「いっくからありがとう」さんの2021年1月3日と4日の記事を紹介します。
心の方向転換 2021年1月3日
2021年 3日目です。激動の真っただ中、心の方向性は定まったでしょうか?
私たちは辛い時、苦しい時、悲しい時、その場から去りたくて、一気に状況を変えたくて、
・藁をも すがる思いで、
・神頼みしたり
・人に頼ったり
・高価なものに頼ったり
しがちです。
そのような波動の状態である時、そのようなオーラを外界に発生させている時それに呼応して、
・同じ波動を発生させている、(類は友を呼ぶの)同類の人たち
・その状況を利用して、食い物にしようとする人たち
肉体のある者、肉体を脱いだ者、それぞれが、波動をキャッチして、お互いが吸い寄せられてきます。
食い物にしようとする人たちとは・・一見、「他人依存的な人」とは、正反対ですが、波動的には同種(山と谷が逆さまなだけ)ですので、依存的な人には、
・同じく依存的な人と
・依存的な人を支配、コントロールしようとする人
の2種が引き寄せられることになります。
・傷をなめ合ったり
・自分の同質のグループに引き入れたり
・高価なものを買わせたり
することが多いようです。
このような状態の時、人は
・冷静な判断ができず、
・普段なら騙されないような甘言に騙されたり
・言われるがままに、高価なものを買わされたり
・普段なら、意気投合しないような方と、仲間になったり
しがちです。
これは結構、強力な「引き寄せ」です。私たち人間は、決して強い人ばかりではないので、
心弱くなった時には、どうしても強い人や、神様、物にすがりがちです。
ですが、そのような時、同じ波動を持つ者を引き寄せ始めていると・・・頭の片隅にでも、置いておくとよいかもしれません。そうすれば、何時か、はっと、我に返って気づく時も来るでしょう。
私たちの身の回りで起こる
・辛いこと
・苦しいこと
・悲しいこと
は全て神様が起こしてくださっています。神さまの承諾なしに、起こる出来事は、どんな些細なことでさえ、存在しません。
全ての
・辛いこと ・苦しいこと ・悲しいこと
は、神様が私たちに心の方向転換を促す時に起こります。どんなに、人や物、神様に頼って
一見状況が好転したかに見えても、私たち自身の心が変わらなければ、また同じ出来事や現象が、形を変えて起きてくるだけです。
・今あるもの、持っているもので満足しているか?
・それらに感謝の心を持っているか?
感謝の気持ちを持つ心は、美しいです。光り輝いています。感謝の気持ちが足りない時、神様は、強制的に方向転換させてくださるために、色んな出来事を起こしてくださるようです。感謝の心は、神様とのホットラインのようなものです。神様と直結します。
そこを通じ、神様の恩寵が現れます。感謝の心が芽生えた時神様が意図した通り、目的は達成されます。その結果、役割を終えた(辛く悲しい)出来事は、記憶のかなたに、消えてゆくことでしょう。
そして魂の段階が、一つ上がり、また新たな世界が眼前に広がってくることでしょう。
その世界は、確かに・・・今見ている世界よりも、
・暖かく
・優しく
・愛に溢れ
・笑顔に溢れた
美しい世界であることでしょう。感謝の心は幸せになるために一番大切な心です。
人生の舵(かじ)を自分で握る 2021年1月4日
今日は、自分の人生は自分の責任と言うことで斎藤一人さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
私は魂を成長させるためにこの世に生まれてきたと信じています。すると、こんなことを言う人がいます。
・俺は好きで生まれてきたんじゃない
・産んでくれって頼んだ覚えはない
そう思うのは自由です。でもそんなふうに思わないほうが楽ですよ。ちなみに私はこう思っています。
「人は自分が一番成長できる環境を、自分で選んで生まれてきているんだ」
