・原点はお伊勢さん
26年ぶりで、伊勢神宮にお礼参りを果たすことが出来ました。
42歳の時、伊勢の内宮さんにお参りして、『これからは神様のお役に立てるような人生を歩ませてください。お前には神の役はつとまらないよとおっしゃるなら、もう生き続ける意味がありませんから、いのちを取り去って下さい』と、覚悟のお祈りして、突然天と地を結ぶ柱が立って、その柱の中に私がいるという体験をしたのが、それから後の私の人生の原点となったのです。
その時は、息苦しさ(生き苦しさ)がなくなり、息通し(生き通し)の解放感があったということだけで終わりました。
それからしばらくして、夢の中で、「『ひ』が君を使うがいいか、『ひ』が来るけれどいいか」と問われて、「ハイ」と受諾するということがありました。
その受諾の後で、心構えのような注意も受けたと思うのですが、その中に「プラスティックであれ」というのもあったように思います。
『ひ』という神様が望まれる、どのような「型」にも、柔軟に対応して「成型」できるようであれということですね。
それら一連の対話があってから眼が覚めて、その問答をメモして、すぐまた眠ってしまいました。
朝起きて、その問答文を見たのですが、何のことかさっぱり分かりません。
夢の中ではハッキリ意味が分かって、覚悟の受諾をしたはずなのに、そうなのです。
それから、また何日か経過して、私は昼寝をしていて目覚めました。はじめは、ボーツとしていたのですが、次第に意識がハッキリしてきて集中してゆきました。
日常生活中の程度に意識が集中し、それで終わりなのかと思っていると、さらに意識集中が続き、禅の公案や物理の難問を解こうと努力している時ほどの集中度に達し、それでもその集中過程は収束しないで、さらにどんどん意識が一点に凝縮していって、それから一気に天に向って上昇してゆきました。
そして、ついに天界に達したぞと実感出来た瞬間に、天界からスルスルスルと、なにやらメッセージの小包らしきものが降りてきました。そして、その「天界からの便り」が私の心に確かに収納されました。 私には、そのメッセージの内容が読み取れませんでした。
しかし、心の中のその小包をジッと見つめていると、包装紙が解けて、やがて一気に文章が流れ出したのです。次々と、切れ目なく文章が湧き出して止まないのです。
私は、その文章を大急ぎで小さなメモ帳に書き出してゆきました。
そして、一週間ほどの間に、四百字詰め原稿用紙に三百枚ほどの分量となりました。その原稿を東京の出版社に送ったところ、すぐ出版したいという返事が届きました。それが、私(?)の処女作である『天界の禅者大いに語る』(潮文社)です。
それから、立て続けに三冊の本が出版されましたが、私にはここまでで限界だなあ、これ以上書いても意味がないという感じがしたのです。
もちろん、天から届いたメッセージは、これくらいの小さな分量のものではありません。
「一生受用不尽」(その小包からはいくらでもメッセージが取り出せる。一生涯汲み取り続けても、ちっとも減ることはない)なのです。 人類の進化完成時までに必要な情報がすべて内蔵されている小包なのです。
しかし、当時の私には、これ以上、この小包からメッセージを「解いて取り出す」ことは出来ないという自覚があったのです。 それで、筆を断って、ふたたび「暗中模索の時期」を迎えました。