まず近いうちに行われます。話を聴いてくれてありがとうございます。

 

 以上、重要なワシントンメッセージでございました。そしてまた以上石川新一郎でございます。本日も長時間こんな深夜に関わらず最後までご視聴頂きまして、心より感謝を申し上げる次第でございます。本当にありがとうございます。

 

マザーアースの目覚め(ポールシフトにより大陸は変形します)

 

 上記メッセージを整理すると、、、

① 2/13、福島で起きた地震の件は、DSが抵抗するための地震であった。

② コロナワクチンはナノ・テクノロジーで意識をコントロール。接種は自由意思で。

②' ウィルスは大統領選挙に合わせて作られた。いまに無害ウィルスが検出される。

③ マザーアースの目覚めと、地軸移動。2023年までは、人類のためにゆっくり。

④ 有益な特許の開放。GESARAと、地上の浄化技術は優先される。精神性次第。

④’ 特許開放で、本来の人の暮らしへ。中国も共産国を放棄が決定。

④” 不正が全て明らかに。異星人の関与も。一般の人は頭が真っ白に。

 

地球温暖化は嘘、地軸変動(ポールシフト)が答え



  地軸変動なども前からお伝えしてきました。地球温暖化ではなく、ポールシフトです。すべては、大日月地神示が言う「神の一厘のしくみ」、計画通りです。それらがこれから、実際に目の前に顕れてきます。



2021年2月18日木曜日

2246「想定内」2021.2.18

 今回の2月13日の地震について澤野大樹さんのお話を紹介します。青森講演会を主催している小野さんの「宇宙の中心で愛を叫ぶ」2021年2月16日の記事です。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/


澤野大樹氏青森講演会直前インタビュー 2021-02-16

みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。

2021年2月13日。2011年3月11日東日本大震災から10年。またしても、『あの日』を彷彿とさせる巨大地震が東北を揺さぶりました。青森講演会第⑦回開催直前に。今回の震災は、前回の「想定外」とは違い、「想定内」ともいえるものなのではないでしょうか。

被災された地域のみなさまには心からのお見舞いを申し上げます。

今回のインタビューは、いつもの【序文】に代えてのインタビューです。世の中の起こることすべてに意味がある」と考えると、青森講演会前に起こった震災に『神仕組』というものが絡んでいるのではないかと、そう感じずにはいられません。


今回もどうぞ、よろしくお願いいたします。 

――澤野さん、

まもなく青森講演会第7回目(20日弘前、21日八戸)です。澤野さんの青森講演会前には必ず何か起きていますが、今回も東北地方で大きな地震がありました。巷では本当に様々な憶測が飛び交っているようですが、澤野さんはこの地震についてどう思われましたか?

 

ひとつ必ず心に留めておかなければならないことがあります。それは、トランプさんは今回の掃討作戦に際しては、一般市民を犠牲にするようなことは絶対にやらないということです。それが例え日本のDSの難攻不落の要塞であったとしても、それを掃討するためのミッションにおいて一般市民の犠牲が伴う可能性のある作戦行動は絶対にやらないということです。

 

――ということは、今回の地震はトランプさん側による掃討作戦ではないということですか?

 

そうです。しかしここで「※」が付きます。「※ただしこの地震自体に限っては」ということになります。

 

――例えば、この地震は福島にあるとされるカバールDSの地下基地が爆破されたことに

よるものだとか言われていますよね。

 

これまで世界中で起こされてきたテロ(爆破、爆発、火災、暴動)はすべてカバールDSによって人為的にコントロールされてきました。最近わかってきたのはそのテロの中に「天災」(気象、地震、噴火)なども含まれていたのだということでしょ。

もちろんこれまでも薄々わかっていたことですが、それがそのメカニズムと動機の解明を伴って、確信に変わったということでしょう。

そして今回の東北の地震を目の当たりにして、多くの人がその仔細なあらましまではわからずとも、確実に「怪しい」というところまではもはや普通に認識されるようにまでなりました。

 

――これまでの世界での掃討作戦を見てきたからこそ、日本でのこの地震に対しても

その背景を考えるようになったということですね。世の中の事象にはウラがあると気がつけるだけの素地ができたといえますね。

 

トランプさん側が行っているカバールDS掃討作戦の模様は、見ているとじつにシリアスなことはもちろんなのですが、どこか意図的に底抜けのユーモアが忍ばされていることがわかります。ホワイトハウスの執務室の壁紙が違っていたり、壁に隙間があったり、ペンを逆さに持っていたり、ボロボロで汚く傷だらけの大統領専用車「ビースト」から降りてきたり、

飛行機のタラップでつまづいたり、エンジンから煙が噴射されたり。明らかにエアフォースワンではないコールサインを映したり。

 

――あれはわざとやっているのですよね?

 

おそらく最終的にはバイデン氏の頭上にタライが落ちてくると思います。まあこれは「ショー」でもあるわけですから、随所にジョークのポイントが意図的に散りばめられているわけです。つまり、観客はポップコーンを食べながらショーを純粋に楽しむことに徹することができた。しかし今回の東北の地震は違いました。明確に具体的に一般市民に被害が発生し、

幸いなことにひとりも亡くなるようなことにはなりませんでしたが、人命に関わるような事態であったことは確かですよね。

 

――確かに「ショー」の範疇を超えていました。

 

今回の「震度6強」のように、インフラが破壊されたり人命に関わるようなミッションは

トランプさんたちは決して行いません。トランプさんたちは常に「安心・安全」ですから。

もしあるとしても短期的な「停電」か「ネットの遮断」くらいでしょう。東北新幹線が電柱の倒壊によって運休になったりしていますよね。このように一般市民に影響を与えるような物理的破壊は、つまりこれはトランプさんサイドが提供している「ショー」ではない。

 

――つまり、地震はカバールDSによるもの?

 

これは明らかに日本国内カバールDSによる抵抗の表れであり、この地震によって「何か」を糊塗する必要に迫られてのことです。ということは、今回の「地震」はカバールDS側によるものだとわかります。しかしそれで話は終わりではありません。

 

――どういうことですか?

 

日本のカバールDSたちは日本国民の精神を支配しています。なぜならばカバールDSは「オカルトそのもの」でもあるからです。これまで日本各地の地脈を調べ上げ、龍脈のポータルに「杭」(くい)を打ち、その動きを止めてきました。最近世界中で「モノリス」が抜かれて地上に現れていますよね。

 

――モノリスが「杭」だという発想はありませんでした。

 

カバールDSの人たちは、自分たちこそが誰よりもオカルトであるのに、一般市民がオカルトを語ると「またオカルト陰謀論か」と馬鹿にすることによって、一般市民が誤ってオカルトの真髄に立ち入ることを予防してきました。それは徹底されていて、ただ一瞥するだけであっても許されませんでした。

だからこれまで日本のスピリチュアルというものは、毒にも薬にもならない表層をなぞっただけで、一生続けてもまったく成長すらないという徒労の牢獄をループさせられてきました。それは制御されてきたものです。

つまり私たちの「精神」「心」にもじつは杭が打たれていたのですよ。本来なら自然に行われていたはずの意識の拡大や心の器の拡大を知らない誰かによってこっそりと制御され抑制されていたのです。しかしそんな時代はもう終わりました。

 

――あらゆる「封印」が解除されているのですね。

 

先日のミャンマーの件に始まり、トランプ勢力によるアジア方面、そして日本のDSに対する大規模な掃討作戦が行われることになりました。このことを彼らは事前に察知したわけですよ。そしてその作戦は「停電」とともに、夜遅くに実行される。

 

――やたらと「夜間の外出自粛」と言っていたのはじつはこのことだったのかもしれませんね。

 

