2021年6月23日水曜日

2371「青空ひろば」2021.6.23

 今回は立花大敬さんのワンディーメッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。


358 2021.06.15 

もしあなたが<今・ココ・我が身>に落ち着けず、過去や未来や他の場所にフラフラ漂っているとすれば、あなたが住んでいる部屋や家の中も、きっと雑然として乱れているはずです。

あなたが住まう部屋や家は、あなたの魂の状態の「うつし」だからです。

ですから、部屋や家のなかを丁寧に清掃したり整理整頓すると、あなたの魂も整理整頓されて、遊離していた断片の魂もあなたの中の、ふさわしい居場所に復帰することができるようになります。私は、この「整理整頓法」は、自分が自分に落ち着くための、とても有効な精神技法だと思います。


359 2021.06.16 

魂(意識)が過去に分離すると、「後悔」や「怒り」や「自己否定」の念に魂を奪われ、その魂の断片が「今・ココ・自身」の戻って来れなくなります。

魂(意識)が未来に漂うと、「不安」や「恐怖」や「あせり」に魂を奪われ、「今・ココ・自身」に戻って来れなくなります。

魂(意識)が憎んでいる他者や世界に固着して、そこから眼をそらすことが出来なくなると、あなた自身の負の想念を世界や他人に鏡のように映し出して、あなたを敵意を持って取り囲んでいるかのような被害妄想に襲われます。

つまり、人の魂が時間的に過去や未来に、空間的に世界や他人に漂い出すと不幸になり、「今・ココ・自身」にしっかり鎮まると、神としての本来の自分が発動して、生きがいのある幸せな人生を送ることが出来るようになるのです。

そうなれた時に宿る神さまを「アメ(大宇宙)のミナカヌシ(中心者)」といいます。

つまり、過去や未来や世界や他者に魂がフラフラこびり付かなければ、その「今・ココ・自身」が、大宇宙の中心となり、あなたはこの宇宙の主宰者となるのです。


360 2021.06.19 

アップル社の創始者の一人、スティーブン・ポール・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で行った有名な講演の要約です。

人生を正しく生きることは、先を見通せない「点(これが「今・ココ・自身」ですね)」を精一杯生きることなのだ。

私たちには、人生のこれから先がちっとも見通せず、それらの「点」が未来にどう結実するかなんて分かるはずがない!

しかし、その「点」、「点」をしっかり生きていれば、やがてその「点」と「点」が有機的につながってきて、ついにすべての「点」が、「今」の成果につながってくることが分かるだろう。

だから自分を信じて、「今・ココ・自身」の出会いを精一杯生きてゆけば、それでいいんだと卒業して、社会に巣立ってゆこうとしている学生たちにアドバイスしておられるのです。


361 2021.06.20 

ジョブズさんは、自身のこんな例をあげておられます。

ジョブズさんは、両親の経済状態が苦しくなって大学を中退する決心をしました。そうなった時、大学の講義がとても面白くなったと言うのです。

もう単位のことなんか気にする必要がなくなったので、面白そうな講義だけを選んで受けていたら18ケ月も大学に居続けることになってしまったそうです。

友達の部屋の床に寝て、食事は何キロも歩いて、無料提供してくれるヒンズー教の寺院に行かねばならなかったそうなのですが…。

それらの授業のうちの一つに「カリグラフィー(英語の書道、筆法)」がありました。

なぜかその授業が面白くて、英語のさまざまな書体の習字をひたすら繰り返したそうです。

しかし、それが自分の将来にどう生きてくるのかなんて、まったく分からなかったのですが…。

後年、父親のガレージで友達と会社を立ち上げて、パソコンを製作することになった時、その「カリグラフィー」の知識が生きてきて、当時としては画期的な、沢山の書体を取り揃え、文字間隔なども調節できるパソコンが完成しました。

無関係のように見えていた「点」と「点」が見事に結ばれたわけですね。

自分には、自分の人生の全体が見通すことが出来ないはずなのに、どうしてジョブズさんは、このように「点」と「点」を結ぶことができたのでしょうか。

それは、人生のわずか一瞬の「点」をおろそかにせず、過去や未来や世界や他者に魂を奪われず、その一点、一点に「我がいのちの全体重」をしっかり載せて生きて来られたからなのだと思います。

