今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月21日の記事を紹介します。
「見えない心に目を向ける」
見えない心とは、
・神様の心
・先祖の心
・そして表には現れない人々の美しき思いやりの心
のことです。
この宇宙は、循環を繰り返し、バランスの上に成長、発展してきました。
私たちにとっての身近な循環は
・生と死、
・生きている今と、死後の世界(黄泉の国)
この世に生まれ、死に、黄泉の国に生まれ、再びこの世に生まれ
先祖のDNAが子孫に引き継がれ、生命を全うする
などのことです。
それでは、今日は元春日大社宮司で、日本の草分け的な形成外科医だった、
葉室頼昭さんのお話をご紹介します。
古くから日本人の中にあった、美しい心についてです。
<引用開始> 引用元
この世の中のすべてのものは、はじめにそれを作ろうという心から生まれています。
例えば、お茶碗ひとつとっても、それを作ろうという心がはじめになければ
お茶碗は存在していません。
この宇宙も150億年前にビックバンという大爆発が起こってできたと言われていますが、
このビックバンも何もないところから偶然起こるはずがありません。
これもはじめに宇宙、太陽、地球を作ろうという神様の御心によって
ビックバンが起こったわけです。
そしてなぜ神様が地球を作ったかといいますと、
神の世界を認めて、それを表現できる人間を作ろうという神様の御心があったからです。
すべての存在は、自分自身を客観的に見ることはできません。
自分を鏡で映して見たとしても、それは光に反射した自分の像を見ているだけで
本当の自分を見ることは自分以外の他人でしかできません。
そのため、人というのは自分で自分を称賛するよりも、
他人から「立派だ」とか「美しい」と認められて褒められたほうが嬉しいわけです。
そして神様も自分自身を客観的に見ることはできないので、
神様自身を認めて、それを表現できる人間を作られたわけです。
そのことを直感的に知っていた太古の日本人は自分達の願いをお願いするのではなく、
ただひたすら神様をお喜ばせするために、真剣におまつりをおこなってきました。
そのおかげで今でも日本という国が反映しているわけです。このように今、こうして宇宙や地球、自分達が存在しているのは
目に見えない神様の御心のおかげということを常に感じることが大切です。
現代では外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを
見ていない人が増えてしまったため、
現代のような日本始まって以来の乱れた国となってしまいました。
スポーツなどでも、メダルが何個取れたとか、勝敗だけを見て判断するのではなく、
その裏にある、どれだけその舞台に立つまでに
苦労や挫折があったのかといった選手の「見えない心」に目を向けて称賛するべきです。
自分が何かを成し遂げたときも「自分が頑張ったからうまくいった」というのは思い違いで、
実は「神様とご先祖様に守られて、周りの人のおかげで無事にできた」というのが真実です。
秋の紅葉を見ても、ただ綺麗だなというだけでなく、
人間にそのような美しい安らぎを見せてくれている
神様の優しい御心に手を合わせることが人間として大切なことです。
「自分達が今あるのは神様とご先祖様のおかげ」
「何かあったら、他人(ひと)様のおかげ」と、
結果だけでなく、ものごとの後ろにある「見えない心」に目を向けて、感謝することが大切です。
<引用終了>
致知出版社社長の藤尾秀昭さんが言うには、今年(令和元年)、日本は皇紀2679年。
海に囲まれた小さな島国が、さまざまな試練を経ながら
高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか?
ということで石巻とギリシャを対比させてお話しています。
3.11で甚大な被害を被った石巻、そこには港を見下ろす丘に、大きな神社があるそうです。
そこの神社のお祭りでは、町を挙げて祝っていたそうです。
神話でおなじみのギリシャ。
海を祀(まつ)るのはギリシャも日本も同じですが、
ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。
しかし、ここ石巻の神社がそうであるように、
日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝ってきました。
古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きている
日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝っている
この事実が物語るものは、ギリシャ神話は有名だが、
神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いまに繋がっていない。
これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる天皇という具体的な(象徴的な)存在を軸に、
我われの先祖は目に見えないもの、人知を超えたものを畏敬し、
尊崇する心を、二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということです。
そして、この民族の魂は今日もなお生き続けている、ということです。
目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいきます。
<引用終了>
私たち日本人には古くから
・神様のおかげ
・ご先祖のおかげ
・周りの人々のおかげ
という謙虚で、美しい感謝の心であふれていました。
古くからの日本人の心に根付いていた自然を敬う気持ち、これらのことを古神道(の心)とも言いますが、教祖もないし、教義もない、誰も強制などしないし、お布施もない。
人の恐怖心を煽って、何かさせようともしない。宗教とはかけ離れたものです。
明治以降、日本人の心の中から、このような美しい気持ちが薄れてきました。
西洋の物質文明(今だけ、金だけ、自分だけ)が入ってきたからです。
見えない美しい心は否定され、
理屈だけの、白か黒か、物質的な成果だけが評価される文明に変えられてしまいました。
また戦後のGHQによる戦後教育も美しく、強靭な心を持つ日本人を恐れ、
永遠に立ち上がれなくさせるための政策でした。
私たちは、縄文から延々と続く美しい日本の伝統をことごとく否定され、
恥ずべきものとして戦後教育を受けてきました。敗戦後、一気に変えられてしまいました。
まさに、明治の文明開化に続く、日本存亡の危機の時でした。
日本の神々も、この時、大きく動きました。日本と、日本人の危機だったからです。
ですが、縄文から1万年以上も培ってきた
美しい日本人のDNAは、そうやすやすと絶えることはありません。
何かのきっかけで、必ず思い出すはずです。
・神様のおかげ
・ご先祖のおかげ
・周りの人々のおかげ
という謙虚で、美しい感謝の心。
その時こそ、神々の計画、今まさに始まった「精神性の復活」の時に
日本人が貢献できる時かもしれません。