今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月02日の記事を紹介します。
「空海とマイトレーヤ」
今週の天空農園
ついにここにもイノシシ君が現れました。
昨年は、イノシシ君のおかげで、サツマイモが壊滅状態になりました。
ですが、今年は早めに手を打って連絡が来た翌日から、連日 収穫作業を行いました。
朝の仕事前や、お昼休みに集まり一所懸命芋ほりです。
今日は、お昼休みと夕方2度行ってきました。力仕事です。
こんなのが6ケース程取れました。たぶん約千本。元々サツマイモ畑は、こんなでした。
今日、全部収穫した後はこんなです。
これをフードバンクを通じ子ども食堂や、ひとり親世帯にお配りします。
サツマイモは結構喜ばれます。
さて今日のテーマです。
皆さん、マイトレーヤってご存知ですか?
弥勒菩薩のことです。今日は閑話休題の閑話、弥勒菩薩の物語です。
弥勒菩薩は56億7千万年後に再び地球に生を受け、釈迦の次のブッダになることを
2500年前に、釈迦本人によって予言されている方です。
空海は早くから(既に24歳の『三教指帰』を書く時点)弥勒菩薩を大変意識していました。
※『三教指帰』の実物、空海の書いたものが以前NHKの番組で公開されていました。
『三教指帰』(さんごうしき、さんごうしいき)は、空海による、宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書。
そして空海が亡くなる時に弟子たちに遺訓として私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する。
私の入滅の後をよく見るべきである。
その時、よく勤めている者は天の救いを受けるであろう。不信の者は不幸になるであろう。
と述べています。
高野山 奥の院 今もなお、ここに空海がいらっしゃるといわれています。
4年ほど前、高野山に上った時、高野山の最高位、空海の名代として御法印を務められていた蓮華院の御住職が、弥勒菩薩のお話をしてくださいましたが、その時はどうしても空海と弥勒菩薩が私の中では繋がらなかったのですが、こんな縁があったのですね。
奥の院にも行きました。そこはまるで時間が止まったかのような空間でした。
鬱蒼とした杉の大木の参道を約2㎞ほど行くと、御廟橋の向うに「貧者の一灯」を飾る参篭堂があります。空海はその奥の「御廟」のなかの石室で今も結跏趺坐して印を結び、弥勒の三摩地に住していると信じられています。
そして1200年たった今でも、日に2回、空海のために食事が運ばれています。
奥の院には、ありとあらゆる戦国時代の武将たちの墓があります。
敵も味方もありません。まるで死んでしまえば良き仲間といった風情です。
どうして、それほどまでにみんなが、奥の院に墓所を持ちたがるのか?
それは弥勒菩薩が下生して地球に来る時に空海がともに生まれてくるからです。
その時には、弥勒菩薩はブッダとして生まれてくるわけですが、そのブッダと私たち人間とを取り持つ役割を、空海が担うのだそうです。それゆえに、少しでもブッダに近づきたいために、みんなが競って奥の院に墓所を持つのだそうです。
ブッダを慕う気持ちは本当に凄いですね。マイトレーヤー、弥勒は元はブッダの弟子でした。
こんな逸話が残っています。
<引用開始> 引用元
憂愁のバラモンの美少年ミロクが、ブッダの晩年の説教を聞いて、家を捨て学業も捨て、「弟子にしてください」 と言ってきました。
ブッダはそのミロクをひと目見て、なぜか顔を輝かせたそうです。「ああよく来たね、ではすぐに弟子になりなさい」と優しく言いました。
弥勒菩薩 |
それから、強い喜びと深い悲しみのまなざしを注ぎながら、ブッダ自身の仏法の奥義を急いでミロクに教えはじめました。
ミロクはこの時、今でいえば中学一、二年ぐらいの繊細な感じの少年だったのですが、すぐ新しい生活に溶け込み、恐ろしい程の早さと深さでブッダの教えを吸収していきました。
そして一年たつか経たないうちに、何百人もの先輩の弟子たちを追い抜き、釈迦の最も主要な弟子の一人になっていました。師の最も身近に仕える最年少の弟子に。