私たちには、人生を見通すことはできませんが、「今・ココ・自身」をしっかり生きていれば、あたかも人生全体を見通していたかのような人生を送れることになるということです。

なぜそうなるのかといえば、あなたの「今・ココ・自身」の上には、常に神様がいらっしゃって(「最高次元のあなた」がいらっしゃると言ってもよい)、その神がすべての時と場所を一目でご覧になっていて、点と点をつないで下さるからです。この神さまを「高見結び(タカミムスビ)の神」と言います。


353 2021.06.09

人の意念にはいのちが宿るのです。

「いのち」とは「意の霊(ち)」で、人が「意」を注いだモノには必ず「いのち」がこもります。

伊勢の遷宮では日本人全員の崇敬と協力したいという純粋な意念が伊勢の神さまに集中するので、その強い意念が伊勢の神さまの「いのち」を二十年に一度、復活させ増幅させることになるのです。つまり、「人によって神の威力が増す」ということがあるのです。

それに、伊勢神宮では、膨大な日々の祈りの行事が定められた作法通りに、心をこめて執り行われています。神官の方たちのそのような敬虔な取り組みの積み重ねも神さまの威力を増す作用となっているのです。


354 2021.06.10 

福岡に小さな神社があります。そこに参拝したとき、霊感を持つある方が「この神社は栄えますよ」とおっしゃいました。

理由を尋ねると、「この神社の神域の波動はとても清浄です。これは、日々の掃除をよっぽど丁寧に心をこめて行わないと、こんなに清らかな波動の神域を保つことはできません。神域がこんな状態なのですから、神前での日々のお勤めもきっと丁寧に滞りなく行われているはずです。そんなであれば、「神力」が増して参拝する人も増えるだろうし、その参拝する多くの人たちの敬虔な意念もさらに「神さまの威力」を増幅させて、ますます人が集まるようになってくるものですよ」とおっしゃいました。

薄汚くさびれた神社の神さまは、たとえ神さまがまだいらっしゃっても、世話する神官もいないし、参拝の人も集まらないしでますます神力が弱くなってゆくものです。そのうち、嫌気がさした神さまは出て行かれます。

そして、薄汚い波動にふさわしい低級霊たちが集まって住むことになるので、そんな神社に参拝すると、ますます運が悪くなってしまいます。

「神さまの威力は、その半分は人の崇敬の念が作り上げてゆくものだ」ということを忘れないようにしましょう


351 2021.06.07 

スエーデンボルグによると、天界には3段階のレベルの世界があって、それぞれの世界に神殿があり、下の世界ほど神殿は堅固で飾りが多く輝かしい「石造り」だそうです。その重厚さと壮麗さを下の天界の住人達は喜び、他のグループの人をその豪華さでひれ伏させようという「勝ち負けの精神」がまだその世界の住人たちには残存しているわけですね。

しかし、上の天界にゆくほど、神殿の造りは軽やかになってゆき、最高天界では、神殿は簡素にすらみえる「木造り」だったと報告しています。低い天界の住人の波動は「石」にふさわしく、高い天界の住人の波動は「木」にふさわしいのだそうです。

この記事を読んだとき、私は『これは伊勢神宮のことじゃないか!』と驚きました。伊勢神宮は最高天界にある神殿の、地上界における「うつし(移し、映し)」なのですね。ですから、伊勢神宮にお参りすると、最高天界の神々にあなたの祈りが届くのです。


352 2021.06.08 

スウェーデンボルグによると、天界と地上界は「相応」の関係があって、天界のあらゆる善きものに相当する「うつし(映し・写し・移し)」のモノが必ず地上界にもあるそうです(ですから、古人は現世のことを「うつし世」と言いました)。

たとえば、地上界の素晴らしい芸術作品は、天上界のそれの「うつし」なのです。

もちろん、天上界にある原作品は、地上界のそれの何万倍もの美しさなのですけれど…。しかし、その二つは「相応」の関係にあって霊的につながっているので、地上界の作品を鑑賞すると、天上界の原作品の波動にもアクセスできるので、鑑賞者の心境次第では、地上界の作品を通して、それに相応する天上界の、何万倍もの素晴らしい作品の「美」を体験することもできるのです。


