今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2020年12月07日「日常の中の幸せ」と2021年09月20日「あるがままに生きる」の2つの記事を紹介します。
「あるがままに生きる」
今日は「あるがままに生きる」ということで、足立幸子さんのお話です。
彼女のお兄さんが、あの有名な『波動の法則』の足立育朗さんです。
幸子さんは、コズミックアーティストとして活動されていましたが、
1993年くも膜下出血のため47歳で逝去され、プレアデス星団のタイゲタ星に帰りました。
プレアデス星団のタイゲタ星は、約440万光年も離れたところにあるそうです。
私も『あるがままに生きる』の本と、
コズミックアート集の本を持っています。
足立幸子さんは、本当に「あるがままに」に生き切った人でした。
彼女は、こんなことを仰っています。
<引用開始> 引用元
波動をあげるための三つの条件
ひとつには あらゆるこだわりを取り除く
ふたつには 行動に移すこと
そして みっつめには 深い部分の自分が 望んでいることをやる。
深い部分とは 何か
それは真我ともいい 神我ともいい本当の 本当の自分ということ。
直観によって 即行動に移すこと。
直観による おおもとからの閃き。
その閃き おおもとからの故に誰もやっていない 考えられない
未知の情報であることが無限にある。
こんなことは無理 非常識と笑われる
幸子さんは 厳しくそれを戒めて
できないことは閃かない
できない情報は入らない と結論。
長い経験の中で それを実感してすぐに行動に移してきたといいます。
行動に移しても すぐにできるとは限りません。
でも必ずできると断言します。
何だか分からないけど それも閃きで 頭では分からないから
まずは行動に移して下さいと。
頭では 分からないけれど実は真我は分かっているんです。
だから情報が入るんですと。
真我 神我とも言っていいんです。
表現はともあれ おおもとの自分。
その自分を邪魔するのが 頭 思考 そしてこれまでの常識 という我で
更には 悪しき欲とか 名声なども おおもとの純粋な真我からの情報を
遮断してしまう あるいは覆い隠してしまう悪さをする
<引用終了>
決して、長く生きることが、幸せでも、正しくもないということを、彼女は示しました。
心の病いや何かで悩んでいる方にとっては、この本は超お勧めかもしれません。
さて、その幸子さんの講演会でのお話をご紹介します。
<引用開始>
幸子さんは仰います。
すべての現象は、あなたが出している波動に同調してやって来る。
目の前の現象は、自分が投げかけた波動の結果。
それに同調した波動が現象となって、自分の目の前に現れて来る。
「ロクな社員しかいない」と言う経営者は、自分がその様な波動を出しているので、
そのような波動の社員が集まってくる。
だから必要なことはロクな社員の「いやな部分」を自分の中で探すと、
「あ、自分の中の この部分だ」と気づくものが必ずあるものです。
「自分の その部分をなくす」そうすると、ロクな社員はもう、寄ってこなくなります。
それは、波動と現象の法則であるから、社員だけでなく、人間関係すべてにあてはまります。
家族はいなくなることはないけど、家族に見る嫌な部分があるとすれば、
「自分の中のその同じ嫌な部分をなくす」と家族の関係は明らかに良くなってくる。
周りにいる人々は自分の鏡で、お互い逃げられない関係の家族は、
強いメッセージ性を帯びています。
「あなたの この部分を見直せ」と当人(家族)同士の顕在意識を超えて
教えあうことになります。だから家族が自然の仕組みの基本とも言えます。
自分で親も選んで生まれてくる。
何のため?「何かを 味わうため」に引き寄せ 引き寄せられました。
すべてが、自分の発する波動(外へ向けて出した波動)から発生したもの。
嫌なことも大変なことも 嫌な人も大変な人も 自分が味わうために・・・・。
感情を抑えて、もう一人の自分がゆったり見下ろすぐらいの余裕ができると、
楽しいかもしれないですね。
真正面から現象に向かう 現象を味わうこと。
(私達はよく)嫌なことが起きると逃げることをします。
でも幸子さんは、仰います。
逃げてもだめです。逃げるとやり残しを作ります。
次に同じ現象が来たときには更にきつくなって帰ってきます。
だからこそ今世のやり残しはもっといけない。
来世 また同じ経験をしなければならなくなります。
同じであればまだ良いですが、尚更きつくなって現れます。
だから 今を大事にして、「今の現象とは 自分の波動」
それに徹して、逃げずに向き合うしかありません。
<引用終了>
幸子さんにとって
「○○の法則」、という概念はありません。
自分=「真我・神」なのだからなんでもできるし、必要な情報ももらえるという考えです。
幸子さんは、また大切なことを仰っています。
「あるがまま」と「わがまま」は違います。
「あるがままに生きる」というのは、自分もあるがままにやるのですが、
相手のあるがままも受け入れるということです。
わがままというのは、自分はあるがままにやるのですが、
相手のあるがままは受け入れないのです。
最後に本の中から少しだけ抜粋してご紹介します。
「『何だかわからないけど』というのは
<自分の深いところ>からの情報ですから、その時はベストタイミングなのですね。」
「意識が全てをつくっているので、自分が思ったとおりになりますから、
「来ないんじゃないか」と思ったら本当に来なくなります。
ですからプログラムしてインプットしたら、あとは忘れていてください。
答えはどういう時に返って来るかと言いますと、頭がボーっとして
リラックスしている時に帰って来ます」
私たちも、あるがままに、真我のままに、自由闊達に生きて行きたいものですね。
「日常の中の幸せ」
地球の波動がどんどん変わり、思ったことが実現するのにそれほど時間がかからなくなったり、波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり、神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、隠されていた闇が白日の下にさらされたり、色んな現象が起こっているようです。
小学校4年生のレインボー、そうた君によれば、地球の次元が少し上がり、3.5次元に入ったのだとか。ますます私たちの心の状態により、引き寄せられる世界が明確に分離してくるのでしょう。
今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。
一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。
アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。
その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、原子、分子など物質世界が形成されます。
一人さんのお話です。
身近な人が苦しんでいても過剰に心配する必要はないよ。ただ信じてあげるの。人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。
さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。
鈴木秀子さんのお話です。鈴木さんは、聖心女子大学教授で、
「死にゆく者からの言葉」
「子どもを傷つける親癒す親」
「あなたは、あなたのままでいてください。」
「死にゆく者との対話」
「臨死体験生命の響き」
などの多数の著作者として知られています。クリスチャンでシスターでもあります。
そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。
<引用開始>
物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、
目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。
あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。
その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃっるには、人間のエネルギーには
縦と横の線があって、例えば
・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、
・縦線は 見えない世界だというんです。
もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、縦のエネルギーはなくなるわけです。
ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。あるいは会社が倒産したとか、長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。
ガンといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと何の役にも立たない。そこで初めて、自分の頼りになるものは何だろうかと考えるんですが、そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということをしみじみと感じるというのです。
それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、その分を2しかなかった縦の線に振り替えていかなければならない。
そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。
私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、だれかと諍いを起こしたような人がいれば、
まず「仲直りをしたい」というんです。
やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。
その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。ほとんどの人がこういうことをいうんです。
それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、自分の家に帰れられないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。
ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。だから、私は死んでいこうとしている人たちが一様に望むことというのは、生きている人たちへの遺言だと思うんです。
「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にしてそのことに気が付くのでなく、いま気付きなさい」ということを伝えているんだと思うんですね。
何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに気付くことだと思います。
<引用終了>
横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、
縦線である、見えないもの(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。
そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、見えないものの、大切さがわかってきます。死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・
・貴方には今、帰る家がありますか?
・待っててくれる人がいますか?
・話を聞いてくれる友達はいますか?
・目は見えますか?
・耳は聞こえますか?
・歩けますか?
・自分で食事はできますか?
これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、本当は、奇跡で、有難いことなのです。
私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、
同じように思うこともあります。
そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?
逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?
私達が亡くなる時。それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。
本当の幸せがわかっていなかった。命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。
そんな後悔をしないためにもちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、友達のこと、
親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、
生きているうちに幸せを噛みしめることができるかもしれませんね。