2021年3月17日水曜日

2273「他者を思う心」2021.3.17

 今回は「木の花ファミリーの経済から世界を見る」さんの2021年03月13日の記事を紹介します。


 ただただ他者を思う心

https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2021/01/blog-post_13.html


これまでの価値観では、人に何かをしてあげることは、「自分がしてあげた」とある意味優越感を持つようなものでした。或いは、人にしてあげることで自らのものが奪われるように思う人もいます。しかし人に何かをしてあげるということは、こちらが人に対して何かをさせてもらえる、ということです。そこには、人のために生きたという価値が生まれます。

そうすると、「してあげる」ではなく「やらせていただく」という心になります。ただ他者のために生きる、という、生命の定めを表現した時に、その人は自ずと、自らの価値を上げていきます。そして自らの行うことが、世の中を良くしていきます。そういった仕組みがこの世界には流れており、自らが生きることで、その仕組みが現象化するのです。

それは何も難しいことではありません。高度なテクノロジーやコロナウィルスのワクチンを開発することの方が、ずっと難しく、お金やエネルギーもかかることでしょう。それは誰しもの心の内に秘められた、世界の掟です。

自分のことばかりを考えて生きて、そのことがわからなければ、その大いなる仕組みを感じ取り、寄り添おうとすることにこそ、自我を発揮しなさい。「私の目的は、この世界の仕組みが健全に表現されることであり、それを喜びとするのが私の自我です。」そして、この世界を創造する大いなる側の視点に立ち、そこから自らの側へと帰り、その心で自らを包み込み、この世界のすべてになる。

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私は、夢を見ました。それは、いとも簡単にその世界へ行ける夢でした。

そこでは、何かを求める気持ちは消え去り、ただ心が満たされていました。今の現実の中では、それは本当に夢のようで、程遠い世界に思えるかもしれません。しかし、心がその意識に目覚めれば、可能なのです。

この世界には、様々な可能性が秘められています。一人ひとりの人間が、どのような精神状態で生きるかによって、それにふさわしい世界が目の前に現実化してきます。そのたくさんの可能性の中でもっとも大切なのは、世界が幸せという生産物で満たされることです。それは目には見えないものですが、心身ともに健康な世界を創ってくれます。その原料は、他者を思う心。他者の幸せを願い、他者のために生きていけば、実現できるのです。

そこには、幸せになるための音楽が流れ、幸せになるための食べ物があり、幸せになるための会話が交わされ、幸せになるための日々の暮らしがあるでしょう。そして欲しがる心は満たされて、多くを必要としなくとも、少しのエネルギーでたくさんの幸せが生まれるでしょう。それはどこにあるのかというと、人の心の中にあります。そのスイッチを、あなたが入れればいいのです。

そのような世界があることを、私は観たのです。

ジイジのブログ「ただただ、他者を思い生きること~2021年1月1日」より

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上記は、ジイジによる2021年最初のメッセージからの引用です。この話を聴いて、僕は仏教に伝わる『地獄極楽の食事風景』の話を思い出しました。それはこんな話です。

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「地獄」も「極楽」も食卓を見るだけなら何ら変わりはない。沢山のご馳走が用意されている。ただし、どちらも三尺(約91cm)もある長い箸を使って食べなければならない。

 地獄の住人たちは、先を争って食べようとするが、長すぎる箸を使いこなせず、やがて周囲と争いを起こし、せっかくのご馳走を食することができない。そのためいつも飢餓感に苛[さいな]まれている。

 極楽の住民たちは、三尺の箸でご馳走をつまむと、自分より先に向かい合う相手に食べさせてあげ、自分は相手がつまんだご馳走を食する。そのためいつも楽しく満ち足りた心持ちで暮らしている。

「地獄・極楽の食事風景-三尺箸の譬えを徹底検証」より引用

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地獄も極楽も同じ場所に存在していて、ただ人々の心が違うだけなのです。この話を受けてジイジは、「箸の持ち方を工夫して自分で食べることが出来るようになるのが人間の英知。だけれどもお互いに食事を与えることにはそれ以上の豊かさがある」と語りました。

科学やテクノロジーが、人間にとって厳しい自然環境の中で、自分の力で豊かさを獲得しようとする試みだったとしたら、それが限界に来ていることを様々な現象が教えてくれています。それを克服するためには、「ただただ他者を思う心」、それだけが必要なのでしょう。

では「他者を思う心」とはどのような心で、どのように育めばいいのでしょうか?誰かのために・・・と思って行動することが相手にとって有難迷惑になることもあります。それに対する答えは先日の大人ミーティングで語ったジイジの言葉の中にあります。

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ちょっと目線を変えて見る。ちょっと距離を置いたところから自分のやっていることを見る。そうすると他人目線になるから、そういう人は他人のために生きるようになる。ちょっと距離を置くということは、他人の位置から見るということだから、この人はこんなことを求めているなと感じて、それに応えていくことが出来る。それがキャッチボールということ。自分からしか見ていないと他人のために生きることは出来ません。

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ただただ他者を思う心。この言葉から思い出した言葉がもう一つあります。それは、「傍楽(はたらく)」という言葉です。現在、多くの人にとって働くことはお金を得る手段となってしまっていますが、本来、働くとは「傍楽(はたらく)」であり、働くことを通して、傍(はた)を楽(らく)にし、自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことなのです。木の花ファミリーではみんな、そんなふうに働いています。だからこそ、そのような日々を地道に繰り返すことより「この世界を創造する大いなる側の視点に立ち、そこから自らの側へと帰り、その心で自らを包み込み、この世界のすべてになる」ことが出来る可能性があるのだと思います。

そこには「希望の風が吹いてくる」のです。

2021年1月13日(新月)の富士山です。

2021年1月11日の富士山です。
 
2021年1月1日(元旦)の富士山です。

2020年12月29日の富士山です。

今年の冬はほとんどの期間、冠雪していない富士山。それでも元旦、新月という節目に少しだけ冠雪しています。これもこの世界を創造する大いなる意思の顕れの一つですね。ちなみに過去の富士山を紹介するとこんな感じです。

2020年1月13日の富士山です。
2019年1月11日の富士山です。

2018年1月13日の富士山です。

2017年1月12日の富士山です。

2016年1月14日の富士山です。

2015年1月3日の富士山です。