今日は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月08日の記事を紹介します。
神様の力の通り道
地球は愛の星。そして日本人には、愛の星を維持していくうえで大切な役割りがあるようです。 →宇宙の天国
今日は愛の人、イエスのお話です。イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。
イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。
生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。
ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。
それは、ブッダと同じ決断です。ブッダの時、このことを梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と呼びます。
その方法は、愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。
イエスがこの地上で行った数々の奇跡。
その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、あなたが目覚めれば私と同じこと(奇跡)ができる。私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る。
ということでした。
つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、神そのものであると 教えてくれたのでした。また、私自身(イエスのこと)は無力である。全ての奇跡は、神が行うものである。
と仰ったのです。
つまり、イエス自身は無力であるが、
・全ての良きこと、
・美しきこと、
・真理の実現、
・奇跡
・思いやり
・優しさ
・愛
・癒し
は、全て神様の力によって起こっている。そう謙虚に仰ったのです。
これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。
・私が、○○してあげる。
・私が、○○した。
・私が、○○しよう。
そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、その力の源泉は、私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、イエスの取った謙虚な態度と正反対です。
とかく人は
・成功している時、
・人気がある時、
・お金がある時
全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。有頂天になりがちです。それが神々の力から来ているとは認めません。
ですが、イエスは
・自分が人に行う優しさ、親切も
・創造性あふれる仕事も
・奇跡も
全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。自分自身の力ではない。単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。
そう仰ったのです。それが本当の真実だからです。
そのように自覚していれば、
・天狗になって人を見下したり、
・人と比べたり、
・自分の知識をひけらかしたり
・人を支配したり
・力や能力を自慢したり
する必要は無いかもしれませんね。
人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、きっとそれだけで、いいのですね。
私達人間は・・・全て、神様が私達の魂が成長するようにと、細かなところまで取り計らってくれますから。大丈夫です。
俺が俺が、私が、私が・・・そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。今や、嘘が付けない時代になりました。
ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、
・今だけ
・金だけ
・自分だけ
の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。
たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。
その醜い姿を
・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち
・産んでくださったお母さん
・慈しみ育ててくれた家族
・故郷の友人たち
この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか?
・あなたたちの父である私の姿、
・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿
を、どうぞ見てください。
しっかりと目を見つめ、そのように言うことはできるでしょうか?