2021年1月27日水曜日

2225「信仰」2021.1.27

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月19日の記事を紹介します。


神さまを信じる人

今日のお話は「神さまを信じる人は幸せになれる」です。

神さまを信じる・・と言っても、どこかの宗教組織に入信し、厳粛で宗教的な生活を送らなくても良いのです。私も特定の宗教には入ったことはありませんが、神さま(宇宙の根本法則)を信じています。こういうことを「信仰心を持つ」と言うのかもしれません。

この宇宙は見えている世界だけでなく、その何万倍もの見えない世界があり、成り立っていると言われています。現に人間の見える光の波長も、ほんの小さな範囲でしかありません。

動物や昆虫は、もっと広い範囲を見ています。音も同じです。人間は小さな可聴範囲の音しか聞こえません。

 また私達人間は、個々それぞれ別の肉体を持ち、その境界は皮膚によって、外界と区別されている。と思っておりますが、実際右脳が認識しているのは、この肉体をはみ出して外側の世界と全部繋がっている現実を認識しています。(先日、TEDでアメリカの女性脳科学者の、実際に左脳の脳梗塞状態の体験談が講演されました)


もし神さまの存在を信じていなければ、生きて行く上で遭遇する色んな出来事 例えば

・生まれる

・人との出会い・別れ

・結婚、子供、家族・不仲・登校拒否・いじめ

・就職、会社でのいじめ、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ

・ケガ・病気・事故

・貧乏な時期、裕福な時期

・幸せな時期、苦汁をなめる時期

・ケンカする時、仲良くする時

・怒る、イライラするキッカケ、タイミング

・死ぬ時

などが全て偶然に発生しており、これらに全部自分一人の力や知恵だけで対処しなければならない・・という非常に困難で孤独な立場に置かれます。その結果、未来に対する不安でいっぱいとなり、うつ状態となってしまいます。


そして、そうならないために、常に必死に努力し、 

・人より上の立場に立とう、

・お金を儲けよう、

・損することは絶対にしない、

それを家族にも強制する・・など非常に精神的に不安定で殺伐としており、生きていても楽しくもないし、追い込まれた、あせりの状態に置かれてしまいます。これが年間自殺者10万人を超えると言われる日本の現実です。15~39歳の死因で、自殺がガンや事故などを上回り、死因の1位となっている現実を生みだしています。

さてここで、小林正観さんの「なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?」からご紹介します。

<引用開始> 引用元 


「正観さんのお話を聞いて、1週間ぐらいは調子がいいんですが、すぐ忘れてしまいます。

 ずっと忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか」という質問がよくあるのですが、忘れないためには、どうすればいいか。 

 それは《実践をし続ける》ことなのですね。 「いい話だったなあー」で終わってしまうと、3日後ぐらいには忘れていますけど、毎日、「ありがとう」を言い続けたり、トイレ掃除をし続けたりすることで、目の前にいろいろな奇跡や思いがけない嬉しい現象が起きてきます。 

自分も元気になるし、仕事も人間関係もスムーズに流れ出しますので、実践するのが楽しくなるのですね。話の内容を忘れないためには「忘れないぞ」と気合を入れるのではなく、実践をし続けることですね。すると、面白い現象があまりに頻繁に出てくるので、引き続きやりたくてしょうがなくなります。 

 私の中には「やらなければならない」というのはまったくなくて、「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのも全部損得勘定ですから。損得勘定でやると続くのです。 

どんなに下心があって、野心があったとしても、実際にそれをやった人を《実践者》と言います。 

 例えば、電車に乗っていて、おばあさんが乗ってきた。 ある男は、おばあさんに席を譲ってあげたいと思った。 自分の中では、人によく思われたいとか、評価されたいとかはまったくないけれど、人の目が気になって、席を譲ると恥ずかしい気がして譲らなかった。 