そう。裏の裏の裏がこれだった。しかしまだわかりませんよ。そのまたさらに裏がこれから明らかになってくるかもしれませんから。

 

――もはや人智を遥かに超えたシナリオですね。

 

日本のカバールDSは世界のDSのいわば頂点です。ですから日本は最後の最後まで取って置かれていた。そして今回ようやくいよいよ日本の番となった。しかし、彼らはそれを最後の最後まで抵抗し続けるのです。なぜならば、彼らにはこれまで支配者として君臨してきた強烈なプライドがありますよね。そんな自分たちがまさか掃討作戦の粛清対象になっているだなんて、そんな無様な姿を晒すわけにはいかない。そしてもしかしたら抵抗すればまだ助かる道はあるかもしれない。彼らはそう思っていたはずです。

そんな矢先に、トランプさん勢力による日本カバールDS掃討作戦開始の知らせが入ったのでしょう。彼らは諜報と情報通信の達人ですから、日本で行われる掃討作戦の詳細な時刻や概要を掴んでいた。このまま黙ってそれを受け入れるだけの器は彼らにはない。

 

――混乱してパニック状態に陥ったのかもしれませんね。

 

ある日突然、全国各地で大規模な停電が起こったとするならば、何も知らない一般国民でも「あれ?」と思ってしまいますし、誰もがその「理由」を問い始めてしまうでしょう。

それはマズイ。これまで自分たちが仕掛けてきた幻想世界、虚構世界のカラクリが人々に勘付かれてしまう。なぜ全国で突然停電が発生するのかについての合理的な答えを彼らは用意できていなかった。

カバールDSたちはこの期に及んでもまだ己のメンツと、日本人に仕掛けてきたマインドコントロールの維持、つまり「保身」を最優先にしているのです。また、「もしかしたらうまく誤魔化せるかもしれない」と、すでに決まった運命からの逃避として一縷の望みを夢想したりもしていたのでしょう。

あともうひとつ。カバールDSとしては、東京オリンピックを森氏の失言を原因として中止にするなんてことは絶対にできない。ならば、誰もがその中止に納得するだけの「理由」を創造する必要に迫られた。

この大きな2つの要因を満たすものとは何か?こうして今回、東北で大地震となったわけです。すべての証拠を隠滅しながら彼らは日本国民を、世界を、地球を道連れにしようとします。断末魔の叫びを上げながら。私はこのやり方は今回が初めてではないと思いますよ。

このようなやり方のことを私は「ヒロシマ・ナガサキ方式」と呼んでいます。

 

――これはもう「大統領選挙」どころの話じゃありませんね。人類の存亡がかかった史上最大の戦争が起こっているのですね。

 

そうそう。でもこの戦争は多次元的に行われていますから、見える人と見えない人がいます。

カバールDSが仕掛けた東北の地脈のポータルとは、本来はこの地球に元々備わっていた自然そのものの力なのです。彼らは苦し紛れにそのようなポータルを自己都合に用いてしまった。

ソロモン王が従えた72柱の悪魔のうち、第2番目の「アガレス公爵」(Agares)は、地震を起こすことができる悪魔だといわれています。じゃあそのアガレス公爵を使役することできる「ソロモン王の指輪」を所持している主は今誰よ?って話になってきますよね。

しかしその究極のエゴイズムによって、彼らがこれまでずっと封印してきた究極のこの地球の力、つまり大自然の「本音」の部分を目覚めさせてしまったということになります。

これこそが、「闇の陰謀はヤハウェの神仕組とコードシェアしてくる」ということです。

この戦争はおもに多次元世界で行われているものです。ですので通常の人にはなかなか知覚できないところで行われています。でも人類の存亡に関わる重大事でありますから、その顛末をきちんと人類に提示して見せなければなりませんよね。

だからトランプさんたちは、その多次元的顛末を、三次元現実世界に変換しデチューンして「ショー」として、見せてくれているわけです。

 

――ということは、オカルトの世界がじつは現実で、私たちが「現実の世界」だと思っていた世界が虚構だったということですか?

 

そうそう。だから、多次元世界で起きているこの戦争を、私たちが知覚できるようになるということはじつは霊的覚醒を伴うのよ。トランプさんたちの本当の目的とはじつはここにあるわけ。今回の青森講演会ではそのあたりをじっくりとお話できたらと思っています。

あ、そうそう。2020年4月に行われた青森講演会「第3回」で私はこう申し上げていました。去年の4月ですからね!(※個人名はイニシャルにしておきます)


もし、本気で新型コロナウイルスを止めたいと考えるのであれば、2020年東京五輪は、延期ではなく「中止」とすれば良いのです。もし中止にすれば遅くとも今年中には終息すると思います。

でも、そんなことを彼らが決断するわけがないのです。彼らは何としてでも意地でも五輪を延期してでも開催したいわけでしょ。となると、A政権が存在している限り、そして、

五輪開催を延長したらしただけ新型コロナも一緒に延長されていくということです。

では結局どうなるのかと申しますと、一年延長したとしても、結局「中止」となることが予想されます。つまり、ダラダラと新型コロナがずっと蔓延したままとなりそのまま五輪も結局中止となるでしょう。

で、そうなった時に、“彼”はすべてを誤魔化し目を逸らすために、日本のどこかで巨大な地震か何かもしくはそれに匹敵するようなものを用意すると思います。

どの道、今の日本および世界は「禁断のパンドラの箱」を開けてしまったのです。

自分の能力では制御できないものを後先考えずに開けてしまったのです。

 

ね、ハンパないでしょう?この続きは次回青森でお話いたします。

ぜひみなさん、青森講演会でお会いいたしましょう!


――澤野さん、ありがとうございました!青森講演会を楽しみにしています!

 

Seal of solomon(ソロモン王の紋章)

  


 

「ソロモン王」のことは、第②講演会で話されていたことですし、活字版原稿にも詳しく記されています。そして、今一度お手元の青森講演会第③回活字版原稿も御覧いただきたい。

途轍もないことが書かれてありました。 

これ以上はここでは申し上げられませんが、以前2011年に、澤野氏は311を「見えない請求書が届いた」という表現をされました。今回も、「見えない請求書」の差出人は誰か、

「生と死は同価値」ということにどう目を向けるかで、世界の見え方が変わってまいります。

青森講演会第⑦回、今回もどうぞご期待ください。みなさまのご来場を心よりお待ちしております。


※青森講演会は2月20日、21日です。小野さんのサイトで確認ください。

仙台講演会は3月14日です。講演会案内は直前公開しますが参加申し込みは受け付けています。仙台天命塾HPで確認ください。


2021年2月17日水曜日

2245「受け入れる」2021.2.17

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月10日の記事を紹介します。


まるごと受け入れる

このブログでは、元気で悩みも無く、明るく暮らしていらっしゃる方へと言うよりも、

どちらかというと、日々の暮らしに疲れ、悩み苦しみ、涙を流していらっしゃる方に向けて書くことが多いです。できれば悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂きたいからです。そのヒントとなればと、今日もブッダのお話からご紹介します。


 ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。ブッダが悟った「苦」とは世の中は自分の思いどおりにならないという意味でした。

災難の中に居ることが「苦」ではありません。「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、結局は自分だけの問題だということになります。

何故なら、どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、自分の心が苦痛を感じているからです。外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

 ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

 私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、他人が自分の思う通りに振る舞わないことから発生していると言われます。多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

 自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を自分の思う通りに変えようとせず

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

 それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように神さまが、この世の中を作ってくださっています。

 神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

 神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

 それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、「ありがとう」と肯定したという意味になります。

 神さまにとって「肯定された」ということは、自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

 小林正観さんが仰るには、神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、応援支援をしようと思うみたいなので、肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、「手に入っていないもの」を挙げ、「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。

