2024年8月31日土曜日

3536「神々を動かす感謝の心」2024.8.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月24日の記事を紹介します。


「神々を動かす感謝の心」


私たちは、神様にお願いし、この地球に肉体を持って生まれてきました。 

その目的は、この物理的で、不自由な地球を楽しみたいということの他に 

もっと大切な目的があります。 

それは、私たちの魂を輝かせ、神様に近づけ、進化させることです。 

感謝の心は、ブッダの教えの神髄でもあります。 

感謝の心さえ芽生えれば、この地球に生まれて来た目的の

大半を果たしたことになるほどです。 

感謝の心の反対は、「当たり前」 

・自分の思った通りに、環境が整い

・自分の思った通りに、人が動き

・自分の思った通りに、地位や名誉が手に入り

・自分の思った通りに、人に好かれ、尊敬され

・自分の思った通りに、お金が巡る 

ですが、ブッダが仰ったとおり、この世の中は、決して思うとおりに動きません。 

ままならないのがこの世です。 

感謝の心がない人は思い通りに、周りが動かないと、そのたびに、不平不満を口にし、

悪口、呪いの波動となります。 

そして、その悪しき波動を垂れ流し、ますます、自ら地獄に住む者の心となります。 

では、「感謝の心」を持つことを知った人はどうでしょうか?

今日は、春日大社元宮司、医師、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

感謝の心の重要性についてです。 

神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチのお話です。


葉室頼昭さんはもうお亡くなりになりましたが、神さまに相当近い方でした。

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ藤原家の公家の家柄だといいます。

葉室さんは藤原氏子孫の公家の代表として

毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していました。 

そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、

神主の作法を学びたくて願書を取り寄せて勉強したのだそうです。

努力家の葉室さんは、日本の形成外科の草分けの医師の仕事のかたわら、

院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだのだそうです。

家でも必死で勉強し、

異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまいました。

そしてそのとたん神社庁から呼び出され、

病院を辞めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきたのだそうです。

その後最終的には春日大社の宮司になりました。

さて、この本の中に、心に響くこんな一節があります。

<引用開始> 引用元

 

神のお恵みはみんな平等にいただいている。

でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。

なぜか、 

感謝ですよ。

神の波動は感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。

だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、神道がわかると説明している。

お陽さまは明るくて暖かいとみんな思っているでしょ

これが間違いです。 

太陽の光は暖かくもなければ、明るくもない。

それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、

太陽の光が地球まできているわけでしょう。

太陽の光が明るくて暖かいんだったら、

太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。

ところが、ここは真っ暗で、冷たい。なぜかということです。

地球の周りに空気があるからです。

空気で反射すると光と熱が出てくる。

反射しなければ光も熱も出てこない。

空気がなかったら明るくも何ともない、

これと感謝は同じことですよと言っているんです。

反射したら光と熱が出るということがわかったら 

感謝したら神のお恵みが出てくる、ということがわかるわけでしょう。

これは本当のことだから、だから、人間も感謝しなさいと言うことです。

そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。

<引用終了>

 

神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、幸、不幸の違いが出てくるのは、 

「感謝の心」を持っているかどうかの違いなのだそうです。

そして感謝に関しては、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元


感謝もいまは間違っています。

神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。 

これは感謝とは違う。

これは取引です。

これだけお賽銭をあげるから、

その代わり神さま、子どもを入学させてくださいという取引ですね。 

入学したらありがとうございますという。

これは感謝でもなんでもないんですね。

感謝には理屈はいらない。  

神さまありがとうございますといって、

神さまと波長を合わせたら子どもが入学するということなんです。

入学したから感謝するのではないんです。

感謝したら入学するということなんです。 

世の中は逆さをやっているんですね。

太陽の光は空気によって反射して初めて光と熱が出るわけでしょう。

反射しなかったら光も熱も出ない。

感謝しなかったら全然神さまは出てこられないんです。

だから反射と感謝とは同じだと言っているんです。

入学させてもらったら感謝しようかと。

そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。 

反射しなければ出ないんですよ。 

感謝しなければ出ない。だから感謝しなさいと。

そうすると何に感謝するんですか? と言う人がいるんですね。

何にと言うときにはもう感謝ではない。それは取引です。

理屈なしにありがとうございますと言えたときが本当の感謝です。

そうすると神のお恵みが現れてくる。

これが本当のことです。

だからよく健康に感謝する。

健康でありがとうございました。 

それは結構なんですよ。 

でも、そういう人に限って病気になったら感謝しない。

たとえばお祈りで、自分の病気を 神さま、治してくださいと。 

ところがお祈りしてもさっぱりよくなりませんという人がいます。

それは治らないですよ。 

私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと言っているようなものです。

自分は病気だから健康にしてくださいと言うわけでしょう。

神さまに私は病気ですと言っているんだから、そうかと、そのとおりに病気になってしまう。

だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。

そうしたら健康が来る。 

病気を治してくださいということは、私は病気ですと神さまに訴えていることですからね。

<引用終了>

 

葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、

生き方を変える、神さまによる不思議な経験がありました。

それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった時のことです。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、

両親の待つ東京に帰ることになりました。

まだ寝台車というものがなく、

席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰りました。 

「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。 

医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡しました。

この本が葉室さんに神秘体験をもたらすキッカケとなりました。

「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」 

死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、 

その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

そうして汽車の中でずっと泣き続け、 

東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのに 

ホームに一人で立ち上がっていました。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んみました。

すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、

奇跡のように重度の結核が全て消えうせてしまったのだそうです。

「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」 

死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、

何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。

当時は結核で亡くなる方が沢山いました。

結核にかかると隔離されたりサナトリウムと言うところに入れられました。

美智子さまの親友だったハンセン病医師の神谷美恵子さんも、

結核で隔離されている時に神さまの光体験を授かっています。

神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心

葉室さんは、死の淵でそれに気付き、泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。

これができた時、私たちは神さまの恵みをふんだんに受けて幸せになれるのですね。

そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも 

「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。

私たちは一人で生きているのではなく、

様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、 

その時こそ、神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。

いつも、どんな時も嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、ありがとうの気持ち

忘れないようにしたいものですね。 

 


2024年8月30日金曜日

3535「幸せになりたい」2024.8.30

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月23日の記事を紹介します。


「幸せになりたい」

 

さて今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。

この世の中は、全て心が運命を決定しているからです。

なかなか自分の心を

自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので 

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時 

このような困難に会うと

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります 

ですが、そのような時こそ

本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。

なぜなら、

自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、 

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、

その途端に運命は大きく開けるからです。 

行動にまで移すまでもなく、決心しただけで変わります。

では、そんな心のクセの一つを

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。 

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元

 

・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう? 

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう? 

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。 

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、

「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。 

だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。 

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、

要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、

いつも心穏やかに生きていくことができます。

私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。

ストレスの少ない生活をしています。

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。 

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。 

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了> 

  

自分の周りで起きる出来事が 

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない

そのように口に出さなくとも

不平、不満、愚痴を心に抱けば

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり 

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。 

感謝の心が無ければ

神々の恩寵は届きません。 

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。 

斎藤一人さんは

色々な問題や障害が起こってくるのは、自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・ 

知らせるために起こっているんだよ。 

そう教えてくださいました。

私たちの心とはそのように、その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。 

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。


2024年8月29日木曜日

3534「夜明けは近い」2024.8.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月22日の記事を紹介します。


「夜明けは近い」


2回目の岩戸開き。

今回の岩戸開きは、心の解放と言われています。 

体主霊従(お金や物質がより大切)の時代から

元の霊主体従(心、神の霊が中心で、物質はその後)

の時代に帰ろうとしています。

 

NASAが撮影した夜の日本。

まさに国常立尊(クニノトコタチノミコト)=龍神そのものです。 

国常立尊(クニノトコタチノミコト)が苦労して作った

元の美しき地球に戻ろうとしています。 

そのために「建て替え」、つまり神々の破壊もすでになされました。 

今は私たち人間の手による「立て直し」の時です。 

既に時代は変わりつつあるため 

隠されていた膿(うみ)も白日の下にさらされ、変化・衰退を余儀なくされています。

※企業風土に隠されていた不正や不義など

今日は地球の現状と、神々の働きについて書きたいと思います。

数年前から始まったコロナによるパンデミック。 

ロシアとウクライナ・NATOにおける軍事行動。 

そして嘘で固められた扇動的なマスコミ報道。 

強大な金融資本主義の亡者たちの力の衰え。

はたして世界がこのように変わってしまうことを予想していた人がいたでしょうか? 

