今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月17日「子供が教えてくれた」
と2021年06月18日「試練の時」の2つの記事を紹介します。
「子供が教えてくれた」
今日のお話は、以前ご紹介したこともありますが、最近読者登録くださった皆さんの中にも、
同じようなことで苦しんだり、悩んでいらっしゃる方がいる様でしたので加筆して掲載します。
小林正観さんが、悟った瞬間と言っても良いお話かもしれません。
日常の何気ない生活の中や、絶望のさ中と思われる時に、神様の導きが行われることがよくあります。神様の奇跡は、決してサーカスのように鳴り物入りで、耳目を集め起きることではないと思います。日常の何気ない生活の中にこそ、神様の様々な奇跡が行われています。
正観さんは、ブッダや、空海の弟子の時もあったそうです。
<引用開始>
30歳のとき結婚しました。結婚後3年間は子供ができませんでした。
33歳のとき、子供を授かりました。
なかなかできなかった子供なので、よろこびの「慶」を命名しようと心待ちに待っていました。
7月14日(パリ祭の日)、その子が生まれました。知恵遅れの障害児でした。
別室に呼ばれて、私は医師からこのように宣告されることになります。
「この子は先天的な障害児です。手術によっても、薬によっても、リハビリによっても治ることはありません。この子は生まれなかったものと思ってください」・・・。
目の前が真っ白になりました。
「目の前が真っ暗になる」という表現はよく使われますが、実際に体験した者の立場で言うと、真っ黒になるのではなく、真っ白になるようです。
真っ白になった風景が徐々に薄れていき、目の前に再びその宣告をした医師が見えたときは、その医師を含む部屋中の風景がモノクロになっていました。白黒だけのグラデーションの世界です。
それから半年間、私は色の付いていないモノクロの風景を見ることになりました。
一番困ったのは、天気がわからないことでした。
窓の外を眺めても、晴れているのか(空が青色なのか)、曇りなのか、雨なのか、見ただけではわからないのです。季節感もなくなり、花の色、緑の色、木の肌の色、そして人の顔色なども全くわかりません。
半年ほどたった1月16日は休刊日でしたので、私は15日に届いた膨大な付録の部分を読んでいたのです。その記事の一つに、このようなものがありました。
── 新生児の600人に1人は、障害を持つ子供が生まれる。
あなた方も20歳になって、将来結婚をするであろうから、その生まれる子供に障害児が生まれてくる可能性もある。そういうこともあるのだ、ということを知っておきなさい──
というようなとても短いコラムでした。このコラムを真剣に受け止めた人は少なかったと思います。ただ、私にとっては、この小さなコラムが救いでした。こう思ったのです。
「慶子ちゃん、うちに生まれてきてよかったね。600人に1人、障害児として生まれてくるのであれば、慶子ちゃんは、どこかの家を選んで必ず生まれなければならなかった。
そのときに、小林家の両親を選んだというのは、ものすごく良い選択をしたと思う。
私は障害がある子をいじめたり差別をしたりはしないし、
私の妻もやさしい人だから、いじめたり差別をしたりはしない。
慶子ちゃんは、そういう両親を選んで生まれてきたんだね」
とそう思った瞬間に、半年前に失っていた「色」が戻りました。
風景に色が付いたのです。瞬間の出来事でした。
半年間、私は苦しんでいました。悩んでいました。なぜなら、生まれた子供を受け入れることができなかったからです。
しかし、そのとき、目の前に乗り越えるべき大きな障害や障壁が立ちふさがっていると思っていたものが、実は 幻 であったということに気が付いたのでした。
私自身が障害や障壁だと思っていた大きなものは、私の認識だけの問題 だったのです。
私が「慶子ちゃん、よかったね」と思えた瞬間に、その問題は消滅していました。
努力や苦労をして乗り越えたのではなく、乗り越えなければならないと思っていた障害や障壁が、その1月16日の瞬間に消滅したのです。
乗り越えたのではありません。乗り越える必要がない状態になったのでした。
生まれてからわずか半年後に、この慶子は私に大きなことを教えてくれました。
悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、受け入れないところから生じているのだということを。
私たちが目の前の現象について悩んだり、苦しんだりしているときは、それを受け入れていないということなのです。否定をしているということにほかなりません。
<引用終了>
小林正観さんは、この障害を持つお嬢さんの誕生によって、大きな気付きを受け取りました。
まるで神様からの贈り物ですね。ですが正観さんでさえ、その悟りまでに半年を要しました。
苦しみの原因は、それを受け入れていないと言う事。受入さえすれば、一瞬でそれは苦しみではなくなると言う事、これこそが、ブッダの説いた「般若心経」の真髄です。
悩み、苦しみの種に見えた現実を
・受け入れた瞬間、
・感謝できた瞬間
それは、恵みの種に変わったのでした。
この気づきによって、悟りによってどれだけ多くの方が、正観さんの著作や、講演を通じ救われたことでしょうか?
