中学教頭の依頼を受けた時、校長はこうおっしゃいました。
「立花先生は、取り立てて何かの才能があるというわけではないけれど、先生がいるとなぜかみんなが落ち着くので、別に何もしなくていいですから、とにかく教頭の席に座っていて下さい」
そうおっしゃったので、教頭になってから新規なことは何もやらないまま終わりましたし、5時になると、サッサと帰宅するという、変な教頭だったのですが、それで非難を浴びることもなく、それに不思議なことには、学校としての成績も一気に上がったのです。
これまで、九州で2位、3位という進学実績の学校だったのが、私の教頭在任中は、九州トップの進学校になりました。現在は、私は教頭を辞め、退職もしたので、九州2位という座に戻っているようですが不思議ですね。
何も特別なことはやらないのだけれど、勝手に関わりのある組織、集団が改善されてゆくのです。外に見えて何かをするわけではないので、誰にも誉められることはありませんが、そのほうが奥ゆかしくていいですね。
私の心に収納されている「天からのメッセージ」には、まだまだたくさんの未開封の部分があって、私の地上での成長と共に、少しずつ開封されて読み取れるようになってゆくでしょう。
果たしてどんな素晴らしい情報が隠されているのでしょうか。とても楽しみです。
このように、42歳で伊勢にお参りして決意表明してから、私の人生は一気に変化しました。
ふしあわせな人生(まずしい、さびしい、むなしい)から、しあわせな人生(ゆたか、にぎやか、いきがい)への変化です。
しかし、一気にといいましたが、私の場合は、3年間ぐらいの時間差がありました。
42歳の決意表明から45歳で就職するまでの3年間が、私にとっては一番どん底で、苦しい時期でもありました。
本当は、想いが変わると、一気に環境が変わる(天界はそういう世界です)はずですが、その人が過去から積み重ねてきた「いのちの傾向性」(仏教でいう「業」、物理学では「慣性」という)が、変化を邪魔するのです。
覚悟を決めて跳び込んでゆけば、運命が変わるのだということと、しかし、一気にというわけにはいかないこともある。時間差があるということも、あわせて知っておいてください。
仏様の頭
私の親父は人間嫌いで(でも、冷たい人ではなく、とても心優しい人だったと思います)、私もそんな「いのちの傾向性」の遺伝を引き継いでいます。人と関わっているだけで疲れて苦しくなってしまうのです。
そんな私が、多くの生徒と向き合って関わっていかねばならない「教師」を長年やってきたというのは不思議なことですが、この世は「魂の学校」なので、ワクワク楽しいことばかりやっていたらちっとも魂は成長しませんね。
「基本、苦手なことを避けずにやってゆけば間違いないですよ」と、私は私自身の人生経験から、若い人にはアドバイスしています。
どんなことでも、やってくる出会いは、きっとその人の成長にとって一番必要な課題なのですから逃げたらいけないのです。逃げれば逃げるほど、「課題お化け」は肥大して、どこまでも追いかけてきます。
こんな夢を見たことがあります。
「怪獣」が出てきたのです。私は怖くて逃げ出します。「怪獣」は追いかけてきます。私が逃げれば逃げるほど、「怪獣」は大きくなってゆきます。前に壁がそびえていて、もうこれ以上逃げることは出来ません。
私は思い切って振り返り、「怪獣」を正視します。すると、「怪獣」が少し小さくなったような感じがするのです。私は覚悟を決めて「怪獣」に向って進み始めます。すると「怪獣」は私から逃げるように後退してゆきます。そして、ドンドン小さくなってゆきます。そして、ついに壁ぎわまで追い詰めて、よくよくその「怪獣」を観察すると、実はその怪物の正体は、一匹の小さなコオロギ君だったのです。