今回は「いっぷくからありがとう」さの2021年02月21日の記事を紹介します。
神仕組みに気づく
特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、外応をキャッチされるのをお勧めします。また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。それは、そのことを特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、そんな下世話な意味ではありません。
そのあたりのことを小林正観さんが書いていますのでご紹介します。
<引用開始> 引用元
偶然を書きためる
神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。
・偶然のようで 偶然に起こった現象。
・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。
これら偶然を書きためます。
正観さんは、40年で1000件。1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。
・色々な偶然を面白がる。
・その際、他人の評価は気にしない。
自分が面白いと感じたもの。それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。
・例えば落ち込んだりした時
・自己嫌悪に陥ったりとか
・嫌味を言われたときなど
ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。
そうすると、それらは、決して偶然ではなく全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・神々の意図を感じることができるからです。
そうすると「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです。
多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか愛されているかということに気づきます。
講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。
「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」
このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。
その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、講演会の最中にけたたましくなったのです。
不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。
この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。
正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。
正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。
お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。
仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。走っていて偶然にある車のすぐ後についた。その車の ナンバープレート 1259。運転していた人が喜んで教えてくれた。
その瞬間 時計を見ると12時59分。わ~~~おと声をあげた。
ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。
自分だけで、
・随分神さまに愛されているね。
・人生は面白いね。
と、そう感じるだけで結構です。
その結果、神様は、
・面白がる人には どんどん面白がる現象を
・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を
・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。
さらに大事なことは、感謝したがる人には次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。
その時、質問がありました。
「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」
すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。
「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。
実は神さまからもの凄く愛されている人だけが肉体をもらってこの世に人間として生まれている。肉体を持って生まれたい魂が800億。その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。その7%くらいの魂が地球に生まれてる。
その魂、つまり私たちは神さまにお願いして お願いして 頼んで 頼んで生まれさせてもらってきた。神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。
その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい。
不機嫌でいると体が壊れやすい。地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。
喜んで楽しんでいる人は寿命も長く、健康でいやすくなります。
すべての人間は、神さまに好かれている。
しかし、このことを知ってるか知らないでいるかで、人生変わってしまう。
「神様に好かれている」これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。日本人では1万人。死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。
聞く聞かないで、人生観が変わります。
<引用終了>
彌彦神社 一の鳥居 鳥居が浮いているのがわかりますか?
神様は、様々なところにいらっしゃり様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか。偶然とかたずけて、無視するか?
放っておけばよいものを神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、馬鹿にし、否定し、せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を神さまから引きはがしてしまうのか?人それぞれです。
ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ感謝して喜ぶ人は、きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。
偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと眉間にしわを寄せている生きる人は
もしかしたら、神々の手を自らはねのけてしまっているかもレません。