今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月26日「順番待ちの地球」と
2021年06月27日「七夕のお願い」の2つの記事を紹介します。
「順番待ちの地球」
複数のレインボーチルドレンのお話では私たちは、この地球で肉体を持っている時だけ
「感情」を感じ、経験することができるのだそうです。
つまり、感情とは肉体に付随するものと言うことです。
感情とはものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。
喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがあります。
私たちは、天国つまり感情の無い世界から、この地球に魂が転生してきました。
その前は、オリオンとかシリウスとか、プレアデスとか、どこか別の星団に居たのかもしれません。
この地球の3次元世界、つまり物質的な次元の世界で、肉体を持つと同時に、それに付随して「感情」を経験することになります。
私達魂は、肉体をまとい、感情を経験することで、魂にとって一気に沢山の経験値を積むことができます。ですので地球転生希望者は、物凄く沢山いるのだとか。
中でも、日本での転生待ちの魂は群を抜いて多いそうです。
それは、どうしてかと言うと日本語固有の「ありがとう」という言霊があるからです。
「ありがとう」の言霊を発すると、その人の固有振動数が、グンと上昇するのだそうです。
つまり、その瞬間、神様に近づける・・と言うことです。
そして、各魂が、どのような事を経験したいかによって、この地球での体験があらかじめ決められます。
・生きる、死ぬ
・健康、病気
・富む時、貧困の時
・出会い、分かれ
・苦しみ、楽しみ
・悲しみ、喜び
これらは、全て、したい経験のための単なる舞台装置でしかありません。
その舞台に没頭し、それによって味わう「感情」を経験するためのものです。
ですから、いろんな人との出会いや、別れいろんな逆境 順境も、地球での一時の間の経験に美しい色どりを添えてくれるものです。
そのことによって、魂は傷つかないし、天に戻れば、その意味もしっかりと理解することができます。
今 目の前に 現れてくれている人との
・喜怒哀楽
・憎しみ、蔑み、意地悪
・愛、友情
いろんなドラマを演じなければ、大変もったいないことになります。
天に戻った時、これら全ての経験が良いことも悪いことも、私たちの永遠の魂にとっては
ダイヤモンドのように貴重な体験となるからです。
人生に設定してきた様々な出来事、事件それらを通じ、私たちの魂は磨かれ輝きを増します。
そしてありがとう、この言霊は、全ての出来事に美しき神々の息吹を吹き込んでくれます。
どのように
・苦しく
・悲しく
・辛く
・悔しい
環境に置かれようと、神々はしっかりと側で見てくださっています。
そういう時こそ、是非「ありがとう」の言霊を使ってみてください。
その瞬間、ご自身の波動が一気に上がり新しい展開が開けてくるはずです。
「七夕のお願い」
毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。
もうすぐ七夕。
今日は子供たちの美しい心のお話です。
美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、私達の心のどこかで共鳴が起こります。
そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、考えたりと心に入れてしまうと、その逆もあります。
人間の心は何処までも、高みに登る事も出来れば、何処までも、闇に沈むこともできます。
出来れば、私達の心の波長を
真 善 美に合わせておきたいものですね。
でも、落ち込んでも大丈夫です。それも結局は、予定調和に至る道ですから・・
私たちの内に居らっしゃる神様は、決して見捨てたりしません。
何時も傍らにおられます。
さて、始めます
知的障害の兄を持つ小学1年生の男子児童のお話。
入学式の日、その児童の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。最初の体育のときでした。
手が不自由な小児麻痺の児童は、着替えるのに30分もかかってしまいました。
時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。
でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。
「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと教室の外から見ていました。
すると、隣の児童が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。
そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。
先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。
七夕の日のことです。ちょうど授業参観日でした。
お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。
一年生ですから、
「あのおもちゃかってちょうだい」
「おこずかいちょうだい」
「まんが本がほしい」
というようなことが書いてありました。
その中に一枚だけ、こう書かれていました。
「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」
あの世話をしていた、児童が書いたものでした。
先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、
お母さんたちに話しました。
小児麻痺の子のお母さんは、
「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」
「迷惑をかけているのだろう」
「申し訳ないことをしてしまった」
と悩みながらと教室に入れずに 廊下からじっと様子を見ていました。
が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。
教室に入るなり、ぺったりを床に座り、この児童の首にしがみついて絶叫しました。
「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」
その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。
人を思いやる気持ちって、本当に美しいですね。