神々の計画では、この機会を逃さずに、一気に片を付けてしまうかの様相です。

日本国内ではなかなか伝わってこない情報もあるようですが、神々による建て替え(破壊)、

そしてそれに呼応するかのように、3次元的な人間世界における大変化。 

変化は突然起こり、私たちは渦中に巻き込まれ、 一気に強制的に変化させられました。 

生活も、仕事も、ライフスタイルも、子供も大人も、お年寄りも・・

果たして、これらが収束した後に、私たちはまた元の生活に戻るのでしょうか?  

戻りたいと思う人も大勢いるかと思いますが、たぶん、もう後戻りできません。

何故なら、収束した後、私たちは一種の正気に戻るからです。 

収束した後気づくのは、あのままの時代が続いていたら

私たちは、どのような悲惨な状況まで落ちていたか?

トコトンまで行ってしまっていたのではないか? 

もしかしたら人間の良心を失っていたかもしれない。。 

公共性を帯び、善だと思っていたマスメディアは、

偏りなく私達に真実の情報を提供してくれていたのか? 

そんなことだと思うのです。 

何故なら、

・コロナウイルスが発生する前までの世界、

・東欧やパレスチナにおける戦争。

・巨大企業に隠された不正・不義

「経済と物質」中心の世界は、 

・金融資本主義社会、

・お金がすべての社会、

・お金や武力の力で人を支配しようとする社会 

恐怖で人を支配しようとする動きが、究極のところまで来ていたからです。 

コロナウイルスが収束した時、夜明けの時、このパンデミック発生前には、 

私たちが、どのような悲惨な状況に直面していたのか? 

気づく時が必ず訪れます。 

 

神々の計画(許し)で、コロナウイルスが世界中に蔓延した。

今まで名前も聞いたことがないし、想像すらしていなかった事件。 

その結果が、

・今までの生活

・社会の状況を一変

ごく一部の権力者や、拝金主義者のために99%の人々が、

恐怖心にしばられ、疲労困憊(ひろうこんぱい)している時、

もうこれ以上、生きていけない、耐えられないという時に 

神々の許しを得て、コロナウイルスが発生しました。

その結果、表面上は、あらゆるもの、既成概念の破壊が起こりました。

それもごく短時間の間に、一気に起こりました。

まさに日本古来の神、国常立尊や、弥勒菩薩の降臨のようです。

これが終わったとき、覚醒した私たちは、誰もがコロナウイルス発生前の、

あんな時代に戻りたいなどと思わないことでしょう。

今までは、一番大切な命を削り、お金のため、利益のために働いていた異常な時代だった。 

そう気づいたとき、新たな時代、命を守る時代が始まります。

もう、

・お金のために眠らずに働く時代

・お金のために人を蹴落とす時代 

そんな時代は、神々の建て替えにより強制終了させられました。

後戻りはしません。

命を守る時代

・自分の命

・家族の命

・身近な周りの命

・生きとし生きるものの命 

命を大切にする時代が始まります。

夜明けは近いです。 

もう既に神仕組みは動き出しています。

もう少しの辛抱です。 

どうぞ希望を持ってください。

「ありがとう」の感謝の心を持つ人は無敵です。 

この古くから神々と共に生きてきた日本列島で、魂は美しき光を放つことでしょう。 

神々の目に留まることでしょう。


2024年8月28日水曜日

3533「「愚民化」成功のメカニズム」2024.8.28

 今回はIn Deepさんの2024年8月25日の記事を紹介します。


「「愚民化」成功のメカニズム」

「愚民化」成功のメカニズム - In Deep


米国が愚民化に成功した方法論

今回ご紹介させていただく記事は、実は書かれたのが「 2014年」です。10年前であり、アメリカの政権がオバマ政権だった頃のものです。

カナダのメディアであるグローバル・リサーチが 8月24日に再掲という形で掲載していました。「アメリカの愚民化は計画的になされた」というタイトルのもので、とんでもなく長い記事なのですが、この文章を読んでいまして、

「その結果としての 2020年か」

と思ったのですね。

コロナの頃には、アメリカに限らず、「疑わない人たちの群れ」で世界は満ちあふれていました。

愚民化とか愚民化政策という言葉は、確かに、あまりいい響きのものではないですが、確かにそれはずっと行われ続けていたと私も思います。

この記事ではアメリカのことを書いていますが、日本もその最たる国のひとつではないでしょうか。

作者は、アメリカの話として、以下のようなことを要因として記しています。

・教育システムの意図的な低下

・テレビやゲームなどの娯楽やスポーツ、芸能情報等の過剰な提供

・マスメディアによる情報統制

・インターネットの検閲

・毒された食品、飲料水があまりにも多いこと

考えてみますと、この記事は 2014年のものであり、これから 10年経ちました。この 10年で起きたことを思い出しますと、ここにある項目は「どれもさらに進んでいる」ということがわかります。

それどころか、10年前には今ほどスマートフォンやソーシャルメディアは広く流通していませんでしたので、環境は劇的に「悪化」したといえるのかもしれません。インターネットの検索がこの 10年でどうなったかもご存じだと思います。

そして、その中で 2020年のパンデミックが起きました。

いわゆるコロナ禍といわれた中で、パンデミック宣言からワクチン展開に向かうまで、圧倒的に多くの日本国民が「信用」した情報は、テレビやインターネットのメジャーサイトだったと思われますが、他の主要国でも同じだったと思われます。「何かを行うには機が熟していたんだなあ」とも思います。

ともかく、ご紹介する記事は大変に長いものですので、そろそろご紹介したいと思います。

なお、書かれたのはヨアキム・ハゴピアンさんという方で、米ウェストポイント(米国陸軍士官学校)の卒業生で、元米陸軍将校という経歴の人で、退役後は、臨床心理学の修士号を取得し、四半世紀以上にわたり精神衛生分野の公認セラピストとして働いた方だそうです。

ここからです。なお、途中、アメリカの教育制度の問題が長く書かれているのですが、その部分は一部割愛しています。

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アメリカの愚民化は計画的になされた

The Dumbing Down of America - By Design

Joachim Hagopian 2014年8月

エリート層が最も望んでいないことは、政府の専制に反対するために、情報に精通し、力を与えられた大衆が草の根運動を起こすことだ。


もともと、 愚民化(Dumbing down)という用語は、1933年に映画の脚本家によって「教育や知能の低い人々にアピールするように 脚本を改訂する」という意味の俗語として使われていた。

米国人が愚民化されてきた最も明白な例は、この国の失敗した公教育システムだ。それほど昔のことではないが、米国はかつて、地球上で最も質の高い無料の公立 K-12 教育システムを提供し、世界の他の国々の先導モデルとして君臨していた。

しかし、ここ数十年、世界の他の国々の多くが私たちを追い越していく中、連邦政府の陰険な計画が実行され、言われたことをただ実行するだけの無知でロボットのような国民を条件付け、洗脳してきたようだ。もちろん、洗脳は米国の学校で早い段階から始まる。

しかし、私たちが長年にわたって騙され、愚民化されてきた多くの方法を掘り下げる前に、その壊滅的な結果を冷静に見つめることが非常に適切であるように思われる。

差し迫った崩壊の悲観的な警告がある中、米国経済は不況から抜け出せず、衰弱し、生命維持装置から切り離されたまま、もがいている。

これは世界中であまりにも多くの戦争(米国史上最も長く続いている犠牲の大きい敗北であれ、急速に増加している小規模な特殊作戦による戦争であれ、地球の隅々で秘密裏に猛威を振るっているものであれ、あるいはオバマ大統領のお気に入りである、 無人機で満ちた上空からの国家支援によるテロであれ)を遂行した結果だ。

軍産複合体の手先として、米国政府は自国民よりも永続的な戦争を選んだ。この反逆的な決定により中流階級が壊滅し、大学教育を受けた年季奉公階級が多額の負債を抱え、何とかして生き延びる方法を見つけようと奮闘している。

製造拠点がアウトソーシングされ、消滅した今、向上心とアメリカンドリームは現代生活の悲劇的な犠牲者となり、かつてのアメリカの偉大さを悲しく懐かしく思い出させるものとなっている。

米国は地球上で最大の債務国であり、アメリカ人は、急速に沈みつつあり、過剰に拡大した帝国の巻き添え被害に絶望的に陥り、それが全人類の死を意味するとしても、唯一の世界超大国の地位を維持しようと必死に借金に溺れている。

国内では、不運なアメリカ国民たちは、犯罪者の監視と残忍な軍事化された安全保障国家の絶え間ない監視の下で、自国の政府の専制と抑圧の犠牲者になりつつあり、国民は安全、自由、身を隠す場所もなく無防備なままになっている。何世紀にもわたる綿密に計画された計画の後、銀行の寡頭政治家たちは、ついに彼らが計画し、陰謀を企ててきたものを手に入れた。

