2024年7月1日月曜日

3475「黄泉の国と縁の深い日本」2024.7.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月20日の記事を紹介します。


「黄泉の国と縁の深い日本」


自然豊かな日本列島は神々が何億年もかけて作り上げてきました。 

氷河期の終わりとともに大陸から切り離され4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、

浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。 

 

そこでは、物質的なモノよりも、神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。 

つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。

まさに神々が計画した通りです。 

それゆえに、物質文明が頂点を極め、物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、

新たな精神文明が花開こうとする今、日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。 

この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。 

それでは今日は珍しい切り口で神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)と呼びます。

日本では縄文の昔から人々はこの宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。

それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。 

 

循環ですから西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。

私たちの魂も、神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。

そして 死とともに先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。

私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。

その世界は神の世界ですから、誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。

つまり、

・意地悪をする人も

・心温かな人も

・聖人のような清らかな人も

・罪を犯す罪人も

全ての人が 黄泉の国から来ました。

つまり、どんな人でも 本来の心根は、清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。

心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、地獄のような囚われの世界に居る人は、現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。

これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、それはその人の本質ではなく、

何らかの目的を持って、その役割を演じているだけ・・と言うことになります。

その目的とは、私たちの魂を 研ぎ石のように研いで(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)魂を輝させるという以外にありません。

その人たちの現世での裏に隠された

・神のような心

・温かな思いやりに満ちた心

を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。

日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。 

その証拠を昔話の中に見ることができます。

では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。

 

浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。

そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、天井も床も、まばゆく光り輝き

何処からともなく、良い香りが漂い、美しい音楽まで響いています。

太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。

(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)

この竜宮城とは私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。

神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。

その美しい世界は、

・時間もなく

・悩み、苦しみ、心配事さえありません。

幸せそのものの世界です。

そして私たちが生まれた時、無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため、心に罪・穢れのシミ一つありません。

赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。

ですが、私たちは、成長するにつれ大人になるにつれ、その美しき心を忘れ

・病気

・悩み

・苦しみ

・心配事

ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。

それは、私たちの心に潜んでいた、いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう

自我(自分さえ良ければ良い)の心が、真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。

※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。

もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、この世「うつしよ」に生まれて来ました。

何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。

私たちの心は、

・食べる物にも困らない、

・悩みなど一つもない

・いつも楽しいころばかりの生活

からは磨かれることがありません。

今、私たちが経験している

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

は全て 苦しいことではあるけれど、心を輝かせるために一時だけ、経験していることです。

浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。

これは、黄泉の国と、現世を私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。

自然と同じく私たちの魂も 循環を繰り返します。

決して西洋の思想のように悪だからと、切り取られ、捨てられ、消滅されることもありません。

 

自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。

大祓祝詞が示す通り例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。

この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。

私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み、循環とバランスの上で、永遠の魂の向上を目指している最中です。

みんな、同じ道を歩む仲間です。

人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。

積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・

決して消えてなくなったわけではありません。

水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、再び雨や雪となって戻ってきます。

私たちの心、魂も同じです。

肉体は脱いでも黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、姿、形を変えて再び戻ってきます。



2024年6月30日日曜日

3474「因果応報」2024.6.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月18日「因果応報」と2024年06月19日「縄文回帰」の2つ記事を紹介します。


「因果応報」


21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ 

・不寛容な社会

・殺伐とした社会

・陰湿な社会 

が出現していました。 

それが、2011年の東日本大震災、そして「コロナウイルス」をきっかけとして、この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。

大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。

このいじめ社会の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、その雰囲気に付和雷同した人々とともに、相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。

非難する側は必ず「正義」を振りかざします。 

正義感を隠れ蓑に、他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。

今日は、人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。

神さまの仕事です。

<転載終了>

 

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。 

みなさんは、この言葉ご存知ですか? 

「断じて行えば、鬼神も之を避く」

断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことです。 

私は、これを

「ありがとう」の言葉を常に口にして、感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、どんな人が、 

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る 

ことができるでしょうか? 

