2021年9月12日日曜日

2453「古神道のこころ」2021.9.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月07日の記事を紹介します。


「古神道のこころ」


今日は、日本神道の最高位、「浄階」まで達せられました、春日大社元宮司で、

かつ日本の形成外科の草分けだった医師 葉室頼昭さんのお話です。

神様と人間の関係について分かりやすく説明くださっています。 

葉室さんが仰るには、日本の神道(古神道)は宗教ではありません。

教祖も、教義も存在しません。

拘束もありません。

お金の強制徴収もありません。

神道は、古くからの日本人のDNAに根ついた、

・自然を敬う心

・周りと協調、調和しようとする和の心

・お互い様、おかげ様の心

そのようなものを大切にしている、日本人特有の尊い心根です。

葉室さんによれば、

神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。

他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、

神道では 

神さまを喜ばせる、感謝する

ということが祈りとなります。

こちらから頼まなければ、神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。

神さまというのは全部知っておられるんです。

だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。

そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。

ということだそうです。

また、浦島太郎の昔話を例として、こんなことも教えてくださっています。

<引用開始>


海の底は、生みの底、生命が生まれるもとの世界です。

つまり竜宮城とは、我々が生まれてくる前にいる、神様の世界、祖先がおられる世界、

あの世とか黄泉の国といわれるものもそうですが、

そういう、見えないけれども実在している世界のことだと思います。

そこは時間もなく、悩みや苦しみ、心配事のない すばらしい神様の世界だということです。

その世界から、我々は生まれ出てくるのですから、

本来人間は、悩みも苦しみもないすばらしい姿なのです。

それなのに、この世の中には病気や悩みや苦しみ、心配事などいっぱいあります。

これは我々が、 実在する神様の世界を忘れて、

自分の我欲の心をもって暮らしているために、

本当の世界が見えなくなって、悩みや苦しみが現れてくるのです。

浦島太郎も、おとひめ様の言われたことを信じていれば よかったのに、

玉手箱を開けたいと思う自分の欲に負けてしまったために、

約束を破って玉手箱を開 けたとたんに、老いという悩みを持つ老人になってしまった。  

では、どうすれば、この世の中で、

生まれたときの素晴らしい姿のままで生きていけるのでしょう。

そのために、日本人は昔から「祓い」といって、体についた罪穢れを常に祓うことを行ってきました。

あまりご存じないかもしれませんが、

全国の神社では、毎年6月と12月の末に「大祓い」という神道の儀式を行っています。

そこで、知らず知らずのうちに身についた罪穢れをお祓いするのです。

ここでいう罪とは、悪いことをしたという罪ではなく、

すばらしい人間本来の姿を、包み隠してしまうものです。

穢れとは、汚いということではなくて、

我々が神様からいただいている「氣」を枯らしてしまうもののことです。

これらは私たちの我欲から出てくるものです。

この罪穢れがあると、人が本来持っている神様の素晴らしい姿が見えなくなり、

悩みや苦しみが出てくるというマイナスの作用を持っています。

それを逆のプラスの作用があるもの、

神様のお言葉である祝詞や、生命力にあふれた清らかな水に接して、

罪穢れを消してしまおうというのが、日本人の「祓い」という考え方なのです。

<引用終了> 

私たちは神社やお寺さんに行って、

・あれをしてくれ、

・これをしてくれ

・病気を治してくれ

・裕福にしてくれ 

などいろいろ神さまに注文をします。 

ご祈祷料や、お布施など、沢山のお金を支払えば

ここまでしたんだから、「さぁ、願いをかなえて・・」などと思うかもしれません。 


ですが、葉室さんが仰るには、神様を喜ばせること、感謝することが大切なのだそうです。 

神様を喜ばせるために、昔であれば、

夏には村人が神社に集まって仲良くお祭りをやったり、舞を奉納したりしていました。 

純粋な心の人々が、神の前で、仲良く集ってくれるのが、 

神々にとって、何よりうれしいからです。

自分を慕ってくれる(感謝してくれる)人々が

みんなで笑顔で助け合って、仲良く暮らす姿を見ることほど、

嬉しいことはないのではないでしょうか。

また、そういった大規模な物でなくとも

例えば  

・雪が積もって、みんなが参拝できないなら、雪かきをして道を付けておこう。

・お世話になっている神社に1年のお礼に、大掃除のご奉仕をしよう。

など、私も実際にそば近くで見聞きしています。(妙龍神社、竹之高地不動社) 

またみんなが神社に気軽に集って悩み事を相談できたり、笑顔になってくださるように 

お茶や、お菓子のご寄付

冬になれば、寒さをしのげるようにと、断熱材のご寄付や設置のご奉仕 

など、真心の塊のようなことが、実際に行われています。

このような、人間側の美しき心に神々の心が動かないわけがありません。 


自分では何もせず、ただ、お金を包み、 

・あれをしてくれ、

・これをしてくれ

・病気を治してくれ

・裕福にしてくれ 

では、

葉室宮司が教えてくださった

神々と人間の 美しき関係性からは程遠いことになってしまいます。

  

宇宙の法則に、与えたものが、受け取るもの、と言うものがあります。 

喜びと感謝を神々に、お渡しすれば

必ず何倍にもなって、同じ波動を持つものを受け取ることでしょう。

逆に、自分の我欲の心をもって生きていれば、 

葉室さんが仰るように、浦島太郎と同じものを受け取ることになるでしょう。

  

もうすでに時の重力が動き出し、心が大切にされる地球に生まれ変わろうとしています。 

昔ながらの依存、執着の心から、脱却する時期かもしれません。

  

神々だけの力だけでなく、私たち人間側からの純朴な感謝の心こそが、

神々の大きなパワーとなります。