それは、世界的に強制された緊縮財政と貧困化によって、アメリカと世界中の生活をほぼ第三世界の状態にまで引き下げ、絶対的な支配を実現したのだ。

寡頭政治家たちは、ビデオゲームやスポーツ観戦、キム・カーダシアン(米国の女優、モデル)の最新の衣装のトラブルに夢中になりすぎて、寡頭政治家の長年の優生学計画がすでに順調に進んでいることにすら気づかない愚かな国民を当てにしている。

しかし、この悲惨な結果は、多くの面で長い間準備されてきた。

数十年にわたって、アメリカの若者を対象にした社会工学に従事する壮大な実験は、標準以下の平凡さの最低共通分母の産物を着実に均質化させ、読むことも書くこともできず、批判的に自分で考えることもできないアメリカの若い世代を生み出してきた。

昨年(2013年)のアメリカ教育省の調査によると、米国の高校卒業生の 19%は読み書きができず、成人の 21%は 5年生レベル以下の読解力しかなく、 この驚くべき割合は過去 10年間変わっていない。

(略)

…実質的な質の高い教育とは、好奇心旺盛な成長中の心に批判的かつ識別力を持たせ、質問をいとわず、先入観や受け入れられた教義の現状に挑戦することを教えるべきだ。

しかし、若者に意図的に誤った情報を与え、オペラント条件付け(ネズミの条件付けの実験)の正の強化スケジュールにスキナーのネズミのように反応するように教化する教育システムでは、将来の大人としての子供たちは、寡頭政治家の主人に簡単に制御される小さなロボットになるように形成され、プログラムされている。

インターネットは、世界中の人々に、重要な情報や知識へのアクセスを提供していることは言うまでもない。

インターネットには、ウェブサイト・ユーザーの精神や生活を豊かにするという意味では、ほとんど価値のない情報も数多くあるが、ある程度の努力と識別力のある評価により、インターネットが提供できる最高のものを活用することで、人々は認識と理解を飛躍的に高めることができる。

しかし、真実と知識を広める貴重な手段であると同時に、インターネットは、重要な、命を救う情報さえも瞬時に共有し伝達する能力を備えており、個人や個人のグループが、全人類の集団的利益のために、より大きな成果を上げる力を与える可能性もある。「情報は力である」という古いことわざは真実だ。

情報は力であるという事実から、エリート層が最も望まないのは、情報に通じ、力を与えられた国民が政府の専制に反対する草の根運動を動員することだ。

したがって、 オバマ大統領が選挙運動で約束したネット中立性は、有力な通信会社の幹部トーマス・ウィーラーを FCC 長官に任命したことにより、アメリカ国民に対するさらなる裏切りに遭遇した。そして、予想通りの次の動きとして、インターネットは瞬く間にサイトを検閲し、インターネット利用者に個々のサイトへのアクセスに対して追加料金を課すというプロセスに突入した。

多くの人々が生きていくために経済的に苦労している中、インターネットに予定されている変更は、インターネットが一般大衆に提供している潜在的な利益へのアクセスを妨げ、ブロックすることになるだろう。

しかし、戒厳令下での緊急事態や危機の場合、オバマ大統領はすでに国家安全保障のため、つまり9/11以来、市民の自由とプライバシー権の憲法違反を正当化するために使われてきた流行語の欺瞞のため、インターネットへのアクセスを遮断することを規定している。

これは明らかに、コンピューターが提供する重要な接続ネットワークを通じて人々、グループ、そして潜在的な世界的運動が成し遂げるかもしれない進歩を即座に妨害し、おそらく逆転させるだろう。

そして、米国政府はそのような緊急事態に備えてずっと前から計画し準備しており、警察や軍隊を使ってすべてのセキュリティ装置とリソースを展開し、政府に対する政治的、社会的、経済的不安や反乱を鎮圧するだろう。

インターネットへのアクセスを拒否するこの権力は、米国民が耳が聞こえず、口がきけず、無力なままでいることを確実にするための究極の戦略でもある。

米国を愚民化するためのもう 1つの主な手段は、マスメディアを使うことだ。テレビ、映画、音楽、インターネット、ビデオゲームなどを通じて毎日大量に与えられる表面的なゴミに大衆が忙しく気を取られていると、それらはすべて感覚と脳を鈍らせる最も強力な薬物と同じくらい効果があり、再び人口に対する巨大なコントロールが達成され、維持される。

人々の注意をそらすために大衆に現代の麻薬のような娯楽がたくさんあるため、これらの大衆の気をそらす武器は 、人々が世界で実際に何が起こっているのかを簡単に忘れさせる。

性的娯楽、粗野な物質主義、プロパガンダとしても機能する娯楽、そして莫大な金額を引き付けるスポーツによって魅了される魅惑的な効果など、最も好色な関心に訴える最低共通分母が加わり、寡頭政治家は私たちを彼らが望む場所に、つまり麻痺させ、口をきかなくさせる。

テレビ、ビデオ、コンピューター、映画などのメディアは、すべて、物理的に共鳴し、人間の脳のアルファ波状態を変化させ、催眠的で魅惑的なトランスのような精神状態を誘発する隠された特性を含むように設計されている。

これは文字通り、大衆の認知プロセスを麻薬状態にして歪め、潜在意識に入力された価値観、道徳的および倫理的メッセージ、および人々の無意識の心と将来の行動に強力な拘束効果をもたらす複数の自己暗示を修正および形成する。

これもまた、プロパガンダと偽情報の媒体としてのメディアが常に利用する、計算された洗脳、マインドコントロール、および行動コントロールの別の形だ。メディアが人間に与える 24時間 365日の絶え間ない感覚攻撃は、文化と人口の両方を制御するための非常に効果的な手段の 1つだ。

近年のマスメディアの統合は、国家政府と合併する一握りの多国籍巨大メディア企業に限定されており、思考、信念、現実の認識、および中核的価値観の独占が大衆に植え付けられ、ひそかに維持されている。

このように、地球上の国や地域の全人口は、強力なマスメディアを通じてエリート層から容易に影響を受け、コントロールされている。

政府や主流メディアから、国家が後援するプロパガンダやマインドコントロールとして絶え間なく流されるあからさまな嘘も加わり、寡頭政治家たちは、惑わされ、無力で、どうしようもなく無知な国民を絶対的にコントロールしている。

昨今のマスメディアの均質化効果により、記録された人類史上前例のない世界的な影響力を持つようになり、この惑星の人々は急速に、寡頭政治家の完全な権力とコントロールの下で、プログラムされた羊の群れや無思慮な自動機械になってしまっている。

中毒性について説明した際に先に述べたように、違法か合法かを問わず、すべての薬物は、その性質上、人々の心を愚かにし、脳の機能を損なう。

処方薬と市販薬はどちらも一般的に中毒性があり、身体的、精神的、感情的の症状を常に抑え、どんな病気に対しても素早い逃避や即効薬として機能する。現在、驚くべきことに、全アメリカ人の約 70%が少なくとも 1種類の処方薬を服用している。

化学的に加工された食品、化学物質やホルモンを注入した肉製品、遺伝子組み換え生物(GMO)、および殺虫剤をたっぷり使った食品など、米国民のほぼ全員が日常的に摂取している食品がもたらす有害で、しばしば致命的な影響を考慮すると、同様の被害と愚民化の影響はさらに大きくなる。

大衆は体内に蓄積された毒素で自らを中毒に陥らせている。

しかし、ほとんどの場合、高価なオーガニック食品を購入する余裕がないため、何を食べるかについてはほとんど選択肢がなく、もちろん、利益が人命よりもはるかに価値があるとみなされるときに、モンサントが故意に、悪意を持って情報へのアクセスを妨害することで、状況は悪化している。

2016年にバーモント州が GMO ラベル表示を義務付ける最初の州として法案を可決したにもかかわらず、これまでのところ、モンサントは免責を維持してきた。

同じことは、アメリカの水道水に添加されている既知の毒素であるフッ化物にも言える。最も研究されている副作用の 1つは、知能の低下だ。

人工の電磁波も地球の電磁波も、 人間の脳内の電磁活動を変化させる能力があり、それが思考、感情、行動を変化させる可能性がある。何年もの間、「秘密工作員」がこの現象を微調整し、軍事兵器として利用する実験を行ってきた。

しかし、当然のことながら、権力者たちは、これらの物議を醸す原因のいずれからも実際に危険となる悪影響はないと主張し、一般市民に嘘をつき続けている。

しかし、愚かになった米国民の中にさえ、権力者によるこうした行為が実際に害を及ぼしていると見抜き、疑う者も多い。政府の極秘主義のため、その害の程度は未だにほとんど知られていない。

