2018年11月26日月曜日

1500「唱導85周年1」2018,11,26

 私の健康法の基本は真向法体操です。かれこれ36年程自修し、必要な方に指導してもう33年になります。真向法体操の創始者、長井津(わたる)先生が真向法体操を唱導して今年が85周年になります。
 真向法の軌跡を簡単に紹介します。

 長井先生は1889年に福井県福井市の勝鬘寺に生まれました。大倉組の大倉喜八郎頭取に使え、やがて経済界で活躍されます。しかし1930年42歳の時に脳溢血で倒れ半身不随となります。病中苦難の中、生家の勝鬘寺に伝わる勝鬘経の中で、仏弟子たちの礼拝の姿に触れ、これこそ天啓と信じ、仏弟子たちと同じように礼拝を行ずることになります。その結果、五体の異和状態から解放され、自力更生に成功されます。 

1933年 社会復帰の感動を世の人々に知らせる為「礼拝体操普及会」を設立し普及活動を始めたのです。
1946年 1月15日長井先生が読まれた和歌「真澄空ただみ一つの御光を真向仰げ四方のとも人」より「真向法」と不変の名称に変更しています。
1953年 国学の碩学安岡正篤先生に邂逅
1955年 合気道の植芝盛平氏・柔道の三船久三10段との歴史的出会い
1956年 子息 洞(はるか)先生三菱重工業株式会社退社、真向法普及会に参画
1957年 真向法倶楽部設立、会長に岩村通世先生(元法務大臣)が就く
      現会長 佐藤良彦入門
1963年 創始者長井津先生逝去、子息洞先生が衣鉢を継承する
1981年 長井洞先生急逝 浜子夫人が会長に就任
1985年 東京都元知事 鈴木俊一先生入会
1987年 元内閣総理大臣(当時熊本県知事)細川護熙先生入会
1998年 浜子会長逝去 高校野球連盟会長の牧野直隆先生が会長に就任
2005年 牧野直隆会長逝去 (95歳)
2007年 佐藤良彦会長代行が会長に就任
 
 現会長佐藤良彦先生は真向法普及活動開始の1933年(昭和8年)に宮城県大和町にお生まれになっていて、将に真向法の申し子と言える方です。私が1983年真向法を知り、東京本部に問い合わせの電話をした時に応対して下さったのが佐藤先生でした。直ぐに仙台にお越しいただき直接指導頂き、それから真向法との深いご縁が出来、私の自修が本格的に始まりました。
 人は縁に生かされ、縁に生きると言われますが、真向法を通した世界は善きご縁で繋がっているようです。これも創始者の理念、哲学が根幹をなし継承されているからなのでしょう。
 長井津先生が半身不随から経典に記してあった礼拝、頭面接足礼に感応し、お釈迦様の教えを受けるに礼を出来ずに教えを頂けないと思われ、頭面接足礼の何たるかを尋ね知り、それから自修する中で心身の快方を得ます。
 更に座ってする礼拝の頭面接足礼の他に立ってする礼拝もあるのではと経典を尋ね、五体投地礼を知ります。この2つの礼拝を繰り返す内に身体は機能を回復したのです。驚きの自力更生です。
 頭面接足礼は現在の真向法第1体操、五体投地礼は真向法第2体操です。やがて研究研鑽を積まれて現在の4つの体操に組み上げて真向法体操を完成されます。
 
 長井先生は大倉組で出世し大活躍されて栄華の絶頂を得ていた42歳で病魔に襲われました。42歳は厄年、42で死に行く年です。また逆に世に出る年でもあり、転機の年と言われます。普通の方でしたら病身が回復したなら元の様に社会復帰するのでしょうが、先生は貴重な体験で会得した智慧、健康技法を必要な方々にお伝えするのが再生した自分の役目と覚明、覚悟され普及活動に邁進されるのです。
 私の性分なのでしょうがこの様な意識の転換機序に触発され、感銘する所があります。無私の善行徳行です。真向法体操の真髄には長井先生のこの意識が脈々と継承されていると思います。世に奉仕、貢献するには先ず、己の心身の健康が不可欠でそこを自力で確立すると言う自覚です。
 五体満足で生を受け、この次元に生かされるには身体の健康が大事な事です。しかし無知ゆえに、もったいなくも自虐的な生き方が横行する現在です。

2018年11月25日日曜日

1499「希林」2018,11,25

 樹木希林さんが9月15日に75歳で亡くなられました。その人生がクローズアップされましたが、封切映画も上映されていています。「あん」、「モリの居る場所」、「万引き家族」、「日日是好日」です。「万引き家族」ではカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得されています。「あん」では孫の伽羅さんと共演しています。古くはテレビドラマ「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」などがありますが、コマーシャルの「ピップエレキバン」、「フジカラー」が印象深いです。
 希林さんの特集の中で、希林流「10の言葉」に見る、強さの秘訣を紹介します。樹木希林さんの人生哲学、生き方の視点が見えます。味わって見てください。

