2021年3月春彼岸も終わりました。3月20日は春分の日で宇宙元年とのこと。陰陽、善悪、好き嫌いなど2極のバランスが取れるエネルギーが調和すると言います。その日を如何様に迎えたかが1年を左右するので大事な日でした。
私は54回目の仙台座禅断食会を蔵王遠刈田温泉の宿で行っていました。今回は総勢18名で家族の方が沢山でした。お陰様で3日目の明け食では皆さん順調に大量の宿便出しが出来ました。デトックスが出来て満願成就です。晴れやかに皆さん笑顔で家路に付かれました。
20日の朝日です。
今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」からいくつかのお言葉を紹介します。
264 2021.03.10
音がしてもちっとも聞こえないというような坐禅はいい坐禅ではありません。
音がしてもうるさいと思わないというような、感情を消し去る坐禅も本物ではありません。
音がして、うるさいと思ってもいいのです。そんなうるさいと思う自分が間違っていると、うるさいと思う自分を押さえ込もうとしてはなりません。
音がする、うるさいと思う、ただそれだけで、そのまま流してゆけば、トコロテンを押し出すように、新しい刺激が次々旧い刺激を押し出してくれるので、自分がいつも「カラッポ」のままだという不思議なあり方が出来るようになります。
277 2021.03.23
「悟り」とは、自分が自分に落ち着けるようになったところをいいます。何か特殊な劇的な体験をすることが悟りではありません。
「自分が自分に落ち着ける」というのは、「自分が『ありのままの自分』に落ち着ける」ということです。自分が何か別物に変身するということではありません。
私だって、気が小さくて、ちょっとしたことにでもすぐ傷ついてしまうぐらい繊細で、それに人嫌いで閉じこもり体質なのですが、こんな「基本体質」は、今もそのままでちっとも変化していません。
でも私は、そんな自分が嫌いではなくなりました。昔はそんな自分が嫌で嫌でしょうがなかったのですが、今では、そんな自分であることを認め、受け入れ、許し、ヨシヨシと「そのまま抱きしめ愛せる」ようになりました。
272 2021.03.18
私たちの地上での人生の目的は<意識の拡大>なのです。宇宙全体が自分として感じられるようになるまで進化してゆくのです。
輪廻転生というのも、実は「意識を拡大」をさせるための装置です。
たとえば、あなたがAさんに対して心ない行動をしたとします。それは、あなたの意識の領域が狭くてAさんまであなたの意識が届かず、Aさんの気持ちを思いやれなかったから、そんな非情な振る舞いができたのです。
そんな失敗の行動を反省できないまま死んでしまうと、次の人生で今度はAさんの立場になって同じような体験をすることによって、前世のAさんのツラかった思いをはじめて我が事として思いやれるようになるのです。
このようにして、輪廻転生によって、人は他の人やモノや世界のことを思いやれるようになる、つまり「意識を拡大」してゆけるのです。
しかし、間違った行動をしても、瞬時に誤りに気づき、反省することが出来るようになってくると、輪廻転生の必要がなくなります。そこまで魂が進化してくると、転生は間遠になるのです。
しかし、その頃には、まだ進化過程が未熟な地上世界の人々も、実は私の分身なのだと自覚出来るようになっているので、分身の我が子たちを導くための地上への転生は、人類が進化のゴールに到達するまで続くことになります。
275 2021.03.21
ロバート・モンローさんは、ある時期に、体から出て、光り輝く存在と出会い、その光の存在の指導を受けながら、いろいろ学んでゆくようになりました。
ところがある時、その光の存在は「もうこれでお別れだ」と言います。モンローさんはびっくりして「なぜお別れなんですか」とたずねます。光の存在は「もう君はこの段階の学びを終えたから会う必要がないんだよ。私は君自身なんだからね」と答えます。
つまり、この光の存在とはモンローさん自身だったのです。
モンローさんの意識の領域が狭く低いので、外側の高次元の存在として出現したけれど、意識の領域が広くなって、もうこのレベルの自分まで、自分の意識の内側に取り込めるようになったので、この光の存在は外の存在じゃなくなった。もう時々出会うのではなく、自分自身そのものとなったのだからずっと出会っている、いつでも必要に応じて内側からはたらき出せるようになったということなんです。
・268 2021.03.14
私たちの交わりは、清交、淡交でありたいなあと思っています。
