2021年2月16日火曜日

2244「災難」2021.2.16

 2021年2月13日深夜、地震がありました。大きな揺れで目覚めて起きましたが、かなり激しい揺れが長く続きました。以下の様に報道されています。

「土曜日13日(2021年2月)の深夜、福島、宮城県を襲った最大震度6強の地震は、気象庁は発表ではなんと10年前の東日本大震災の「余震」だという。政府の地震調査委員会は、東日本大震災の余震が「あと10年間は続く」という見解だ。

  地震は13日午後11時7分に発生、震源は福島沖で、10年前の震源より南西寄りで陸に近く、深さ55キロ、マグニチュード7.3だった。東日本大震災はM9.0だったが、今回は「かなり強く、長い間揺れた」という声が多く、北海道から中国地方まで広範囲に揺れた。停電は、横浜市や千葉県内など首都圏も含めて約95万戸に広がった。体が感じる揺れとしては今回の地震は1分40秒間で、東日本大震災の3分40秒間よりも短かった。東北新幹線の全線復旧には10日間ほどかかる見込みだ。」


 今回の地震では私の部屋がかなり散乱しました。部屋の本が落ち、植物の鉢、石の置物がひっくり返り、本箱は20センチ強移動して足の踏み場が無い状態でした。10年前の311地震の時よりは軽度でしたが、夜が明けて後で気が付いたのですが窓ガラスも外れて壊れていました。

 地震後直ぐに片付け始めましたが、丸々1日掛かりの作業で他の部屋も含めて、未だ完了出来ていません。生じた被害について思いも湧かず、起きたんだという感じで淡々と目の前の作業を行いました。月曜日朝には私の部屋はどうにか様になりましたが、窓は板で打ち付けです。パソコンも明けずにいましたが、なぜか日曜日午後に気が付いたら10年近く愛用している携帯電話、ガラケーが無反応で画面が真っ黒です。

 壊れた家電製品を買いに日が暮れてから電気屋さんに出向き、閉店間際のドコモショップでガラケー携帯を購入し、充実した1日になりました。前日はほとんど眠っていませんでしたので日曜日は熟睡です。


 後で調べたら今回の地震は自然災害ではなさそうです。地震が発生する前に停電が起きていたり、発生後直ぐに津波の発生はないとアナウンスがあったり、23時8分地震発生1分後の23時9分に総理大臣官邸の危機管理センターに対策室を設置しているのです。さも地震が起きる事を分かっていた風です。311東日本大震災の余震というのですが今後10年も余震が起きる可能性があるというのです。そもそもプレートテクトニクス理論は仮説でありその説明には疑問です。

 更に地震発生時の発光の映像に遭遇しました。「(真)日本の黒い霧」の2021年2月14日の記事の1部分を抜粋して紹介します。

http://adoi.hatenablog.com/

 

画像1:地震に伴う発光現象(NHKのライブ放送から)

画像2:発光現象は次々と(ツイートより、NHKライブ放送録画)

「画像2は上から時系列で並べています。1分以内に次々と発光が起きているのが分かるでしょう。最初の画像はビルの手前が明るくなっていることより、カメラ後方で発光現象が起きていることを示しています。

これを専門用語で地震光と言うそうですが、最近頻発している火球とも見紛う明るさです。しかもこんなツイートまで。本当に自然現象なのでしょうか?」


 このサイトの2019年8月5日 の「宮城でまた地震-地震は人為的に起こされる」記事に更に地震への見解を述べていて、最後に以下の様に纏めています。

「以上より、私の結論はこうなります。今も昔も、全ての地震は人工的である と。そして、次に問題となるのは、ミニ震源を揺らすメカニズムと、中世の大地震など科学史的な観点による状況の説明です。これらについては現在解明中であり、近々その詳細をお伝えできるかもしれません。

 * * *

 先の東日本大震災はもちろんのこと、100年近く前の関東大震災も人為により行われたと私は見ています。来るぞ来るぞと警告が続いている東南海地震も、やはりボタンのスイッチを押さなければやってくるような地震ではないでしょう。地震への恐怖が莫大な公共投資・民間投資を生み、実際に大地震がくれば多くの犠牲者を生むとともに、巨大な建設需要が転がり込みます。現在の東京も、大地震があったおかげで大規模な区画整理ができたことを忘れてはなりません。

 この地震発生メカニズムと制御テクノロジーを理解したとき、私たち日本人は地震の恐怖から完全解放されるのだと思います。最近になってそのメカニズムの一端が見えてきたこと、また、それに干渉する術が少しずつ分かってきました。全面解放の日は意外と近いのではないかと予想してます。」

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/d41ddcc428df737affaf0300f1c6a64d


 コロナ感染の蔓延で東京オリンピックの開催は中止の様に思っていましたが、森元会長の失言問題で2月12日に辞任が決まり、地震も起きていよいよ開催は中止でしょう。今回の地震で90万戸が停電とのことですが、最近は米国大統領選挙絡みなのか世界各地で停電後に何かが行われているようです。日本でも何かが進行しているのでしょうか。

 私が災難で思う言葉は良寛さんの災難除けの法です。以下紹介します。


【良寛の言葉】災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

地震や台風、大雪に噴火。

個人の力などでは到底太刀打ちすることのできない圧倒的強大な自然の力の前に、人は何ができるのか。どれだけ頭をひねって予防に努めても、自然災害を完全に防ぐことなどできないという不可避性に、災害の恐ろしさを思わずにはいられない。

