2018年1月18日木曜日

1188「救世主6」2018,1,18

 さて、⑤「サタンは右の頬を打たれたら左の頬も向けるのではなく、 仕返しをする行為を象徴する。」です。
 この意味がお分かりになるでしょうか?これははっきり言ってしまえば、自然であれという事です。天、宇宙から何らかの不幸な仕打ちが舞い降りたとしたならば、ただ甘んじてそれを黙認し受け入れるだけでなく、そこに現われるサイン、つまりその不幸の要因、原因と向き合い、それと均衡するだけの徳を己という鏡を通じて天、つまり宇宙へフィードバックさせなさい、ということです。
 また、これはキリスト教の教えを欺瞞であり偽善であり建前であると看破したものです。野生動物を見てみてください。熊にちょっかいを出したら熊は反対側の頬を差しむけますか、そんなことはありませんね。思いきっり襲い掛かってきますよね。これが自然であるということ、そして「ちくわ」であるという純粋さを意味しています。
 ですので誰かに殴られたら、そこで建前や偽善で反対の頬を差し向けるのではなく、純粋で自然で本能的であるならば、そして己が狭窄なアタマで考え出した偽善という算段によってカルマを生じさせるよりも、その場で純粋に反応した方が遥かに宇宙的だ、といっているのです。

 さて、⑥「サタンは精神面で他人の脛をかじる者への配慮ではなく、責任を負うべき者への責任を象徴する。」です。
 これも同じですね。だんだんサタニズムの言っている内容にひとつの共通点があることに気付きませんか?誰かに精神的に依存し、己という自我を持たない人には、当然ながらサタニズムの根幹である自己中心的で利己主義な生き方などできるはずがない。つまり成熟もしていないし、独立個人でもない。そのような相手に対して、どうして配慮する必要があるのだろうか?ということになります。

 さて、⑦「サタンはただの動物としての人間を象徴している。『神から授かった精神と知能の発達』によって 最も悪しき動物となってしまった人間という生き物は四足動物より優れていることもあるが 劣っていることの方が多いのである。」です
 これは強烈なメッセージですね。神から授かった精神と知能の発達によって、人はもっとも悪しき動物になってしまったといっているのです。それは自然であり宇宙である純粋な本能や本音を忘れ、小賢しいアタマによってこしらえた浅薄な偽善や建前によって支配された人間ならば、それは四足動物より劣っているということです。
 サタニズムが言っているのは、とにもかくにも純粋さと素直さと本音と本能の重要さです。それらを失ったならば、どれだけ賢くなったとしても、それは動物以下であるという事です。

 さて、⑧「サタンは罪と呼ばれるものすべてを象徴する。おおよそ罪とは肉体的、精神的及び感情的な満足に繋がるものだからである。」です。
 ここで言う罪とはキリスト教が教える罪のことです。キリスト教での罪とは、アダムとイブの原罪のことです。そしてその罪とは肉体的、精神的かつ感情的な満足に繋がるといっていますね。それはつまり性欲のことであり、セックスのことです。(他にもありますがその代表格がセックスであるということです)
 性欲、そしてセックスとは何かといえば、人類繁栄のための根源的欲求のひとつで、現代人類に残された唯一といっていいほど原始的かつ本能的なものです。このような本能であり本音の代表であるセックスを原罪とするキリスト教とは対極に、サタニズムにおいて、サタンとはその原罪、つまりセックスそのものを意味すると述べているのです。
 つまりサタニストとはキリスト教においてもっとも罪と思われる、その本能の代表であるセックスというものにこそ、もっとも価値があると認めるということです。

 さて、⑨「サタンはつねに教会の最も親しい友人であり続けてきた。というのも彼は長年それを仕事としてきたのである。」です。
 さあ、これは難しいですね。ここで言う教会とはなんでしょうか?これには2つの解釈がありますね。それは悪魔教会とキリスト教会の2つの教会のことです。
 ではまずキリスト教会のことを指すとして考えてみましょう。サタンがキリスト教会の最も親しい友人であり続けてきたというのです。これはどういう意味でしょうか。サタンはキリスト教会という偽善と建前とムラ社会を象徴するものが拡大していく様をあえて眺め、その伸張を影ながら支援してきた。
 というのも、あえて建前と偽善の大聖堂の繁栄を許す事によって、その後に来る本音と本能のインパクトが増すということと、あえて建前と偽善に浸った人々の方が、本能に目覚め、覚醒が促進されるということ。
 このことを見越して悪魔はあえてキリスト教会と共にあった。またキリスト教会は邪悪な悪魔の存在は非常にありがたいものであった。サタンは実在しないものであり、思想であり信条であるわけです。ならばサタンとは本能の事です。この本能こそが悪魔教会の最も親しい友人であり続けてきたということです。
 そしてこの最も親しい友人というのはその本能と非常に似通った存在であるという事を意味しています。つまり本能と悪魔教会はほぼイコールであるということです。そして彼は長年それを仕事としてきたのですよ。ここでいうそれとは本能を指します。つまりサタンは本能を仕事としてきた、ということになります。
 そして人間の意識を解放させ、覚醒させ、そして本当の動物的本能に立ち返り、本源的な意味での自己中心的で利己主義な人となれるよう本能は、本能のままにそれをずっとサポートしてきたんだ、と言っているのです。