 またビジネス社会でもそうですね。売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。


 一方、

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、「喜びながら」

「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う「小欲知足」の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・そのような方法論はもう古いのかもしれません。神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか?周りと調和していくのか?そう考える方が時代の潮流のようです。

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。→縁起の法則と言います。

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。


自分の努力や力ではなく、全てが目に見えない神さまや、宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。

何故なら、その現象は、私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。


  泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、置かれた場所で、

美しい花を咲かすことが、きっと誰にでもできるのです。

  

2021年2月16日火曜日

2244「災難」2021.2.16

 2021年2月13日深夜、地震がありました。大きな揺れで目覚めて起きましたが、かなり激しい揺れが長く続きました。以下の様に報道されています。

「土曜日13日(2021年2月)の深夜、福島、宮城県を襲った最大震度6強の地震は、気象庁は発表ではなんと10年前の東日本大震災の「余震」だという。政府の地震調査委員会は、東日本大震災の余震が「あと10年間は続く」という見解だ。

  地震は13日午後11時7分に発生、震源は福島沖で、10年前の震源より南西寄りで陸に近く、深さ55キロ、マグニチュード7.3だった。東日本大震災はM9.0だったが、今回は「かなり強く、長い間揺れた」という声が多く、北海道から中国地方まで広範囲に揺れた。停電は、横浜市や千葉県内など首都圏も含めて約95万戸に広がった。体が感じる揺れとしては今回の地震は1分40秒間で、東日本大震災の3分40秒間よりも短かった。東北新幹線の全線復旧には10日間ほどかかる見込みだ。」


 今回の地震では私の部屋がかなり散乱しました。部屋の本が落ち、植物の鉢、石の置物がひっくり返り、本箱は20センチ強移動して足の踏み場が無い状態でした。10年前の311地震の時よりは軽度でしたが、夜が明けて後で気が付いたのですが窓ガラスも外れて壊れていました。

 地震後直ぐに片付け始めましたが、丸々1日掛かりの作業で他の部屋も含めて、未だ完了出来ていません。生じた被害について思いも湧かず、起きたんだという感じで淡々と目の前の作業を行いました。月曜日朝には私の部屋はどうにか様になりましたが、窓は板で打ち付けです。パソコンも明けずにいましたが、なぜか日曜日午後に気が付いたら10年近く愛用している携帯電話、ガラケーが無反応で画面が真っ黒です。

 壊れた家電製品を買いに日が暮れてから電気屋さんに出向き、閉店間際のドコモショップでガラケー携帯を購入し、充実した1日になりました。前日はほとんど眠っていませんでしたので日曜日は熟睡です。


 後で調べたら今回の地震は自然災害ではなさそうです。地震が発生する前に停電が起きていたり、発生後直ぐに津波の発生はないとアナウンスがあったり、23時8分地震発生1分後の23時9分に総理大臣官邸の危機管理センターに対策室を設置しているのです。さも地震が起きる事を分かっていた風です。311東日本大震災の余震というのですが今後10年も余震が起きる可能性があるというのです。そもそもプレートテクトニクス理論は仮説でありその説明には疑問です。

 更に地震発生時の発光の映像に遭遇しました。「(真)日本の黒い霧」の2021年2月14日の記事の1部分を抜粋して紹介します。

http://adoi.hatenablog.com/

 

画像1:地震に伴う発光現象(NHKのライブ放送から)

画像2:発光現象は次々と(ツイートより、NHKライブ放送録画)

「画像2は上から時系列で並べています。1分以内に次々と発光が起きているのが分かるでしょう。最初の画像はビルの手前が明るくなっていることより、カメラ後方で発光現象が起きていることを示しています。

これを専門用語で地震光と言うそうですが、最近頻発している火球とも見紛う明るさです。しかもこんなツイートまで。本当に自然現象なのでしょうか?」


 このサイトの2019年8月5日 の「宮城でまた地震-地震は人為的に起こされる」記事に更に地震への見解を述べていて、最後に以下の様に纏めています。

「以上より、私の結論はこうなります。今も昔も、全ての地震は人工的である と。そして、次に問題となるのは、ミニ震源を揺らすメカニズムと、中世の大地震など科学史的な観点による状況の説明です。これらについては現在解明中であり、近々その詳細をお伝えできるかもしれません。

 * * *

 先の東日本大震災はもちろんのこと、100年近く前の関東大震災も人為により行われたと私は見ています。来るぞ来るぞと警告が続いている東南海地震も、やはりボタンのスイッチを押さなければやってくるような地震ではないでしょう。地震への恐怖が莫大な公共投資・民間投資を生み、実際に大地震がくれば多くの犠牲者を生むとともに、巨大な建設需要が転がり込みます。現在の東京も、大地震があったおかげで大規模な区画整理ができたことを忘れてはなりません。

 この地震発生メカニズムと制御テクノロジーを理解したとき、私たち日本人は地震の恐怖から完全解放されるのだと思います。最近になってそのメカニズムの一端が見えてきたこと、また、それに干渉する術が少しずつ分かってきました。全面解放の日は意外と近いのではないかと予想してます。」

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/d41ddcc428df737affaf0300f1c6a64d


 コロナ感染の蔓延で東京オリンピックの開催は中止の様に思っていましたが、森元会長の失言問題で2月12日に辞任が決まり、地震も起きていよいよ開催は中止でしょう。今回の地震で90万戸が停電とのことですが、最近は米国大統領選挙絡みなのか世界各地で停電後に何かが行われているようです。日本でも何かが進行しているのでしょうか。

 私が災難で思う言葉は良寛さんの災難除けの法です。以下紹介します。


【良寛の言葉】災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

地震や台風、大雪に噴火。

個人の力などでは到底太刀打ちすることのできない圧倒的強大な自然の力の前に、人は何ができるのか。どれだけ頭をひねって予防に努めても、自然災害を完全に防ぐことなどできないという不可避性に、災害の恐ろしさを思わずにはいられない。

天災とはよくいったもので、要するにそれは人間が制御することのできない「天」の範疇に属するものであるということなのだろう。端的に、「天」は「人」の範疇を超えている。

そんな災害が起きるたびに、ふと思い出す言葉がある。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉である。

天に対する人の対応の妙を簡潔に述べた、なかなか考えさせられる言葉だ。

この言葉は、良寛和尚が知人の山田杜皐へ送った手紙に記されたものなのだが、それにはこんなエピソードがある。

三条地震

1828年12月。良寛和尚が71歳の時、新潟県三条市付近で大地震が発生した。のちに三条地震と呼ばれる大地震である。被害の全容は全潰12000軒以上、死者1500名以上。火災によって焼失した家屋も相当な件数にのぼったという。そんな三条市のすぐ南に位置する長岡市に、良寛和尚の父親が生まれた与板という町がある。

 ここには良寛と親しい間柄にある知人が何人もいたが、とりわけ酒造業を営んでいた山田杜皐は良寛和尚を「蛍」とあだ名でよぶほどの仲の良い間柄であった。

三条地震が発生したとき、杜皐が暮らす与板もやはり甚大な被害に見舞われた。しかも悲しいことに、杜皐はこの地震で子どもを亡くしてしまった。しかし杜皐は、そうした自分たちの被害もさることながら、同じく被害に遭ったであろう良寛が無事でいるかを心配に思い、良寛に見舞いの手紙を送った。手紙を受け取った良寛は、幸いにも無事だった。そこで自分が無事であることを伝えるため、すぐに杜皐へ返信の手紙を送るのだが、その末尾に添えられたのが上記の「災難に遭う時節には……」の言葉なのである。

ちなみに、手紙の前半は次のようになっている。 

「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。

うちつけに死なば死なずに永らえて かかる憂きめを見るがわびしさ」

地震に遭った杜皐の境遇を憐れみ、自分は無事でいることを伝え、そして歌を一首したためた。

 人生を生きながらえてきてしまったことで、人々が悲しみに打ちひしがれる姿も多く目にすることとなった。やるせない思いでいる。

 そんな意味合いだろうか。そしてこのあとに件の言葉が続く。

「しかし災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 良寛」


非情か?