また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?

これから先に、何が起こるのか、誰もが不安ですが、感謝の気持ちでいる限り、

どのような運命に置かれようと、必ず助けが来ることでしょう。

神々がなさることに安心して身をゆだね、身近な周りの方々と

笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。

 


「縄文回帰」


日本に古く、縄文時代から存在した「神道」の考え方。 

これは、教祖も教義を持たず、よって宗教とは言えません。 

古くから日本人が持つ、心のよりどころのようなものです。 

そこで説かれることは、

・神々の恩寵は、人間の感謝の心を媒介として現れる

・神職など、職業的な立場の人を媒介とするのではなく、人間が心を清め、神々と直接的に繋がることが大切 

など。 

これらは、私たち一般人の、今までの常識とは少し異なっていることかもしれません。 

ですが、このことは古代から存在している由緒ある神社仏閣では、常識とされていた物のようです。 

私がこのことを、はっきりと知ったのは、春日大社の元宮司、さらに日本の形成外科医の草分け的な存在であった葉室頼昭さんの「神道のこころ」という本からです。

  

巫女や神職など、人々と、神々の間に入り、仲介することを、職業として行い始めたのは、

多分、日本では大和朝廷設立 直前、つまり大陸からの好戦的な民族が日本全国を制圧し始める直前の邪馬台国の時代、卑弥呼やその後継、トヨなどの時代からと思われます。 

それ以前の日本は平和で、神々と人々が直接繋がり、世界一、平和で豊かな時代と言われる縄文の時代でした。

約1万5千年続いたと言われています。 

大陸から好戦的な民族、弥生族が来るまでは、争いもなく、所有の意識もなく、上下の違いもなく、人々、一人一人が純粋な心を持ち、それゆえに、みんなが直接的に、神々と繋がれた時代でした。 

もし、日本古来の神道というものがあるとするならば、それは縄文時代に一般的だった 

・物の見方、

・考え方、

・生き方

そのものです。 

そして、それはムー時代の生き方でもありました。

私たち日本人は、縄文の古来より、ムーの生き方を大切に守ってきた民族と言われています。

そして、その精神と伝統は今でも息づいています。

 

文明の大転換点である今、西洋で始まった産業革命に端を発した利益追求主義、行きすぎた資本主義、骨までしゃぶり尽くす金融資本主義は終わろうとしています。 

この終焉を迎えようとしている現在の文明では、人々は、ずっと真実から遠ざけられ、常に不安の中に置かれ、自立した魂の働きが封印されて来ました。

常にお金や権力に頼ろうとし、常に力ある者、能力あるものに頼ろうとする依存、執着の状態に置かれたのです。 

それは、彼らが軽蔑の意味で使う、ゴエム(奴隷)と言われる状態です。 

この時代、その仕組みを お手本に 

・大小様々な、依存・執着と

・それと一体となった支配 

が、私たちを身近で取り巻いて来ました。 

この精神構造は宗教でもそうでした。

イエスの生きた時代、イエスは、宗教など作りませんでした。 

イエスの死後、国王をもしのぐ、強大な権力を握ろうとした者たちにより教会が作られ、戒律が制定され、宗教と言う組織が出来上がりました。 

それは、人間の持つ、ピュアな信仰心とは、全くの別物であり、まさに人々を権威と恐怖で縛りつけ、他者(教会)に対する依存・執着状態に置き、自分たちを、その対極となる

支配する立場に置いたのです。 

それが、今まで私たちが置かれていた精神構造でした。 

本来は、イエスやブッダのように自立した自由闊達な魂の状態で、神仏に対するピュアな信仰心、先祖を大切に思う敬心 

そして、生きている人々に対する、 

・お互いさま

・お陰さま 

相手の個性、尊厳を大切に思う温かな心、優しい心であったはずでした。 

ですが、この宇宙の大神様が作ってくださった人間の精神が、萎縮させられて来たのです。

「縄文回帰」が様々な所で叫ばれています。 

縄文回帰とは、この、依存と執着、そして支配の構造から人間の精神を解放させ、縄文の時代のように人々が、一人一人、直接的に神々と繋がる時代を思い出そうと言う、大きな運動(ムーブメント)です。

