2017年5月6日土曜日

931「法華経6」2017,5,6

・(経題)「妙法蓮華経」解説
「妙法蓮華経」の妙とは美しいということ。法とはいのちの個々の存在。蓮華とは連なる花で、蓮根から全ての花が出ている。いのちはひとつしかない。そのいのちの連続性、一体性を説いているお経です。
 法の字は、三水に土とムと書きます。ムは囲いの事です。法とは囲いを外すこと。私の字も禾偏にムと書きます。禾は稲を示しますので、私は、稲束を囲いに入れて他に取られないように、と言う意味です。外へ出られない法的な存在のことです。
 ですから妙法とは法的な存在が美しいことです。皆がつながっていてそれぞれの花を咲かして意味があることです。

(経題の現代訳)
「大宇宙に咲いた色とりどりの花々である。「個々のいのちたち」は、実は分離・孤立しているのではなく、「連帯する、一体のいのち」なのであるということを教え、不要な花など一つもない、それぞれの花は、その花だけが果たせる独自の役割と使命を担って、精一杯美しく輝いて咲き誇っているのだ。という「いのちの実相」を教える経典。」

・関わること(愛すること)の深化
 お釈迦様は菩提樹のもとで何を悟られたのか。
「ギャーテー ギャーテー ハーラー ギャーテー ハラ ソウ ギャーテー ボージ ソワカ」
 の意味は以下です。
「着いた 着いた ゴールに 到着した ゴールに みんな一緒に 到着した 素晴らしきこの達成 めでたし」
 泥だらけになっても良いから、皆を抱きしめて行こう。人間は皆、最終的にゴールに入るのです。

 お釈迦様は悟られて地上に残るか迷いました。そして40年間、地上で活動したのですが、死ぬ7年前にまた迷いました。その意味は次のような事です。
・21日の迷い→このまま最上天界の調和世界に戻ろうか?地上界に残って人々を導こうか?道を失って迷い子になっている分身たちと一体化する、「泥まみれで関わって行く」作業をしていく覚悟を決めた。「愛することは深く関わって行くということ」
 
・地上世界を去る7年前の迷い→弟子達の為に多くの経典は残せたので、このまま天界に帰ろうか?死後も関わり続けることにしようか?人類の魂の進化達成の日まで関わり続ける覚悟を決め「法華経」を説き始める。

・授記スタート
 そして最後にお釈迦様は授記を始めました。
 授記とはお釈迦様がある人に、「君は必ず仏になれるよ」という保証の言葉(記)を授けることです。その人が合格するまでお釈迦様が責任を持つ、という覚悟を持つ事です。
 授記は、お釈迦様の魂が拡大して、全体性を獲得する、という成長物語なのです。

 お釈迦様の授記の物語は以下の様に成されました。
 授記物語
1、お釈迦様はまず、僧団のリーダー格の長老弟子シャリホツなど5名に授記
2、アラカンの悟りを開いた中堅幹部の弟子たち、千二百人の弟子に授記
3、アラカンの悟りを獲得していない弟子たち、アナン、ラゴラなどに授記
4、この場で法華経の教えを聞いている会衆全員に、一気に授記
5、未来に法華経の教えを聞いて、一瞬の間でも「喜びの思い(随喜の念)」を抱く人たち全員に授記
6、「法華経随喜者」のうち、人以外の存在にも授記
7、地獄界のダイバダッタに授記
8、釈迦の乳母を勤めたマカハジャハダイと女性修行者六千人に授記
9、最後に、元妻のヤシュダラに授記をあたえて授記物語を完了する。
 
 授記物語とは、釈迦が「受け入れて、許し、愛し、抱擁する」ことが出来る対称の範囲を次第に大きく広げて「魂の全体性」を実現していくドラマです。「君は必ず仏になれるよ」という保証の言葉を与え、会得するまでお釈迦様が責任を持つ、と言う覚悟を持つのですが。女性は後の方で8番目、更に9番目に元妻に授記を授けて終わるのです。
 男にとって女性は問題であり、そこには女性の嫉妬があるのです。人間性としては男の心は分かっているのですが、その意味でもっとも、受け入れがたい、許しがたき存在だったのでしょう。