多国籍企業が地球上のあらゆる生命に対して犯した破壊的な被害の総体は、何千もの動物や植物種の生態系を破壊した。地球上の生命が過去に大量絶滅した 5回のうち、私たち人間は 6回目の大量絶滅サイクルを急速に引き起こしている。


2024年8月27日火曜日

3532「苦しい時こそ予祝」2024.8.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月21日の記事を紹介します。


「苦しい時こそ予祝」


今日のテーマです。

私たち一人一人が、現在置かれている状況は、全ての全て、

過去の私たちの心の状態が生み出したものです。 

全ての現象・出来事や、物質的な環境も、全て、私たちの心の中にその種があったから

目に見える形で、今目の前で展開されています。 

それほど、私たちの心は大きな力を持っているのですが、それを使わせない、知らせないようにして、私たちが自分で考えることをやめ、「流される人間」を創り出すために、様々な悪魔的な勢力も動いてきました。 

約100年ほど前、アメリカのヒル博士が対話した悪魔的な存在は、

当時として「流される人間」は98%に達したと断言しています。 

ヒル博士は、1920年代の大恐慌時代に、荒廃した人々に、この私たちが持つ「心の力」を公開し、何千万人もの人の心に灯をともし、勇気を与えました。 

令和の時代の現代はどうかと言えば、レインボーチルドレンのそうた君が言うように 

もう愛の星、地球としての復活は難しい・・

という所まで来ているそうです。 

ですが、私たちは縁あって、この地球に、この時代をあえて選んで生まれてきました。 

この地球、愛の星の未来を諦めるわけにはいきません。 

  

この「流される人間」から脱却するには・・ 

自分の心を見つめ、自ら考え

自らの足でしっかりと大地に立つにはどうしたら良いのでしょうか? 

自分の心を

・愛

・おもいやり

・助けい合い

・おかげ様、お互い様

・夢

・希望

・感謝

の心で満たしていくしかありません。 

イエスの教えてくれた黄金律、そしてブッダの教えてくれた感謝の心の重要性は、

今の時代でさえ、決して変わることがありません。

自分の心を整えていく作業は、誰も助けてくれません。 

自らの足で一歩を進めなければなりません。 

そのために、今日のお話を始めます。 

 

私たちの心の状態が、全てを決めます。 

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ 

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの

などにして、好奇心をくすぐる目的の、下品な物や面白おかしくデフォルメされた・・・

・ゴシップ

・人をだましたり

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり 

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。 

何故なら、心に在るものが、何時か現実化されるからです。 

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。 

もし今の現実を変えたいならば、幸せになりたいのなら、

心癒される環境に身を置きたいのなら、人や周りを変えようとするのではなく、

自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。

そのためには、感謝の気持ちが大切です。

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、

私たちが神さまと同じように作られたからです。

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、 

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、

若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、

「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」とおっしゃいました。

目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた、自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。

明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」、「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためにはまず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、

人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということが

わかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は、命の使い方。

この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも、私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>

 

渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、

うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは

そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり

そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように、病気さえも無駄ではなかったことになります。

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが肉体ではなく、魂の成長にとって必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。

周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、究極的には、肉体が亡くなって天に返る時には、

今の状況に至るためには、その出来事が必要なことであった、そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ずまず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、

幸運がやってきます。

それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。

いわば前祝い。 

たとえ、どんなに今が苦しく、辛くとも、先に喜び、先に祝うことで、

(※ふりでも構いません。神様を信じ切る事で) 

次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる。

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、

仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。 

何故なら心がワクワク楽しいことで満たされていたら、例え今は不幸でも、 

必ずそれと同じ波長のことが現実化されるからです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち笑顔で生きて行きたいものですね 



2024年8月26日月曜日

3531「一期一会」2024.8.26

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月20日の記事を紹介します。


「一期一会 」


さて今日のテーマです。 

憎しみの心を抱えたままでは、決して本当の意味での幸せにはなりません。 

憎しみを持つ限り、自分自身で、その憎しみの種にしがみつき、必死で握りしめているので、

もがけばもがくほど、強く自分自身にまとわりついてくるからです。 

また自分自身を傷つけて体の不調や病気にもなります。

古事記では、この宇宙に最初に現れた神として

造化三神(ぞうけさんしん)のことが書かれています。

・アメノミナカヌシ(天之御中主)

・タカミムスヒ(高御産巣日)

・カムムスヒ(神産巣日)

この神々は、宇宙に現れると同時にお隠れになったと記されています。

このお隠れになるとは、虚空に消えてしまった・・と言う意味ではありません。 

この宇宙そのものが、神の中に入ったという意味なのだそうです。 

ですから、私たちが住むこの宇宙は、神々の胎内に存在しています。

神々の本質は愛ですから、この宇宙の根本も「愛」から成り立っています。

この原則から外れるものはありません。

・こういう場合には、「愛」は通じるが、

・このような場合には通用しない 

そのようなことは決してありません。  

また量子力学が発見した通り、私たちの宇宙は、波動であり、物質でもあります。 

波動は見えませんが、

それは周期的な波であり、発すれば減衰はしても宇宙中に広がります。 

波動の周波数の違いによって、物質界に様々な現象を起こします。

この宇宙において波動の法則は、厳然として存在しています。 

俗にいう、「類は友を呼ぶ」という法則です。 

 

ある友人、グループ、職場、サークルなど、人々が一堂に会している場合、

そこには同じような波長が存在し、

皆が、その波長に共鳴し、引き寄せられて集まっているということです。 

自分の発した波動は、肉体を超え、宇宙の隅々まで広がりますから、

何か、意識した途端、その効果は、宇宙全体に広がり、同じ波長をもつ者がキャッチします。

場合によっては、現実に引き寄せ合い、目の前に現れます。 

それでは、神様に近い存在にまでなった迫登茂子さんの「言の葉づくし」よりご紹介します。

 

鐘の音の激しさに 恐れ

優しさに 安堵する


口から出る 言葉の激しさも

人を飲み おののかせる


同じ言葉なら

安らぎを与える言葉を口にしよう


安堵の表情を見届けるなんて

とても幸せなことなのです

 

迫登茂子さんは、素晴らしい愛の感受性をお持ちです。 

このような、

・優しさ、

・愛、

・思いやり 

の繊細な心(内にいらっしゃる神さま)を感知できる柔らかな感受性を持ちたいものですね。

あなたには 愛していらっしゃる人や仲間と呼べる方がいらっしゃいますか?

お子様であったり、妻であったり、夫であったり

ご両親かもしれません。 既に亡くなった方かもしれません。

それとも心許せる人など、一人もいられませんか?

それでも、生まれた時の事を思い出してみてください。  

ご自分が少女であったり、少年だった時の事を思い出してみて下さい。

誕生をご両親は喜んでくれませんでしたか? 

一緒に遊んでくれた友達はいませんでしたか? 

優しく接してくれた先生はいませんでしたか?

あなたの愛する人が、ほっと安堵の表情を見せてくれた時、 

笑顔を見せてくれた時、あなたの心に 何か変化はおきませんか?  

何か温かなものが全身に流れませんか?

もしかしたら、それが、「愛」と言うものかもしれません。 

  

皆さん、愛する人や、良き仲間がいらしたら、どうぞ大切になさってください。

そしてご自分でも良き仲間となれるように、感謝と思いやり、

お陰さまのお気持ちでお過ごしください。

それはとっても 幸せな状態なのですから。

そして、ここにおいても、心しておかなければならないことがあります。 

例え愛する人、良き仲間であろうと、別れの時は、必ず来るということです。

生涯死ぬまでずっと、心の通じ合う人と一緒というのは稀です。

もし今、お幸せなことに、心許せる人がいるのなら、一期一会(いちごいちえ)の精神で、 

その美しく温かな関係性の機会は、

もしかしたら二度と訪れることが無いかもしれないことを 心して、

愛する人、仲間を、大切に大切に、優しさ、思いやりの心など、

自分のできる全ての良きものを持って、全身全霊でお付き合いしたいものです。

そして、目いっぱい、その運命の出会いを楽しみ、愛と友情をはぐくんでください。

たとえ運命が、別れを準備していても、

その一瞬の煌めきは、決して消滅するものではないからです。

魂を揺さぶる、仲間との出会いは、死を超えて魂に刻みこまれます。

魂の成長に、何らかの必要があれば、また必ず再び 交り合うこともあるでしょう。

でもそれは、自分が決めることではなく、自然の流れとして起こってきます。

私たちの人生のタイムラインを管理してくださっている神さまが決めることです。

私たちは、ただ自然の流れに従い、逆らわず、今、目の前に居る人に

愛を込め、誠意を込めて、真心で接していくだけです。

流れに逆らい、既にエネルギーは別の方向に向かっているのに、

固執し、執着して手放さないと、運気は確実に下がって行きます。

神さまが用意してくださった方向を、自分の欲望と執着心で拒否しているからです。

「諸行無常」・・ 少し寂しい法則に感じるかもしれませんが、

宇宙は変化があるからこそ、進化し発展してきました。

自分にとって、辛く悲しく、苦しい状況も「諸行無常」の摂理が働くからこそ、

次は良い方向に変わって行くのです。

ピンチがチャンスに変わって行くのです。

幸運は、不幸な顔をしてやってくることができるのです。

その繰り返しを通じ、私たちの魂も、変化し、進化していけます。

あるがままに、自然の流れに身を任せ、無理をしないこと。

現状に感謝すること。

刻々と変わり行く、この人生。楽しんで行きましょう。

笑顔と笑いがあれば、きっと何でも乗り越えて行けますから。



2024年8月25日日曜日

3530「うつと霊」2024.8.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月19日の記事を紹介します。


