今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月30日の記事を紹介します。
「一途な心」
私たち日本には、素晴らしい文明があります。
それは、古い古い時代。
4つのプレートがぶつかり合う場所に置かれ氷河期の終了とともに、大陸から列島が分かれ、山や川など美しい自然とともにはぐくまれた日本人の心です。
まさに、この日本の心をはぐくむために、神々が意図した地政学上の雄大な変化です。
私たちの日本人の心は、全ての物の中に神々を見出し、感謝と尊敬。お互い様、おかげ様の心を培い、助け合って生きてきました。 まさに神々の世界の顕現です。
ですが、時代が下るとともに西洋文明の流入、戦後の敗戦処理
それらによって日本人の尊厳は粉々に打ち砕かれました。
ですが、私たちの心の見えないところでは
何千年もかけて、神々や祖先によって受け継がれてきた気質やDNAが存在しています。
今、精神性の復活の時代が幕を開けましたが、2つに分かれようとするこの地球に置いて、
この日本人の良き心を復活させることは非常に重要なことだと思います。
それは、
・力のある誰かによってなされることではなく
・神々に頼っていれば何とかなることではなく
・素晴らしい過去世を持つ人が何かをしてくれるわけではありません。
私たち一人一人が、日々の生活を送る中で
我欲によって引き起こされる罪や穢れを祓おうという意思を持ち
感謝と、思いやりの心をもって生きることこそが大切なことです。
美しい地球、そこに住むみんなの幸せは
そんな平凡な人々、つまり私たちの心の中から始まります。
今日は雑宝蔵経という仏教経典の中のお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
とある場所に、神様の御神体でもあります山の中腹に、大きな鎮守の森がありました。
その鎮守の森には、たくさんの動物たちが、仲よく平和に暮らしておりました。
そこに、ある日、一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い、鎮守の森に紛れ込んでしまいました。つまり、迷子になってしまったのです。
オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが、自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。
そうしている内に、とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。
オウムはとても心配で不安に思いながら、自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。
日がどんどん沈み、あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく、しょんぼりしていた時、鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。
オウム君の家までは、ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。
明日僕たちが送って行ってあげるから、今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。
オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから、
動物たちの家に泊めてもらうことにしました。
動物たちは「きっと、オウム君は道に迷い、不安で寂しい気持ちになっているに違いない」
「だから今夜は、オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」
と動物たち皆で話し合い決まりました。
「ここに木の実があるから、お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」
「何も心配いらないから安心してね」と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて、とうとうくたびれて寝てしまいました。
その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと、
皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。
翌朝、空は晴天です。朝日に照らされながら、オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され、オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。
そうして、無事に自分の家に着くことが出来ました。
家に着いたオウムは、あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。
仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。
そんなある日、優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると、
親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。
オウムは驚いて、急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと、
なんと!山が大火事になっているのです。
オウムはいてもたってもいられません。
そこでオウムは、すぐさま川に飛び込み、自分の全身を濡らしては飛び立ちました。
しかし、川から山火事の場所に着く手前で、ほとんど体から水が落ちてしまい山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。でも、オウムは諦めようともしません。
なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし、
燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。
その時、近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが、オウムを嘲笑います。
「オウム君、君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」
「無駄なことは止めな」
「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」
などと言いながらオウムを皆で笑っています。
この時オウムは、自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。
「確かに、僕の運んでいる水は僅かです」
「あの山の火事は消えないかもしれない」
「だけど、僕が鎮守の森で迷って、困っている時に、僕に親切にしてくれた友達が、あの山にいるんです」
「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと、僕はいてもたってもいられない」
「だから、僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」
と言って一生懸命に水を運んでいます。
すると突然、さっきまで晴天だった空が曇りだし、大粒の雨が降って来ました。もの凄い大雨です。オウムもビックリして茫然としていると、その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。
<引用終了>
似たようなお話に「ハチドリのひとしずく」というお話がありますね。
大切なのは、今、自分が出来ることは何かを考え、どんなに人から馬鹿にされ、蔑まれようと、それを実行する勇気なのかもしれません。
・物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ
・困っているオウムに対する優しさ
・なんら見返りを求めず、自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たち
私たちの日常生活の中でも同じような光景があります。
一生懸命に努力している人を、努力をしない人が
・得にもならないことをよくやるな
・そんなことしても無理だ
そう言います。
でも困っている人を見て、その心情をくみ取れる繊細な感受性を持ち、
居てもたってもいられずに、「助けたい」と云うただ一心で、
純粋な心で行動する人たちも確かに存在します。
そのような心根を神々が放っておくはずがありません。
どんなに困難に見えることであっても
その心根が「人を助けたい」という純粋で一途な気持ちであれば、
その決心をしたとたんに、一気に周りの次元が上昇し、
周りの状況が協調して助けに回って動き出すことでしょう。
神仕組みの発動と言います。
全ては、私たちの心にかかっています。
静かな場所で、自分の心を見つめなおし、内観してみれば
自分の心は、今 どちらの方向に向かっているかすぐにわかります。