「天津罪とは、天に対して向けられた罪です。分かりやすくいうと天対人の罪です。噛み砕いていうと、つまり、天との契約においての債務不履行のことです。もっと簡単に言うと、怠け者の罪と言ってもいいです。
国津罪というのは、人対人の罪です。刑法犯と大体イコールだと考えて下さい。身体・財産を犯す罪です。これは分かりやすいと思います。殺人とか盗みとか強姦です。
一方、天津罪というのは、私たちは、予定されたスケジュールで生まれているわけです。
生まれる前に、カルマの解消であるとか、魂の練磨のために、どこどこの誰を親にして、生まれてこういう困難に直面して課題をこなしていくということを、周りと相談して決めているわけです。だから、どうしようもない親のもとに生まれてきているのは、その親のカルマ解消を助けるためであったり、前世でできなかった遣り残しのスケジュールをこなすために効率が良いからであって、親はちゃんと自ら選んできて生まれてきているわけで、そのスケジュールを守らない怠け者というのは、実は、国津罪の3倍重いとされています。
人を殺したり、強姦したり、財産権を侵害したりといった国津罪よりも、ひきこもりの怠け者のほうが3倍重いというと、ちょっと違和感を感じられると思われるかもしれないのですが、天の考え方としてはこうなのです。
何か働いて努力すれば、才能が残ります。才能というのは、信仰心・芸術・学問の3つですが、この3つだけは来世に転生するときに継承できます。動いていれば、それは蓄積して残るのでプラスになるのですが、怠けていると何も残らないのです。これこそが重い罪であるということなのです。生まれてきているのに何の意味もない。こういうことをしていると、召還がかかります。」
https://ameblo.jp/shinsenroshi/entry-11847943025.html
「この「神」との契約違反を「天津罪」といいます。
通常人は学校や、職場において、辛い事、嫌な事、誤解、差別など、色々な悩みを抱えます。職場、学校、家庭というシュチュエーションは、考え、悩みあぐね、その中から「学び」を得るための媒体です。自殺、ひきこもり、不労などは「怠りの罪」といわれ「契約の不履行」であり、最も重い罪に問われます。
一方、国津罪とは、盗み、詐欺、殺人など、人間社会で一般に刑法で罰せられるような罪をいいます。強盗、殺人、戦争責任など、もちろん重い罪に問われますが、その過程において、学び、知恵をしぼり、体を鍛えたりもするでしょう。少なくとも怠りの罪よりは多少は救われます。
以外と思われるかもしれませんが、宇宙的法則では、殺人者よりも、怠け者のほうが、罪は重いのです。それほど「神との契約」は絶対なのです。
その昔、「神との契約」を破ったユダヤ民族は1900年もの間、流浪の民としてその罰を受けたようにです。
つい先日、私は古くからの友人に会いました。彼女のあまりの無知、無気力に呆れてしまい「おんめぇよ、いまどきの頭の悪い女子高生でもGHQくらい知ってっゾ、少しは勉強せ。」と言ってしまいました。彼女は10年くらい前までは仕事をしていましたが、リストラの憂き目にあい(当然と言えば当然)、それ以来、全く仕事もせず、学びもせず、結婚も出来ないで、毎日家でボーっとして一日を終えているようです。生活は年老いた親に頼り、70を超えた母は働き、父は入院し、本人は「考える」という事さえせず、ぶらぶらしています。この罪深き彼女を私は「ぼうふら」と呼んでいます。そう、雨水の中で頭を水面につけ、体はいつもゆらゆらと揺れている、あのボウフラです。」
http://cosmo-world.seesaa.net/article/157859774.html
これらの視点は如何でしょうか。これから起きるであろう変化の時に、果たして天変地異が起きて、その中で天にお任せして自分の使命、天命を生きて行く覚悟が出来るのでしょうか。日々の必要な己が行の中で身心を整え健全な営みに務めて行く、淡々と目の前の義務を果たしギブが出来たら素晴らしいなと思います。
それが「じうしみの」概念の世界で、それは生体エネルギー理論の根幹の考えです。先ず「人のいのち、財産、想造を奪ってはならない。そして人類宇宙自然から求められること。己の能力を高め貢献すること。」を目指す。この前提の上で産業、技術が活用されています。いよいよその活用が必須な時代を迎えて来ています。