「うつと霊」

 

正しい方法で先祖供養することで、神々との橋渡しをしてくださっているご先祖との絆が強化され、真の意味で幸福に、そして、様々な見えない者、見える者からの障害から守っていただけることでしょう。 

また今日のテーマのように悪意ある霊的な存在達からも守ってくださることでしょう。 

  

なぜなら、物質世界に暮らす私たちには、

見えない世界は感知することができず、無防備ですが、 

そのことを神様が放っておくはずがなく、 

見えない世界のことは、黄泉の国の存在である、

神々や、そして、その橋渡しをしてくださるご先祖が

必ず力を貸してくださるからです。 

霊的な障りには、先祖供養を強くお勧めします。

  

さて今日はうつ病や、その他の病気について書きたいと思います。

記事の中に霊体のお話も出てきますので

ご興味のない方は遠慮なくスルーされてくださいませ。

小林正観さんの うつからの脱出の方法についてご紹介します。

<引用開始> 


『それはうつ病の特徴でもありますが、

私自身も若い頃に二度、そういう経験があったのでよくわかりますし、

ひとごとではありません。』

小林正観さん自身のウツ症状について書いてある一文です。

ウツ病というのは、それを持ち込んでくる霊体があり、

それが憑くと発病、離れれば治る。

笑顔や明るい言葉が、ウツの霊体は嫌い。

楽しくなくても【祝福神】(以下の7つの言葉を正観さんはそう名付けた)

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を言う。笑顔を作る。

一週間に3000回以上も言い続け、ウツ病が治ったという報告があった。

『宇宙を解説百言葉』より

<引用終了>


この病気には、ずいぶん多くの方が悩まされています。

それだけ世の中がすさんできている証拠だと思います。

ご本人はもちろん、ご家族の方も、本当にお辛いですね・・

小林正観さんは、人生好転の方法として、

よく言霊を教えていらっしゃいます。 斎藤ひとりさんもそうですね。

それはきっと、「南無阿弥陀仏」 のように 

一般の私達にとって、簡単でとっつきやすく、そして継続がしやすいからだと思います。

そしてそれらの言葉の秘められた力ももちろんあります。

幸せになる方法を理屈でどうこう説明されても、

なかなかそれを正しく理解して実践する事は難しいですので、 

この言霊の方法は、本当に素晴らしいと思います。

正観さんも若い頃、うつ病だったのだそうです。

「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子さんも、50代でうつ病を発症しました。

ですから、今、この病気にかかって苦しんでいる沢山の皆さん。

決してあきらめる必要はありません。

勇気を持って下さい。 絶対に治りますから。大丈夫です。

 

正観さんの教えてくれた方法は単純です。

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を何度も何度も、繰り返し言うことだけです。

(声に出さなくても結構です。気持ちがこもっていなくても結構です)

宇宙の法則に、似合わないことは起こらないと言うものがあります。

似合わないことは起きない!

だから「うつ」や「パニック障害」が似合わない人になることが、

この病気から脱出する近道なのです。

斎藤ひとりさんはこんなことを言っています。(姿かたちから入るやり方です)

要するに、不幸や苦労が似合わない格好すると、

そういうこと(不幸や苦労)は起こらない。

「もっと、しあわせ」になれるよ、ということです。

不幸や苦労が似合わない格好とは何かというと、まず明るい色の洋服を着ること。

キラキラ光るアクセサリーを身につけること。

髪にもつやを出し、靴はきちんと磨いたピカピカのものを履くこと。

こういうふうに明るくて華やかで輝きのある恰好をして、

顔がつやつやの人は、どう見ても「しあわせそうだなぁ」としか思えません。

苦労や不幸はまったく似合わないのです。

似合わないことは起きないのですから、幸せな人に変わってきます。

また失恋して落ち込み、死にたいと相談に来た人がいるとします。

そう言う時は、まずは「腹ごしらえをしよう」と餃子の王将に連れて行きます。

そこで、どんどん餃子を頼み、食べさせます。

すると、死にそうな人が、油ギトギトな餃子をほおばる姿は似合いませんから、

その人から「死にたい」という意識は消えていきます。


正観さんの教えてくれた方法

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を最初言うのは辛いかもしれません。 

ですが、頑張って続けていけばクセになります。 

そうするといつの間にか病気から脱出している。。 ということです。

病気で苦しんでいる皆さんが、どうか、お幸せになりますように・・・


2024年8月24日土曜日

3529「まるごと受け入れる」2024.8.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月18日の記事を紹介します。


「まるごと受け入れる」

  

さて今日は悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂くために、

そのヒントとなればと、ブッダのお話からご紹介します。

 

ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。

ブッダが悟った「苦」とは 

世の中は自分の思いどおりにならない 

という意味でした。 

災難の中に居ることが「苦」ではありません。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、

結局は自分だけの問題だということになります。 

何故なら、ブッダが般若心経で教えてくださったように、 

どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、自分の心が苦痛を感じているからです。

外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。

それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。

全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、

人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。

そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、

他人が自分(=私)の思う通りに動いてくれないことから発生していると言われます。

多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、

そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を、自分の思う通りに変えようとせず、

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように

神さまが、この世の中を作ってくださっています。

 

神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、

「ありがとう」と肯定したという意味になります。

神さまにとって「肯定された」ということは、

自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

小林正観さんが仰るには、 

神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、応援支援をしようと思うみたいなので、

肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、 

「手に入っていないもの」を挙げ、

「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。 

またビジネス社会でもそうですね。

売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。

また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。

一方、 

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている 

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。 

神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う小欲知足の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。

宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・  

そのような方法論はもう古いのかもしれません。

神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。 

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。 

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか? 周りと調和していくのか?

そう考える方が時代の潮流のようです。 

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。

  

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。

すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。 →縁起の法則と言います。

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。

自分の努力や力ではなく、 

全てが目に見えない神さまや、

宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、 

あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。 

何故なら、その現象は、

私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。 

それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。

泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、 

置かれた場所で、美しい花を咲かすことが、

きっと誰にでもできるのです。 


2024年8月23日金曜日

3528「秋田の聖母マリア」からメッセージ」2024.8.23

 今回はIn Deepさんの2024年8月18日の記事を紹介します。


「秋田の聖母マリア」からメッセージを受け続けた修道女シスター笹川が8月15日に逝去。そこから連鎖的に思い出すファティマのメッセージと、そしてロシア」

「秋田の聖母マリア」からメッセージを受け続けた修道女シスター笹川が8月15日に逝去。そこから連鎖的に思い出すファティマのメッセージと、そしてロシア - In Deep


世界的に著名なシスター笹川が逝去

バチカンが過去に正式に認めた「聖母出現」事象はいくつかありますが、その中でも世界で最も有名なもののひとつが「秋田の聖母マリア」の聖母出現事象です。

秋田の聖母マリア - Wikipedia より

秋田の聖母マリアは、日本の秋田県秋田市添川湯沢台にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」で起きたとされる一連の奇跡現象を意味する呼び名。

「秋田の聖母マリア」は教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、日本より海外での知名度の方が高い。なお、このとき涙を流した聖母像はすべての民の御母を模した聖母像であった。

発端は1973年に、同会所属の修道女の手の平に、出血を伴う十字架型の傷が現れたことである(これは聖痕と呼ばれ、世界各地で、ときどき事例報告がある)。

そのほかにも、木製の聖母マリア像からの 101回に渡る落涙および芳香現象、3つのお告げなどの奇跡があったと言われている。これらの奇跡は 1984年まで続いたとされている。

涙を流す秋田の聖母マリア

この聖母のメッセージを受け続けたのが、聖体奉仕会所属の修道女であるシスター笹川さんという方で(海外では、シスター・アグネス笹川とも呼ばれます)、このシスター笹川さんが 8月15日に亡くなったことを米国のカトリックサイトが大きく伝えていました。