この言葉を読んで、「なんて冷たい言葉だ」と感じた人はきっと少なくないと思う。おそらくは「人間、誰だって災難に遭うもんだ」と、なんだか突き放すような、「しょうがない」「どうしようもない」という雰囲気の言葉に読み取れてしまうからだろう。

 そりゃ間違ったことは言ってないけど、正しいことを言えばいいってもんでもないでしょ、と、デリカシーに欠ける言葉だと感じる人もいるかもしれない。

正直なところ、実際に災害に遭った方々にこの言葉を伝えるのは難しいと思う。

「災難に遭えばいい」と聞こえてしまう言葉は、たとえそこにどのような意図が含まれているにせよ、相手を傷つける可能性を有してしまっていると考えたほうがいい。

 すでに信頼関係が構築されている間柄だとか、言葉を理解してもらえる土壌が整備された状態であれば伝わるかもしれないが、そうでなければ軽はずみに口にするべき言葉ではないように思う。 

ただそれでも、もし自分が災害に遭ったときには、きっとこの良寛和尚の言葉を杖にして生きるのではないかと私は思っている。万人に受け入れられる言葉ではないかもしれないが、少なくとも私はこの言葉を酷だとは思わない。

 人が抱く「苦」という感情の真実を言っているからだ。災難から逃れるための真実、災難に苦悩しない真実、厭うことで苦悩が生じるという、苦悩の真実を示した言葉であるからだ。


災難が災難になるとき

災難が降りかかるときは、降りかかるしかない。死が免れないのなら、死を受け入れるしかない。そうした現実を認めたくない、受け入れたくないと思い、現実を「厭う」という感情から、人の苦悩ははじまる。それが仏教における「苦」の理解の第一歩である。

災難を受け入れたくないと思うことで、「地震」は「災難」と認識される。災難を受け入れることで、地震は「災難」から「地震」へと本来の姿に戻る。たとえ地震から逃れる方法がないとしても、災難から逃れる方法はあるのだ。良寛和尚が言うように、災難に遭うときは災難に遭う。すでに災難に遭ってしまっているのに、遭いたくないと思ってしまうことで苦悩が生じるのなら、遭ってしまった災難を受け入れよう。災難とは、それを災難と受け取ったときに生じるものであって、地震を災難と認識しなければ地震は災難にはなりえない。

だから、災害によって家を「壊された」と恨むのではなく、災害によって「壊れた」と、ただありのままに受け取ろうというのが良寛和尚の言いたい姿勢なのではないか。

 良寛和尚の言う「災難から逃れる妙法」とは、天の事柄である「地震」を、人の事柄である「災難」にしない認識方法なのだと私は思う。

一読すると冷たいように感じられる言葉かもしれないが、なにも良寛和尚は後世に残そうとか、万人に伝えようなどと思って手紙にこの言葉を書いたのではない。


相手が杜皐だから書いたのだ

言葉の真意を理解してもらえる間柄であるとの信頼関係があったからこその言葉なのだ

と受け取るべきではないか。時に「デリカシーに欠けた手紙のやりとり」と批判されること

さえある言葉であるが、こうしたやりとりができる2人の間柄を、私はほとんど羨ましいと

さえ思う。」

https://www.zen-essay.com/entry/sainan


 最後に私の部屋の災難後と復活後の写真を紹介します。






2021年2月14日日曜日

2243「繋がること」2021.2.14

 2月11日は仙台テンメイの恒例の味噌作り会でした。子供たちも含め25名ほど集まり、楽しく、賑やかに、和気あいあい出来ました。130キロの味噌の最後の仕上げは総出で混ぜ合わせます。最後の皆さんと一緒の情報処理で、後は各自5キロずつ樽に仕込み各自の環境で熟成です。1年後が楽しみです。






 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月12日の記事を紹介します。


神さまと繋がること

この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている、第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて一番心強いことは、やはり神様とともに生きることではないでしょうか。神様と生きるそうは言っても、ピンとこない方も多いかもしれません。ですが、もともと私たちは神さまから魂の一部を頂いて生まれてきました。

元春日大社宮司で、高名な形成外科医であった葉室頼昭さんのご著書を基にして書きたいと思います。

 

はじめのはじめ至高の神の意志がありました。神さまは自分のご意思を実行に移すために150億年前、ビッグバンを起こし、全てが始まりました。 

古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。ですが、すぐにお隠れになりました。その後まもなく現れたのが

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

  むすひのかみ達は、以前記事にも書きましたが量子力学で言われる「弱い力」、つまり中間子、素粒子を結びつける力です。湯川博士が発見しました。

この力が存在したために、原子ができ、分子になり、物質が生まれました。つまり、この宇宙に存在する物すべてに原子よりももっと小さなレベルで、神々が宿っているということになります。もちろん私たちの中にも至高の神さまがいらっしゃいます。

私たちの考えていること過去、現在、未来、全て見渡して私たちとともにいらしてくれます。葉室元宮司が仰るには、神さまの意図、つまり至高の神が宇宙を創造した目的は外側から、神さま自身の 真・善・美を見て味わい、知ること。内側からでは、自分自身を見ること、知ること、感じることができないからです。 

そのため、宇宙神から頂いた、魂、生命を使い枝分かれした生命体たちは、様々なことを経験し、味わい、知ります。その経験、知識を集めて再び私たちは、宇宙神の元に戻ります。

ですから、私たちが経験すること感じること、思うこと・・それに善悪はありません。

全てが経験として蓄積されるからです。 

ですから私たちは、人の行動、言葉の片面だけを切り取り、受け取って良い、悪い のジャッジをすることはできません。その経験も、宇宙神にとっては必要な経験だからです。

色んな宇宙、星々そして3次元、4次元、5次元・・ いろんな次元で、宇宙神から生み出された沢山の魂たちが経験を積んでいます。

ですが、その中でも地球と言う私たちの惑星、それも3次元の世界は生まれ変わり、つまり魂たちが経験するために肉体をまとい、生まれてくる場所として大変人気が高く、倍率が高いようです。何故なら私たちには 肉体をまとっている間、感情を持つことができるからです。感情と言うのは対象に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖など。

人生80年生きていると様々な出来事が起こります。(自分で生まれる前に計画してきたことです)それらを経験するたびに私たちの感情が大きく揺さぶられます。

私の人生、どちらかと言えば辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多かった。そう思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、その経験をしてきたうえでの今現在の私たちです。

経験値から言えば、今日の私は、過去一番の私です。

その経験も、生まれてこなければできませんでした。辛く苦しみの暗闇の中で、出会った、誰かのほんの小さな優しさ、温かさ、思いやり心に沁みませんでしたか? 苦しんだ経験があるから同じ苦しみの中にいる人たちの心が分かるようになったのではないですか?それって、魂にとったら、大飛躍です。輝きがぐんと増しました。

本当の優しさはその何倍もの苦しみや悲しみを乗り越えてきたからこそ身に付いたものではなかったでしょうか?