これは、ブッダグループが1,200年単位で、人類に対するアプローチをしている中で 

現在、実際に行っているアプローチ方法です。 

このブログで何度もご紹介しています通り、ダライ・ラマ、そしてマザーテレサも同じことを仰っていますので、ブッダ・グループの計画を知り、そして協力なさっているのでしょう。

そして、その人類へのアプローチが目指すものは、一人一人の人間の 本当の幸せです。 

私たち人間はしっかりと自分の足で、大地に立ち、例え、貧しくとも、例え、病にあっても、

清らかな心で、天を仰ぎ、神々に感謝し、そして微笑む時、本当の幸せをかみしめることができるのかも、しれません。


2024年6月29日土曜日

3473「現実が変わらぬなら」2024.6.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月16日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」

 

「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な

渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、 

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、

その人を愛し続けることができるかどうかは、

私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、

絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、

ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、 

これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、 

愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>

 

何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。 

殆どの人がそう思っています。 

これは安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。 

自分ではほとんど何もせず、何も変えようとせず、お医者さまや、薬、ご祈祷、スピリチュアルリ-ダーに頼れば、幸せになれる。

これも全く同じです。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする

・運が良くなったら、感謝する

・病気が治ったら、感謝する

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで、いつも「クレクレ」と言っている、地獄の亡者のようですね。

 

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。

・自分自身が変わるのは怖い、めんどくさい

・他人に何とかして欲しい 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。 

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

病気や不運に見舞われる時も、必ずあります。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。

家族が自分の思う通り動かなければ、自分の理想にそぐわなければ

愛する家族に対する熱も冷め、もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、自分では何も動こうとせず、

自分自身の心を顧みようとしない人の特徴かもしれません。

全ての出来事、自分に降りかかってくる出来事は、他人のせいではありません。

他人がどうこうできることではありません。

全ての全てが、私たちの心の中に、その種があったから、現象として目の前に起こっています。 

 

身近な方に降りかかってくる災難、苦難も 

(見ている私たちは、可愛そう、何とかしてあげたいと思うのは当たり前ですが・・) 

その出来事(実際は人生劇)もその人自身の魂(本体)が許しているから、計画して生まれて来たから起こっている出来事です。 

その経験を通して、魂の成長を図るために、神様とともに決めてきたことです。 

その方(身近な方)にも神様が付いていらっしゃいます。

縁の深いご先祖が守っていらっしゃいます。 

私たち生きている人間には、その深い深い縁の流れ、神仕組みが見えません。 

ただ見守り、信じてあげる事だけです。

その方の生まれて来た目的が成就することを一緒に祈ってあげる事だけです。

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うこと(不幸)が、次から次に出てきても、そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、

あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。 

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは、私たちの心の捉え方だけです。

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。 

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、その現象は、もはや役割を終えたわけですから、目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、 

感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。  

ご縁のある方に届きますように。



2024年6月28日金曜日

3472「七夕のお願い」2024.6.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月14日「七夕のお願い」と2024年06月17日「欲張りな人間」の2つの記事を紹介します。


「七夕のお願い」


毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。

7月に入ると七夕。

今日は子供たちの美しい心のお話です。

 

美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、

私達の心のどこかで共鳴が起こります。

そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、

考えたりと 心に入れてしまうと、その逆もあります。

人間の心は

何処までも、高みに登る事も出来れば、何処までも、闇に沈むこともできます。

出来れば、私達の心の波長を 

真善美に合わせておきたいものですね。  

それが、一番自然であり、苦しまなくて済みます。 

幸せになる一番の近道だからです。。

でも、落ち込んでも大丈夫です。 

それも結局は、予定調和に至る道ですから・・

私たちの内に居らっしゃる神様は、決して見捨てたりしません。 

何時も傍らにおられます。

 

