それまではそれぞれが囲いの中だけで生きていて、淋しく、孤独で、空しく、貧しい生き方でした。42歳の時に、伊勢神宮を参拝しお願いしました。神社の前で、「どうしようもないこんないのちは要らないので、どうか私に神様の役に立つことをさせて下さい。」とお願いしました。そしたらその瞬間に私の囲いが外れたのです。それは囲いに少し隙間が出来た位でしたが、そこから変わって行きました。
それから豊かになったのです。必要な時に必要なだけお金が入ってくるのです。それは空っぽ財布です。欲しいものがあると空っぽな財布なのに支払おうとするとそのお金が入っているのです。そういう生き方が出来るようになりました。財布にはいっぱいお金がはいっているのではなく、必要なお金があるだけです。それから生き方が楽チンになりました。
淋しいが賑やかに変わりました。全部が繋がっていると分かりました。私は人間嫌いで、人に付き合いたくない人間でした。私の父親は人間嫌いだったのです。子供の頃、家族で遊園地へ行ったのですが父親が後で付いて来るのです。それは近所の人に、家族一緒で良いですね、と言われるのが嫌だったのです。そんな父からの遺伝的な人間嫌いでした。しかし何故、私が学校の先生するのかです。それは、自分が苦手な事をして人間として大きく育つことをしているのです。
楽しく生きないと駄目ですよ、と言われます。そのような自己啓発セミナーは縛りになります。そう出来ない自分を責めて苦しくなるのです。人生いろんな事があり、そんな自分を許して、受け入れて行くべきです。
私は授業へ行く時にいつも胃が痛くなって重苦しくなりました。そこを奮い立たせて行きました。教室の戸を明けて、挨拶をするとガラッと遺伝的自分が神的自分に変わりました。
私は学校では始めの年から生徒たちの成績が凄く上がったのです。そんな姿を見て、皆さんに生徒が好きでしょうがなく授業をしていると言われたのですが、それは違うのです。教室の授業は神的自分がやっているのです。
遺伝的な人間嫌いの自分は変えられないのですが、役を果たす時にはガラッと違う事が出来たらそれで良いと思います。だんだんと年を取ったらその感じも麻痺して来ています。生徒達が孫の世代になったのです。生意気な生徒が一言で従順に変わってくれるように私もなったのです。
生甲斐と思えること。自分が今、ここに居るのが人類の進化に必要と思うのです。家庭で子供一人を育てる事を必死にすることも宇宙的に意味があったのです。どれも良い悪いは無いのです。今は孫が病気になると私の家に来ます。世話が掛かるのですが、そんな自分もいて、又ここでこのように話している自分もいるのです。そこにはどちらが上で、下だ、は有り得ないことです。そういう発想をようやく出来る様になりました。どんな生き方をしても今の体重が掛かっているのです。
つらい時、法華経を唱えることが支えになっています。法華経を唱える事で、遠大で長い目で見ることが出来ます。家内に何をするにも私は人より10年は遅れていると言われます。私たちの人生を考えてみると、何度も生き変わり転生を繰り返しますが、一生で進むのは1mm位だけです。そこで見ると私は0.6mm位で大差ない、と考えると安らぎを与えてくれるのです。法華経を唱えていると雲から太陽が顔を出す心理状態です。