そういう大抜擢をそばで見て、先輩の弟子たちはあまり愉快ではなかったに違いありません。彼らも仏に仕える高い志の人たちだったので、気持ちを抑えてはいましたが、中にはつい嫉妬したり、つまらない誤解を抱いた人もいたかもしれません。
しかしそれを察したかのように、ある日釈迦は弟子たちに、こんなショッキングなミロクの秘密を打ち明けた。
「実はミロクは、この世ではあと12年しか生きられない。そのあと彼は、大空のはるかかなたのトソツ天という天に昇って、とても長い間、ある大きな目的のために修行する。
そして彼の知恵と力がどうしても必要になる危急の時代に、彼は天から地上に降り、わたしを凌ぐ仏になり、わたしが救いきれなかった人々をすべて苦悩から救うことになっているのだ」
これは 「観弥勒菩薩上生兜率天経」 というお経の中に、釈迦の秘予言の一つとして出てきます。
これを聞いた弟子たちは驚愕し、ミロクがほかの弟子たちと違う特異な使命の少年だったこと、早くに死んだあと天で生まれ変わって、釈迦の後継者になる特命をおびていたことを知ったのです。
誤解していた先輩たちの態度もそれであらたまり、ミロク自身もこの重大使命を自覚しました。
残された12年の青春をフルに使って、青春の意味や愛の意味、死と死後の真実・仏や菩薩の使命など、わからない疑問全部を釈迦にぶつけて、できるだけの答えを引き出して学びました。また医薬や心の癒しを受け持つ先輩たちと協力して、さまざまな苦悩をかかえる近くの村々の人をできるだけ助けました。
そして12年後、釈迦が見通したとおりミロクは急に病に冒されて死にました。
まだ20代前半の若さでした。
はっきりした病名は伝わっていませんが、
「安らかな死に方ではなかった。人々のいろんな痛みを引き受けるように、苦しみぬいて亡くなったそうだ」 と、わたしは以前、別の取材で東インドをさまよっていた時、地元の古代仏教の研究者から聞かされました。
その話では、ミロクの死に顔は苦しみをこえて、生前以上に美しくほほえみ、お釈迦さまも先輩たちも、ミロクを深く愛していた若い尼さんたちも、寝食を忘れて悲しんだそうです。
反面、釈迦の仏法がこれで確実に受け継がれたことになります。
弥勒菩薩 |
ミロクはこれで天で蘇り、最悪の危機が来るとき、天から降りて釈迦の後継者となって苦しむ人々を救う。釈迦が救いきれなかった人々をも救う。
お釈迦さまがそうおっしゃったんだから間違いない。これで安心だ。
弟子たちも信者もそう思ってうなずきあったといいます。そんな安心や期待を一身に背負って、ミロクは今も天で救いの修業を続けているのだそうです。
<引用終了>
56億7千万年と言うと途方もない年月に思えますが、これは古代インド特有の言い方です。
弥勒菩薩の兜卒天での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するといわれています。その結果が、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算となるようです。
また昨年、御法印様の説明によれば、その年月は、太陽系が寿命で消滅する時とのことです。今の太陽系が消滅し、また新たな星が生まれてくる時に、弥勒菩薩は次のブッダとして転生してくると言うことのようです。
一説によれば、お釈迦様、ゴータマシッタルダまでに過去7人のブッダがこの地球に現れたそうです。
過去七仏と言います。
毘婆尸仏
尸棄仏
毘舎浮仏
倶留孫仏
倶那含牟尼仏
迦葉仏
釈迦仏
2500年前のブッダも、その過去世において、1つ前のブッダに会っています。
修行者だったゴータマの地方に、当時ブッダであった方が来られたのですが、雨の後で道がぬかるんでいました。
それを見た、当時まだ修業中だったゴータマは、自分の長い髪の毛を、そのぬかるみに敷き詰めて、着物が汚れないように、その上を当時のブッダに歩いてもらうという供養をしたそうです。
その時に遠い将来、ゴータマはブッダになると予言されました。
最終的に、私たち誰もが、神と一体となるわけですが、何だか、かなり遠い将来になりそうですね。