2018年1月6日土曜日

1176「伊達6」2018,1,6

 今日の予定は全て終わって後は宿です。しかし未だ時間が早いので、明日の最初の予定の潜り岩と猿跳石・九瀧神社を今日巡ることにしました。まだ今日は前日のお言葉であった絵の丸のさんの字、3つの内2つしか出来ていません。
 阿武隈川にある潜り岩と猿跳石は宮城県丸森町耕野ですが、九瀧神社はその岩の川の対岸にあり、福島県伊達市梁川町舟生になります。

 道路脇に九瀧神社があり、猿飛岩の表示の柱があります。神社に付いては以下の表記があります。
「九つの滝を祀った九瀧神社。梁川町の方では、この場所が九つの滝になっていて信達地方は湖であった。この滝を壊して阿武隈川ができたと伝えられております。(まるもりの伝説より)」

「潜り岩の対岸にあり、阿武隈川の大きな九つの滝の神を祀っている。昔船頭は舟運の安全を祈り、上り下りお参りをしたという。そこは阿武隈川随一の淀である。深さは約30m(釣り糸で計測)」

 潜り岩は川の対岸に巨石が積みあがって塔のように見えます。道路から下ると水溜りの池があり川砂で覆われています。その先にこんもりと木々が茂る巨岩の丘があり、そこが九龍神社奥宮です。



 潜り岩に付いては以下の様に紹介されています。
「伝説では、天喜5年(1057年)安倍貞任が対岸を利用し、材木や石で川をせき止め、源義家の軍を防いだ時(前九年の役)、せき上がった水にこの岩が潜ったのでこの名が付けられた。
 その時、川の水が刈田郡方面に越えたので、越河(こすごう)と名付けられたという。そして、刈田郡方面は洪水になったという(安永の風土記)。
近年、岩の高さを実際に釣り具で計測した人がいて、約39mあったとのことである。」
 
 猿跳石は川の中に石が点々とありそこを猿が飛び越えて川を渡ったことから名付けられたようですが川の姿が変わったのでしょう、その石は確認出来ませんでした。以下の様に照会されています。
「舟が川を下る時、大波に見え隠れする岩が、猿のように見えるから(奥州仙台遠見記)という説と、近くの岩洞のお山王さんと霊山のお山王さんの使いに猿が群をなして跳び越えたので(郡誌、封内名蹟誌、封内風土記、観跡聞老誌)名付けられたと諸書にある。往古は登竜門滝と言ったという(安永の風土記)。」
 潜り岩の左手の上流側に猿の様な巨石が、川から上がる感じに見えましたが、猿岩で如何でしょうか。

 ここでは皆であわ歌を歌い、あわ歌の後に「あゐうゑを」響かせました。

その時のお言葉です。
「あ~ 荒み行くを守りて、この水清きを保ち、生み出だされよ、大いなるを。
 その姿見たり。」14時32分


 今日の宿泊先は鎌先温泉の湯守木村屋です。早いチェックインですが温泉にゆっくり浸り、寛ぎの中で癒されました。3名の方のあわ歌拝受、盛り沢山な料理の食事、2次会とお話も弾み、中山さんの通して各自の見つめ、気づきの交流を深めました。




 余談ですが驚きの事がありました。参加しているTさんの息子さん家族が奥さんのご両親達と隣の旅館に宿泊していたのです。私たちが木村屋に間違って玄関先まで車で登ってしまい、駐車場へ引き返すことになりました。隣の宿の卓球場が道路から丸見えでそこで彼らが卓球をしていたのです。私の車は既に登り過ぎていたのですが、後続の車が丁度卓球場の前で停車していたのでお互い確認出来たのでした。後で聞いたら、お昼のうーめん番所も私たちが駐車場に入る時に食事を済ませて出たようで、999の車をお孫さんが見ていたというでは有りませんか。驚きの遭遇です。