・「欲や執着があると、それが弱みに成ってつけこみやすくなる。」
 私は女優の仕事にも、別に執着があるわけじゃないの。それよりもまず、人としてどう生きるかが大事。

・「自分にとって具体的に不本意なことをしてくれる存在を師として、先生として受け止める。」
 ありがとうというのは漢字で書くと「有難い」。難があると書きます。人がなぜ生まれたのかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。受け止め方を変える事で素晴らしいものに見えて来るんじゃないでしょうか。

・「これで裏っかわにあるものを見ていくチャンスかな」
 2003年に左目失明を公表した年に「もともと形あるものしか見てなかったけど」と前置きをして。

・「老いてから分かれるのはもったいないわよ」
 元気なうちは分かり合えなかったけど、お互いに病気して、体力がなくなっちゃってから通じあうようになったんだろうね。

・「生きるというのは、いろんなところをくぐり抜けて、どう墓穴に入るかという道。」
 どうやったって結果はついてくるから、その時々で納得するやり方するしかないですよ。しっかり傷ついたりへこんだりすれば、自分の足しや巾になる。

・「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ。」 

・「一人の人間として、ひっそりと逝きたいたいのよ。」
 迷惑をかけた人達に「すみませんでした」と告げて、パッと燃え尽きる事が出来たら最高だなぁと思います。

・「いつから死ぬ」じゃなくて「いつでも死ぬ」という感覚なんです。
 私、自分の身体は自分の物だと考えていました。とんでもない。この身体は借り物なんですね。でも、借りていたものをお返しするんだと考えると、すごく楽ですよ。

・「自分の最後だけ、きちんとシンプルに始末すること、それが最終目標かしら。」
 古くなった靴下やシャツも掃除道具として利用して、とにかく最後まで使い切ります。ものたちが「十分に役目を果たし終わった」と思えるように、始末する感覚で暮らしているのです。人間もそれと同じ。十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるってことなんじゃないでしょうか。

・「いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします。」

2018年11月24日土曜日

1498「農場」2018,11,24

 収穫祭3日後14日は私の農作業日でした。秋晴れの良い天気に恵まれました。テンメイ大和農場に朝行きました。農場の木々も赤に黄色に色を変えて出迎えてくれました。


 1週間前の7日に農場長と一緒に農場にイノシシ防御用に柵をめぐらしていました。農場の方は全て柵で囲われているのですが、最近は家屋の大和亭の周りの畑や庭園、敷地に頻繁にイノシシが出没しているのです。道路側は無理としても西側の沢からの進入路を柵で塞ぐことにしたのです。



 農場へ向かう道に戸を据えて後は鉄製の支柱を立ててそこに網を渡した簡便なものです。しかし午後から始めた作業はすっかり日が暮れ、夜の闇の中でようやく終える事が出来たのでした。
 農場に到着していの一番に大和亭の家回り、庭、畑を見ましたがイノシシの形跡はありません。柵を確認したらこちらも無事で、網は仕上がりのままにあります。畑をお貸し頂いている大家さんの家にもイノシシは出ているとの事です。どのような行動を取るのか予測は出来ませんが、先ずは一安心です。これでダメなら次の手を考えるしかありませんが、家回りの畑には今は何も植えていませんので被害はないのですが、通路にされるのは避けたいのです。

 実は車を運転中にこれまで3回ほどイノシシに遭遇しています。一番の驚きは2015年12月10の遭遇劇です。
 南川ダムから山道を抜けて台が森温泉を過ぎて県道に出ると大和農場は目と鼻の先です。朝その道を通り温泉を過ぎ県道に出ようとしたら、車の正面、目の前の道路に黒い物体が5、6個止まって向き合う事になりました。最初は分からなかったのですがイノシシ家族の様です。携帯カメラで2度ほどシャッターを切りました。その音で先頭の親イノシシが向きを変えて全員が後ろに走り去って行きました。その時の写真は貴重なものでした。



 後日近くにイノシシが出没した事が写真入りで新聞に掲載されていましたがどうやらその時の親イノシシの様な感じがします。イノシシの止まっていた道を上がると田んぼがあり森になります。

 その後に大和亭の敷地の金網にたぬきさんが死んでいたこともありましたが、なぜあそこで息絶えていたのか不明です。始末をさせていただきましたが自然界でのごく普通の出来事なのでしょう。大和亭に水道が引ける前には台が森温泉には以前は作業の後に温泉に入りに行っていましたが、タヌキが住み着いて餌付けされていました。


 キツネさんにも何度か遭遇しました。極めつけは大和亭での蛇さんとのご対面です。農場の午前の作業を終えて大和亭に戻ると玄関に蛇さんがいるではありませんか。縁の下に住んでいる守り蛇神様の様ですが、獲物を飲み込んでお腹が格子の幅よりも膨れてしまい通れないのです。何度も試みていましたが難儀していました。暫く観察していたのですが作業に移って戻ったら姿がありませんでした。無事に家に帰れたのでしょうか。