345 2021.06.01 

伊勢神宮に参拝して新生して以来、何か「大きな流れ」に浮かんで運ばれていっているような感じ(フロー感覚)が、私には常にあります。

それは『こっちに進みなさい』という神のご意志がつくりだしている流れであると思います。

その流れに逆らわず、身を任せて浮かんで運ばれて行けば、驚くほどスムースに事が運び、ピタッピタッとタイミングよく事が解決してゆくのです。

無理・無駄な努力が必要なくなり、心身ともにとても楽になって、最小限の労力で最大限の成果が上がるようになります。

私はこの状態を「神流楽(かんながら)」と呼んでいます。


348 2021.06.04 

<こうすれば願いが叶う>

どうすれば、「神流楽」の状態で生きることができるのでしょうか。思いつくままに箇条書きにしてみました。

(1)神さまと親しくなりましょう。

神社に何度も参拝したり、祝詞を称えたり、古事記を音読したりして、そのひびきに耳を澄ませていると、次第にあなたの心が清められ、神さまの波動を感受しやすくなります。そうすると、神さまは、コトバやイメージ(インスピレーション)を使ってあなたがこれから歩むべき道を教えてくださったり、あるいは外側から「ハッピー・ハプニング(予想外のしあわせな出来事、セレンディピティのこと)」にあなたが出会うように仕向けて下さって、あなたが神の望む方向に自然に進んでゆけるようにして下さいます。

(2)神社参拝では一連の作法を丁寧に行いましょう。

鳥居をくぐる際の礼からはじまって、手水所で手と口をすすぎ、神前での礼と拍手の回数や順序など…、それらの作法(ルーティンワーク)は伝統に従って心をこめて行いましょう。

無心に作法してゆくと、心の乱れが次第におさまって、神さまの波動を感受しやすくなります。そうして、あなたの頑な心がほどけて、神の波動を受け入れることが出来ようになり、その神の波動に共鳴してあなたの心もまた振動するようになったら、もうしめたものです。

あなたの心の振動があなたが住む世界を生み出すのですから、神さまの思し召しの通りの世界環境があなたのまわりに出来始めます。そうして、あなたに無理・無駄なくいのちの可能性を開発してゆけるような、生きがいがある、しあわせな人生が展開しはじめるのです。

(3)眼が釣りあがっているような、絶対に叶えてもらわねばならないと思い詰めているような余裕のない願いは、その思い入れが強すぎる間は叶いません。

もちろん、人は弱いもので、神様はどんな願いを持ち込んで参拝してもいいよとお許しになりますが、参拝を繰り返すうちに、次第に心が静まって『私にはどうなるのが一番いいことなのか結局のところ分かりません。もう神さまに一切をお任せします、御心のままになさってください』という「手放し」の心境に多少でもなれた時にはじめて願いが叶うものなのです。


347 2021.06.03

<チョキ・グー・パー>

ジャンケン大会に参加する機会がありました。その時に、『チョキ→グー→パーの順に出せ』というインスピレーションがやってきて、その指令の通り、機械的に順繰りに出していったら、勝ち続けてついに優勝して商品をもらったということがありました。

なぜ優勝出来たのか考えてみると、『ああ、これは「思いの実現法」についてのメッセージなんだなあ』と気づきました。

まず、「チョキ」で、チョキチョキと過去を切り取ります。思いが実現出来ないのは、過去の失敗体験やつらい経験などに対する「負の感情」が足を引っ張ってゴールまで行かせないという事が多いのです。そのような「負の想念」をチョキチョキと切り取ります。

そして、「グー」で、しっかり目標を握り締めます。集中過程ですね。

最後に、「パー」と手放してやります。 

「グー」の過程は出来るけれど、この「パー」と手放す、忘れることが出来ないと、想いは現実化できません。真面目に努力しているのに、なかなか思うように事が運ばないという方は、この「パー」と手放す、気を逸らせるという事がヘタなのです。


344 2021.05.31

何のために生きていますか。

「自分さえよければそれでいい」という小さな枠の中で生きていると、その枠組みの中のわずかな能力しか使えません。

「自分だけ」という枠組みを超えて、「出来るだけ多くの人をしあわせにしたい」という大きな志を持てば、その大きな志の枠組みの内側に含まれる人たちをしあわせにするために必要なたくさんの能力はすべてあなたのものとして使えるようになります。


