2021年1月14日木曜日

2212「愛の星」2021.1.14

 今日は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月08日の記事を紹介します。


神様の力の通り道

地球は愛の星。そして日本人には、愛の星を維持していくうえで大切な役割りがあるようです。 →宇宙の天国


今日は愛の人、イエスのお話です。イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。

 イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

 ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。

それは、ブッダと同じ決断です。ブッダの時、このことを梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と呼びます。

 その方法は、愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。


イエスがこの地上で行った数々の奇跡。

その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、あなたが目覚めれば私と同じこと(奇跡)ができる。私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る。

ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、神そのものであると 教えてくれたのでした。また、私自身(イエスのこと)は無力である。全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

 つまり、イエス自身は無力であるが、

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。そう謙虚に仰ったのです。

これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。

そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、その力の源泉は、私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、イエスの取った謙虚な態度と正反対です。


とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。有頂天になりがちです。それが神々の力から来ているとは認めません。

 ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。自分自身の力ではない。単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。

そう仰ったのです。それが本当の真実だからです。


そのように自覚していれば、

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり

する必要は無いかもしれませんね。

人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、きっとそれだけで、いいのですね。

私達人間は・・・全て、神様が私達の魂が成長するようにと、細かなところまで取り計らってくれますから。大丈夫です。

 俺が俺が、私が、私が・・・そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。今や、嘘が付けない時代になりました。


ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか? 

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿

を、どうぞ見てください。

しっかりと目を見つめ、そのように言うことはできるでしょうか?