齋理屋敷の説明は以下です。
「江戸時代後期から昭和初期にかけて、呉服・太物の商売に始まり味噌・醤油の醸造、縫製業など幅広い事業を展開し、七代にわたり栄えた豪商、齋藤理助氏。
その屋敷および収蔵品すべてを町が寄贈を受け、「蔵の郷土館」として開放したのが齋理屋敷です。当時の衣類や美術品などが展示されている7の蔵(1棟非公開)と2つの邸宅。
2010年には、蔵や石風呂などの6つの建築物・工作物合わせて12の建造物が国の登録有形文化財に登録されました。
年3回の大きな企画展「端午の節句」「齋理の歳迎え」「齋理の雛まつり」はじめ、一年中さまざまな特別企画展が行われています。また、屋敷内を利用して「齋理ざっとむかし」や「シルク和紙・紙漉き体験」も定期的に開催中。
8月上旬には、齋理屋敷およびその周辺の通り一体を会場とした夏の風物詩「齋理幻夜」が行われ、約1,000基ある灯篭の幻想的な灯と各イベントがまつりを盛り上げます。」
大正ロマンの名の通りの雰囲気のお店です。私たちだけの貸切で豪華ランチとぜんざい、或いはケーキセットを頂ました。皆さんここでも満たされて心身ともに大満足です。
そこそこ歓談に華を咲かせた後は、直ぐ近くの百々石公園でしばし休息です。狭い道路をあがると全山そこかしこに巨石がある公園です。
公園の案内です。
「伊具郡史
百々石公園は以前、観音山公園とよばれ、由来は、「丸森町有志菊池栄三郎氏が大正十二年独立自費で山路を拓き人工を加へしもの。山上風致絶勝にして紅葉する頃は殊によし。山上に三十三観音の一にあたる細内観音あり」
なぜ「百々石公園」となったのかはわかりませんが、全山が花崗岩の巨石で出来ているために「百々石(どどいし)」の字が用いられるようになったのだろうと推測されます。」
駐車場から数分登ると展望台、東屋があります。その先の巨石から午前中に登った羽入りの立石が南東の方向の山に見えます。流石に巨大が道祖神です。丸森の町を眼下に眺望し石の上でまどろみタイムです。
百々石で多くの英気を頂き、後半へ向けて出発です。
次の目的地は角田市立石笠島にある笠島の立石です。この立石は道の分岐に突然現われる感じで驚きの巨石です。羽入の立石を東根(隈東)の横綱といい、方やこちら笠島立石は西根(隈西)の横綱と言われています。
伊具郡誌に「立石 笠島権現道(権現堂のことか)の下に在り三丈二尺周囲十二丈」。
「いわれ:角田~白石間を結ぶ最短の道筋で、分かれ道には「右白石・左大倉村」と刻まれた寛保3年(1743年)の道標が立っている。高さ10m、周囲40m程」
立石の近くの権現森の頂上からは太白山が見えるようです。以下に東西の横綱の立石を
紹介してあります。甲乙付け難い巨石です。
羽入の立石は東根(隈東)の横綱 |
笠島立石は西根(隈西)の横綱 |
立石に向かって皆さんで「あゐうゑを」3回のみ響かせ、発しました。その時のお言葉です。
「西より東へもう一度結び直し、
天地と十字になる光来る時には必ず発して下され。」14時36分