今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月24日の記事を紹介します。
「何か問題でも?」
私たちが今世、肉体をまとい、物質的な地球に生まれて来たのには意味があります。
魂を進化させる
これは全ての生命体や、その他の被造物が同じ目的を持っています。
自分では何もせず、神々に頼り、願い、すがって叶うものではありません。
かえって、その「依存の心」は、魂を弱らせ、神々から離れてしまう方向性を持っています。
また、
・お金のために人を陥れたり
・地位に固執したり
・プライド高く人を見下したり
・嫉妬心から人の足を引っ張ったり
つまり、心を汚して、真っ黒くしていては
魂は重く 未来は今の心と同じく、黒く汚いものになることでしょう。
良きことも、悪しきことも自分のしたことと同じことが倍になって、自分に帰ってきます。
派手さも無く、地味なことなのですが、自分の心をピュアで綺麗に保つこと
周りの方々に、愛と思いやりを持って接すること
これこそが、魂の美しさを保ち肉体を脱いだ後も、真っすぐに神々の所へ行くための王道です。
ピュアな美しい心でいるには日々の
・思い
・考え
・言葉
・行動
を良く制御する必要があります。
一朝一夕にはできませんが、失敗したら反省し、また軌道を戻す。。
その繰り返しで、いつの間にか意識せずともに心の中の罪や穢れが 払われて
人々や神々に愛される 美しい心となります。
それでは今日も
・神々に愛される美しい心を保つために・・
・そして本当の幸せをつかむために・・
・心の中の神々と直接対話できるように・・・
書きたいと思います。
ご自分の心が整理されていないゆえに、自分自らが、悩みや苦しみ、不幸をかき集め
幸せになりたいのに、無意識のうちに、それを拒否してあえて、自ら進んで不幸な人生を送ってしまう・・そんな方向けの記事です。
過去に書いたこともありますが、加筆して掲載します。
もう読んだよって方は、スルーなさってください。
小林正観さんのお話です。テーマは「で、何が問題なの?」です。
正観さんはブッダの説いた真理を、今の言葉で、解り易く、そして実行しやすく説いて下さいます。
<引用開始> →引用元HP
あるところで、一泊二日の泊まり込みの旅行がありました。
数十人の人が泊まり込み、夜を徹してしゃべり、翌朝も一緒に朝食を食べました。
朝食の時、隣にご夫婦が座っていました。私の顔を見るなり、その奥さんが話しかけてきました。
「質問してよろしいですか」「どうぞ」
「実は私の子供なんですが…」というふうに話をし始めました。
私は、そこで両手でバツを作りながら、にっと笑って「ブー」と言いました。
実は、その前夜に数十人でお茶会をやったときに、何十人もの人から同じような質問を受けていたのです。
その質問とは「自分以外の人間を自分の思いどおりにするにはどうすればよいか」
というものでした。質問している人は、それぞれ全部、状況が違います。
自分の思いどおりにしたいその対象は、
・子供であったり、
・親であったり、
・夫であったり、
・妻であったり、
・職場の同僚であったり
はするのですが、結局は、自分を取り巻いている人間関係のなかで、気に入らない人を
「自分の思いどおりにしたい」というのが悩み相談のほとんどでした。
それを昨夜のうちに何回も何回もくり返し言っていたのです。
「また、自分以外のことの質問なんですね、実は…自分の質問のようにご本人は思っているでしょうけど、結局は自分の思いどおりにしたいということですよね」
と言いました。
一分ほどこの方が黙っていました。また口を開きました。
「職場にですねえ…私にすごくつらく当たる上司がいるんです」。
私はまた笑ってしまって、手でバツを作って「ブー」と言いました。
私は、次のような話を続けたのです。
ほとんど笑顔がない状態で、そのように行く先々で、家庭の中で、職場で、あるいは友人の中で、 いつもいつも『これが問題だ、問題だ』と言い続けてきたのではありませんか。
もし、私があなたの上司であったならば、あなたの顔を見たら、
『これが問題だ、これが問題だ』と言っているあなたに対して、自分に近づいてこないように、より厳しく、より冷たい言葉を投げかけるのではないでしょうか。
『私のそばに寄ってくるな』という意志や作用が明らかに働くと思います。
『問題だ、問題だ』というふうに問題をわざわざ熊手で集めてくるのをやめにしませんか」
と言いました。
「こんな楽しいことがあってね、
こんな嬉しいことがあってね、
こんな幸せなことが実はあったのよね、
こんなおもしろい話に出会ったのよね、
つい最近読んだ本がものすごくおもしろい本だった」
そういうように笑顔で話す人がいたら、その人の周りには人が集まると思います。
その人の口から出てくる言葉が
・嬉しい
・楽しい
・幸せ
・愛してる
・大好き
・ありがとう
・ついてる
(この七つを、「七福神」ならぬ「祝福神」と名づけました)。
そういう喜びの言葉、幸せな言葉というものが外に出てきたら、それを喜ぶ人たちがたくさんいます。
「問題だ、問題だ」と問題点を探し出すよりも、受け容れることで自分が楽になるのです。
そして、受け容れることでさらに、そこに喜びを感じ、幸せを感じ、さらに感謝を感じる
ことができたならば、その一つひとつの言葉に人々は癒されて、明るい気持ちになり、
その人の周りに皆さんが寄ってきます。
そして、周りの人みんなが笑顔になり、笑顔の集団が出き上がります。
<引用終了>
よくよく悩み事を分析して見ると、ほとんどが
・自分以外の人間を、自分の思いどおりにするにはどうすればよいか?
・自分が思っているように、自分が気にいるように、相手に行動してもらうにはどうしたらよいか?
などのようですね。
ですがブッダが般若心経で伝えてくれたように、
周りに起きて来る現象を全て肯定して受け入れてしまうそのほうが良いかもしれません。
悩みが悩みで無くなりますから。
人が
・自分の思い通りに行動しない、
・時間を守らない
・ずうずうしい
・自分の価値観にそぐわないことをしている、、
そんなことでイライラするのはやめましょう。
スーパーの障害者用駐車場に、我が物顔で駐車しようとする人に腹を立てるのはやめましょう(笑)
人には人の心があります。それに従った住む世界があります。
私たちは、他人の心を推し量ることはできません。
私たちが集中しなければならないこと、それは、他人のことではありません。
まさに私たち自身の 心の在り方だけだからです。
悪い情報を、ムリにかき集め毒を周りにまき散らすよりも、明るく楽しい情報を周りに笑顔で発信していたほうがどんなに幸せになれることでしょうか?
きっと、ご自分でも驚くほど運命が好転していくことと思います。