この訃報記事は、その日の同メディアの記事ランキングで一位となっていまして、欧米のカトリックの人たちにもかなり幅広く知られていた方のようです。

ご年齢は 93歳で、死因は老衰と報告されています。

まず、そのカトリック系サイトの記事をご紹介してから、少し昔を振り返ってみますと、「現在の社会情勢」との奇妙な関係も出てきたりします。

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秋田の聖職者アグネス・ササガワ修道女が聖母被昇天祭の日に死去

Sister Agnes Sasagawa, Seer of Akita, dies on Feast of the Assumption

lifesitenews.com 2024/08/16

シスター・アグネス・ササガワ

秋田の聖母マリアに由来するメッセージを世界に伝えた日本人修道女が亡くなられた。

秋田県郊外の修道院で聖母マリアの出現や発言を報告したシスター・アグネス・ササガワさんは、聖母被昇天の祭日である 2024年8月15日木曜日に 93歳でお亡くなりになった。

アグネス修道女の修道会「聖体奉仕会」は本日、最も高名な修道女が午後1時40分頃(日本時間)に亡くなったと発表した。同修道女会は次のように書いている。

かねて療養中だったアグネス笹川カツ姉妹が老衰により昨日天に召されました。93歳でした。

本人の希望で医大に献体となり、葬儀ミサも会員のみで本部修道院で捧げられました。皆様より生前賜りましたご厚意に深く感謝申し上げます。

聖体奉仕会

アグネス修道女は、1973年7月6日、8月3日、10月13日に聖母マリアからメッセージを受け取ったと報告しており、カトリック教徒の間では聖母マリアの称号の一つである「秋田の聖母の聖見者」として有名だった。

2019年には、アグネス修道女が天から別のメッセージを受け取ったという報告があった。

1973年、アグネス修道女は、最初のメッセージ(7月6日)で、自分が患っていた難聴が治ると約束され、教皇(当時はパウロ6世)、司教たち、司祭たちのために「心から」祈るよう求められたと語った。

2回目(8月3日)には、アグネス修道女は「天の父は全人類に大いなる懲罰を与える準備をしている」が、それは「祈り、悔悛、そして勇敢な犠牲」によって緩和できると告げられたと伝えられている。

3番目のメッセージ(10月13日)は、核戦争の脅威を多くの人に伝える言葉で、来たるべき罰について詳しく述べた。「空から火が降り注ぎ、司祭も信者も容赦なく、善人も悪人も人類の大部分を滅ぼすでしょう。生き残った人々は、死者を羨むほどの孤独に陥るでしょう」

アグネス修道女はまた、「悪魔の働きは教会の中にも浸透し、枢機卿同士、司教同士が対立するようになるでしょう」と告げられたとも報告した。

「私を崇拝する司祭たちは、同僚たちから軽蔑され、反対されるでしょう…教会と祭壇は略奪されるでしょう。教会は妥協を受け入れる人たちでいっぱいになるでしょう。そして悪魔は、多くの司祭と聖別された魂に、主への奉仕をやめるよう圧力をかけるでしょう」と二番目のメッセージは続く。

アグネス修道女は、これらの災難はロザリオの祈りを通して避けることができ、秋田の聖母を信頼する者だけがそれらの災難から救われるだろうと報告した。

4番目のメッセージは、アグネス修道女が 2019年10月6日に受け取ったと伝えられているもので、天使からのもので、「自分を灰で覆い」、毎日悔悛のロザリオの祈りをするように告げたという。

最初の 3つのメッセージは、秋田郊外の田舎にある聖体奉仕会のアグネス修道女に伝えられたと伝えられている。

声が聞こえたのは、1963年に地元の彫刻家が桂の木から彫った、高さ 3フィート(91センチ)の秋田の聖母像だった。

修道女たちによると、アグネス修道女が最初のメッセージを聞いたその日に、像の片方の手に傷ができたという。像は消える前に、この傷から 4回血を流したと伝えられている。その後、像は汗をかいたように見え、2年後には泣いているように見えた。

1975年から 1982年の間に像は 101回涙を流し、この現象は何千人もの目撃者によって見られ、日本のテレビでも放映された。

報告によると、アグネス修道女は、当時 42歳の修道女で、最初の言葉を聞く前に修道院に入ってわずか 2か月しか経っておらず、1973年5月に修道院に入るわずか数か月前に聴力を失っていた。

EWTN (カトリックのサイト)は、彼女の奇跡的な体験はその年の 6月12日に始まり、礼拝堂の聖櫃から光が流れ出るのを見たと伝えており、その現象はその後 2日間続いた。6月28日には、十字形の傷が彼女の左手に現れ、痛みと出血があった。

彼女が受け取った最初の 3つのメッセージは、彼女がその現象を報告した新潟の地元の司教、ジョン伊藤庄治郎司教に伝えられた。1984年、伊藤司教は正式にそれらを超自然現象であると宣言し、秋田の聖母への信仰を奨励した。

________________________________________ここまでです。

なお、この秋田の聖母の出現を正式にバチカンで受理したのは、後の教皇ベネディクト16世でした(当時は、ラッツィンガー枢機卿)。

関係ない話ですが、ベネディクト16世は第 111代の教皇だったのですけれど、10年以上前に「聖マラキの予言」というものを取り上げたことがありまして、マラキさんとは、12世紀頃の聖職者なのですが、その予言は以下のようなものでした。

「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」より 111番目の教皇

111.オリーブの栄光 - ベネディクト16世(2005-)

ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。

ローマ人ペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。

終わり。

「終わり。」で締められているわけですが、つまり、

「ローマ法王は 111代目で終わりとなる」

と、このマラキの預言は述べていたわけですね。ベネディクト16世で終わりだと。

若き日のベネディクト16世
  

記事は以下にあります。

(記事)最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世(1): 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸In Deep 2013年02月13日

しかし、今現在もローマ法王はいて、112代ということになっているのですけれど、「さて、あれは本当に本物?」ということを、たまに思ったりもしますけれど、それはまあいいです。 

話をシスター笹川に戻します。

  

連鎖的に思い出すファティマのメッセージ

先ほどのカトリック系サイトの記事には、以下の部分がありました。 

> 3番目のメッセージ(10月13日)は、核戦争の脅威を多くの人に伝える言葉で、来たるべき罰について詳しく述べた。「空から火が降り注ぎ、司祭も信者も容赦なく、善人も悪人も人類の大部分を滅ぼすでしょう…

この日のメッセージが公式では最後のメッセージとなっているのですが、全文は以下となります。

秋田のマリアからの最後のメッセージ(1973年10月13日)

愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。

前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。

そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。

よい人も悪い人とともに、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。

その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。

悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。

わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協するものでいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。

特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。

これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。

勇気をもって、あなたの長上に告げて下さい。あなたの長上は、祈りと贖罪のわざに励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。

あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。

これからはあなたに遣わされているものと、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えて下さい。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしによりすがるものは、助けられるでしょう。

秋田の聖母マリア

 

ところで、その後、2019年10月になり、シスター笹川は、他のシスターに、

「時が近いと感じた」

と述べていたことも書かれています。

2019年10月といえば、新型コロナが出てくる直前ですので、その頃の私は、「コロナのことを言っていたのかなあ」とかも思っていましたけれど、しかし、コロナ社会の描写には、シスター笹川に告げられた以下のような光景は伴っていませんでした。

> 火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人とともに、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。

 

やはり「別の件」なのでしょうね。

そしてですね。

話が少し込み入りますが、1917年にポルトガルのファティマという場所で、少年少女 3人が聖母マリアからメッセージを受け取った「ファティマの聖母」という事象があったのですが、その内容が、秋田のシスター笹川が受け取ったメッセージと、「よく似ていた」とされているのですね。

あまりゴチャゴチャいろいろなことを書きますと、むしろわかりにくくなりますけれど、ファティマの聖母と秋田の聖母の関連については、以下の 10年ほど前の記事にあります。

(記事)ファティマの聖母から知る「永遠の地獄」への序章(1) - 「地獄」は神話ではなく、事実として存在する

In Deep 2015年03月15日

1917年にポルトガルのファティマで聖母マリアと名乗る女性と会い続けた3人の少女少年

ちなみに、1917年7月13日にファティマで、ルシアとヤシンタとフランシスコの三人の少女と少年に聖母マリアが伝えたメッセージは以下のようなものでした。今回は、これを提示させていただいて記事を締めたいと思います。

1917年7月13日のメッセージ

…その後、神様はいろいろな罪を戦争、飢餓、教会と教皇の迫害の形で罰されるでしょう。

それを阻止する為に、私はロシアが私の汚れない心に奉献されることと、初土曜日に償いの聖体拝領がなされることを望みます。

もし人々が私の望みに耳を傾けるなら、ロシアは回心し、世界に平和が訪れるでしょう。もしそうしなかったら、ロシアは世界中に誤謬を広めて戦争と教会の迫害を推し進めることになるでしょう。