340 2021.05.26 

いのちの道行きには、いろんな風景があります。

すばらしい高みにのぼって、神のごとき視界を得る時もあれば、ミミズのごとく大地に這いずりまわって、泥だらけになる時もあります。

それら全部を含めて“自分”なんです。

ある状態の自分を認めて、ある状態の自分を否定するということになれば、自分を半分に切断するということになってしまいます。そうなると“自分”が出血多量で死んでしまいます。

この自分も、あの自分も、全部ひっくるめて、“自分”なのですから、そのすべての自分を認め、許し、受け入れてゆくことが大切なのです。


338 2021.05.24 

『自分をゆるし、人をゆるし…』という五井先生の言葉がありますね。

“許す”とは、“ゆるく”することです。

心をゆるくし、体をゆるくしてゆくと、自然に自分や人が許せるようになってきます。

難しいことを考えたり、工夫したりしないで、ただ坐禅という姿勢をとりさえすれば、勝手に身も心もほどけてきて、自分も人も世界も許せるようになるのですから、本当にありがたいことです。それに他の行法のような副作用はありませんし…。

しかし、目をつり上げてする坐禅は、副作用が生じることがあるので、要注意です。なで肩の、垂れ目の、微笑みの坐禅を目指してください。


337 2021.05.23

身と心をほどくのに一番有効なのは“坐禅”です。

私は坐禅の時、何かに集中したりしません。ただ、何となく坐っているだけです。

心の結ぼれをほどこう、こだわりをやめようとしても、できるもんじゃありません。

そういう努力がますます心の結ぼれを増してしまいます。

ですから、私は坐禅の時は、坐禅という姿勢の力を信じて、ただ坐っています。

坐禅という姿勢は、心をほどき、体をほどく、一番適切な姿勢なんです。

だからこそ、人類は五、六千年も昔から坐禅してきました。

どんな雑念、妄念が次々現れても、それにはかまわず、ただ坐禅という姿勢を信じて、その姿勢に身を任せて坐っておればいいのです。

すこしずつ、すこ~しずつ、心はおだやかになり、身心がほどけてきます。


336 2021.05.22 

人生のいろんな出会い。

その出会いを、いやだと吐き出したり、ガツガツ、まる飲みこみにしないようにしましょう。

しっかり受け入れ、しっかり噛みしめましょう。

味わいが出てくるまで、その出会いから逃げ出さずに、力をこめて噛みしめましょう。

どんな固い出会いでも、どんなにがい出会いでも、噛みに噛んでゆけば、

かならず、いつの日かとろ~り、とろけて味が出てきます。

うまい、うまいと納得して、無理なく腹におさまる日が来ます。

そうすれば、それをエネルギーにして、きっと次の新しい出会いへとスタート出来るのです。


335 2021.05.21 

よく「幼いころの体験のトラウマで、こんな行動をとってしまいます」とか、「前世のこんな因縁で…」とかいう、“いいわけ”をする人がいます。

こんなのはみんなウソです。“今”、この人がひっかかりを作り、コダワリを捨てないから、そのひっかかりやコダワリ通りの現実を創り出しているだけです。

ついでに、そのひっかかりやコダワリにふさわしい過去や前世を引き寄せて“納得”しているだけです。

ですから、“今”を変えると現実はただちに変わります。

心のひっかかりやコダワリを水に流せば、仏(ホドケ)の智慧がただちにはたらきはじめます。


334 2021.05.20 

肉体が古くなればなるほど、能力が衰えれば衰えるほど、わがイノチの本質の“若々しさ”がはっきり観えてきます。

それこそが、私の本当のイノチであり、やがて、肉体という古くなった衣装を脱いで、そのどこまでも若々しく、光いっぱいの世界に、ついに帰ってゆくことになるんだとハッキリして来るのです。


332 2021.05.18

あなたのイノチは何と素晴らしいんでしょう。

どんなことがあってもくじけず、再び前進をはじめる。

そんなたくましく、若々しいあなたのイノチの姿を讃嘆し、礼拝します。

あなたのイノチの運びは何と美しいんでしょう。

あなたにはあなただけのイノチの運び道があります。

その運び道通りにイノチを運べた時、あなたの人生は、最高の美の表現となるのです。


331 2021.05.17

私はお話しをする時も、文章を書く時も、効果を期待したりしません。

ただお話しするだけ…

お話ししたシリから言葉は消えてゆきます。

あとには、ただ青い空が広がっているだけ…

そんなお話しをし、文章を書きたいと願っています。