慶子ちゃんの誕生によって、絶望の淵にまで落とされていた正観さん、そして半年後の悟り、
そしてそれが開花して、何十万人もの多くの人の心の救いに繋がりました。
それは、全て慶子ちゃんの誕生から始まりました。
慶子ちゃんが生まれなければ、後に、これほどまでに多くの人の心が救われることはなかったのです。
「試練の時」
今朝の天空農園です。
雲海がかかり、神秘的。まさに神の山の畑です。ここは竹之高地不動社の裏手の山のてっぺんです。
夏至の日には、新嘗祭(にいなめさい)ではありませんが、早朝に神々の恵みに感謝して、お酒や塩、お米、水、果物などをお供えする予定です。
今年も、木花咲耶姫コノハナサクヤ姫の父で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。
山をつかさどる神、大山祇命(おおやまつみのみこと)が現れてくださったことがあるからです。
さて、世の中が大きく変わり、一人一人の心が大切にされる美しい星に生まれ変わろうとしている今、ご自身も試練の時を迎えている方も多くいらっしゃいます。
そして、そこから抜け出すのが、なかなか大変な方もいらっしゃいます。
でもその解決法も心の在り方を説いたブッダの般若心経の中に答えがあります。
同じ現象でも、捉え方次第・・・
悪くとるのか、良くとるのか、、はたまた感謝を持って受け取るのか。。
自分のこの人生のシナリオは、全部、自分自身で決めて生まれて来た。
従って、私を悩ませる人、悪く言う人、騙す人・・・
全部自分が、その役をその方にお願いしてきました。
さて、身近な例を一つ・・・
「人生はシナリオ(映画)」という考え方で人生の難局を乗り切った方がいます。ロック歌手の矢沢永吉さんです。
20数年前、矢沢さんは身内の詐欺に遭って30億円以上の借金を背負わされました。
矢沢永吉「信じろよ、自分を」
しばらく酒を飲んで落ち込んでいたそうですが、ある日ふと気付かれたそうです。
「これは映画だと思えばいいやって」
「生活保護受けて苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。 悪くないよね。
「途中詐欺に遭ったりいろいろあるけどまあ楽しんでこいと生まれてきた」
そう考えることにしたそうです。
その後ライブをやりまくって本当に30億円を完済します。凄いですね。
矢沢さんの「リストラされたって、借金を背負ったってそれは役だと思え」という言葉は迫力を感じます。
人生には大なり小なり「まさか」ってことが必ずあります。
失敗や事故、病気、またはだまされたり裏切られたり。
そして生きている限りいろいろな問題を抱えます。
そんなとき「これは俺の役だ」「人生はシナリオ(映画)だ」と思うと気持ちが楽になり、
いろいろな知恵や行動力が生まれてくるのかもしれません。
あとは目の前の与えられた役を一生懸命こなすだけです。
生きている最中(役をこなしている時)は、解らないかもしれません。
ですが、肉体を去って故郷に帰る時、私たちはきっと思うはずです。
あの時、あんな大変なことがあったから、私の人生はパンチの効いた素晴らしい体験になった。
そして思います。
あぁ、あれは、あの方に頼んでやってもらったことだった。
私の人生劇場を素晴らしいものにするために、汚れ役を引き受けて下さってありがとう。。。
ありがとう、、 私の人生劇場に登場して下さった、
沢山の人達、ありがとう って