罪のない人達が殉教し、教皇様には多くの苦しみが訪れます。いくつかの国はもう無くなってしまいます。

それでも最後には私の汚れない心が勝利を収めるでしょう。教皇様はロシアを私に奉献し、ロシアは私に回心するでしょう。そして、何年かの平和が世界に訪れるでしょう。

ファティマの聖母

ファティマの聖母のメッセージでは、このように「ロシア」という言葉がかなり大きなキーワードとなっているのです。

前回は、「プーチン大統領の忍耐が限界に達するのはいつか…」というような記事を書きましたけれど、シスター笹川さんが亡くなったことを知りまして、連鎖的にこのファティマの言葉も同時に思い出しました。

シスター笹川さんが 2019年10月に感じた「時が近い」という状態は、どういうものを感じられていたのかはわからないですが、確かに時は近いのかもしれないなあ、というように少し思います。


2024年8月22日木曜日

3527「許し」2024.8.22

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月16日の記事を紹介します。


「許し」


あなたはもしかしたら、 

・子供や家族、

・会社の同僚、

・友人

・すれ違った人々 

の誰かを、許せないと思ったことはありませんか?

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、 

自分のひとりよがりの価値観で判断し、

相手の言動を許せず、憎んだり

不平を言ったり、イライラしていませんか? 

自分は正義の道を歩んでいるのに、 

相手は割り込みしたり、ぐうたらしたり

自分勝手な行動をして・・と、怒ってはいませんか? 

でも、その人も、その人なりに・・・ 

一生懸命に、生きているのかもしれないのです。

私達の見えないところに、その人にもご家族もいて

歯を食いしばって、一生懸命に生きている人かもしれないのです。 

今日のテーマは「許し」です。 

許すこと

人は

・許されること、

・そして信頼されること

そのことで、どんなに心が救われることでしょう。

 

許してくれた人から、受け取った大きな愛を、 

自分の周りの人々にまた、

どんどん広めていくことができるでしょう。

私たちの内に、そして

全員の胸に居らっしゃる神さまは決して罰しません。 

根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

それはまるで、放蕩息子の帰りを全力で喜び迎えた父、神の気持ちと同じです。

私たちは、共に許し、許され 

そして、愛し愛されて

生きていく仲間同士です。 

 

私たちは、常に振動しています。

私たちだけではありません。

存在するもの全てに振動があります。

波動を発しています。

これを固有振動数と言います。 

バシャールなどの知的生命体の情報では 

私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回 

波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回 

肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、

1秒間に33万3000回位なのだそうです。 

日ごろの意識状態によって、これは常に変化しています。 

変化していくことで、波長の法則の通り、繋がってくる世界も無限に変化します。 

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界 

 

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・

ですので、心の波長が

見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、お酒や、生卵などの物質的なモノを要求していると

感じる方がいるかもしれません。 

その同じ龍を、高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。 

同じものを見ているようで、

心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々と異なります。 

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。 

ですから、神々が全ての次元に存在するように、人間も、無限の波長領域に存在できます。

また、神々が全ての空間に存在するように、人間も全ての空間に、遍満して存在しています。

生きている私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって

接触できる神々の波長(高貴さ)も決まってきます。

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、地獄的な低い振動数で 

同じ神さまを見ても、自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。 

他人を支配しようとする神々と繋がることでしょう。 

  

あなたの神さまは

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか? 

人の数だけ、波長の違いがあります。 

人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。

自分が正しく、あなたのは、誤り・・ 

そんなことを断言する資格は、、、誰にもないのかもしれません。 

私たちの内に居らっしゃる神さまは許しの神さまです。 

イエスは

「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。 

私も、そんな許しの、愛の神さまといつも、繋がっていたいと思います。

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、

ご自分と同じ波長の神様であることでしょう。



2024年8月21日水曜日

3526「厳しい環境と美しい心」2024.8.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月15日の記事を紹介します。


「厳しい環境と美しい心」


全ての悩み、苦しみの原因は心が作り出しています。

幸せも、心が作り出しています。 

素直な感謝の心さえ持てれば、今すぐにでも幸せになれます。 

心の中に憎しみがあっては、幸せに何時まで経っても手が届きません。 

今日も、その心を清め、本来の光り輝く魂を表に出す、お話です。 

このように書くと、何だかお祓いの効果に似ていますね。

今日のお話は、耳が聞こえない聴覚障がいがあるご両親に育てられた女の子が、

心優しい娘に成長し、そしてお嫁に出て行こうとする時のお話です。

私たち人間は、裕福で、お金の心配もなく、健康で、家族にも取り立てて問題もなければ、

普段は、自分の心の状態を振り返ることも、心の中にある、嫉妬やねたみ、悪魔的な要素に気づくこともないかもしれません。

 

それゆえに、反省なく、心を清めようなどと自ら思うこともなく

何時までも魂の成長は望めないかもしれません。 

翻って、貧困や、事故、病気、死別、リストラなど人生の一大事な環境に置かれると、

その環境から抜け出したくて、あちこちに頭をぶつけたり、苦しみ、もがきます。 

悔し涙を流すかもしれません。

ですが、その逆境こそが、私たちの魂にとって、研ぎ石の役割を果たし 

私たちの魂をはるか高みにまで連れて行ってくれることもあります。

<引用開始> 「NTT西日本」コミュニケーション大賞受賞作品より


加奈子ちゃんが近所に引っ越してきたのは、まだ小学校三年生のときでした。

ときどきわが家に電話を借りに来るのですが、

いつも両親ではなく加奈子ちゃんが来るので、

おかしいなと思っていたのですが、しばらくしてその訳がわかりました。

加奈子ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障がいがある方で、

お父さんは言葉を発することが出来ません。

親御さんが書いたメモを見ながら、 

一生懸命に用件を伝える加奈子ちゃんの姿を見ていると、

なんだか胸が熱くなる思いでした。

今なら携帯電話のメールがありますが、その時代を生きた聴覚障がいを持つ皆さんは、

さぞ大変だったろうと思います。

加奈子ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、

それから間もなくのことでした。

しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい少女だったのに、

ご両親のことで、近所の子供達にいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。

そんな加奈子ちゃんも中学生になる頃、父親の仕事の都合で引っ越していきました。

それから十年余りの歳月が流れ、加奈子ちゃんが加奈子さんになり、

めでたく結婚することになりました。

その加奈子さんが、

「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」

と頭を下げながら、わざわざ、招待状を届けに来てくれました。

 

私は覚えていなかったのですが、

「加奈子ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。

だから負けずに頑張ってネ」

と、小学生の加奈子ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。

そのとき「ユビキリゲンマン」をしたので

どうしても結婚式に出て欲しいというのです。

「電話でもよかったのに」と私が言うと、

「電話では迷惑ばかりかけましたから」と加奈子さんが微笑みました。

その披露宴でのことです。

新郎の父親の謝辞を、花嫁の加奈子さんが手話で通訳するという、

温かな趣向が凝らされました。

その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、お互いの呼吸を合わせながら、

心をひとつにして進みました。

「花嫁加奈子さんのご両親は耳が聞こえません。

お父さんは言葉も話せませんが、こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。

障がいをお持ちのご両親が、加奈子さんを産み育てられることは、

並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。

嫁にいただく親として深く感謝しています。

加奈子さんのご両親は

“私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません”と申されますが、

私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、

最高の誇りに思います」

新郎の父親の挨拶は、深く心に沁みる、感動と感激に満ちたものでした。

その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた加奈子さんの姿こそ、 

ご両親への最高の親孝行だったのではないでしょうか。

 

花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、大きな大きな拍手の波が、

いつまでも披露宴会場に打ち寄せました。

その翌日、

新婚旅行先の加奈子さんから電話が入りました。

「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、我が家の約束ごとでした。 

ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」

という加奈子さんの言葉を聞いて、再び胸がキュンと熱くなりました。

<引用終了>


この花嫁の女の子、幸せになって欲しいです。 

いえ、きっと幸せになった事でしょう。 

幸せとは、自分の心が感じるものだからです。

周りの状況は、関係ありません。

子供の幸せを親ならだれしも望みますが、本当の躾とは、

口うるさく子供を縛ることではなく、 

親の生き様、生きる姿勢を見せることかもしれません。

親の一挙一動、心の動きまでも、 

子供たちは見ていて、真似るものですから。 

心の中に憎しみの種はないか?

心の中に常に感謝の意識が宿っているか?