清らかで、さわやかで、あまり人の仕事や家庭や、心の内側までズカズカ立ち入らない、淡い、まみずのような交わりであればと思っています。そのまみずの中に、無量の味わいを感じとれる人になってほしいと思っています。
自分が正義と信じることを、その人が迷惑がっているのにも気づかず、のべつ相手に語ったり、どんどん文章を送りつけたりするのではなく、相手のわずかな表情の変化や動作や言葉から、その人の内心の思いを読み取れるほどの思いやりの繊細さを持つ人になってほしいと思います。
何事も行きすぎないよう、やりすぎないよう、すこし物足らないほどでとどめておくのが、万事における秘訣です。
文章でもそうです。百、言いたいことがあっても、一言だけ書くのです。だからこそ、その文に余韻というものがこもって、人の心をうつのです。
・267 2021.03.13
宇宙いっぱいのものが、こんなちっぽけな、有限の頭におさまるはずがない。
ですから、私たちに出来ることは、その宇宙いっぱいのものを我が頭で、我が手でとらえようという一切の試みを放棄して、その宇宙いっぱいのものに「参りました」と降参することなのです。
すっかり降参して一切の処分をお任せした時、不思議ですね。そんな宇宙いっぱいのものが、私の肉体を通して働き出すようになるのです。無限のものが有限の1コマ、1コマに盛り込まれるようになるのです。
・266 2021.03.12
イノチは決して損なわれることがありません。肉体が朽ちてしまっても、いやそれどころか、肉体がなくなってしまっても、ますます力強く、照り輝いて前進をつづけるもの、しれがイノチです。
肉体が破壊されて、そこらじゅうに四散しても、次の瞬間には、もうそんな出来事なんて、ケロッと忘れて、前を向いて、次の新しい世界へ、もっと広く、もっと澄んで、もっと光いっぱいの世界へとび立っている、それがイノチなのです。
・265 2021.03.11
「お月さまの教え」と「お日さまの教え」があります。
「お月さまの教え」はこんな風に教えます。
「君は光じゃない。君の外側、はるかかなたに光である偉大な神(仏)さまがいらっしゃる。その神さまがお放ちになっている光を受け、反射することによってはじめて君は輝けるんだ。だから、この偉大な神さまに常に心を向けていなくちゃならないよ。少しでも油断すると、すぐまた暗黒の中に落ち込んでしまうから」
「お日さまの教え」はこんなに語ります。
「君は光源なんだよ。外に光があるんじゃないんだ。君のイノチの内側にものすごい光源があって、その光で宇宙をさえも創りだしているのだ。
君が泣いても、わめいても、ひっくりかえっても、失意のどん底にあっても、その光源の灯は決して消えることはない。
だから、光になろうと思って無理することもないんだよ。ただ、君は君に立ち帰ればいいんだよ。そうすれば、おのずと君のイノチから光が放たれるんだからね」
273 2021.03.19
ヒトは本当は<ひとり>しかいなくて、AさんもB君も、イヌ君もネコさんも…、実はみんな自分なのです。
だから、Aさんが得意なことはAさんに任せ、B君に出来ることはB君に任せ、自分は自分だけが出来る精一杯の生き方をしていれば、それでOKで、そんな自分が自分であることに納得し、許し、愛して、そこにイノチの重心をしっかり据えて生きていさえすれば、結局それが全体のイノチのために最大の貢献をしていることになるのです。
274 2021.03.20
あの時へ
みんなひとつだった/すべてひとりだった/ひとつの魂であり/ひとりの人であったのに/そのひとつがちりぢりになり/そのひとりがばらばらになってしまった
個となり/孤となり/粉となって
気ままに吹く世間の風に/右に左に翻弄され/散らされてゆく/みんな孤独で淋しい道を歩いている
そんなひとり、ひとりが/みんな私と霊(ち)を分けた兄弟/みんな分身
そうと分かった今/もう道ははっきりしている
みんなで手を取りあって/あの時にもどる/ひとり、ひとつだったあの時
融けあって、あったかい光に満ちていた/なつかしいあの時へ
276 2021.03.22
人生は、捨て捨て/スタスタ歩む道
一瞬一瞬、ビクビクもので/一瞬一瞬、ハラハラもので
だから、刻々新生で/毎瞬毎瞬輝いている
ハラハラ・ビクビク/ワクワク・キラキラ
人生は、捨て捨て/スタスタ歩む道
・263 2021.03.09
そのままでいいんだよ。地(ぢ)でいいんだよ。ヘタならヘタでもいいんだよ。
君は君のままを表せばいいんだよ。
そうすれば、その作品がきっと人の心に響くものとなるんだよ。