2021年3月5日金曜日

2261「発光人」2021.3.5

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月01日の記事を紹介します。


光を発する人

ますます、神々の働きが活発で、いろいろな場所で、いろいろな変化が起こっています。

それを感じ取ってらっしゃる方も多いようです。

ですが、あせらなくとも、私たち一般人にとっての王道は、やはり

・心を清らかにすること

・身近な周りの方々と仲良く暮らすこと

・すべての出来事を感謝の気持ちで受け取ること

に尽きるようです。 

さて、今日のテーマは、「光を発する人」ということで小林正観さんの記事をご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

「私は、以前は『努力』してきた人間だったのですが、正観さんのお話を聞いて、がんばらない、緩んだ系統の人間になってきました。

こういうタイプの人間が大勢を占めるようになったら、どんな社会になると思いますか」

と言われたことがあります。

 私の答えは、そのように社会全体を評価、評論する癖をやめること。面白いことに、人に対して 「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。

この質問をなさった方は、コンサルティングをしており、たくさんの企業とかかわるという立場からの、質問ということでした。

「世の中のここが悪いじゃないか、ここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」と、言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。

「暗い社会じゃないか」と問題点を指摘している人ほど、暗くなっているように私には見えるのです。

…世の中を暗い暗いと嘆くより、自ら光って その闇照らせ…

 というのが私自身に言い聞かせている言葉です。

 その人が光だったら、その人の周りには闇はないでしょう。評論する暇があったら、自分が光になること。自分がどう光るかを考えるといい。

 世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。早くそれに気づくこと。

「闇」と「光」は、多くの人は50対50の力関係だと思っているかもしれませんが、実はそうではなくて、0対100です。

 「光」が「闇」の中に入っていったら、常に「光」です。逆に、「光」が撤退したとき、

初めて「闇」の世界になります。


50対50の力ではなくて、「光」のほうが常に100の力を持っているのです。ですから、「暗い、暗い」と言っている暇があったら、自分自身が光を放ってその闇の中に入っていけばよい。光が入っていった闇は、どんな闇でも、光るしかありません。


肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、いつも温かくなる、ということが体験的にわかっています。

「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、明るい方向性を持っている人は、物理的にも光っているということです。

「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向に光線が発しているという様子がもとになっている象形文字です。「光」の文字のもとになっているものが「人」というのはすごいことです。そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。

 古代の人は、光を発している人と、光を吸収する暗い人とを、見分けることができたらしい。「陰気な」という表現があるのにわざわざ「あの人は暗い」という表現があるのは、実際にその人が「光」を発していなかったということでしょう。

「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで光を発する。そしてその光は、暗い人を照らす。 


「私の人生はつらくて、悲しくて、嫌いなことばかりで…」ということばかり言っている人は、「暗い」。

 この人は、周りの光をどんどん吸着してしまい、はたから見ていると、黒いもやの塊が来たように見えるのです。これが、人間が「光」という文字の語源となったいきさつです。

「光」とは、「人」が光ることによって周りの人を照らし、歩いている道を明るく照らしてあげること。

光を発していない人の周りには暗い人が集まり、闇に包まれる。光を発している人の周りには明るい人が集まり、明るさを宇宙に投げかけるのです。

<引用終了>


目の前にいる人にたとえ、その人のことを嫌いでもたとえ、その人から嫌われていようとも

・愛のある言葉

・優しい言葉

・希望や勇気が出る言葉

そのような言葉を笑顔とともにかけていらっしゃる方は、光の人ですね。

光の人になれば、いえ、なろうと決心さえすれば、きっと幸せな人生が待ち受けていることでしょう。

そしてご家族も、みんな笑顔で、お幸せになることでしょう。