2018年1月22日月曜日

1192「救世主10」2018,1,22

 サタニズムにおける9の罪を解説しました。悪魔教会、サタニズムといわれているものの考え方、哲学思想の部分をみますとそれらは決して奇想天外で不気味な残酷な表現や考え方などひとつもありません。そこにあるのはむしろ、きわめて冷静で俯瞰的であり聡明で怜悧な思想です。
 生物、動物としての本能、人としての本音を何よりも重んじ、さらに宇宙との調和、自然との均衡を目指すその姿勢からは私たちは多くを学ぶ必要があるかもしれません。そしてこのサタニズムの考え方というものは、なんと縄文スピリットの内容とまったく同じであるということをここに重ねて指摘しておきたいと思います。
 仙台講演会、そして大樹界がまさか、なんとサタニズムだったということは今回、私自身がこうして原稿を書きながら初めて気づいたのです。

 今日こうして楽しくお話している内容は、私たちにとっては何の違和感もない無い内容かもしれませんが、アマテラスによって支配されているこの日本を始め、西洋キリスト教圏においてはまったく禁忌事項でありタブーであり、禁断の思想哲学であります。

 最後にサタニズムの3つの決まりごとの最後の「地上におけるサタニストの11のルール 」を紹介します。ここでは私は1つ1つ解説しませんので皆さんの読解力、想像力によって真意を汲み取ってください。

「地上におけるサタニストの11のルール 」
  1. 求められてもいないのに意見や忠告を与えないこと。
  2. 他人が嫌がるとわかるようなごたごたを話さないこと。
  3. 他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと。
  4. 他人が自分の家で迷惑をかけるなら、その人を情け容赦なく扱うこと。
  5. 交尾の合図がない限りセックスに誘わないこと。
  6. こんな重荷降ろして楽になりたい、と他人が声を大にして言っているものでない限り、他人のものに手を出さないこと。
  7. 魔術を使って願望がうまくかなえられたときはその効力を認めること。首尾よく魔術を行使できても、その力を否定すれば、それまでに得たものを全て失ってしまう。
  8. 自分が被らなくても済むことに文句を言わないこと。 
  9. 小さい子どもに危害を加えないこと。
  10. 自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと。
  11. 公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意すること。それでもだめなら攻撃すること。 

 さて、いかがでしたでしょうか?「地上におけるサタニストの11のルール 」は素晴らしい内容だと思います。建前と幻想に満ち溢れたアマテラス派が創作した教育勅語なんかよりも、よほど立派でより現実に即した有効性の高いルールであると思います。
 このルールには本音と本能に忠実に生きることが示されています。そして本音と本能に生きるためには、いかにして社会性や他者への気配りが必要となるか、そして成熟した大人でなければサタニストにはなれないことが明確に示されているのです。
 そこには決して恩着せがましさや、ありがた迷惑なことは記されていませんね。このルールを徹底することによって、確実にムラ社会から脱却することができ、さらに成熟した大人として、そして独立個人として歩むことができると思います。

 また悪魔教会はこれらの沢山のルールについて以下の様にあります。
「しかし、忘れてならないのは、これらは一般的に言ってサタニストがわざわざ無理をしてまで為すべきことと考えているものではないということである。・・・理念上これらは自明の理であり自然に生きていくやり方であると受け止めている。」

 これらのルールは「わざわざ無理をしてまで為すべきことではない」と言う、このゆるさが縄文的であり同時に、本来のサタニズムなのだなと感じさせる部分です。アマテラス大和朝廷であれば、定めたルールは強制であり強要されるものですから、サタニズムの罪やルールがあくまでも推奨レベルであるところに非常に優しさを感じるのです。