それとも今の苦しい環境を、人のせいにしてそこから逃れたいがゆえに、憎み、ののしり、恨み続けるのでしょうか? 私たちの内にいらっしゃり、常に一緒に歩んでくださっている神さまが望むことは、私たち人間たちが、いろんな経験を通じ

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで仲良く笑顔で暮らしていく  

そんな平凡なことではないでしょうか。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思います。 

自分の周りに居てくれた人たち家族、友人、同僚そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において私たちと、神々のエネルギー交換がなされることでしょう。 

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も

みんな、みんな大切な人だったと。かけがえのない人だったと。溢れる感謝の気持ちと共に。私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが神々のなさる最大の奇跡だからです。




2021年2月13日土曜日

2242「自分の心配」2021.2.13



2021年02月08日他人の心配より自分の心配

お不動様に喜んでいただいた雪だるまは、今こんな感じです。

    


元はこんなに凛々しかったのですが・・・ますます、参拝者の皆様の笑いを誘っています。

さて今日は 小林正観さんのお話からです。

正観さんは、ブッダの時代と、空海の時代に生まれ、ともに、師のそば近くで修行していたことを思い出していました。また、プレアデスから地球に来たことも思い出していました。

年間300回を超える講演会を通じ沢山の方々を悩み、苦しみの淵から救われてもこられました。 身体がボロボロになるまで、講演会を続け晩年は、もう不思議な力さえ使うことができたようです。

さて今日は「他人の事はいいんです」ということで、正観さんの少し厳しめの、講演会の内容をご紹介します。

<転載開始> 転載元


実践する人である正観さんが、自らを名乗る。「実践者」

その実践者というのはどういうことか。

・どんなことがあっても 怒らない。

・どんなことがあっても 声を荒げない

・イライラしない 

ということを実践しようと思っている 実践者なんです。腹を立ててもよい現象(出来事)は世の中にはありませんと。それは戦争についてさえ、そうです。

戦争を憎んで、怒りを覚える という人に「正しい怒りではないのか」と聞かれました。

その答えは「その憤りこそが戦争を起こす」というものです。

戦争は、自分は絶対間違っていないと思ってる。

・正しい怒り。

・正しい憤り。

・正義の戦い

と皆思っているんです。だから戦いになる。だからこそ、どんなことあっても腹を立てない。何があっても戦いを挑まないということが 重要なんです。

この条件だったら、腹を立てないけれど、この条件だったら、腹を立ててもいいと。

そういうことは ないんです。

そこのところ、すごく重要です。腹を立てさせる人がいるんだ。

そんな事はない。腹を立てている私が居るだけ。

家庭の中でも 子ども 夫婦 親。会社の中でも 上司 部下 同僚

その他社会の中での現象すべて、あてはまることかもしれません。

腹を立てることによって問題が解決する事はあるのか?

「ない」

そんな方法論では 解決しない。

そしてもう一つの実践ポイントとしてこう仰っしゃいました。

自分がいかに幸せに生きるかだけを考えること、他人の事はいいんです。

そこが重要で、私の言っている事は全部そこなんです。

他人をどうする?というのは善いも悪いも含めて考えないこと。

正観さんは、この時、珍しく語気を強めていらっしゃいました。

自分が出来ることを、楽しく嬉々としてやる。

他の人がどうなるかは 関心を持たなくともよい。

自分でそう決めた。その生き方を、実践することが大切。

「私はニコニコと生きていく」だけ。自分が 楽しいこと嬉しいことだけ。それをやっていくだけ。

他人をどうこうしようとする必要はありません。

ですから、すごく辛そうに生きてる人に向って「こういう生き方をしなさい」と寄って行き話をするということは金輪際しません。

この人は 辛くてつらくてという生き方を、すごく楽しんで 生きているかもしれない。

私にはあ~だこ~だ言う権利はないんです。熊手で 不幸というものをたくさんかき集めて「こんなに不幸なんです」と言って喜んでいる人は たくさんいます。

不幸や悲劇は存在しません。そう思う心があるだけです。

どうせ 熊手で集めるなら 嬉しくて楽しくて仕方ないことを集めたらいいですね。

<転載終了>


正観さんにしては、かなり厳しいお話です。もうご自分の死期が迫っていることを知っていらっしゃるので、どうしても、後世に残したかったのかもしれません。

それだけ、多くの人が陥りやすい罠であり、沢山の方が、これで不幸になっているのを見過ごすことができなかったのでしょう。 

過去には表面だけしか理解せずに反論される方もいらっしゃったことでしょう。

では子供のことを心配するのは良くないのか?そう思う方もいるかもしれません。

ですが正観さんですから、ブッダや空海たちの教えの深い部分から、このお話をしていると思うのです。


こんなお話を聞いたことがあります。

あるお母さんが、小さな子供を残して亡くなりました。お母さんは迎えに来た神様に訴えます。「子供のことが心配で・・」ですが、すぐさま神様は、子供の過去現在未来のタイムラインを見せてくださいました。

そこには、この時期に母が亡くなり、そのことで子供の人生が方向を変え進んでいくことが示されていました。そしてその全てが神様の庇護のもと進んでいくことが分かりました。

そして母は安心して逝くことができました。


つまり、例え母であろうと、子供の人生に介入できないこと。子供は子供で、すでに生まれてくる前に、自分の魂の向上のために最善のタイミングで物事が起こるようにめたうえで、生まれているということ、、そして子供にも神様がついてくださっているということ。

ですから、たとえ子供であろうと、親の思い通りにはできない。。 

などが神様から示されたのでした。


正観さんはよくおっしゃっていました。悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、

他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?

そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。

ブッダはそんな悩みごとを相談されたとき、お答えにはならず、静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。

正観さんのおっしゃるように、私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。

なのに、そのことで沢山の悩みを抱えている人が多いのです。

憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。

また、悩みの種類の数だけ解決方法があるわけではありません。

・夫がDVで

・子供が不登校で

・子供が情緒不安定で

・会社の上司がわがままで

その数だけ、解決法があるわけではありません。

全ては私たちが、目の前の現象をどうとらえるか、私たちの心の在り方 だけなのです。

今日の正観さんの言葉は少し厳しいかもしれませんが、他人をどうする。というのは善いも悪いも含めて考えないこと。

自分が出来ることを楽しく嬉々としてやるだけでよい。 のかもしれません。

そうすれば、上記4つ 例を挙げましたが、全て他人を、どうこうしたいというものですから、もう問題ではなくなります。

彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。他人によって強制的に方向転換することはできません。

また正観さんは上の講演会ですごく辛そうに生きてる人に向って「こういう生き方をしなさい」と寄って行き、話をするということは金輪際しません。

と仰っていますが、これは生前のブッダも同じような姿勢を貫かれました。

それは「縁なき衆生は度し難し」が示す通りいくら慈悲深い仏であっても縁がなければ

救う時期ではない(救えない)ということです。


当時こんなエピソードがあります。

町中でみすぼらしい老婆が乞食(托鉢)をしていました。自分が食べ、生きるためです。 

ですが、どこの家でも門前払い見かねた、従者アーナンダがブッダに「何とか救ってあげることはできませんか」と相談しましたが、ブッダは首を縦に振りません。

それでもと、アーナンダはブッダを老婆の目の前まで連れてこられたのですが、老婆には目の前に立つブッダの姿が全く見えないのでした。

そしてブッダはアーナンダに「縁」についてのお話を聞かせたのでした。

子供たちの問題も私たち、母や父が眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔をしているのではなく

自分の好きなことをやり、明るく楽しく笑っていれば、いつしか丸く収まってきます。

彼らには彼らの道、学びがあり、そのために今の道を歩んでいます。

それを見た私たちが自分の価値観、正義感で、「こうしろ」「ああしろ」というのは正観さんの言うように、少し傲慢なのかもしれませんね。


2021年2月12日金曜日

2241「怒り」2021.2.12

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月07日の記事を紹介します。


怒る人々

夜が明ける前の闇が、最も暗いと言われます。

今、地球の波動が2極化して分かれ 

・心の大切さ、周りの人々との調和を一番に考える人と

・自分さえよければ、お金さえあれば。。

そのような人に2極化してきているといわれますが、自分さえよければ。。。の人々は、自分の心の内の良心が、常にシクシクと痛んでいますから、余裕がありません。

人を非難し、貶め、中傷し、デスることで無意識にマウンティングし、相対的に自分の地位や環境を安泰にしようとします。そして、常に心に怒りを抱えています。常に、怒りを振りかざし、ちょっとしたことで、正義感の隠れ蓑をまとい怒りを爆発させます。 

社会で何か事件が起これば、自分だけは正義の立場に立ち、その事件の被告を追及し、憎しみをバラまく。表面的に見れば、誰しも忌み嫌う事件の加害者、その人をどんなに憎み、

正義の剣を振りかざそうと、誰も文句を言わないことでしょう。 

付和雷同し、煽る人も出てくるでしょう。誰かを悪とみなし、激しく追及することで、自分自身の留飲も下がることでしょう。

でも、そこには、愛が、ないのではないでしょうか?

