2013年10月22日火曜日

247「原点3」2013,10,21

 13日は7時過ぎに飯島さん達をホテルに迎えに行って名取農場に向かいました。良い天気に恵まれて途中で綺麗な二重の大きな虹を見ることが出来ました。大きな祝福を頂いたように嬉しくなりました。農場に着いて少し見ることが出来ました。ありがたい恵みです。




飯島さんにパイプハウスを見て頂き、水耕栽培実験装置もいろいろご指導を頂きました。O農場長もノート取りながら傾聴していました。今後の実践に活かして行けるありがたい内容でした。トマトなど試食して頂きましたが、明るく暖かくこの農場に係る人の意識が十分に伝わる、エネルギーの高い美味しい味で、喜んで頂けました。








飯島さんが以前来たのは冬の季節でしたので、今回、パイプハウスも完成してイメージが大きく変わり、良くやっていると高い評価を頂けたようです。
 仙台に戻っていよいよ2日目の講演会です。講演会の内容を少しご紹介します。


「今朝、名取の農場を見て来たがイキイキしている。
 兎角ある勘違いだが、無農薬野菜を食べると健康になり、病気が治ると疑いも無く思っている。そういう想いに効果があるが、食べ物、飲み物で病気が治る事はないし、病気になる事もない。ものの重要性はなにかが問題だ。
 農薬使わないで病虫害がないように作って行く農法が無農薬農法だが、なぜ病虫害がでるのか、そこにチャレンジするのが本来の無農薬農法で、学んで答えを見出して行く。しかし間違った考えが病気を作って行く。無農薬ではどうして虫が出るのか、出ないのかを探って行くこと、その意味を追究して行く。その意識の結果に野菜があり、結果の野菜を食べて病気が治ることはない。
 無農薬の野菜を食べていたが、癌で死んだことを教えてくれた友人がいる。癌の人が意識が変わり、行動して行く事で治っていく人がいる。病気とは気の見方で、エネルギーが出入りするが見極める為の条件が病気と言える。だから癌になることはありがたい。ならないと死ぬ。病気で死ぬのでなく意識が越えられない意識の結果で亡くなる。癌になって治せない人いないし、治せない病気は与えられない。そこに焦点を合わせて行く時代だ。
 農業、工業等においても害をどう食い止めるかの意識が問われている。何を通してそのメカニズムを知って学んでいくのか。物理はその結果に対して出る。
 世の為、人の為に真面目に真剣にする人が、人を殺し、泥棒をしても真理、役割を全うして目的を達成して行くことにあるメカニズムがある。仲間割れしないで、結束して、具現化して行く。
 意味を理解していくだけで食べなくても結果が出る。食べたらもっと結果がでる。ただの水の意味を理解し、物質に力が無いことを肝に銘じて飲むと効果が出る。
 玄米食が良いわけでない。原点を理解することが重要だ。出したものが入ることを理解していく。原因を出すから結果が変わる。原因に強い意識を持って宣言して行くと結果が出る。原因の話しをしているだけで福島、仙台が浄化される。想って実行する。聞いて理解は無いので日常生活の中で行為し、実践する。そのことが天の道で、原因を見て歩く世界が天国で、結果を食べて、見るのが地獄。兎に角、原因に意識を向けて行く。
 ほとんどは無意識に結果に合わせていて、結果を歩んでいて、天国へ行きたいと思うが行けない。天国のラインを歩んでいく道で、天の道と地獄の道がある。結果が地獄で、原因は天国、そこには意識の状態があるだけ。原因を歩むと必ず結果を歩む。頑固と、何度言っても解らないと私の事を覚者が言っていた。
 常に自分がいのちと言い聞かせている。無意識でいのちが動くまで自覚的に言い聞かせるしかない。「我神なり」しかない。四六時中、「我は神なり、我はいのちなり」を意識する。意識がやがて回ってくるのでその思いが出る。いのちのチャンネルに意識を合わせているからそうなる。
 
 全知全能とは何でも知っているのではない。たった一つの仕組み、方程式を知っていること。そこに当て嵌めると答えがでる。法則を認めることで全知全能が現れてくる。
 それはあまり個人的なものには対応していない。お金の為への対応はない。自分の欲望満足の為では方程式は働かない。意識に応じてお金も出てくるし、お金を生んでくる仕組みがある。結果が出る為には目的への意識圧しかない。自分がどこまで強く持てるか、常に意識していると話しの話題で決まってくる。学校の授業ではダメで、その場で終わってしまう世界ではダメ。遊びの中で得るルールがある。
 どうして罪を犯したのか追及して行く中で罪は消えて行く。因果応報、もし殺したら結果を素直に認める。動機を話し、やった意識を追究して行く。奥念して行くことで罪は消える。真理を理解する心で、起したものを悔やんでも取り返しつかないので、唯一、真理に目覚めること。
 悪いことを反省してそのことを周囲の人に伝えて行く義務がある。それが懺悔。誰でも過ちを持っている。それを清算する必要があるとしたら、しかし慈悲の心を持つ相手が許すという物理的なものでなく、奥念をしっかり持って進行形で生きて行くことだ。
 言葉は表面的なものだが内容は中身で奥念性が存在している。どんな言葉も噛み砕くことで進歩して行く。しかしそれは簡単で難しいことだ。言葉を噛みしめて深い所へ持って行けるが、10回噛むか、50回噛みしめるか、言葉の表現を噛みしめ理解することが原因でそこから結果が出る。」

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