2015年2月14日土曜日

404「祀り4」2015.2,13

 2月8日は午後からあわ歌の集いです。午前中は9時半から中山さんはあわの里天命舎で日課のあわ歌10回を歌う内の9回を歌われました。私も途中から同席させて頂きましたが気持ち良い響きに充たされて、微細な振動で身体が浄化され整えられていく心地良さを味わいました。
 この新たなあわ歌の響きは脳幹、松果体への情報振動を目指しているのかもしれません。やがて清浄化され身体が整い、これまで以上に身体と心、精神と大いなるものとの三位一体、回路が出来上がって行くのかもしれません。それが天地と人が繋がり、己の柱が立つことなのでしょうか。修行ではなく、心地良さ、喜び、嬉しさ、至福至高感の中で、体感して会得して、瞬時に解り、発することが出来るものかもしれません。

 あわ歌を3回歌うごとにお言葉がありました。

「さらりと成り行き、ゆるりと進みて、ふるふる、ふらりと漂えば、大きなる響きと成るなり。」10:29

「現れ出で来る事々に、写すは大きな光なり。響きて送りて、皆々消し行き、晴れ渡りたるこの地へと共に参りましょうぞ。」11:24
「絵」「絵」


 7回目からのあわ歌の間に歌われながら2枚の絵をお書きに成りました。
一つは台地、もう一つは山へ向かうもので意味は分かりません。4月の陸奥の巡りに関係するものなのかもしれません。
 
 午前最後の9回目を歌い終わってのお言葉です。
「必ず参りて起こるは、この地の遙かなる時の、うろう 如何なるや。是より成るぞ。」
12:07

 13時からあわ歌の集いです。この経緯はこの前の「祀り2」で記していますので改めて触れませんが、その意図は以下のお言葉にあります。
「来る2月8日 写すは遙かなる大き元の思いなり。分かりて、知りて、伝えて、広める是よりの事。一つ心と成りて参りましょうぞ。」2015年1月19日

 冒頭に中山さんから簡単に挨拶がありあわ歌を歌った後に以下のお言葉がありました。

「遥かなる大きなるこの宇宙の外より伝えましょう。北の大きなる力をひたすら信じて、この地の方々。古き時より多くを知りて定めきて、続きて参る事ごとも、その元なる北よりの事なり。
 今よりは、皆々様に、その世界の他を伝える時迎えました。それ故、今までに囚われず、新しきへ参りていただく思いを定めて頂きたし、と伝えいたしました。その前に古きを無しになさりて下さるように、ともお伝え致しました。
 然るにこの事、諸々お話しにては、それぞれの思い固まらず、それぞれの古きも残りたままなり。この事は、これより進む道を険しくなさりておられます。
 あわ歌響かせ、今までにそれぞれの身に起こりきたる事、この時に今一度思い出されて、ご自分のこれよりを定めてくだされ。
 今までに起きたる事、それぞれ消し去りゆく事なれば、少しでもその身の為なり。大いにこれよりへ進む力と思いて、くじけることなく参られませ。しっかり定まりたる方へは大きなる支援が働きて進みゆかれましょうぞ。

 この地球はこれより大きく変わり行くと度々伝えて参りましたが、皆々様にはご理解得られず、ご覧になれないその新しきを喜びとはなされぬようなり。移り行くは、この宇宙の定めなれば、その進みと共に嬉しきとなられて参ることなり。反対に動き行けば、大きなる障害が起こります。
 ご覧なされるこの今のこの地の姿は、如何でしょうか。争いて、奪いて、騙して、取り上げ、あらゆる事なさるはその人々の知恵なるが、その為に持ちておる人間の頭脳ではあらぬはず。よくよく元なるご自分を見定めて、写り来る大きなる響きを知りてくだされ。」

「次なるは、二つの広き地にある遥かなる時よりの伝えなり。
 許されし時を待ちて、それぞれ大きなる元を知りたり。全てのものにそれぞれ真を渡し、それぞれ生き行く術をうつしきたり。
 安らかに只々、皆々共々参り来れば、この地球、只々安心の国々のはずなり。今かかる状況に成りたるは、皆々、ご自分の欲なり。その事、深く思い至りて、大きなる変化を致す事となります。
 さて、これより起こり来る事々、皆々様ご心配と思わるる。新たなるへ向かうは、要らぬ物、無しとなす事ぞ。この地球上に、人間が作り出したる多くの物はこの地球上に在るものの形を変えたるだけなり。全くの新しきとはならず、来りた只今なり。
 これよりこの地にて、共々歩む為に、多くの変化が必要なり。その一番は、この地球上の人々の思いぞ。真の人となりゆくが、第一なるなり。
 如何に成し行くかを、全て申す事はこの時、未だしなり。このあわ歌世にゐ出し、広めて響きと共と成り行きて、これまでの、この地の諸々に突き動かされたるを省みて、大きく変わりて、頂かんと伝え来たりた、大きなる日々を過ごしました。
 迫り来る日を控え、このあわ歌が真にご自分のものと思われ、これよりも歌いて、響きて頂ける方となるを、これよりの日々に、お互いが確信するべく進み行きます。
 篩いは大きく成り行きますが、それ受けられる方は、大いなる期待を多くより持たれておる事、早くその身がその時を持たれるを望みます。この事、ご理解賜りたし。」


 ここでいったん言葉を止められました。このままどんどん進んで行きそうで、とお話になり、皆さんに些かの質疑応答をなされました。その中で2015年1月12日の中山さんかお話になったお話の3つの内の第3番目の内容の紹介があり、お読みいただきました。
 その内容は「3つのお話し きいてよね あわの歌」のCDに収録されています。そのお話の内容です。

 お話の3
「大事になさりて下されませ。今回のような事に成りましたのは、元はと言えば大きなる、大きなる過ちでしょう。ですからこれを直しにこの身は来ておりますが。え~どうしましょうか。いっぺんに行こうと皆が思っている様なんですが、本当に良いでしょうか。
大変ですよ。大変だ、大変だと言うのはそちらも大変ですよ。こちらだけではありませんよ。やり方は難しいですよ。こんなに沢山大きく成られた人々ここに在るのですよ。只々簡単に単純にやろうとしても、そこは中々の人々ですよ、出来そうで出来ない事は沢山ありますよ。
 もっと強い力になればそちらからも沢山の色々な光が来るのでしょうが、皆違っていますから結果は分かりませんよ。思い切ってやりますか。大きな力を発揮しますか。変わったと思っても又変わる人々は沢山おられます。物に囚われたるを無くするのは中々ですよ。
 反省とは省みるにあらず。新しき大きなるを現すことなり。ここに現す。そのことを楽しみ、深き処へ。是より送る光にて、生み出だされるなり。この身は大きなり。」

 引き続き中山さんからのお言葉です。
「ただならぬとは、降る降る大きなる光なり。光はその持つ振動の現れなり。このただならぬ振動この地に伝えたる時には、多くのこの地の物、形をとどめる事できぬように成り行きます。
 この地球守りて、新たなるへと、進み行くは、この地球の振動、降り来る光に合いて、異なる事なしと成れば、すっかり変わる。そのご用意できれば、新しきは瞬時に出来上がります。皆々様も、その身の響きを、限りなく近付けて参れば、大きなる身と成り行きましょうぞ。
 このあわ歌、この身を通し、この身を変え行き、皆々と共々に、成し来たりて、20年の長きとなりました。この年に、この身と共に、払いて、篩いて、大きなる響きへと参る。
響きは、10日を置いて、早き変化を成し行き、この年の5月には、大きなる区切りを致す。皆々様方、共に進みて参られませ。」