さて、始めます。

知的障害の兄を持つ小学1年生の男子児童のお話。

入学式の日、その児童の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。

最初の体育のときでした。 

手が不自由な小児麻痺の児童は、着替えるのに30分もかかってしまいました。

時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょに

きちんと並んで待っていました。 

「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、次の体育の前の休み時間に、 

そっと教室の外から見ていました。

すると、隣の児童が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。 

七夕の日のことです。 

ちょうど授業参観日でした。

 

先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、 

「あのおもちゃかってちょうだい」

「おこずかいちょうだい」 

「まんが本がほしい」

というようなことが書いてありました。 

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」

あの世話をしていた、児童が書いたものでした。 

先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、 

お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、 

「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」

「迷惑をかけているのだろう」 

「申し訳ないことをしてしまった」 

と悩みながらと教室に入れずに 

廊下からじっと様子を見ていました。 

が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりを床に座り、この児童の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」 

その声が いつまでも教室に響き渡ったそうです。

人を思いやる気持ちって、本当に美しいですね。


 



「欲張りな人間」

 

人間は弱いので、何か困ったことが起きたり、苦境に立たされれば

・神様仏様に頼ったり

・高額な詐欺に付け込まれたり

・お金に糸目もつけず、「力があるぞ」と宣伝する人に頼ったり 

とにかく

・自分ではなく

・自分の内にいらっしゃる神さまではなく

自分以外の外にある、他人や、物に頼り願いや欲望を満たそうとします。

でもそれは仕方のないことです。 

しかし、その欲には限りがなく、いつの間にか頼った相手に心理的に依存し、また頼られた相手は無意識の内に支配しようとします。 

支配-依存の 関係が生まれます。

この両者は、全く別物に見えますが、自分の発している波長が同じであるために同調して

いつの間にか引き寄せられていきます。 

両者は、波長が同じで、波長の山であるか?谷であるかの違いだけです。

この関係が長く続き、強化されてくると、ますます心の中に広がる黒い闇に気づけません。 

ご利益を求め、殺到する参拝者、頼られたものに・・集まり、うなるお金 

何時しか、自らも神様に対する崇敬の念を忘れ、自我の心が、極端にまで拡大し、神の力を、己の力と誤解する人々。 

 

神々は、そんな人間臭いドラマをどのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか? 

・願い事が叶います

・商売が繁盛します

・病気が治ります

・学校に受かります 

そう喧伝されれば、藁にもすがりたい私たちは、いっぺんに飛びつくことでしょう。 

もしかしたら、見えない何者かの力によって、一時は、願いがかなったかに思える時期もあるかもしれません。 

ですが、それも長続きはしないでしょう。 

しばらくすれば、また同じ苦しみを味わうことでしょう。 

他人に頼り、自分自身の心を変えようとしないからです。 

ですが、私たちのそのような状況でさえ、私たちが生まれてくる前に、自分で設定してきた状況であり、人のせいではありません。

何故、そのようなことをあえて人生に仕込んできたかと言えば

・その悩み苦しむ時期と、

・外の力に頼る時期と

・結局はそれがうまくいかない 

ことを経験することで、 

・私たちの魂が学習し、磨かれ、

・より一層 輝きを増し

・神々に近づけるからです。 

 

それなのに、その貴重な経験を、苦しいから嫌だからと、お金をかけ、人に頼り、すっとばし、一瞬だけ状況を変えてもらっても、私たちの心はちっとも変わらず輝きもせず、かえって依存の心が、闇のように広がり、氣枯れたもの(神さまの純粋な気が覆われてしまったもの)に魂が覆われてしまうことでしょう。 

