文字は、ウ冠に示す、と表記しますので、「宇宙を示すこと」でその本義は、論理学の結論とされます。ですからその内容は日々変化、更新され進化して行くものです。その論理学の教えが宗教であり、本来そうあるべきものです。
そこには多くの真理があり論理学がちりばめられている世界ですが、固着することなく、解析し、問い続けて行くことが宗への行です。師、善き縁者からその一端の教えを受け、方便の中で己が行に気づき、己が役目、法灯として更に活かしていく営み。それが人類の大いなる足跡であり、継承する者の新たな視点想創性で深化して行く、いのちの流れです。
自然そのものを解析し、法則を見出して行ける能力、叡智は類稀なもので、それを駆使して先達を務める方のお役目はありがたく、大変なことです。多重、多偏、多次元の世界に視点を定め、直観、叡智で進み行く道は、将に未知を切り開く歩みです。
2月10日には今年初めてのあわ歌会が仙台天命舎でありました。あわ歌の中山博さんにご縁してかれこれ10年です。あわ歌を通して響きを伝え、大いなる存在との媒体として数々のお言葉を出だされて、元気に全国を駆け巡って居られます。
あわ歌を通して頂くお言葉には、個人的なもの、個を越えたもの、今必要なこと、これからに備えてのこと、過去の在り様を正し切り換えるもの等々、その時、その場所、その人に応じていろいろな内容が開示される不思議な世界です。
言葉も日本語だけでなく外国の言葉、意味不明の言葉、文字、記号、絵等々あり、翻訳し、解読することも難しいものも多々あります。如何なる存在から頂くものなのか不思議です。
しかし、大元は人間を通してこの世界の筋を正し、人間が進化、成長し、地球を実り豊かな生態系、環境としていく為の各自の御魂、精神、意識の向上への機縁を頂く、一期一会の出会いの世界です。そして中山さんも日々の行を通して音の響き、振動も変化して居られます。面白き、発見、気づきの楽しき時空間です。
2月10日のあわ歌会で私も中山さんの前に座ってあわ歌の響きを受けました。身体の中に、深くに入って行く感じで、その振動に浸り、目をつぶり委ねるうちに15分程の時間が過ぎてしまいます。
「繋ぎて参られ、遥かなる大いなる道。
揺るがぬその道、これよりのこの地、新たへと向かう。
頂きて、伝えて、発して、それぞれを動かし行く事なり。
みやいに降り来る、大いなる光、共々参りて、明日へと導く。
案内はそれぞれの大きな石。
留めて、開きて、揺らぎて、発し、生み出だす。」
更に2枚の絵があわ歌の最中に描かれていました。意味不明な内容です。
1枚目には 線が何本か規則的に描かれています。もう1枚は、同じ様に線が描かれてい
るのですが一貫性がない、斜め、縦、横のものです。果たして如何な意味が在るのでしょうか。
暫し、他の方のあわ歌拝受の間にいろいろこの暗号の様な絵を眺めて考えていました。すると1枚目の絵が「二 川 三 - 三 」に見えて来ました。二川で検索すると、愛知県の三河二川宿と出てきます。そしてそこが東海道53次33番宿です。そして三河三十三観音1番霊場大岩寺が愛知県豊橋市二川にあるのです。
この紐解きを中山さんにお伝えしたら、その様だ、とのこと。しかし、何故私に下りたのかと?明日からの巡りとの関係はあるのか?・・・です。
いずれにしても彼の地は、私も除福つながりで巡った処で、日本の構造上も重要な地です。
中山さんも以前にその辺りを訪ねているとの事です。果たして、私が更なる繋ぎをなすことが求められているのでしょうか。
もう一枚のランダムな線の絵は未だ解けません。