2015年2月18日水曜日

410「祀り10」2015.2,17


 終わって中山さんから、自分も今日を終えて10日目の確認が成されること、それも含めて皆さんへ感想、ご意見をと投げかけられました。その内容をかいつまんで簡単に紹介します。

感想
「力を抜く事が難しかった。小さく歌うより自分は大きく歌う方が楽だと思った。」
「是までと違う。優しい感じ。歌っていて力が抜けて行く。音とひとつに成る感じ。」
「緊張して身体に力が入って音が出ない。喉を使っていたのでもっとリラックスして行くことが必要だ。」
「力を抜いて中山さんと一緒にと思ったが難しい。でもやるしかない。」
「中山さんの歌は優しく、柔らかに包み込むようだ。声を低く出すのが難しい。声の大きさでない。」
「歌えたこと気持ち良かった。息が途絶えてやっとのことだった。」
「歌えると思ったが、胸の中が揺さぶられて中山さんに付いて行くのが必死だった。」
「精妙で響いて、倍音が聞こえ、雅楽の様で人間の声でなく聞こえた。中山さんの様に真似ができなかったが努力が必要だ。」
「切れ味良く、柔らかく奥に入る。上半身に響く感じ。」
「各自低く歌っているが共鳴していた。」

 最後に中山さんからお話がありました。
「このあわ歌を伝え切れるか分からないが、どうしたら良いか。各所で一人ずつにこのあわ歌を歌い伝えるのは時間的な事等あり無理がある。しかし皆で一緒に歌うと大事な所が伝わりにくい。
 最初の音を引っ張ると強くなるし、声が続かないし、精妙にならない。声を出し切ると変な感じになる。次の音が上手く出ない。そして途中で調整が必要になる。
 歌の響きを向こうの方で要望しているが、そのところへ行くのに時間が無くなってきている。是までは、いろいろと歌い方を変えて段階を踏んできているが、あわ歌を歌い始めた頃からの方はそれを知っているので入りやすい。しかし長いから良いと言う事でなく、最近始めた方もそこに行ける。真剣に歌うには一人で歌うのが良い。」


 初めての事は何かにと色々な反応があります。しかし自ら求めて自らを変え、能力を高める努力なくして、環境激変の前に今までの方法、手段では通用しない状況にいよいよ遭遇するようです。あわ歌を歌う事の意味、目的も見えて来ました。
「あわ歌歌いて響きて平かに成し、安心作り上げる事なり。響きて響きて新たなるへ。」

 厳しくお伝え頂きましたが、全ては各自の自由意思の中に委ねられています。
 15時から1時間程各自お話をして交流して頂きました。その間、中山さんと各地であわ歌会を主宰されている主たる方々と、4月以降8月までの陸奥の巡りの事について打ち合わせさせて頂きました。各自の役割を分担して果たして行く中に道は開かれ、ネットワークが出来上がり、未知の道開きが出来る事を念願しております。

 中山さんを仙台駅にお送りして食事をしてお別れしました。中山さんは無事に儀式も終えることが出来、ご機嫌よくお帰り頂けたようです。次回は4月のあわ歌会と下北・津軽の巡りの旅です。
 中山さんが乗られる新幹線の車中からお言葉が舞い込んできました。
「大久保様
 おおきにお世話になりました。あなた様のその思い、しっかりと受け取りました。
 安心立国、この地に打ち立て、民心安寧、喜びを知る事となり、響は果て無し。
 続くははるけき。」19:10
「S様
 喜び久しき、共々麗し。やがて来る来る、嬉しき皆々、はるけき道なり。
 是より参る新たなるなり。そのことここにあるは、それらの事々承りて、
 道開き、さあさあどうぞとなさり。」19:15


「唱える言葉は是より変わりて、はるけき宮へ繋がり行く。そのこと大事ぞ、伝えは是より。写すはこの身の中にあり。さあさあ、参るは五月の末日。」19:43
「大三元。お解かりなさるや、この大きなるを。ただならぬぞ、この事は。やらねば済まぬ大事なるなり。やってその事生み出だす。写したるは真、果たし行く。」19:47


 一つ終わって次へ続く大いなる仕組み、淡々と、タンタンタンと進みましょう。