それは、魂の視点 、神々の視点から見て道を外れているからです。  

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。 

神々のなさる奇跡とは華々しいサーカスのように人々を驚かせ、一瞬のうちに私たちを救い出してくれる・・・そういった安直なものではないと思うのです。 

奇跡とは、私たちが、例え苦しい環境に置かれていようと、自分の置かれた立場で、一所懸命前向きに、周りの方々や神々に感謝しながら笑顔で、しっかりと生きていくこと。

そして日々の平凡な生活のうちに、自分や、身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時 

そして、それを感じ取った自分、自分の中の神様に気づいた時 

神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いお喜びになるのかもしれません。 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

自分の心の中に 神々を見つける奇跡には敵いません。  

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」 

そう言って、今の苦しく見える状況に私たちを置いてくださいました。

私達の魂の誕生の時に頂いた神様の心。 

・その心を清らかにしておくこと

・自らの足で立とうとすること。。

それ以上に、この人生に奇跡を起こす術はありません。


2024年6月27日木曜日

3471「青空ひろば」2024.6.27

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1337 2024.06.23

「ゆ」のことだまの詩

ゆっくり・ゆったり・ゆ(湯)につかり 

たゆとう・おゆに・みをゆだね

こころもみをも・ゆるくして 

じぶんをゆるし・ひとゆるし

われひとともにいゆる(癒ゆる)道


1336 2024.06.22 

私が私に落ち着けば、人や世界は癒される。

自分も知らず、人も気づかないがそうなのだ。


1335 2024.06.20 

キューブラー・ロス「私はOKじゃない、あなたもOKじゃない。でもそれでOKなの!」

カール・ロジャーズがカウンセリングを始める前に自分に言い聞かせること→『私は完全じゃないが充分な存在なんだ(私が私であることで充分なのだ)』

自分がありのままの自分であることを受け入れ、そこに落ち着く→そこから「癒し」の過程がスタートする→「存在の癒し」


1334 2024.06.19 

完全じゃない自分を認め、受け入れ、愛おしむこと。

でも、そこに腰を据えてしまうのではなく、自分のペースで一歩ずつ前へ!

「ヘタクソでも自分の足で歩こうね」


1323 2024.06.08 (宮里藍さんの名言集1)

ピア・ニールソン、リン・マリオネットにメンタル面のコーチを依頼した。

「人それぞれに自分だけのいのちのリズムと表現があるんだから、自分が別の何かに変わるのではなく、自分が自分にもどって、その本来の自分をそのまま引き出せるようになりなさい」という指導を受けた。


1324 2024.06.09 (宮里藍さんの名言集2)

メンタルコーチの言葉「アイ、あなたはもともと(あなた本来の)マジックテンポを持っているのよ」→パズルの1ピースがパチッとハマッたような気がした。

スイングのテンポを25%、50%、…と変えて振ってみる(打球は見ない)。…

ピッタリきて、気持のよいリズムをさがす→これがピッタリと気づいたとき、それは中学生の時のテンポに戻っていた。→ストンと胸のつかえが取れた。

→私は私でよかったんだ。アタマでココロやカラダを支配しようとするのではなくカラダに聞けばいいんだ。


1325 2024.06.10 (宮里藍さんの名言集3)

キャディのミックに向って「私は未来のこと(不安)にアタマが往ってしまって、どうしょうもないくらいに緊張しているんだけど」

ミックは言った、「アイ、ボールは<今、ココ>にあるんだけどな」

今の私(藍)は自分を取り戻す(今・ココに自分を戻す)のに4~5ホールかかる。しかし、アニカはこれを数十秒,数秒で今・ココに戻せる。これが差なんだ→アタマは過去や未来に脱線するが、カラダはいつも今・ココのある。意識をカラダに  向けると今・ココに戻れる。


1326 2024.06.11 (宮里藍さんが見いだした「今・ココ」に自分を戻す方法)

① セルフトーク

 鏡にうつっている「自分」を相手に対話するような感じ(感情に巻き込まれず自分を客観視する方法)

