今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月13日の記事を紹介します。
「死者と生者の仲良し時間」
このブログでは、元気はつらつの方へと言うよりは、悩みや苦しみの中で生きる人たち
鬱々とした、生きづらさを感じながら生きる人たち向けに書いています。
昔からの読者の方もいらっしゃれば、その発する波動に呼ばれていらっしゃる方も居ます。
そのような中で感じることは、※共通の波動を感じるのですが。
・憎しみの心を手放せばよいのに・・
・自分のことばかり考えていないで、自分のことなどすっかり忘れ、身近な周りの人の
本当の笑顔のために、がむしゃらに動いてみればよいのに・・
そんな風によく思います。そうした途端、一気に自分が幸せになれると思うのです。
まさに日々の考え方、思考の癖を少し変えてみるだけです。
言うは易く行うは難し・・ですが。
さて、ここのブログを読んでくださっている皆さんの中にも、お子様を早くに亡くされた親御さんが沢山いらっしゃいます。私も子を持つ親ですので、お気持ちは、よくわかります。
今日は「死者と生者の仲良し時間」ということで、昨年掲載した記事に加筆・修正してご紹介します。病気で早くに亡くなった、お子さんのお話です。
「仲良し時間」とは、聖心女子大学教授でシスターでもある鈴木秀子さんの著書「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。
彼女の「死者と生者の仲良し時間」の本の中に「けんちゃんからの贈り物」という文章が書かれていますのでご紹介します。
<転載開始> 転載元
けんちゃんは6歳で白血病でした。ある日、お母さんの友人がお見舞にきて『死にゆく者からの言葉』 (鈴木秀子さんの著作) という本を渡してくれました。
お母さんは「読んでいるうちに涙が止まらなくなり徹夜して読み上げた時、不思議な力で他人への不信感が払われ、人への信頼感が深まり、自分が変わったと強く感じ、心の底から温かさがあふれてきたそうです。人との繋がりというものを確信をもって感じ初めました。
そこでけんちゃんの担当の3人のお医者さんに、この本を読んでもらいたいとの強い希望を持ちました。
こういう題名の本が医師たちに、どう受け取られるかという懸念もありましたが、それでも先生方にこの本を読んで下さいと手渡すことができました。
しかしどの先生も、その本については言及することはなく、やっぱり読んでくださらなかったのかとちょっとがっかりした気持ちでいました。そして、けんちゃんが亡くなり、遺体は夜の八時ごろ家に帰っていました。誰も訪問する人はなかったのですが、夜10時すぎにその3人のお医者さんがお悔やみに訪れてくださいました。
眠っているように横たわるけんちゃんの傍に、3人の先生たちは黙って座ったまま、けんちゃんを見つめていました。お母さんが、もう終電車の時間じゃないかしらと思った時、一番若い先生が口を開いて話し始めたのです。
「僕とけんちゃんは仲良し時間を持ったんですよ」
「仲良し時間」とは、鈴木秀子著の「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。
死期の近づいた病人が、その死の直前、急に元気を取り戻して、あたかも回復したように思われることがあります。
その間、病人はさりげないかたちで、言い残したり、したいと思ったことを成し遂げたりするのです。
世を去るにあたっての準備の時間、和解し、愛を分かち合う時間、そうした死の前のひとときは、一部の医療関係者の間で、「仲良し時間」と呼ばれています。
亡くなる2週間前の出来事でしたが、けんちゃんは、苦い薬を水で流し込んでいたところでした。
どうしたわけか「けんちゃん、先生のど渇いているんだ」という言葉が、何気なくふと口をついて出ました。けんちゃんは、水のまだいっぱい入ったコップを差し出し、無邪気そのものの顔で、「先生、これ飲めば」といったんです。
その時、けんちゃんに必要なのは、そのコップの水でした。でもけんちゃんは、それを僕にくれようとしたんです」