 以前に畑の段差に石を積み重ねた所に1m以上の蛇の脱皮後の抜け殻を見ましたが、自然豊かな大和農場です。

 先週収穫した蕎麦をハウスのベランダに干していましたが、茎から実を取り脱穀です。

手作業で昼過ぎまでして、後は名取農場に運んでそちらで機械を使って脱穀し、唐箕(とうみ)にかけます。全部終わる頃は日が暮れて真っ暗で、照明の下でやり遂げました。大和農場に1キロの蕎麦の種を植えて収量は9キロ位でしょうか。先ず先ずでした。




 名取で作業を始める前、14時過ぎですが昼食を食べに高柳亭の住人Sさんのお蕎麦屋さんに農場長始め皆で初めて行きました。道を間違えて時間がかかりましたが、Sさんの打った蕎麦を美味しく賞味させて頂きました。
 私たちの作業が終わり始末して帰ろうとした18時ごろにSさんが帰宅しました。今度はこの蕎麦の実を彼に粉にして蕎麦打ちして食べさせてもらえる日がもうすぐかな?と期待が膨らみます。米、麦、蕎麦、大豆必要な穀物野菜が揃ってきています。それにふさわしい人材も育ちつつあり嬉しい秋の実りの時期です。

2018年11月23日金曜日

1497「収穫祭」2018,11,23

 仙台のケヤキの街路樹も色づき、銀杏も葉を落とし、杜の都の秋の味わいが深まって、光と木々の醸し出す雰囲気がとても素敵で良い感じです。
 そんな秋の最中、11月11日は1が4つ並ぶラッキーディにNGO仙台テンメイの名取農場収穫祭を開催しました。とても良い天気に恵まれ16名の参加です。前日まで農場長始め、ほとんどの面々が長野での生体エネルギーの生体システム実践研究会の秋期特別セミナーに参加していたので十分の準備は出来ませんでしたが、他のメンバーがサポートして下さり無事に開催出来ました。

 庭にはテントとテーブル、椅子が既に設置されています。バーベキューセットもしつらえています。私のお役目はバーベキューの炭の火おこしです。その後は野菜や魚の焼く役割をしました。






食材のほとんどは農場で収穫された野菜です。台所では芋煮の大鍋が出来ています。みそ味ですが、味噌も自家製です。三種類のサラダ、きんぴら、自家製小麦のピザ、後はバーべキューセットでの焼き野菜のさつま芋、カボチャ、ナス。極めつけは私が差し入れした生の丸イカ、アジ開き、ほっけの開きの焼き魚です。


 暖かい日の中で料理も出来あがり皆さん揃って乾杯です。美味しい料理に皆さん大満足です。何しろ農場長の真心が籠ったいのち野菜です。この名取農場は12年前から使用していますが、生体エネルギー理論に基づいた生態系生体システムプログラム農法で栽培されています。安全、安心、内容豊かで美味しく、エネルギー準拠位置の高い野菜に出来上がっています。





 初参加のコーギーのワンちゃんアーチャー君も喜んで料理を食べて皆のアイドルです。
今年は初めて、名取農場高柳亭の2人の住人も参加出来ました。今年4月のテンメイ総会の後の研修会で2人ともお話しましたが、その後も活躍の場として元気に過ごしてきています。
 専業農家を目指し頑張っているNさんは就農して2年目です。行政からの就農支援金を活用し、農場長の指導を得て、順調に耕作面積を広げ、販路も得て先ず先ずです。地域にも融け込み、消防団員として地域にも貢献しています。農作業に追われている様ですがこれからも自立出来る様に能力を向上させ、基盤を確立し、若者に情報発信して仲間を増やして行って欲しいものです。
 もう一人の住人のSさんは近くのお蕎麦屋さんに勤めていますが、蕎麦の扱いを身に着けてやがて蕎麦を皆さんに振舞える様にと修行中です。かなりハードな仕事で、高柳亭に入居前は農場の作業を少し手伝える様な感じでしたが、実際動き出すとブラックの様な過酷な仕事で、朝早くから夜までと時間もそうとう拘束され、農場の手伝いもままならない状態です。
 しかし1年を過ぎて少し余裕が出来てきている様です。そんな事で今日は休みを取って収穫祭に参加が叶いました。

 話が弾み、料理も進み、ビール、日本酒もお美味しく頂けました。締めは蕎麦を期待したいところですが、自家製小麦のうどんです。Sさんが茹でてくれましたが、腰があり美味しいと皆さんの好評でした。来年は蕎麦ですかね!
 


食べ終わり、テントなどの片付けです。植木の剪定もして最後に皆さんでミーティングです。良き仲間と集える場があり、分かち合える収穫の野菜を頂ける、穏やかな、ありがたい秋の良き日を楽しめました。帰る頃は夜の闇が農場を覆いましたが、綺麗な三日月が印象的でした。