『私はいろいろな自分のピースを、今ココにいるひとつの大きな自分に戻す作業をしています。それができているときは、まるで他人を見るような目で自分を見られるので、冷静でいられます。グリップに力が入っているんじゃない?」とひとりの自分が言うと、もうひとりの自分が「じゃあ、手を大きく振って、リラックスさせてみようか」と返事をする。セルフトークを交わしながら、自分自身を取り戻していくのです』


1327 2024.06.12 (宮里藍さんが見いだした「今・ココ」に自分を戻す方法)

② 身体運動

a.手をブルブル振って緊張をほどく→手首の緊張をほどくと、肩や首や全身の緊張がほぐれる。

b.両肩を上げて思いっきり緊張させてから、ストンと肩を落とし、脱力感をカラダで感じる

c.軽くジャンプする(カラダをゆする→フルベの技法)。

これらすべてが、先走る自分や、過去に引きずられている自分を、今の自分にひき戻す作業、自分を捕まえておくための動作です。

緊張したら深呼吸しましょう、とよく言います。でも私の経験では、深呼吸だけでは自分を捕まえることはできません。

「緊張なんかしていない」と言い張る自分の脳みそに、「実は緊張しているんだ」ということを自覚させるには、体を動かして「あぁ、こんなに筋肉が強ばっていたんだ」と認識させるのが一番。腕を振って、肩を上げ下げして、ジャンプして、「私はここにいるんだよ!」と、自分で自分に教えるのです。

地に足が着いている、というのは、自分を捕まえられている状態のことです。うまく自分と会話を交わしながらプレーができたとき、欲張らなくても自然と結果はついてきます。


1328 2024.06.13 (宮里藍さんの気づき)

ピアとリン(メンタルコーチ)の指導で練習しているうちに、自分がいかに固定観念や先入観にしばられていたのか(自己制約、自己制限の囲い)に気づいた。

・こうしなければいけない、というルールなどどこにもないんじゃないか?そんな当たり前のことに今さらながら気づかされました。

・雑念は一切排除。いいイメージだけを抱いて、思考を停止させ、気持ちよく振ればいい。

・頭ではなく、体で感じるゴルフに取り組み始めてから、面白いことに生活面でも集中すべきポイントがわかるようになってきました。メリハリがつけられるようになった。

「今・ココ・この身」に意識を収めると、次第にアタマでスイングを考えるのではなく、意識が指定するターゲット実現に向けて、カラダが自然に動くというスタイルに変化していった。


1329 2024.06.14(宮里藍さんの名言集4)

少し前まで私が考えていたのは筋肉を鍛えて、「強い体を作って球を飛ばさなければ」ということでした。でもいくら筋力や腕力があっても、無駄な力が入っていたら、折角の力を使えず、飛距離が伸びないことがわかってきました。でもいい感じに力が抜けてタイミングよく振れているときは、自分でも意外なほど飛距離が出ています。


1330 2024.06.15(宮里藍さんの名言集5)

精神面ではもちろん気持ちを先走らせることなく、過去を憂えることなく、今この瞬間、目の前のショットに、いかに集中できるかということが勝負。スコアは自分でコントロールできないけれど、どんなことがあっても自分のゴルフを貫くという態度は自分で制御できますから。


1331 2024.06.17(宮里藍さんの名言集6)

ジャンプする前にしゃがみ込むように、飛躍の前にはもがく時間が必要です。試練はきっと成長のチャンス。


1332 2024.06.17 (宮里藍さんの名言集7)

一流選手はオンとオフの切り替えが上手いし、普段からメリハリのある生活を送っています。


1333 2024.06.18 (宮里藍さんの名言集8)

勝とうという気持ちが強すぎると、勝てないということ。勝負にこだわりを持ち過ぎるよりも、流れに任せてチャンスを待ち、好機が来たときにそれを逃さずにつかみ取る、自分から何かアクションを起こすより、自分を信じて待つことの方が大切だ、とウェブ先生は語ってくれたのです。「これ、相当な企業秘密だから、今の話を聞いてアイが勝ったら、私のおかげよ」と茶目っ気たっぷりに笑ったウェブ先生の顔が忘れられません。


