1月27日は恒例の手前味噌賞味会でした。2020年にテンメイ名取農場で仕込んだ味噌を開封して、皆さんそれぞれ手塩にかけた味噌を持参くださいました。参加者は例年より少なかったのですが楽しい、有意義な気付き、発見の場になりました。
昨年、初めて味噌作りに挑戦したYさんは若々しい味噌で、久しぶりに初めのころに作った味噌を思いだしましたが、若いなりにまだ馴染み、熟成は進んでいませんがバランス良い出来栄えです。今年は更なる挑戦に燃えていました。
私のは熟成が進み、色合いも濃く、味も良い加減で私好みの味でした。多くの方にも高評価を頂きました。同じに味噌を混ぜ仕上げて桶に分けたのですが保管環境でその熟成、成長が変わるのは当然です。保管環境の状態、生体エネルギー的な仕掛けで違いが起きますが、
今回の味噌作りで私の大きな気づきは、同じ場所に並べて保管した2人の味噌の違いがあったことです。
その2つの桶の違いは、味噌を桶に仕込む作業、そして桶の外に書いた名の頭文字だけです。私の味噌とOさんの味噌が明らかに味が違うのです。初参加のYさんもその違いを明確に表現してくださっていましたが、遺伝子の初期設定が違うが如くの時間での変化が起きていました。同じであって同じでない、この世界の面白さが無形の動きが行っていることを改めて確信しました。
閑話休題。「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月21日の記事を紹介します。
今あるものに感謝
元春日大社の宮司、葉室頼昭さん 神道の最高位、「浄階」まで行かれた方です。
葉室さんが仰るには、神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れるそうです。
従って、どんなに霊験あらたかな神社や仏閣にお参りに行こうと、私たちの心に感謝の気持ちが現れなければ、神々も助けたくとも助けられません。
自分の運命を呪い、より楽な境遇になりたくて、現世利益を求め、よりすがり依存の心むき出しでは神々と相いれない波動をまとうことになり、繋がる先は、低き世界となることでしょう。
今日も、心を覆う罪、穢れを祓い、本来私たちが持つ、美しき心を表すために「今あるものに感謝を」というテーマのお話です。
感謝の気持ちで生活して行けば、どんどん、本当にどんどん、これでもかと言うほどの、幸せなことが起こってきます。感謝の気持ちに敵対できるものなど、存在しないからです。
どんな小さな事にも、そこに感謝の種を見つけ「ありがとう」と言える人って、とっても素敵な人だと思いませんか?
一見
・嫌なこと
・面倒なこと
・悪い予感のすること
そんなものでも、神様が与えてくださった幸せのための、最初のステップだと思えば、信じて安心し、喜んで受け入れることができます。なぜなら、その出来事は幸せが訪れる 先ぶれだからです。
では、小林正観さんのお話より、ご紹介します。
<引用開始>
目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる。
九州でのある講演会で、定刻になっても半分しか人が集まらず、主催者の方が、「どうして九州の人間はこんなに時間にルーズなんでしょうね」と嘆いたことがありました。
それを聞いた私は、笑ってこのように話しました。
「定刻なのに半分も来ない、のではなくて、定刻にもかかわらず半分も来てくださっている。
ありがたいですよね」つまり、来てくれたほうに目を向けたら、「ありがとう」です。
来ていないほうの半分に、「まだ来ないじゃないか」と不平不満を言うよりも、来ている人に感謝するほうがいいということです。
同じ現象でも、感謝ができる人とできない人がいます。私の話を聞いて、その主催者の方は、「自分は正観さんのお話を何十回も聞いているのに、まだイライラしてしまう人間でした」とおっしゃいました。それから、その人はまったくイライラしなくなったということです。
面白いことに、定刻に集まらなくてもイライラしなくなったら、その次の会からは、定刻に三分の二の人が集まるようになりました。イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えているそうです。
地球と宇宙を味方につけるためには、「自分の思いどおりの現象が100点満点になっていないじゃないか」と文句を言うのではなく、80点の現象があるのなら、その80点に、手を合わせて感謝をすること。
ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。当然、コンサートは中止。3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、充分にお客さんは集まっていたと思います。
ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、実は本人が考えている以上に損です。そういうことをしていると、
そのうち誰からも信用されなくなります。興行主から見ると、もうそんな危険のある人に次からは頼まないようにしようと思うに違いありません。
目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見出すことができ、そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。
<引用終了>
イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えた。これは神様が良くなさる方法です。私達が気付けるように、
気付くまで、色々手を変え、品を変え、そして一旦気付いてしまえば、もうそういった現象は無くなります。
今、何か問題を抱えている方がいらっしゃったら、(その問題を解決したいと思ったら)
少し考えて見てください。
自分は、その問題に対して不平不満に思っていないか?
イライラしていないか?
人のせいにしていないか?
そして、上記の正観さんのお話のように、発想を変えて、見方を変えて、今自分の目の前にある「もの」、そして「こと」に、感謝してみてはいかがでしょうか?
感謝することが出来さえすれば、もうそれは、問題では無くなります。
その問題が気付かせようとしてくれていた課題がクリアされたので、もうその問題は、目の前から無くなります。問題が問題では無くなったからです。
それは、ブッダが2500年前に教えて下さった「般若心経」に書かれている、私たち人間が幸せになる方法の真髄です。目の前にある問題は、私達に何か気付いて欲しいから、神様が起こして下さっています。
どんなことも、自分の周りに起こって来ることに不要なものはありません。全て、必要であり、必然的に起こってきます。それも私達の魂の学びにとってベストなタイミングで起こって来るようになっています。
ですから、全てのもの、人に感謝なのですね。「ありがとう」なのですね。
ありがとうの言霊は宇宙で一番、力のある言霊と言われています。