ご自分の未来の幸せのためにどうぞ、もう一度点検してみてください。



2024年8月20日火曜日

3525「観音様の涙」2024.8.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月13日の記事を紹介します。


「観音様の涙」


神様は優しすぎる故、縋ってくる人々を

・助けてあげたい

・願いをかなえてあげたい

と思うのだそうです。

そして、参拝に来られた方々の願いを叶えます。

但し、叶えて下さるその願いとは、 

その方の肉体の願いではなく、魂の方の真の願いです。 

ですので、魂の願いを知らず、肉体から発する願いにしか気づかなければ

神様が叶えて下さった願い事にも気づかないことでしょう。 

魂の願いとは、生まれてくる前に計画してきた

この人生での目的。やってみたいこと、経験したいことです。 

瀬織津姫
 

ですから、神社でお願いしたことと違っていることも多いです。 

ふつうは、魂と肉体の願いを一致させるのは難しいですから。

このブログを通じ、仕事や、お金儲けのためではなく 

・神さまのこと

・神様と人間

・人間として生まれて来た目的

・苦しみや悲しみ、涙の意味

・永遠の魂としての真実の幸せになる方法

などを毎日書いています。 

きっとこの記事を読んでいらっしゃる方の大半が「神さまが好き」な人だと思います。

またここに書かれたことを実際に実践してくださって

幸せになられた方も沢山報告くださいます。

その真実に気づけば、ご本人だけでなく、

ご家族も、そして、既に黄泉の国へ帰られたご先祖さえも幸せにします。 

木花咲耶姫

※下記の「観音様」という言葉を「神さま」と置き換えてみると、分かりやすいかもしれません。 

今日は、苦しみの淵で涙されている方のために書きます。

元気いっぱいで、ご興味のない方はスルーなさってくださいね。重いですから(笑)

今日は「観音さま」のお話です。

「哀切かんのん」のお話です。

哀切かんのん
 

人生に三十三の難所があるとか

だれでも苦悩の路を通る

哀しい事だけれど

人となるための定めなのか

泣いて叫んで救いを求めると

哀切の声で「ここまで早くおいで」と

涯(がけ)の上から身をのり出して

白い両手をさしのべられる

けれど恐れてその手を信じない

ふれたら突き離されるかと 信じる事を失った習性

観世音のあなたは

唯、哀しき瞳もて立ち給う

観音さまは、苦しむ私達に 

「ここまで早くおいで。私の言葉をお聞き、私の顔をみなさい。 

私はこうしてあなたを助けようと語りかけているのですよ」と言って両手を差しのべていても、そんな観音さまが信じられない

といって、苦しみのなかでもがいているのが私達。

(本当は信じたいのです。縋りたいのです。でもそれが出来ないのです)

そんな私達の様子を観音さまがご覧になって、

哀しい瞳で私たちを見つめていらっしゃるという、そんな詩です。

こんな優しい心で私たちを見ていらっしゃるのが、観音さまの心です。

観音さまがせっかく手を差し伸べてくださるのに、

その手を握り、救われるか? 握らないか?

の最終判断をするのは私たち自身です。

悩みや苦しみがある間は、

人を信じることができないかもしれません。

また自分は動かず、何もしなくても、ある日、さっと自分を救い上げてくれる

何者かが来るのを待っているのかもしれませんね。

病気になった時でも、助けてくれるのはお医者様ではありません。

自分は何もせず他人に依存して、全てを任せておけば、

お医者様が勝手に直してくれるのではありません。

  

まず、そこから私たちは、自分の意識を改めなければならないのかもしれません。

自分の人生です。

誰かが代わって生きてくれるわけではありません。

代わりに苦しんでくれるわけではありません。

面倒くさいからと、自分のことなのに、他人や神様に丸投げして、依存し続け、

自分は何もしなければ、誰も助けてくれません。

「哀切かんのん」でさえできないのです。 

その今している経験こそが、生まれる前に計画してきたことだからです。

病気だったら、せっかく身体が(生き方の方向性が違うと)教えてくれているのですから、 

「どうして病気になったの?」と

自分の生き方を振り返り、見直してみなければなりません。

苦しみ、悲しみを助けて欲しいのであれば、

まずは、その苦しみ・悲しみに執着することから離れなければなりません。

執着などしていない!! と仰るかもしれませんが、そこから、逃れたい、楽になりたいと、

いつまでも、その「苦しみ、悲しみ」の現象ばかり考えていては、

べったりと執着していることと同じです。

「苦しみ、悲しみ」に執着している心を、そこから一旦離さなければ、観音様といえど救えません。

せっかく手を差し出してくださっても、私たちの執着の心がそれを拒否するからです。

そんな、私たちの執着の心を見て、「哀切かんのん」は

「哀しき瞳もて立ち給う」と涙したのですね。 

 

誰にでも、苦しみや悲しみ、悩みはありますが、そこから一旦、執着した心を離さなければ、

どんな救いも手にすることができません。

心を離すとは・・どうしたらよいのでしょうか?

どうしたら執着から離れ、救いを手にすることができるのでしょうか? 

それはブッダが「般若心経」の中で教えてくださいました。

どんな出来事も、自分の周りに起こって来ることに、無駄、不要なものはありません。

苦しみも悲しみさえも・・

それらは全てが自分にとって必要であり、必然的にベストなタイミングで起こってきます。

その目的は、私たちの魂を成長させるためです。

ですから、その出来事が、どんなに辛く見えようと、目の前に起きている現象に対して

・感謝ができ、

・喜びを見出すことができ、

・そこに幸せを感じられるようになると、 

自分自身がラクで楽しくなる、ということです。

そして更に、地球と宇宙が味方になってくれると言うことです。

そう「般若心経」の中に書かれています。

 


・「ありがとう」という言葉を使うこと、

・感謝すること、

・不平不満、愚痴、悪口を言わないこと・・

それこそが、「哀切かんのん」の差し伸べた手を、自ら力強く握る方法ではないかと思います。

まずは、辛くとも毎日「ありがとう」と、口に出してみることから始めてみませんか?

きっと幸せになれますよ。

 


2024年8月19日月曜日

3524「神々のいるところ」2024.8.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月12日の記事を紹介します。


「神々のいるところ」


このブログでは、様々な切り口で神様と繋がる方法を書いていますが、沢山の反響があります。 

実際に実践され、お幸せに過ごされている方もいらっしゃいます。 

でも、その方法は特別なことではなく、どなたでも、行える方法です。 

意識しているか、いないか?

感受性を研ぎ澄ましてるか、いないか? 

 

日本では縄文の時代から八百万の神(やおよろずのかみ)と言って、

全てのもの(生命体、非生命体)、現象の中に

神々を見出し、尊重し、共存して生きてきました。 

ですので現代の私たちも、神さまを外に探す必要はありません。

わざわざ有名な神社、仏閣に行く必要もありません。

自分は神々と繋がっていると、自ら主張する人に頼る必要もありません。

神さまは、どこにでもいらっしゃいます。 

特に私たちのハートの中に居らっしゃいますので、私たち人間の営みの中で、 

誰かの

・愛、

・優しさ、

・いたわり

・共感

・真心 

それを見た時、感じた時

そこに神さまの働きが、必ずあります。 

人々の中に、その姿を見た時、 

その時こそ、私たちが、神さまの姿を見た時です。 

神さまは何も、 

・キラビヤカな格好で現れるわけではありません。

・光り輝く姿で現れるわけではありません。

・羽の生えた天使の姿で現れるわけではありません。

・神社、仏閣の中だけにいらっしゃるわけではありません。

・人々を驚かす、奇跡の中にだけ、いらっしゃるわけではありません。

むしろ、平凡な人々の日常の営みの中にこそ、人々の間での暮らしの中にこそ、 

現われてくださいます。 

・私は神さまと繋がっている

・神さまからパワーを頂いている

・前世は人のために尽くし、徳を積んだ人だった 

そんな傲慢な所には現われません。

妙龍神社に現れた龍の神さま

  

私たちの日々の暮らしの中にこそ、神さまは、姿を現してくださいます。 

・その感受性を磨くこと、

・自分で判断する責任を放棄して、人に依存したり、頼らないこと

そんな生き方こそ、神さまが望んでいらっしゃる、

私たち人間の、本当の生き方ではないでしょうか。 

身近な周りの人々と 

・お互いの個性、性格を認め、受け入れ

・助け合い

・お互い様

・おかげ様

と仲良く、笑顔で暮らしていくことが、 

その道こそが、 

平凡な毎日の中で、平凡に暮らす、

何も持たない私たちが 

神さまと繋がり、幸せになる道ではないでしょうか。 

  

地味な道ではあります。

誰かに頼るだけで助けられる・・そのような安易な道ではありません。 

ですが、 

神さまが、私達を置いてくださったこの地球では最善の道だと思います。