私たちを作られた神様は子供たちの誰かが、罪を犯した時や他人の心身を蹂躙した時、その人間を憎み、糾弾し、一瞬で地獄に落とすでしょうか?

更正の機会を与えないでしょうか?

二度と許してはくれないでしょうか? 

その人を糾弾し、憎しみをぶつけた私たちはたとえ立場が変わろうと、自分だけは決して、そのような行為を行わない、いつも、変わらず正義の人なのでしょうか?

たとえ正義の名の下であろうと、人を憎む者は、自分自身を憎む者です。人を憎む者の心には、憎しみが宿ります。

その憎しみの種は、だんだんと自分自身の心身や、取り巻く環境に浸透して行きます。その結果、環境は、だんだんと憎しみ色に染まり良くない出来事が続くでしょう。

小林正観さんがおっしゃるには、憎しみの心が身体に出た場合、関節の疾患として強く表れるようです。

  それでは、今日のお話は「正義感の落とし穴」ということで、まじめな人、一途な人が陥り易い落とし穴について書きたいと思います。

小林正観さんの著書よりご紹介します。

<引用開始>


 真面目な人ほど、正しさを追い求めてしまいます。その結果、敵意と憎しみが湧いてくるというように、人間の心が創られているのかもしれません。

社会を四十年観察してきた結果、真面目な人ほど、人生を暗く辛いものにしていることが読み取れてきました。 

心の勉強をしていった結果として、いろいろなことを学び、心正しい人になり、心正しい行動をするようになっていきますが、どの人も九十八点まできたときに陥りやすい罠があります。

 ある大きな災害のときのこと。自分の家や土地すべてを売り払って数千万のお金を作り、被災地で炊き出しをした農家の方がいらっしゃいました。ボランティアで一日三食、合計二千四百食を毎日作り続けました。この話を聞いた人たちも募金をして、半年ものあいだ、炊き出しを続けることができたそうです。

 半年後、仮設住宅などができ、必要がなくなったので、家族のもとへと帰っていきました。

この話を聞き、日本各地の商工会議所などから講演依頼がくるようになりました。

 そこで、このような話をされたそうです。

「あまりにも悲惨な状態だったので、家や土地を売り、乗り込んでいきました。いま聞いている皆さんは、会社があり、社員がいて、預貯金もある。そういうものを全部売り払って、なぜ同じことをしなかったのですか?」

この方は、心温かくて困った人のためにやっていこうという、神のような心を持った方でしたが、ですが、この一言を言った瞬間、会場はシーンと静まりかえったそうです。

 そして、同じ主催者から、二回目の講演を頼まれることはありませんでした。

 自分は喜ばれるように生きているのに、周りの人は呼応した生き方をせず、自分勝手に生きている。「あの人がそう思うのが許せない」という、正義の「敵意」「憎しみ」の小さな芽は、誰の心の中にも宿っています。他人を憎む「心」そのものが、争いの種になっています。

 他人や世の中をどうするかより、自分の中の敵意と憎しみをなくし、太陽のように明るく生きていくこと…。

よい仲間と明るく楽しくいたいのならば、目の前の人に対して 

・自分と同じように振る舞え

・同じ価値観になれ 

と強制するのをやめる。よい話を聞いて、周りの人にたくさん広めようと思った瞬間、よからぬものが入り込んでいる可能性があり、運とツキが逃げていくようなのです。

 人間は、ろくなものでもなくて、大したものでもないと思うことで、心地よい方向にいけるのかもしれません。

<引用終了>


本当に、正義感が強く、良いことをしよう、他人の役に立とうと、一所懸命な人、ある種のストイックな人、修行僧のような人が、非常に陥り易い罠です。

 自分は、これだけしているんだ。どうして貴方は同じようにしようとしない?

自分の価値観を人に押し付け、強制する事・・

 どんなに自分が良いと思うことをしようと、それを他人に強制したりしては、何のための良き行動か解りません。むしろ神様から遠ざかる行為です。

 マザーテレサが仰るように、私達が、誰か人にした事、それは、本当は人ではなく、神様にしたことです。神様 対 私達のできごとです。ですから、それを恩に着せることも、自慢する事も、他言する事も必要ありません。

 ましては人は、その人に一番適した道のりを、その人のペースで進んでいます。その人に対して、如何に自分が正しいと思ったことであっても、押し付けては台無しです。

 正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのこと。でも、そこには憎しみの心が潜み、そこには愛や温かさの芽はありません。

 正義感の強い人は、周りの人といつか衝突することになります。自分自身の心身も蝕みます。その言い分がどんなに正しいことであっても、人には人の、それぞれ事情があり、できることと、できないことがあるからです。

 どんなに正しいことであっても、押しつけられたら誰でも嫌になります。

 正義感など振りかざさず、自分の主張を「俺が俺が」と言い張らず、自分の生き方が温かく、明るくキラキラと輝いていて、そこに優しさや、愛を感じる事が出来れば、その後ろ姿に感動し、人は共感して下さいます。北風と太陽のお話のように。

 貴方は、ご自分の主義主張を人に押し付けてはいませんか?

 頼まれてもいないのに、人の生き方に口をはさんではいませんか?

 人の生き方を、良い悪い、高い低いで測り、ジャッジしていませんか?

 その正義感の底に、憎しみの心は潜んでいませんか?


2021年2月11日木曜日

2240「ウイルス」2021.2.11

 コロナ感染者数が急激に減って来ています。2月8日は宮城県で新たなコロナ感染者がゼロでした。2020年の8月26日以来約5か月半ぶりです。何故でしょうか?先ずは良きことです。

2021年02月08日にインフルエンザが消えた記事を2つ目にしましたので紹介します。


インフルエンザ感染者状況 1月も少なめ傾向  2021年02月05日16:16

厚生労働省によりますと、最新のインフルエンザ報告数(令和3年1月25日~1月31日)も前年同時期に比べて極端に少なくなっています。

●インフルエンザ報告数 未だ極端に少なく

厚生労働省が2月5日に発表した「インフルエンザの発生状況」によりますと、令和3年1月25日~1月31日のインフルエンザの指定医療機関の報告数は「64」と前年同時期の総数「89,436」に比べて0.1%未満で、極端に少ない状況が続いています。 

もう一つは「日本や世界や宇宙の動向」の2021年02月08日の記事です。

インフルエンザウイルスが北半球から消えた?

以下は2カ月前の記事になりますが。。。

今年の冬はインフルエンザの患者が殆どいないですね。

それと、マスコミは今年の花粉飛散量は例年の1.8倍くらいと報じていませんでしたか?