1318 2024.06.03  ネットの記事より

<科学が証明した、すぐしあわせになる16の方法>

A.すぐにしあわせになれる、ちょっとしたこと五つ

①ほほえむ ②背筋を伸ばして大股で歩く ③声をあげて笑う

④お茶の時間など、小さな瞬間を楽しむ ⑤ほかの人に親切にする

B.毎日の習慣になるとしあわせになる6つのこと

①祈る ②動物と遊ぶ ③感謝の日記をつける 

④楽しい音楽を聴きながら共同作業をする ⑤睡眠を十分にとる 

⑥公園に散歩に出かける 

C.少しがんばるとしあわせにつながる5つのこと

①運動する ②瞑想する ③セックスする 

④ボランティア活動に参加する ⑤旅行に行く


1319 2024.06.04  ~ 1322 2024.06.07

しあわせな人生を生きるためにやりたい事。

(1)坐禅行→身心のバランスが整い、あなたをふしあわせにする根本原因である<自他を分ける囲い>がほどけます。

(2)布施(ふせ)行→人のために差し出す手・運ぶ足で<自他を分ける囲い>が破れ、しあわせ感が大きくなります。

(3)随喜(ずいき)行→人も成功や悦びを見て、自分もそれを喜び、賞賛すれば、その人の悦びを自分もまた体験することになります。

(4)薫習(くんじゅう)行→しあわせな人と親しくなれば、そのしあわせの波動を受けて、自分もしあわせになれます。

(5)無為(むい)行→テレビやパソコン、携帯の電源を切り静寂の時間を持とう。

(6)スポーツ行→頭にゆくエネルギーが減り、「囲い」が弱くなります。

(7)読経(どきょう)行→特に「延命十句観音経」を唱えれば、いのちを延ばすことができます(寿命・可能性・束縛からの解放など)。

(8)祈り行→世界人類のしあわせを心から祈ることができれば、自分もしあわせになれます。

(9)許し行→人を恨めば自分が縛られてしあわせにはなれません。人を許せば自分が解放されてしあわせになれます。(完)

 

2024年6月26日水曜日

3470「涙、心の浄化」2024.6.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月13日の記事を紹介します。


「涙、心の浄化」


この地球、物質世界に住む人々の営みの中に

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心 

を見た時、自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。 

それは、その人々の言葉や、行為の中に神々の姿を見たからです。 

 

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

 

神々の起こす奇跡はサーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。 

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。 

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。 

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、実は神様の介入により

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。 

その積み重ね、私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた心の扉が開かれた時です。 

吉野大地 とびら

  

人々の中に神々を感じ取った自分、 

それは同時に

自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。

相手の中の神々と同調、共鳴し、真の自分と繋がった時です。

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いになることでしょう。

微笑んでくださることでしょう。 

 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に  

神々を見つける奇跡には かないません。 

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

 

どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも

私たちの内なる神々は常に私たちと一緒です。 

苦しい環境こそが、かえって私たちの魂を削り、磨き 

輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ

心を振り返るきっかけともなります。 

  

飢餓の中、空腹の中

一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。 

渇きの中で

コップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。 

苦しみの中に在って、

ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けが

どんなに、心を励ましてくれることか。 

身近な周りの方々の心の中に 

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時

自然と涙が流れた時

私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた

心の扉が開かれた時です。 

自分の中の神々と繋がった時です。

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。



2024年6月25日火曜日

3469「空海の優しさ」2024.6.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月12日の記事を紹介します。