 それに対して、もう一人の男は、おばあさんが乗ってきたとき、目の前にきれいな女の人がいたので、この女性によく思われたいと思って、邪心と野心の塊で席を譲ったとしましょう。 

 さて、邪心の塊で席を譲った男と、すごく美しい心で席を立てなかった男と、どちらを神さまが喜んでいるだろうか。多分、席を立った男のほうに微笑(ほほえ)みかけているのではないかと思うのです。動機はどうであれ、席を譲った瞬間に、宇宙に一つ《喜ばれること》が生まれたのですから。 

 邪心や下心が全く無い人というのは、神の領域ですから、肉体を与えられてはいません。 

人間としては卒業してしまっている。 肉体を持っているということは、人間としての様々な体験をまだしたいということですから、損得勘定でやっていくことは、とても自然なことだと思います。 

「究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってください」と伝えています。 

宇宙構造を40年研究してきて、損得勘定でないものは、どうもないようです。 どのような分野でも、人に喜ばれるような生き方というのは、すべて自分にとっての損得勘定で言えば“得”になっています。 人に喜ばれることをして自分が圧倒的に損だ、ということはないのです。 

 さらに言えば、みんながいやがってしたくないようなことは、一単位あたりの“得”の密度が高いみたいです。 トイレ掃除は、その最たるものです。 そういうことを実践している人が何かを始めようとすると、あっという間に支援がきます。 

それは、その人が望みを実現させようとか、目標に到達しようとがんばっているわけではなくて、ただ毎日“徳”を積んでいるだけなのです。まさに、人徳の“徳”とは、損得の“得”なのです。 

 心の中で、どんなに善きことを考えていたとしても、それが実行に移されなかったら、それはないのと同じ。「ありがとう」という感謝の言葉も、「笑顔」も、「気くばり」も、「優しい言葉」も、「席をゆずること」も、心で思っているだけなら、ただの絵に描いたモチにすぎない。どんなに強烈に願おうと、深く想おうと、それは同じこと。 

 たとえば、喫茶店で注文するとき、どんなに強く心の中で「紅茶が飲みたい」と願ったとしても、「コーヒーください」とひとこと言ったらコーヒーが出てくる。 神さまも同じで、心の中がどうであれ、現象として現れた「言葉」なり「行動」を評価するという。 よき実践者をめざしたいものですね。 

<引用終了>


 神さまを信じるとは、宗教の組織に入ることではありません。ただ私達の心の中に居らっしゃる神さまを信じるだけです。

 神様の存在を信じて、考えたり行動すると、正観さんの仰るように精神が安定するだけでなく、サポートオブネーチャー(自然界からの応援)が得られて、活き活きとした人生を送れます。そして家族も幸せになることが出来るのではないかと思います。

 また神さまを信じれる人は、中間世の記憶を持って生まれて来た子供たちが言うように、

私たちは生まれる前に、神さまと一緒に、どのような人生を送るか計画を立て、

・人の役に立つため

・魂の進化をするため

にこの地球に生まれて来たことを信じることができるでしょう。

 私たちは、神さまと共に生まれる前に、生きている間に起こる全てのことを決めてきました。ですから、何が起ころうと、神さまの名のもとに、絶対に大丈夫なようにできています。

 私たちが人生において選択する全てのことは、私たちが、そのどちらを選ぼうと、結果的に生まれる前に決めて来た通りを選択するようになっています。ですから、どちらを選ぼうと、どちらに転んでも大丈夫なようにできています。これほどの救いの事実があるでしょうか?

この真実は神さまを信じる方が得ることのできる、大きな安心と、生きて行くための躍動感、優しさ、愛のエネルギー源となります。

 私たちは、自分の期待していた状況と現実が異なってくれば、「あぁ、もうだめだ」「あの時、あんな選択をしなければよかった」そう思いがちですが、神さまは、その先に、私たちを生かしてくれる道を既に準備してくださっていたのです。

 皆様が内に居らっしゃる神さまと繋がり、お幸せになられますように。