自分が生まれる前のことを記憶している赤ちゃんや子どもたちがいるそうです。そういう子どもたちの発言を記録したドキュメンタリー映画もあると聞きました(「かみさまとのやくそく」)。
それを観(み)た私のお弟子さんによると、子どもたちは神様と約束をかわし、地球にいる自分の親を選んで、生まれてくるそうなんです。親が子どもを産んだんじゃなくて、子どもが親を選んだんですね。
だから「俺は好きで生まれてきたんじゃない」ではなくて、「俺は好きで生まれてきたんだ」なんです。子どもは自分の魂が一番成長できる環境を選んで生まれてくる。
その通りだと私も思います。「それを証明しろ」などと言わないでくださいね。私には証明できませんから。でもそう考えたほうが前向きに生きられるのはたしかです。
なぜなら、自分が一番成長できる環境を選んで生まれてきたんですから、これ以上いい環境はほかにないということになります。
「こんなイヤな家」とあなたが思うのは勝手ですが、そう思って生きるのか、「成長するために一番いい環境なんだ」と思うのかで、人生が全然違ってくるのは、簡単に想像できます。大切なのは、自分が自分の人生を選んでいると思うことです。
あなたの人生は神様が決めたんじゃありません。神様が番号のついた札をシャッフルして、お見合いみたいに親と子をくっつけたんじゃありません。
自分でその親を選んだんです。自分の人生は自分で選んだ。自分の人生は自分の責任である。これが腑(ふ)に落ちれば、人生のいろいろな問題はとても解決しやすくなります。
なぜなら、自分の責任なら、自分が変わればすむだけですから。でも人や社会のせいにすると、相手が変わるまで待っていないといけないから、とても大変です。
たとえば自分の健康は自分の責任だと思えば、自分で気をつければいい。ですが、自分が不健康なのは社会のせいだとすると、革命を起こして社会を変えなければいけません。
自分が太ってメタボになったのは、隣のおやじのせいだと思ったら、隣のおやじを変えなくちゃいけない。自分以外を変えるのはとても面倒で大変なことなんです。私なら自分の健康は自分の責任だと思います。自分で食べ物や生活環境を変えて、健康になれるよう努力します。そのほうがずっと簡単です。
人生だって同じです。自分の人生は自分の責任だと思えば、自分で努力したり、自分を変えたりして、人生を変えることができます。これが「人生の舵(かじ)を自分で握る」ということです。でも人や社会のせいにすると、人生はなかなか変わらない。
<引用終了>
日本では、殺人事件の半分以上が親族間で起きているそうです。それだけ、親子、親族は、縁が深く、かつ、お互いの間で、甘えや、幼児性が出やすく、感情的なもつれが起きやすいようです。
でも、その親や、家族を選んだのは、まぎれもなく、自分自身です。何故かと言えば、その環境で育つことで、あちこち頭をぶつけながら、楽しい思いや、辛い思いを重ね。家族同士で激しい感情のぶつかり合いを通じ、より一層、魂を輝かせるためです。
私たちにとって、一番大切な人は、一番身近な家族です。家族を笑顔にしなければ、どこかの誰かを幸せにすることなどできません。そのために神様は、家族という最小単位を作ってくださいました。
この中で小さな小さな愛、思いやりの心を育んでいくことで人間は成長していきます。
時には、家族であるがゆえにエゴや、わがままが出て、深い確執になることもあるでしょう
家族であるがゆえに、憎みあうこともあるでしょう。他人だったら絶対にしないことを、
家族だから、「許されるだろう」と、私たちの心の中の幼児性が顔を出すからです。
ですが、神様は、そのような環境だからこそ、自分のエゴや醜い心が、デフォルメされ表現される家族であるからこそ、「それに気づき、心の成長を為しなさい。」そう言って、家族にしてくださいました。
家族こそ、私たちが本当は一番大切にして笑顔で、励ましあって生きていく存在です。
皆さんは、ご家族、仲良くされていますか?
お互いを思いやっていますか?笑顔を向けていますか?