「空海の優しさ」


人間は、この地球に魂の仲間たちと、劇を演じに来ているのだそうです。

生と死を、何度も繰り返し、役割を変えながら何度も何度も、地球に転生してきます。 

さらに、今の私たちの姿は、今演じている劇中での役割にしかすぎません。

それが、私たちの全てではありません。 

別の劇が始まれば、一瞬にして

性格も、個性も、身体の状況(健康、病気、障害、容姿)、資産の状況も変わります。 

これは多重人格の人の姿を見てもわかります。 

人格が入れ替わった途端、 

・言葉

・体つき

・顔つき

・病気/健康、ケガの治癒

・障害

・興味の対象

・性格 

全てが一瞬で変わります。 

同じ身体であるにも関わらずです。

ということは、自分の意識次第(考え方、物のとらえ方)で、意識が変わることで、物理的な事項も含め、全てを一瞬で変えることができるということです。 

以前記事にもしましたが、大竹しのぶさん 

  

あまりに全身全霊の演技派女優であるがゆえに、憑依型女優ともいわれています。

演じる時に、まさに、その人物になりきって演技するからです。 

ある日彼女が、少年の役をした日、整体に行ったそうです。 

その時、女性整体師さんに 「股間に異物がある」と言われたそうです。 

つまり、完全に役になりきった故に少年の身体になったのです。 

つまり、私たちは意識(思い)を切り替えることで、一瞬で別の人格になることができるのです。

人格が変われば、それに伴って周りの環境も、がらっと変わります。

今の性格、身体は私たちが演じている役割の姿、 

そして、それが永遠に続くものと思っています。 

昨日も、今日も、明日も、、 

それが幸せな境遇なら、まだしも、もし、人を憎み不幸であるならば、意識(思い)を変えることです。 

自分は

・優しくて、

・思いやりがあり

・愛にあふれ

・健康で

・周りの方々に感謝しており

・お互い様

・おかげ様で

・助け合って生きている 

昔も今も、実はそんな人間だった。 

と意識(思い)を変えるだけで、役割を自分で変えるだけで、その瞬間から、新たな人格を生きることができます。 

そして、心が、自然に現実を作っていってくれます。 

  

それは、まさに、神様が、私たち人間に、神様と同じ能力を与えてくださったからです。 

ただ、その真実が隠され、秘密にされてきたので、多くの人が、自分の能力に、気づかなかっただけです。 

空海は、このように仰っています。

「即身成仏」についてです。

私たち人間は、その心次第で、生きているうちに極楽に住むことができるんだよ・・

この即身成仏について、作家の佳川奈未さんの意訳をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人は

着の身 着のまま

ありのままの自分でいても

愛と慈悲を差し出すことで  

即 仏になることができる

仏性は つねに 人の中にあるからこそ

探し回る必要もなく

遠くに求めに行くこともない

ただ

あなたが 

優しさがなんなのかを知っており

それを 目の前の人に 

そっと 差し出すならば

あなたが

人の痛みを知っており 

それを目の前の人を癒すものとして  

あたたかい言葉をかけるなら

それこそが

仏の姿の現れだからです

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき

花ひらきます

<転載終了>

 

やはり、空海自身も私たちの内には、神さま(仏性)がいらっしゃると仰っています。

具体的に空海が言った仏性とは、内なる大日如来のことです。

そして空海が仰るには、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

だそうです。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。 

私たちは、とかく人生の 

・悩み、

・苦しみ、

・辛さ 

などを、避けて通ろうと、もがき苦しみます。

ですが、その経験をするからこそ、人の痛みが理解でき、 

人の優しさも、感じることができるのですね。

皆さんもぜひ、空海の教えてくださった 

「幸せになる秘密」、生きているうちに「極楽に住む方法」を実践なさって見てください。 

目の前の方に、微笑みかけ、優しさと慈しみの心を差し上げて下さいませ。

私たちは、どんな人も、 

・誰に頼らずとも、

・神仏の奇跡や不思議に頼らずとも、

私たちの心は、もう神さまと繋がっています。

自立しています。

どうぞ、内なる神さまのこと、ちょっとだけ思い出してみてください。

幸せへと繋がりますから。