「神様の壷」は、壷が落ちて、バラバラになりました。その破片がそれぞれで、各自の個性を持ち、人生で経験を積んで大きくなるのです。その経験では人間性は変わらないのですが容量が変わり、大きく成長するのです。やがて、他の欠片の人と出会うと欠片がパチッと嵌まって行くのです。そして最終的に最初の壷より多きい壷が出来て、神様が喜んで天上界に戻してくれる、という神話です。これは新幹線に乗っていて、ふっと出てきた神話です。これと同じ発想のものが金平糖大作戦です。
進化の課程で他星で完成したイノチが、地球に来たので、ここではまだ完成でなくもっと大きくなる必要があるのです。その為に金平糖でやろう、という作戦を立てました。金平糖の角を立てて成長の意志を高くし、伸びて拡がるものです。そして各自が1個1個で最終的に丸い玉に戻る、というものです。1が他にまた1に戻る神話です。
最初に角を出すのですが、元居た所が居心地が良いので帰って来きたくなるのですが、帰れなくしたのです。その為に囲いを作りました。前の人生で経験し、今度はどういうことをしたら良いか、次の人生をどうするかで、角が次に成長が出来る様にしたのです。順番に角の成長が持続する様にしました。
一端、霊界へ行き人生の課題を反省して、次にどう生きるか考えました。人を殺したら相手の身になって、次は殺される立場になり、順番に大きくなるのです。そのようにして輪廻する様になります。そこで情報を共有するようになり、Aさんの経験がBさんに役立つ様になって行くので、一気に成長が出来て、輪廻転生をそんな沢山にしなくても成長が出来るようになるのです。
今とんでもない時代に見えるのですが、これからその重なりが大きくなるので、全体のあるところで一気に進化が進むと思います。我々の進化も35世紀になれば大丈夫です。それくらいの長いスパンで考えて、次々に生まれ変わってここに帰って来ないとなりません。しかしそれぞれの角の成長方向が大事です。そこに人生の意味がある事が分かるのです。
法華経の言いたいことが分かってきて、気分的に良いだけではないのです。
・法華経の読み方
法華経を音読するといのちがこもるお経です。へたくそでいいから、意味が分からなくていいから、ポツリポツリ音読してゆくことです。法華経は「骨太人間」に成る為に称えるものです。また、セクト主義、宗派根性に陥らないようにして、原典から学ぶことです。
・華厳経は「聖なるもの」を目指し、法華経は「魂の全体性」を目指す
華厳経は因陀羅珠網(いんどらしゅもう)の喩えで、「いのちの一体性」の美しい喩えです。それは仏界へ誘うものです。自分の玉に他の玉が鏡の様に写ります。「一即一切」で、自分のところに仏も全て今の所に写るのです。全ての人に仏性がありますから、皆で清らかな仏様の境地に入ろう、というのが華厳経の世界です。
一方、法華経は「一念三千」で、一念の中に三千の世界が入っているのは華厳経と同じですが、他を排除して仏様に成るのでなく、他を見捨てる心が自分の中にある六道が入っているのですが、それをどうするのかです。法華経は魂の全体性を目指すものです。
ヒットラー、イスラム国も、ダイバダッタも全部自分の中にいるのです。それらをすべて抱え込んで進化の方へ行くのが法華経です。
華厳経は水晶の世界で格好が良いのです。しかし法華経は全部を認め、抱きしめて行こうということで、俗っぽく、泥臭いものなのです。
ここで言う、一念三千とは、十界×十界×十如是×三界で三千世界です。
十界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・声聞・縁覚・天上・菩薩・仏を言います。修羅は争い、勝ちたいの世界。畜生は動物。餓鬼は物足らない。地獄は一番下の世界です。
菩薩まで進むと餓鬼のエリアまで共鳴できます。ここが菩薩の心です。更に仏まで進むと地獄まで共鳴・共振できる範囲が広がります。仏の心です。