朝7時半に仙台駅に集合して陸奥伊達な旅の始まりです。総勢11名でスリー9のナンバーの車3台に乗り込んで出発です。
今回の巡りは仙台から南の宮城県をほぼ反時計周りに巡る2日間にわたる旅です。参加の面々は最近の常連の方々で、天気にも恵まれて良い感じで巡れそうです。
最初の目的地は仙台市太白区茂庭生出森にある太白山・生出森八幡神社です。東北新幹線で東京方面へ仙台向かう時に、広瀬川を過ぎて右手に見える綺麗な三角形のピラミッド様の山が見えます。その山が太白山です。
太白山は仙台市の自然観察の森になっていて、生出森八幡神社は太白山の登山口から少し登った中腹にあります。登山口まで車で行けますので、神社までの登りは10分程で到着です。太白山に付いて以下の様な紹介がありました。
「かつては「独活(うど)ヶ森」「おどが森」「生出森」と呼ばれていた。現在の山名「太白山」は、『「太白星」(金星)が落ちて出来た山』という伝承に由来し、所在する太白区の由来ともなっている。仙台富士または名取富士とも呼ばれる。
仙台平野の広い範囲から眺められるのみならず、太平洋・仙台湾の沖合いからも容易に確認することが可能。その姿は縄文時代から人々の親しみと信仰の対象となってきたと考えられており、平安時代初期の大同2年(807年)には山頂に貴船神社が祀られ、奥州合戦最中の文治5年(1189年)には源頼朝が鶴岡八幡宮勧請した生出森八幡神社も鎮座する。」
「太白山は特異な山容のためか、伝説も多く、太白星(金星)が落ちて当山になったといい、山名はそれに由来すると記されていました。
また大昔、当山にウドの大木があって枝葉が生い茂り、そのため三里四方の作物が実りませんでした。村人はやむなくそれを切り倒そうとしましたが、切り口が急に復して効き目がなく、大同2年(807年)京都から貴船明神を歓請し、3昼夜の祈願の末その害を免れたといいいます。山名も烏兎(うど)ヶ森が古く、それを生出(うと)としたのを後に「おいで」と呼ぶようになったそうです。
貴船神社は京都の鞍馬にあり、祭神を龍神高おかみ神(たかおかみのかみ)といい、雨水を守護する神、雷の神、雨乞いの神とされ、豊作を祈る農民の信仰により、太白山頂に歓請されたものと思われます。」
「この山はもとは「生出森」と呼ばれていたらしい。古代のイワクラ信仰(巨岩の裂け目から地神が出入りするとの信仰)を感じさせる名称だ。
太白山という山は朝鮮半島にもある。金星が地上に落ちて山になったとの伝説があり、日本の白山信仰のルーツとされる。この仙台の太白山もその信仰なのかと思ったが、生出森八幡神社の説明板にはそのようなことは書かれていなかった。
おそらく、もともとは生出森のイワクラ信仰があり、そこへ太白山信仰の行者が入って太白山と名付け、さらにのちに八幡信仰が入って八幡神社となったものだろう。日本の神社はそんなふうに、その時々の流行の神様にすげ替えられることが往々にしてある。」
鳥居から山道を少し登ると、社の少し下に舞台のある建物に着きました。その後ろには巨石が鎮座しています。
そこで歌を響かせることになりましたが、皆さんに以下のお話がありました。
「実は中山さんには12月6日にお言葉があり、重大な事のお告げがありました。そこでは、来る働きは12月9日に発するとあり、今日がその12月9日です。今回の巡りで妙見、星に関係する所はこの太白山とではないか思うのでここでその儀式を中山さんお一人で行う。」ということです。
その後中山さん一人があわ歌を歌われた。あわ歌の後に「あゐうゑを」を発せられました。
「度重なりたるこの地球の事ごと、留まる事なき行く末を、
遥かなる響きにて大いなる変化、大きく成りて参る。
是までを終了致す。幾つかの事、北の地に起こる。
ふつなるの元なる地なり。如何なるやは皆々様の思いの現われ。
大いなるは元成る響き。さあさあ皆々、揺るがぬ御用意を。」8時31分
大いなる響きが天空に拡がり行きました。今日の大事はこの朝1番で終わった様な感じです。