午前1時をまわっても、先生たちは帰りませんでした。
そこは死者の家というより、まるで心と心が交わる、温かい場所に変わっていました。
そして二人目の先生も仲良し時間を持ったと話し始めました。
「けんちゃんが亡くなる1週間前のことでしたが、お尻に太い注射をして、「痛いよ、痛いよ」とけんちゃんが訴えるので僕は思わず「ごめん、ごめん」といったんですね」
けんちゃんは笑顔を僕の方に向けて、無邪気で素直な声でこういったんです。
「いいよ、先生、許してあげるよ」
「それを聞いた瞬間、僕は全世界から許されたような気がしました、僕のいままでの人生の中でおかした過ちや愚かさや悲惨な罪でさえ、すべて許されたおもいでした。」
「そうだ。僕はこの世に生きていることを許されているんだ。自分の存在が許されるということが、どんなに大きな価値をもつことか、まざまざとわかったのです」
お母さんは「この先生も、けんちゃんが言ったことを文字通りに受けとめてくれたんだ。
そして、けんちゃんを一人の病人としてではなく、一人の人間として最後まで付き合ってくれたんだ」と感謝しました。
明け方近くになり、一番年輩の先生がふっと口を開きました。亡くなる前日の午後でした。
けんちゃんに慰めや励ましの言葉は出ず、自分でも予期しないのに、「けんちゃん、先生疲れているんだ」と言ってしまったんです。
けんちゃんは大きな目を見開きましたが、両目に光が差し込むのがありありと感じられました。
息がもう尽きそうなけんちゃんが、必死で体をずらして、長い時間をかけ、ついにベッドの上端にたどりついて、両足と両腕を曲げ、小さく丸まっていました。
けんちゃんのあえいでいた息が静まると、にっこり笑って、大きな目で広く空いたベッドを指し示して、「先生、ここに寝れば」とけんちゃんは声をかけてくれました。
息子を失った悲しみは深いものでしたが、その夫婦は3人の先生に見守られながら、この世での使命を果たし終えた息子が天に帰ったという、不思議な慰めも感じていたのでした。
そうした慰めに気づくと、子供を失った寂しさよりも、自分たちにけんちゃんという子供が、
6年間も預けられたことへの有り難さが、両親の心にわき起こったのでした。
「一人息子をなくして悲しいし寂しいけど、もっと深いところで感謝と喜びを感じています。人生は長さだけでは計れないものですね。けんちゃんは、親である私たちに、人間として一番素晴らしい贈り物をしてくれたと思うのです。最高の親孝行息子でした」
<転載終了>
私も若いころ母を亡くしました。がんでした。病状が悪化し、私たち家族の住む中核都市の大きな病院に転院してきていましたので、毎日顔を出すことができました。
そして亡くなる3日くらい前に行った時、不思議な光景を目にしたのです。
部屋全体が神々しい光に満たされているのです。
ベッドに座った母は微笑んでいました。それはまるで仏さまのよう。
きっとこれが、死を目前に控えた人の、あの世とこの世の繋がった瞬間かもしれません。
まさに、仲良し時間そのものでした。きっと人間にはそんな瞬間が誰にでもあるのですね。
もうこの状態の時は、無意識の内に死の覚悟はできているのかもしれません。
残された家族は、どんな形でも良いので、何とか死から引き離そうと、沢山のチューブに繋がれるようなこともある延命措置を望むようですが、もう向こうの世界と繋がっている本人はもしかしたらそれを望んでいない人も、多いかもしれません。
例え肉体は死しても、その精神や意識は永遠です。また逢える日もあることでしょう。
私たち残されたものの願いではなく、これから死に向かおうとしている方々の意思を尊重して差し上げたいものです。
数え切れないほどの死にゆく方々の臨終に立ち会った鈴木秀子さんが仰るには、この状態の時には、既に死を受容したうえで、残された人々に感謝の気持ちを伝えたいと願う方々が多いそうです。
そして静かに向こうの世界に帰りたいと思う方が多いそうなのです。
私たちは、死を意識して生きて行くことで、日々の暮らしの中で、身近な人々を、大切にできるのかもしれませんね。