2024年4月9日火曜日

3392「日常の中の幸せ」2024.4.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月31日の記事を紹介します。


「日常の中の幸せ」


地球の波動がどんどん上がり、 

・思ったことが実現するのに、それほど時間がかからなくなったり、

・波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり

・神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、

・隠されていた闇が白日の下にさらされたり、

色んな現象が起こっているようです。 

ますます私たちの心の状態により、引き寄せられる世界が明確に分離していくのでしょう。 

今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に、斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。 

一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。 

アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。

その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)

要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、原子、分子など物質世界が形成されます。

では一人さんのお話です。


身近な人が苦しんでいても、過剰に心配する必要はないよ。 

ただ信じてあげるの。

人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。 

だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。

  

さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。

鈴木秀子さんのお話です。

鈴木さんは、聖心女子大学教授で、

「死にゆく者からの言葉」

「子どもを傷つける親癒す親」

「あなたは、あなたのままでいてください。」

「死にゆく者との対話」

「臨死体験生命の響き」 

などの多数の著作者として知られています。 

クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。

<引用開始>

 

物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、

目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。

あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が 

「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。

その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃるには、

人間のエネルギーには縦と横の線があって、例えば 

・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、

・縦線は 見えない世界だというんです。

もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、

縦のエネルギーはなくなるわけです。

ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。

あるいは会社が倒産したとか、社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。

がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと何の役にも立たない。 

そこで初めて、自分の頼りになるものは何だろうかと考えるんですが、そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということを、しみじみと感じるというのです。

 

それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、

その分を2しかなかった縦の線に振り替えていかなければならない。 

そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。

私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、

「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。

やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。

その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。

それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。

「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。

ほとんどの人がこういうことをいうんです。

それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、自分の家に帰られないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。

私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、 

死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。

ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。

だから、私は死んでいこうとしている人たちが一様に望むことというのは、生きている人たちへの遺言だと思うんです。

「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にして、そのことに気が付くのでなく、いま気付きなさい」

ということを伝えているんだと思うんですね。

何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに気付くことだと思います。

<引用終了>

  

横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、

縦線である、見えないもの(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。 

そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、見えないものの、大切さがわかってきます。 

死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・

・貴方には今、帰る家がありますか?

・待っててくれる人がいますか?

・話を聞いてくれる友達はいますか?

・目は見えますか?

・耳は聞こえますか?

・歩けますか?

・自分で食事はできますか?

これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、本当は、奇跡で、有難いことなのです。

私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、同じように思うこともあります。 

そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?

逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?

私達が亡くなる時。 

それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。

本当の幸せがわかっていなかった。

命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。

そんな後悔をしないためにも、ちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、友達のこと、

親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、生きているうちに

幸せを噛みしめることができるかもしれませんね。