当初からの目的地の「山梨岡神社」は山梨市下石森にあります。車で10分弱の距離です。神社のある石森山には雪が降り積もっていて、山の各所にある巨石や木々は綺麗に雪化粧です。この山梨岡神社に付いては以下の様にあります。
「鎮座地は「石森山」「石森丘」と呼ばれる平地の中の小丘で、境内は狭いながらも、松などの大樹や奇岩、怪石が密集し、ツツジの名所としても有名。また、古く文人墨客から愛好され、岩にはそれぞれ趣のある名称が付けられている。
社伝によれば、創祀年代は不明だが、日本武尊が東夷征伐の際に勧請したといい、一説に第12代景行天皇41年、日本武尊が創祀したともいう。本殿の東には、日本武尊が腰を掛けたという御腰掛石がある。その石の頂には天神社(御祭神:日本武尊)が鎮座する。
神護景雲2年(768年)、坂上田村麻呂の父である坂上苅田丸が社殿を造営し、以来しばしば武将による造営がなされたと伝え、文治3年(1187年)には甲斐武田氏の源流の一人・加賀美遠光が修造し、往時は毎年弓祭りという神事も行われたという。」
巨石が居並ぶ池の前に奇岩巨石に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「うみう うみう うみう
直ちに参るこれよりの事々、遥かなる時を隔てて、ここにおらるる皆々様、如何なるや。
(拍手)
ずい ずい ずいのずい持つ皆の、その髄に、
見事なる真の思いをしっかり入れて、進み行き、この地を大きな地となされ。(拍手)
うおーん」15:10
次の目的地は山梨市牧丘町の「立石神社」です。雪は止む気配は無く、降り続いています。路面は既に積雪5cm強です。安全運転で誰も通っていない山道を進みます。そしてようやく立石神社に無事に到着出来ました。
皆さんをお目当ての拝殿後ろにあるご神体の立石・八稜石に案内しました。
ここはこの八稜石以外にも巨石が沢山そこかしこにあります。立石神社に付いては以下の紹介があります。
「境内入口には「村幣立石神社」と彫られた大きな石碑がある。案内板によると別名は加茂山神社立石大明神という。祭神は天手力雄命となっている。
古事記神話によれば手力雄の命は、高天原においてスサノオの命の乱暴に抗議した天照大神がこもってしまった天の岩戸の扉をこじ開けたという怪力の神である。
立石神社の神体石は、18世紀の再建になる社殿の背後にある「八稜石」とされる。
文献「牧丘町の文化財」には 「・・・・・御神体の八稜石は本殿の裏にあり、高さ10.6m、周囲19.6mの巨石直立す。・・・」とある。同誌並びに「牧丘町誌」には「甲斐国志」からの引用として 「・・・手力雄命ヲ祀ル神体ハ八稜石ナリ社中大石多シ皆直立ス・・・・・」 と記載されている。
この神体石は全体に丸みを帯びていて特に角ばった部分は見当たらないが「八稜石」と命名され、そのかたわらのやや小さめの良く似た形の立石と夫婦岩のように屹立している。
何度訪れても真っ先に魅了されるのがこの大変立派な巨岩である。社殿の正面から右側に回って摂社の屋根越しに見ても、背後にまわって全体を見上げても我を忘れてしまうほどの存在感を持っている。」
八稜石の前に皆で並び、あわ歌無しで中山さんが声を発してお伝えを頂きました。
「うお~あ~ 申す。
光の柱と成り行かん。
来たる新たなるその時を。北の光を待ち兼ねておるぞ。届けられませ。(柏手)
ふつつかなれど、思いを込めて、発して参る。」16:05
ここでも北の光を待ってくださるとのお言葉です。
Sさんが撮影する写真では、全てが白い光りで覆われて識別が出来ない光りに包まれています。驚きの発光現象、エネルギー放射する八稜石です。