しかし実際の花粉飛散量はかなり少ないと思います。私も毎年この時期花粉に悩まされていますが、今年は症状がかなり軽いのです。

 どうして、昨年~今年は、インフルエンザ・ウイルスや花粉の大群が猛威を振るっていないのでしょうか。

 以前からオルターナティブ・メディアでは報じられていましたが、毎年、指定された時期にウイルスやアレルギー反応を起こす物質がケムトレイルで撒かれていたのだと思います。

誰が撒いていたのかと言えば、もちろんイルミのDSです。今でもケムトレイルを見かけるときがありますが、その量は激減しているなあと感じています。インフルエンザも花粉症もコロナも、全て意図的にばら撒かれていたのでしょう。ただ、ケムトレイルにはナノチップや他の有害物質が含まれていますから、これからはそれらを身体から徐々に排除する必要があるでしょう。

https://www.ournewearthnews.com/2020/12/01/flu-virus-has-gone-missing-in-northern-hemisphere-these-few-theories-will-shock-the-world/

(概要)

2020年12月1日付け


インフルエンザ・ウイルスが北半球から消えました。その理由は?

 0.1ミクロンのインフルエンザ・ウイルスが北半球で最後に確認されたのは2020年2月です。

 インフルエンザ・ウイルスがどこかに消えたことについては以下の理由が考えられます。

1. 最もあり得る理由として、コロナの感染者数を増やすためにインフルエンザの感染者もコロナ感染者としてカウントしている。

2. これまでのインフルエンザの感染者数は実際よりも多く盛られて発表されていた。衛生行政が発表する報告書は全て嘘ばかり。

3. インフルエンザの流行シーズンは不定であるのに、毎年同じ時期にインフルエンザの流行シーズンが発表されているのは、感染者数が捏造されているからだろう。

4. 1年間、空からケムトレイルでインフルエンザ・ウイルスを撒いて、最後の段階で(ウイルスが空中に充満したとき)インフルエンザの流行シーズンを作りだしている。 

5. 毎日のように有毒化学物質、菌、スマートダスト、重金属、他が含まれているケムトレイルが空から撒かれてきた。

6. 偽モノのワクチンを大量販売するために実存しない病気が創り出されている。

7. ワクチンを打っても効いたためしがない。彼らが示すデータは常に捏造されている。ワクチンを打たない方が身のためであることが証明されている。

8. インフルエンザ産業、ワクチン産業、コロナ産業は人類に対する戦争を仕掛けている。 

9.  ワクチンを打たなければならない理由は全くない。

10. DS(ディープステート)が世界からいなくなれば、インフルエンザ・ウイルスもコロナウイルスも他の医療詐欺もなくなる。

11. メッドベッドが一般に使われるようになると医療革命がおこる。これまで存在していたのは病気のためのケア・システムだった。しかし、これからは、健康のためのケア・ システムとなる。

12. これまでの医療システムは人々を健康にさせないためのシステムであり、彼らがやってきたことは医療詐欺である。病気になった人のみをケアするシステムだった。しかし病院は患者らに嘘をつき続け何度も通院させ患者らからお金を搾り取ってきた。 

13. ホンモノの医療システムとは、 愛、真実、公正、誠実、そして医療業界で最も恐れられている透明性に基づくものである。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52061698.html


 空が青空で綺麗になりウイルスも消えてくれることはありがたい事です。コロナウイルスも暖かくなるに従い消えていくのではないでしょうか。トランプさんの大掃除の仕上がり状況でしょう。期待したいものです。

 一方、コロナウイルスの変異株が日本各地で見つかっています。その原因は不明ですが、フランスのマクロン大統領のコメント記事を目にしました。


マクロン大統領が中国製ワクチンについて「このワクチンがコロナウィルスに適したものでない場合、新たな変異型の出現を促すのは確かだ」と発言し、ワクチンと変異型の出現の関係を事実上認めた。

「ウィルスをワクチンで制御するには最も適したワクチンの使用が重要」

https://t.co/IdrtxAQWF7 — p (@OdNezu) 2021年2月7日


変異株はコロナワクチンによるものの様です。日本でも早ければ2月に医療関係者、遅くても4月には高齢者へのワクチン接種が始まるようです。日本ではモデルナ製ワクチンを武田製薬が製造するようですので毒性は軽減するのではと言われますが要注意です。


 コロナワクチンについては以下に纏まった説明があります。

2021年2月9日知っておきたいコロナワクチン接種 手順や副作用は? 日経新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG026OW0S1A200C2000000/


 武田製薬も被験者実験が始まっています。

武田薬品、モデルナの新型コロナ向けワクチン候補の国内臨床試験を開始 

2021/01/21 16:05 https://news.mynavi.jp/article/20210121-1664644/

武田薬品工業は1月21日、米モデルナが開発してきた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)向けワクチン候補「TAK-919」の、国内における臨床第1/2相試験を開始したことを発表した。

同試験は、成人被験者200例を対象としてワクチンの安全性および免疫原性を評価するプラセボ対照試験。実施期間は2021年1月~2022年3月までを予定しており、1月21日に最初の被験者に治験薬の投与が行われたという。


 蛇足ですが、私は受けませんが、2021年2月9日に「ワクチンを打たなくて良い、正当な断り方。」の表記を見ました。簡単に紹介しておきます。

ワクチン接種を強要される可能性のある方に有効だそうです。自己責任で活用ください。

1、ワクチンの成分を聞く

MRC-5が入っているか?聞く。MRC-5は死亡した胎児細胞の事。確認出来たら断る権利が出る。

2、催吐性反応を聞く。

有害反応、副作用があると答えたら打たなくて良い。

3、ヒポクラテスの誓いを聞く。

  全ての医師はヒポクラテスの誓いを宣誓している。ヒポクラテスの誓いとは医者が患者に害を及ぼすことは絶対ありませんという誓い。

纏めると

①MRC-5が入っているか確認

②万が一での副作用の確認

③ヒポクラテスの誓いの確認

を確認して万が一でも副作用が出る可能性を医師が認めた場合は、その医療行為、ワクチン接種を断る権利が発生する。



2021年2月10日水曜日

2239「未来作り」2021.2.10

 今回は2021年2月5日に行われた第61回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会の令和3年2月時事解説・時局分析の藤原直哉理事長の講演の内容の概略を紹介します。

 詳しくは以下で確認ください。

https://nipponsaisei.jp/archives/297

(1)軍政下の米国でこれから何が起き、世界をどう変えるか 

・軍政下の米国は「何か」をしている

・世界にこれから何が起きそうか

・日本の政治はどう変わりそうか

(2)金融の根幹が変わる可能性がある 

・コロナで極限まで行きついた世界の投機が崩壊しつつある

・2種類のリセット。ベイルインかベイルアウトか、決定的局面にトランプが登場

・ベイルインでリセットする場合は何がどう変わりそうか

・マネーから現物への着地、何を現引きするかが最後の結論

・商業資本の経済から国家管理の経済へ

(3)アフターコロナへの備えはいかが? 

