今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月13日の記事を紹介します。
母と子の絆
子供の虐待、育児放棄など、子供にまつわる悲しい事件が多く起きています。家族は、人間関係を通じ、魂を磨くために神様が作ってくださった基本となる最小の単位です。
そこの部分を大切にすることで、私たちの魂は磨かれ、輝きを増していきます。
今日は小林多喜二のお話をご紹介します。以前書いたこともあったのですが、別の切り口でご紹介します。
<引用開始> 引用元
昭和の初め頃、小林多喜二という人がいました。「蟹工船」という小説を書いた作家です。
この小説は、蟹工船つまり蟹の缶詰を作る船の中で働いてる女性たちが、もう本当に低賃金でお金をそんなにもらわないで、そして労働が激しい。
その様子を小林多喜二は、あまりにも可愛そうだからと小説に書きました。ところが何か国を批判したと何かで、とんでもないことになって小林多喜二は警察に捕らえられてしまいました。東京の築地署というところの監獄に入ってしまいました。
ほかにも何かあったのでしょうけど、とにかくそれが理由で彼は監獄に入りました。 頭は剃られ、いつも竹刀で打たれ、大変毎日毎日苦しい生活を強いられました。
ところが小林多喜二を指導していた憲兵・警察の人が「もうそろそろ命がこいつは無いだろう、もうすぐ死んでしまうのだから、最後にお母さんだけ面会を許そうではないか」という事になりました。
お母さんは北海道の小樽です。当時は2月で雪が寒む寒むと降りしきる小樽でお母さんは一人で生活をしていました。お父さんはいないのです。一人息子の小林多喜二は東京の築地署に連れて行かれお母さんは、一人で雪の中で生活していました。そこへ築地署から一枚の手紙がやってきました。
「3日後11時から5分間面会を許す、5分でよかったら出頭しなさい」という手紙をもらいました。
多喜二のお母さんは、この手紙をもらったとたんにまず「ああ多喜二に会える」五分間でも1分でもいい一目だけでも多喜二に逢いたい。ところがお金が全然無いんですね。それから雪の中を駆けずり回って、その手紙を一枚持って多喜二に会えるんだから、どうか行きかえりの汽車賃だけ貸してくださいと。
そしてやっとのことで東京に行って帰れるだけの汽車賃を借りることができました。その晩に雪の小樽を出発します。一人で今みたいに新幹線があるとか連絡船が便利だとかないんです。全部各駅停車ですから雪が降ると止まってしまうんですから、そうするとですね雪の中をお母さんは、ホームに飛び出して駅長さんに前の駅に汽車が止まっているか聞き、駅長さんが電話で確認して「おばあちゃん前の駅に汽車が止まっているよ」というと、雪の降る線路の中を真夜中に一人で歩き出したんです。
みんなで「お母さんだめだよこんな真っ暗ななか一人で行けないよ」と言っても「多喜二に会えないから、11時1分過ぎてももうダメだから、多喜二に会えないから」といって雪の中を一駅一駅つないだっていうんですから。
そうしてやっとのことで10時半に東京の築地署に着きました。何も飲まず喰わずです。さあその姿を見た警察官・憲兵は、あまりにの酷さに同情したんですね。そうして練炭火鉢を持っていって「お母さん寒いでしょうあたりなさいよ」と、そうしたらお母さんが「いや多喜二はあたってないからいい」と言って、せっかくのその小さな練炭火鉢を面会所の脇へ置いてしまいます。
それから今度は、その警官が朝食で食べ残したうどんを温めて「お母さん何も食べてないんでしょ食べなさい」って言ったら「多喜二は食べてないからいいです」と言って、そのうどんも練炭火鉢の横に置いてしまいました。そうしてひたすら鉄格子にすがって多喜二が来るのを待っていました。
11時ぴったりに多喜二が憲兵に連れられてきました。お母さんの顔を見るなり多喜二は「お母さんごめんなさい」と言ったきり、わぁ~と泣いてコンクリートに額をつけて上げない。お母さんも着いたとたんにごめんなさいと頭をさげたから多喜二かどうかわからない。
頭は剃ってるし目はさけ口はさけてるしの状態でしたから、そうしてたった5分の面会が1分たち2分たち3分たったときに憲兵が飛んできました。
「お母さんあと2分ですよ、なんか言ってやって下さい」と。
そうして二人の警官と刑事が多喜二の耳をもって、「こらお母さんだ見ろ」と、顔をくっと上げました。その多喜二の顔を見てお母さんがなんと言ったと思いますか?
「多喜二かぁ?」と言ったんです。「多喜二かぁ?」と2回言ったんです。
自分の子供がどうかわからない、顔が変わってしまってる。
そしたら多喜二が「はい多喜二です」と言います。
そうしたら後残った1分30秒、多喜二のお母さんは何と言ったと思いますか?
鉄格子にすがりながら「多喜二お前の書いたものは間違っておらんぞ」
多喜二は間違っていたから逮捕されているのです。多喜二のお母さんは文字が読めないんですよ。一行も多喜二の小説は読んだことがない。しかも憲兵警察が悪者として捕らえられているんです。
しかし多喜二のお母さんは「お前の書いたものは間違っとらん。お母さんはお前を信じとるよ」この言葉を残った時間1分数秒言い続けて、雪の小樽へ帰りました。
多喜二は、その三週間後に、この世を去ります。最後に憲兵が竹刀を振り上げて打とうとした時に、しきりに右手を上げて震えてる、なんか言いたいだけども言葉にならない。
そこで他の人が水を持って「一杯飲んで言いたいことがあったら言え」と言いました。
そうしたら多喜二がその一杯のコップの水をぐーっと飲み干して
「待ってください待ってください。私はもうあなたの竹刀をうけなくても死にます。
あなた方はこの3ヶ月私を地獄へ落とそう地獄へ落とそうと私をたたき、私をののしってきたけれども、わたしは決して地獄へは落ちません。
なぜならば昔から母に信じられた男、母に信じられた子供は必ず天国へいくという言い伝えがあります。
私のお母さんは、わざわざ5分間の面会のために雪の中を小樽から東京までやってきて、
文字が読めない私の小説を一行も読んでいない母親が、おまえを信じてくれると私を信じてくれると、私はどんなことがあっても天国へいきます」
と言い残してぱたっと命を落とします。
みなさんお母さんの愛は偉大です。お母さんの愛は無条件です。子供が悪くてもお母さんだけは信じてる。小林多喜二はその他のところで「僕の母は僕の太陽だった」と書いているんです。
素晴らしいことですね。わたしたちは今こうやって生きてますけどね、この命は36億年も前からずっと続いているんですよ。私達の身体をそうやって何十億年産み続けてきたから僕達がいるんですよ。
お母さんという役目はすごいんです。君達の個人的なお母さんだけじゃなく、ずっーと命を続けてきたお母さん(女性)に感謝の気持ちを常に持たないといけないと思うんです!!
<引用終了>
母性に満ちた、母の力は偉大ですね。もし皆さんに、夫や、妻がいられましたら、お互いを敬う言葉を掛けて差し上げて下さい。夫婦が尊敬しあい、いたわりあえば、きっと子供たちも健全に育ちます。そして多喜二のように、胸に輝く太陽を抱き、しっかりと自分自身を確立していくことが出来ますから。