天災とはよくいったもので、要するにそれは人間が制御することのできない「天」の範疇に属するものであるということなのだろう。端的に、「天」は「人」の範疇を超えている。

そんな災害が起きるたびに、ふと思い出す言葉がある。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉である。

天に対する人の対応の妙を簡潔に述べた、なかなか考えさせられる言葉だ。

この言葉は、良寛和尚が知人の山田杜皐へ送った手紙に記されたものなのだが、それにはこんなエピソードがある。

三条地震

1828年12月。良寛和尚が71歳の時、新潟県三条市付近で大地震が発生した。のちに三条地震と呼ばれる大地震である。被害の全容は全潰12000軒以上、死者1500名以上。火災によって焼失した家屋も相当な件数にのぼったという。そんな三条市のすぐ南に位置する長岡市に、良寛和尚の父親が生まれた与板という町がある。

 ここには良寛と親しい間柄にある知人が何人もいたが、とりわけ酒造業を営んでいた山田杜皐は良寛和尚を「蛍」とあだ名でよぶほどの仲の良い間柄であった。

三条地震が発生したとき、杜皐が暮らす与板もやはり甚大な被害に見舞われた。しかも悲しいことに、杜皐はこの地震で子どもを亡くしてしまった。しかし杜皐は、そうした自分たちの被害もさることながら、同じく被害に遭ったであろう良寛が無事でいるかを心配に思い、良寛に見舞いの手紙を送った。手紙を受け取った良寛は、幸いにも無事だった。そこで自分が無事であることを伝えるため、すぐに杜皐へ返信の手紙を送るのだが、その末尾に添えられたのが上記の「災難に遭う時節には……」の言葉なのである。

ちなみに、手紙の前半は次のようになっている。 

「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。

うちつけに死なば死なずに永らえて かかる憂きめを見るがわびしさ」

地震に遭った杜皐の境遇を憐れみ、自分は無事でいることを伝え、そして歌を一首したためた。

 人生を生きながらえてきてしまったことで、人々が悲しみに打ちひしがれる姿も多く目にすることとなった。やるせない思いでいる。

 そんな意味合いだろうか。そしてこのあとに件の言葉が続く。

「しかし災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 良寛」


非情か?

この言葉を読んで、「なんて冷たい言葉だ」と感じた人はきっと少なくないと思う。おそらくは「人間、誰だって災難に遭うもんだ」と、なんだか突き放すような、「しょうがない」「どうしようもない」という雰囲気の言葉に読み取れてしまうからだろう。

 そりゃ間違ったことは言ってないけど、正しいことを言えばいいってもんでもないでしょ、と、デリカシーに欠ける言葉だと感じる人もいるかもしれない。

正直なところ、実際に災害に遭った方々にこの言葉を伝えるのは難しいと思う。

「災難に遭えばいい」と聞こえてしまう言葉は、たとえそこにどのような意図が含まれているにせよ、相手を傷つける可能性を有してしまっていると考えたほうがいい。

 すでに信頼関係が構築されている間柄だとか、言葉を理解してもらえる土壌が整備された状態であれば伝わるかもしれないが、そうでなければ軽はずみに口にするべき言葉ではないように思う。 

ただそれでも、もし自分が災害に遭ったときには、きっとこの良寛和尚の言葉を杖にして生きるのではないかと私は思っている。万人に受け入れられる言葉ではないかもしれないが、少なくとも私はこの言葉を酷だとは思わない。

 人が抱く「苦」という感情の真実を言っているからだ。災難から逃れるための真実、災難に苦悩しない真実、厭うことで苦悩が生じるという、苦悩の真実を示した言葉であるからだ。


災難が災難になるとき

災難が降りかかるときは、降りかかるしかない。死が免れないのなら、死を受け入れるしかない。そうした現実を認めたくない、受け入れたくないと思い、現実を「厭う」という感情から、人の苦悩ははじまる。それが仏教における「苦」の理解の第一歩である。

災難を受け入れたくないと思うことで、「地震」は「災難」と認識される。災難を受け入れることで、地震は「災難」から「地震」へと本来の姿に戻る。たとえ地震から逃れる方法がないとしても、災難から逃れる方法はあるのだ。良寛和尚が言うように、災難に遭うときは災難に遭う。すでに災難に遭ってしまっているのに、遭いたくないと思ってしまうことで苦悩が生じるのなら、遭ってしまった災難を受け入れよう。災難とは、それを災難と受け取ったときに生じるものであって、地震を災難と認識しなければ地震は災難にはなりえない。

だから、災害によって家を「壊された」と恨むのではなく、災害によって「壊れた」と、ただありのままに受け取ろうというのが良寛和尚の言いたい姿勢なのではないか。

 良寛和尚の言う「災難から逃れる妙法」とは、天の事柄である「地震」を、人の事柄である「災難」にしない認識方法なのだと私は思う。

一読すると冷たいように感じられる言葉かもしれないが、なにも良寛和尚は後世に残そうとか、万人に伝えようなどと思って手紙にこの言葉を書いたのではない。


相手が杜皐だから書いたのだ

言葉の真意を理解してもらえる間柄であるとの信頼関係があったからこその言葉なのだ

と受け取るべきではないか。時に「デリカシーに欠けた手紙のやりとり」と批判されること

さえある言葉であるが、こうしたやりとりができる2人の間柄を、私はほとんど羨ましいと

さえ思う。」

https://www.zen-essay.com/entry/sainan


 最後に私の部屋の災難後と復活後の写真を紹介します。