・アフターコロナは大不況から始まる

・足元のマイナーなトレンドが今後のメジャーなトレンドに転換する

・まだ見えてこない核心的イノベーション。全機密公開待ち

・遷移2年、最初の成功5年、新たな高度質的成長10年、全部入れ替わり20年

(4)未来づくりのために必要なこと 

・すべてはたまり場から 

・信仰心とヨコ型リーダーシップ

・新時代に向けた民衆のボトムアップ教育が必要


(1)軍政下の米国でこれから何が起き、世界をどう変えるか 

トランプ政権は軍事政権だ。悪党を一掃する。911の内情を暴き、その後に向けて動いている。悪党達と分かった方が楽だ。どうしようもない人達の後始末をする必要ない。それらは神の裁きに任せる。カナリア諸島の地震崩落で津波が起きたらニューヨーク、ワシントンDCがやられるだろう。

それはソドムとゴモラだ。人間が片付けても後で又同じ繰り返しだ。二度と起こさない様に神の裁きに持っていく。でないと終わらにならない。

トランプはじめ皆は神への信仰心が強い。悪党と分けるのが賢明だ。二度と繰り返さない為に。一切何も知らないで一瞬で消える。

こちらサイドに来る人と分ける。これから奇想天外なことになる。悪党を追っ払い、粛清の変化が起きる。1/3は神の裁きに持っていく。その段取りだ。だれを裁きの台に乗せるか。どうやって舞台に持っていくのか。そこに乗らない人は現引きする。バーチャル、紙の世界ではない。

1/3は再生をする。まともな人を集めてする。再建が大変だ。

先ず国外を抑える。ロシア、イラン、中国、日本、朝鮮の利権屋、ディープステートを排除する。今フリン将軍がアメリカ太平洋軍の司令官だ。

国内はエネルギー、食糧、住宅だ。それらは出来ていて自給できる。その先のイノベーションについてはお手並み拝見だ。復興に焦点を合わせる。選挙ではトランプが勝っているので出来る。

ダン・スカビノが先月、日の出の絵をサイトに上げていた。ダン・スカビノは天との通訳だ。既に決着がついている。悪者が逮捕されて終わりでない、再生が出来て初めて日の出だ。米国と同様な動きが世界中で起きる。


(2)金融の根幹が変わる可能性がある

金融も変わる。銀の投機に個人投資家が無数に動いている。アンコントロールで、個人が買いから入り、プロが空売りしたが、プロが負けた。暴落でゲームオーバー。獅子身中の虫に刺された。

ここにポイントがある。金融と軍はトランプが抑えている。

リセットするがベイルインとベイルアウトがある。ベイルインは自分達の仲間でお金を集めて処理すること。ベイルアウトは外からお金を入れて処理する事で、これがグレートリセットだ。リーマンショックの穴埋めを含めディープステートがこちらを目論んでいる。

2016年にトランプが大統領になった。ベイルインをする方針だ。その時にエプスタインのスキャンダル出た。それを利用して、悪党達に借金を払わせ、金持ちに穴埋めさせる。今回の投機は債務の穴埋めさせるものだ。それでも残ったものはソドムとゴモラにやらせる。

リセットで通貨が新しくなる。FRB,民間銀行を接収する。ドルをゼロに持っていくと海外の借金がゼロになる。

国が自立できるか。その後は借金したら元の木阿弥だ。輸入は高くし、制限して借金を増やさずに売れるものを売る。国内で生産し自給する。軍事技術の民間活用、転用で収入源にする。滅ぼした後が大変だ。

米軍を海外から引き揚げ、国内の本土防衛をする。そう切り替えると金がかからない。その浮いたお金を民政に回せる。コストを下げる。国内で地域ごとに株式する。国際商品は終わり。米国が変わると玉突き現象で世界も変わる。

自分で自国を立て直す。その為に話し合いだ。

 人間の裁きでは悪が復活するので駄目だ。神の裁きが必須だ。その様相が今月か来月で見えてくる。

 マネーは現物へ。金、銀、衣食住の現物へ。どの現物を引き寄せるかだ。何を現引きするかが最後の結論だ。

 どの様なノウハウで、どの仕事か。合法的に次を考える。しかし今の大企業には未来を感じない。中小企業もだ。

 白紙に絵を描く。どのような実力を持ち、仕事が役に立つか。お金で何を買うか決める。

 商業資本は国家管理になる。しかし今の様な管理ではなく、横の国家、地域での管理だ。


(3)アフターコロナへの備えはいかが? 

コロナが終わり、今の統制が終わり、国家管理が終わる。マイナンバーカード、ワクチン

の管理も終わる。これ迄の縦型管理が終わり、横の繋がりに変わる。新しい公が出てくる。

そして21世紀の国家像が出てくる。

 アフターコロナは大不況から始まる。コロナが終わると今までの支援の下支えが無くなり、経営が続かなくなり、終わる会社多くなる。それは銀行もだ。

銀行の選別、取引先を選ぶ様になり、融資が終わり、与信が縮小して行く。これから長期金利が上がって来るので大変になる。

 これからを見越してプランを考える

シナリオA:計画を立てて段取りして準備をする。

シナリオB:継続は諦め、他へ行って新たに始める

混乱期にどんなシナリオを立て、現引きをするか考える。これまでの足元のマイナーな事が大きなトレンドになり、メジャーになる可能性がある。

 これからのトレンド:エコロジー、ロハス、健康、光を観る(観光)

 今までのトレンドの逆になる。外から内へ、利回りから現物へ、見えるものから見えないものへ、と変わる。平成の30年間にマイナーでやっていた人がメジャーになる。この後半のマイナーがメジャーになり完成する。

新時代のメジャーはエコロジーで、持続可能性のトレンドだ。神の裁きが為されているので変な者がいないので邪魔が入らない。世界中が同時に変わる。前代未聞で絶対に元に戻らない。しかし信仰心を持ってやらないと出来ない。メジャーなトレンドもすっきりしたものになる。

核心的イノベーションは全機密公開待ちだ。それをゲームの道具に使っている。舞台に皆を集め、誘導する道具だ。たまげたものが出る。

今後の予測は

遷移に2年:悪党を分け、神の裁きを。この裁きがあるので早く、空前絶後のものになる。

最初の成功に3年(今から都合5年)

高度の質的成長に5年(今から都合10年)

全部入れ換えに10年(今から都合20年)


(4)未来づくりのために必要なこと 

たまり場が必要だ。これから5年、10年、余程、協力しないと出来ない。二元論では駄目。本来は一元論だ。エコロジー、自然も分け隔てないものだ。共生する。一元論で協力し、エコロジカルな楽園にする。

 既存の宗教の枠を超えるものが必要だ。新しい信仰へ、その為には人と天、自然が通じていないと廻らない。その為にたまり場が必要だ。

 日本は総選挙後が大変だ。ソドムとゴモラの後始末をする人が出てこないのではないか。

中央は難しい。政治は不安定、経営も不安定だ。地方は良い。皆でチームを作る。やるべきことを纏めてする。

 密室で、中枢の中でしては駄目。デクラス、機密解除が必要だ。これまでは人事、経理を担当した人間が社長になりやすい。社員のプライベートなこと、経理の詳細を知るものが社内の秘密を知り、そこに権力が生まれる。全ての秘密を無くすると利権が無くなる。

 日本も秘密が暴露される。オープンな場が陰の政府になる。中道で、時々左右でバランスを取る。世の中は振動する。それはある範囲内で起きる。問題が出た時、国会、役所、地域で片付かないのでたまり場が必要だ。

そこでは信仰心が必要で、天とまつり合うこと。まつり合わないとたまり場を運営出来ない。横型リーダーシップで中心に誰かが居ないと運営出来ない。色々な人が来て、オープンなモノを作り、そこの場がエンジンになり、ここから何かが生まれていく。それが無いと駄目だ。

 そして民衆によるボトムアップ教育が必要だ。礼儀、敬語、良い話を聴く教育、そして実践で肚を磨くこと。自立して横に繋がる民衆だ。

日本は民の国で、民の自立と横の連帯で国を作る。ボトムアップで自分達で教え、成長していく体制を作る。色々な事が歴史の中に書いてある。武人から民衆に移行していく。

 トランプ劇場は3段階で、悪党を仕分けし、神の裁きを受け、創造システムを作る。これは半年で見えてくる。それを見て行動していく。今回の神の裁きが一番凄いことだ。