2017年2月5日日曜日

841「奈良田・富士13」2017,2,5

 次の目的地は鳴沢村にある魔王天神社です。道の駅なるさわから数分で到着です。このあたりには鳴沢溶岩樹型が沢山あります。
 道路脇に鳥居があり直ぐに階段です。急な階段を上ると拝殿です。階段の30cm程を上まで雪かきをして下さっていて登るのは大助かりです。



 ご神体は魔王天山の様です。魔王天とは名前が凄いです。神社の表記を少し長くなりますが紹介します。

「魔王天神社は、神仏混淆の神社で、この魔王天という仏教の世界観を表す天部の文字をつけた神社の名称になっている。また、ここは古い神社形態を残しており、本殿を持たず、裏の魔王の山がご神体となっている。
 有名なところでは奈良県にある三輪山がこの形態であり大神神社(おおみわじんじゃ)の神奈備(かんなび 神体山)として崇敬されている。山そのものが御神体のため、大神神社は本殿を持たない。……中世の記録では三輪山には第六天魔王童子がお仕えするとされている。<三輪社平等寺資料>。この三輪山も山体を神とする自然崇拝を根本とする古代信仰の延長上にあるものとされており、神殿を持っていないことが特徴である。なお、富士山信仰に係わる神社では富士宮市の山宮浅間神社があるが、この神社は富士山をご神体としている。
 村の人は「魔王天」イコール「第六天」から「大六天」「ダイロクテン」の派生からオダイローサマと親しみを込めて呼び、剣の神は風を、切り分けることが出来ると考え、台風シーズンには作物を風の害から守ってくれる風の神様として信仰が厚かった。
 境内には、当時、罹患すると高熱を出し死に至るとされた恐ろしい病 疱瘡(ほうそう 天然痘)神の小祠が祀られ、村人を流行病(はやりやまい)の恐怖から村を見下ろす高台から守護していた。 
 本殿が無く拝殿のみの神社形態であるが、拝殿の後ろには、おびただしい宝剣が御幣の代わりに祀られている。大きい三叉戟(さんさげき)が3本祀られている。また、魔王という恐ろしい名の神であること、経津主神という剣を神格化した武神であることから、先の大戦には、弾よけの神、武運長久の神として近郷近在から信仰をあつめた。
 しかし庶民にとっては、表向きは武運長久を祈り、本音のところは兵役逃れの神として崇められたのであろう。 古代史の研究家によると大六天・魔王天の神社はかなりの数あったといわれているが、廃仏毀釈の折り、魔王天のような天部の名のついた仏教的神社は廃止された。神社名は改名を余儀なくされ、天神社(祭神 菅原道真 すがわらのみちざね)に改変されたという。
 しかし、本村の魔王社は、村人が魔王さまの名前を変えることなど「とんでもなく」恐れ多いとしてか、中央からはずれた鄙の神社であったため目こぼしがあったのか、そのために現代までこの神社名で残ってきたと想像される。」
http://www.vill.narusawa.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=15628




 拝殿奥に祀られた小さな社の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「うみう うみう うみう
 向かいて参りたこれまでを、改め、清め、流されて、遥かなるへの道、開き、
 この地の気をば発し行かれませ。
 進みは速き、この時なり。勇みて共に参られませ。(拍手)
 うおーうおー」11:11

 威勢の良いお言葉です。富士山が向かいに見えますが少し雲が上に上がって来ています。